98. 失敗作
オレはファムの方に視線を向けながら、リオに念話で話しかけた。
『リオ、スピード強化をくれないか?』
『ん? いいけど、参戦するの? ファムが怒るよ?』
ここで参戦したら、確かにな。
別に今現在ファムが圧倒的不利な状況というわけじゃない。
この段階で割り込もうものなら、後からどれだけ何を言われるか、考えただけでもそら恐ろしいものがあるよな。
オレはちょっと苦笑しながらリオとの念話を続けた。
『いや、そうじゃないよ。ちょっと情けない話なんだが、ファムのあの素早い動きに目が付いていけないんだ』
『ああ、そういうことか。分かった』
リオのセリフが言い終わるや否や、オレの体を何かが駆け巡る感覚がした。
よし! これで見えるハズだ。
一旦目を閉じ、そして再び開いたとき、剣歯白虎がファムに向かって飛び掛かっている姿が見えた。
剣歯白虎は跳び上がりながら右の前脚を振り上げている。
今度は牙で噛みつくのではなく、振り上げた右の前脚でファムを叩く気か?
いや、その先には鋭い爪が出ているのが見える。
あれで切り裂くつもりなのか?
ファムはまだ動いていないが、その前脚を見上げている。
ちゃんと見えている……と思う。
思うが、ファムはまだ動かない。
おい!
おいおいおい!
大丈夫だよな?
見えてるよな?
動けるよな?
ファム!
一瞬背中にひやりとしたものを感じた。
剣歯白虎の前脚が、その鋭く伸びた爪が、ファムの頭を捉えようとしたその刹那、ファムはその攻撃を避けながら後ろに跳んだ。剣歯白虎はその場に音も無く着地し、ファムはそこから後方数メートルくらいに距離を取る。
オレは思わず額に手を当て、かいてもいない汗をぬぐうように額を拭いた。
し、心臓に悪いよ、コレ。
見えているっていうのも、実は良し悪しなのかもな。ははは……
余裕が無いってことじゃないよな、コレ。
たぶんファムは、ワザと引き付けてから躱しているんじゃないか?
それって、既に剣歯白虎のスピードや攻撃を見切っているってことか?
まあ、そうなのかもしれないけどさ。
でも、あんなギリギリに躱すことはないんじゃないか?
それはファムの自信なのかもしれないが、危なくないか?
ちょっと間違えれば、とんでもない大怪我になるかもしれないし。
なによりも、見ているこっちの心臓がもたないって。
「……ちっ!」
どこからともなく舌打ちした声が聞こえた。
オレ達のであるわけが無い。
間違いなく迷宮の主のものだろう。
迷宮の主がイラついている?
そうかもな。
あれ程自信満々なことを言っていたんだ。
なのにファムは一度ならず二度までも剣歯白虎の攻撃を楽々と躱している。
迷宮の主にとって、想定外のその状況にイラついてしまっているのかもしれないな。
あの悪意の問題からここまで、ほとんど迷宮の主にいいように弄ばれてきたんだ。それを考えると、今のこの状況は胸がスッとする思いだよ。
ざまぁみろと言ってやりたいくらいだ。
剣歯白虎がゆったりとした動作から、再びファムに襲い掛かる。
先程と同様、右の前脚を振り上げて。
そして今度は、先程に比べれば十分な余裕をもって躱すファム。
しかし、右に跳んだファムを目掛け、剣歯白虎も着地と同時に間髪入れずに更に跳んだ。
もちろんそれに気付かないファムじゃない。
追ってきた剣歯白虎よりも早く、着地と同時にさらに右へ跳ぶ。
それを追う剣歯白虎。
さらに二度、三度とそれを繰り返し、そして四度目。
ファムは着地と同時に足に力を入れて踏ん張った。
そして……
「しつこい!」
そんな言葉を吐きながら、向かってきた剣歯白虎の前脚を避け、さらにトレンチナイフをはめた右拳を相手の鼻先へ叩き込んだ。
思わぬ攻撃だったのか、剣歯白虎が怯んだように一歩後退り、その場にちょっとうずくまってしまったようだ。
追撃はせず、数歩分離れたところからファムは相手を見下ろした。
「くくくっ。ファム、モテモテだね」
「……嬉しくないわよ、ちっとも」
ラヴィのからかい半分のセリフにしかめっ面で答えるファム。
……モテモテ?
そういえば、この剣歯白虎は雄三体から創り出されたんだっけ。
ってことは、この個体は雄なのかもしれない。
オレには雄と雌の区別はつかないが、二人には分かるのかも。
だからラヴィは、ファムが雄に付きまとわれているような表現をしたんだろう。
そう言えばトラって、ネコ科だっけ?
そしてファムはネコ耳娘。
…………いやいや、まさかね。
「くっ。ぬぅううう」
また迷宮の主の声が聞こえてきた。
ヤツにとって不本意なこの状況に、どうやら悔しがっているようだ。
それを聞いて、ファムが顔を上げ、何処にいるか分からない迷宮の主に向かって口を開いた。
「ふっ。あなたのご自慢の最高傑作とやらは、この程度? 誰も来ないような寂れた迷宮で、むしろ良かったわね。外の世界には、ワタシなんかよりもっともっと強い連中がごろごろしているわ。この程度の獣なんて、あっという間に討伐されて終わりでしょうね」
「ぬぬぬ……」
「さあ、どうする? ワタシはあなたよりもっとずっと優しいから、止めを刺す前にちゃんと聞いてあげるわ。そろそろ、降参する?」
戦闘開始直前に言われたことに対する意趣返しってところか?
確かにもう、勝負の行方は見えている気がする。
最初はあの牙の長さや岩を噛み砕く威力に驚いたが、言ってしまえばただそれだけだ。当たり前かもしれないが、剣歯白虎には別に空を高速で飛ぶとか炎を吐くなんて特殊能力は無いみたいだ。スピードは明らかにファムのほうが上だし、油断して捕まるようなことがなければ、このまま続けてもファムの一方的な攻撃ターンとなることは容易に想像ができる。
それに何より、剣歯白虎自身が今現在、「伏せ」のような体勢になってファムを見上げている始末だ。恐らく、今の僅かなやり取りだけで本能的にファムに敵わないと察してしまったんじゃないだろうか。そして、もしかしたらあれは、剣歯白虎の降参のポーズなのかもしれない。
だが、迷宮の主はそんなことをまだ認めたくないようだ。
耳を塞ぎたくなるように大きな声が周囲に響く。
「何調子に乗ってんだ! お前なんか……お前なんか、お色気担当のくせに!」
まだそれを言うか。
ファムがそんな軟な娘なんかじゃないって、もう分かっただろうに。
そして、迷宮の主はそれだけに留まらず、再び愚かな行為に手を出した。
「これを見ろ!」
その叫び声とともに、再びファムの映像が空中に現れる。
例の一角山羊の胃液を被ってしまった時のやつだ。
だがその瞬間、映像の下から強風が舞い上がり、その映像をかき消してしまった。
「ちっ!」
「懲りないね、君も。大方、ファムの集中力を削ぎたかったんだろうけど、そんな下劣なこと、これ以上ボクが許すわけないじゃない。少しは学習しようよ」
リオは迷宮の主にそう言い放ったが、ファムは何も言葉を発しなかった。
だが、オレにはファムの心情が何となく分かった気がする。
少し俯き加減で、その両肩が小刻みに震えているその姿で。
ふとファムが顔を上げた。
そして、ゆっくりと左足を一歩剣歯白虎に向かって踏み出す。
それを見ていた剣歯白虎が、伏せの体勢のまま一歩後退った。
ファムが更に右足を踏み出すと、それに合わせるかのように剣歯白虎もまた一歩後退った。
それを見て、やはりもう勝負は決しているようだなと思った時、迷宮の主のほとんど投げやりのような声が聞こえてきた。
「ちっ。もうダメだ、コイツは」
迷宮の主のその言葉と同時に、どこかでガコッて音がした。
何の音だと振り向こうとしたとき、リオが叫んだ。
「ファム! 後ろに跳んで!」
その声にすぐさま反応してファムが後ろに跳ぶ。
そしてとり残された剣歯白虎に降り注いだのは、長さが五メートルはありそうな長い槍のようなものだった。その数は、ざっと二十本以上。全てではないが、その半数以上が剣歯白虎の体躯を無慈悲に貫いていた。
――なっ!?
何本かは頭部を貫いているようだ。
あれでは、恐らく剣歯白虎は即死だろう。
その白い体躯が赤い血で染まっていく。
――こいつ!
オレは思わず拳を強く握りしめていた。
「……それが、君のやり方なの?」
リオの冷ややかな声が静かに周囲に響く。
「はっ! 失敗作を始末しただけだ。オレ様が創り出したものだ。オレ様が責任もって失敗作を始末したってだけさ。何が悪い!」
「……もうこんな茶番は終わりにしてさ。そろそろ君自身が出ておいでよ」
「ああ、いいぜ」
リオのセリフを適当に躱してくるかと思っていたが、迷宮の主は意外にあっさりと承知してきた。
何だ? 何か裏があるのか?
今までの事があるため、どうしても迷宮の主の言葉を素直に呑み込めない。だがそれは無用の心配だったようだ。
「どうせ次の場所がこのガンボーズ迷宮の最深部、最終地点だしな。オレ様自ら相手してやるさ。楽しみにしているがいいさ。あっははははは」
そして迷宮の主の声は無駄なエコーを残しつつ消えていった。
そういうことか。
いよいよこのふざけた迷宮のラストステージ、ラスボスってわけだ。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
現在98話。もうすぐ100話です。
この調子ですと、今年最後の投稿がその100話になりそうです。
投稿始めて一年が経過し、話数も100に……。(≧ω≦。)じ~ん
これも応援してくれる皆さまのおかげです。
ブクマももうすぐ700に届きそうで、ホントに凄く嬉しいです!
ありがとうございます!
次話「99. 神力」
どうぞお楽しみに!