97. 最高傑作
剣歯白虎の白い体躯が、ほとんど音もさせずにしなやかな動作でファムに向かって飛びかかった。
その口を大きく開き、剥き出しになっている二本の牙が悠然と立つネコ耳娘に襲い掛かる。
オレは一瞬息を呑んだ。
剣歯白虎の素早い動きでファムとの距離は一気に詰め寄られ、その長く鋭い牙に噛みつかれてしまったかように思えたんだ。
だが実際は、そうはならなかった。
オレにはよく見えなかったが、寸前のところでその攻撃を躱したんだと思う。
気が付けば、ファムは剣歯白虎の後方数メートルの場所に立っていた。
焦ったり慌てたりする様子など全く無く、ごく自然な様子で剣歯白虎に視線を向けている。
対して剣歯白虎のほうは勢いが余ったのか、先程までファムがいた場所の後ろにあった大きな岩にその長い牙で噛みついていた。
――は、速い!
ファムのスピードは、こんなにも速いのか!
これもやはり、クロ達との特訓の成果なのか?
剣歯白虎の動きも素早いと思ったが、ファムはそれ以上のようだ。
今オレはスピード強化の魔法をかけて貰っていない。
だから全くの素の状態でファムと剣歯白虎の動きを見ていることになる。
オレはちらっとラヴィの横顔を見てみた。
ラヴィはそんなオレの視線には気付かない様子で、リオと一緒になってファムの戦いを見ている。
ファムもラヴィも、元々かなり素早いとは思っていた。
それに磨きがかかって、もう素の状態じゃ目で追うこともできないのか。
スピード強化の魔法が無いと、とてもじゃないけど相手にならないってことを再認識させられた気がする。
ファム達に視線を戻したとき、大きな音と共に剣歯白虎が岩を噛み砕いている姿が見えた。
あの岩を、そんな簡単に噛み砕いてしまうのか。
顎の力もかなり強いという事だろうな。
やはりあの牙は侮れないようだ。
もし捕まって噛みつかれたら、かなりヤバいことになると思う。
そう思ったとき、ラヴィの肩に止まっているリオの、小さくつぶやく声が聞こえてきた。
「体形から見て、少しおかしいと思っていたけど、やはりそうか……」
ん? どういう意味だ?
その言葉の意味を問おうとしたとき、それよりも早くリオが口を開いた。
目を細めながら、トーンの下がった口調で。
「ねぇ、迷宮の坊や」
ぼ、坊や……?
そのセリフにオレは思わず失笑してしまいそうになったよ。
「……それは、オレ様のことを言っているのか? この鳥野郎」
「君の名前を知らないからね。仕方ないじゃない」
「てめぇ……。ふん。いいだろう教えてやる。オレ様の名はギ……」
「そんなくだらないことはどうでもいいんだ。それより聞きたいことがある」
そう言って、リオはピシャリと迷宮の主の言葉を遮ってしまった。
うわぁ……
自分で話振っといてコレか。
微塵も容赦無ぇ。
さすが、リオだな。
「ホントいい性格してやがるな、てめぇは!」
このセリフにだけは、迷宮の主に同意するかな。うん。
たぶん、ラヴィもだろう。
少し苦笑しているようだからな。
「この剣歯白虎、化石からの遺伝子情報でそのまま蘇らせたのではなく、少しいじってるね?」
「あん? 何のことだ?」
「とぼけないで!」
リオの鋭い声が響く。
「剣歯白虎の敏捷性は、とてもじゃないけど優れていると言えるようなものじゃない。少なくともあれ程のしなやかで素早い動きはできなかったハズだ」
リオの言葉に、だが迷宮の主は何も答えない。
それを確認して、リオは構わず話を続けた。
「あの長い牙もそう。本来のものよりだいぶ厚みがあって、かなり丈夫なものになっているようだね。元々はもっと薄くて、硬いものに刺すと牙の途中や根元で折れてしまうようなものだった。だから、本来ならば噛み殺すというより、相手の首筋などの柔らかな部分に噛みついて血管を切断しての失血死させるものだったハズだ。少なくとも、あんな硬そうな岩を噛み砕くなんてできるような代物じゃなかったハズだよ」
オレはリオそのセリフを聞いて、再び剣歯白虎のほうに視線を戻した。
そこにはさも当然のように岩を噛み砕いた白いトラの姿があった。
「……へぇ、良く知っているじゃねぇか。まさかお前、絶滅前の剣歯白虎を知っているのか?」
だがそれにリオは答えなかった。
ただ真っ直ぐに、ファムに対峙する剣歯白虎を見ている。
絶滅前の実物を? リオが?
でもそれって、約十万年も前の話なんだろう?
……まさか、ね?
「ふん。答えないか。まあいい。教えてやるよ」
ファムと剣歯白虎が再び睨み合う中、迷宮の主の声がどこからともなく周囲に響く。
「オレ様が見つけた剣歯白虎の化石は、雄の成体が三体だった。どれも状態の良い化石だったとはいえ、それで全ての遺伝子情報が全く欠落無く保存されていた訳じゃないのさ。三体の遺伝子情報で補完しあってみたが、それでも失われていた情報もそれなりにあったのさ」
遺伝子情報の欠落?
そう言えば聞いたことがある。
例の恐竜を蘇らせるパニック・サスペンス映画のように、実際に恐竜を蘇らせることは本当に可能なのか、ということについてだ。
どうやらDNAには半減期のようなものがあり、数百万年も経つと実質的に情報は全て失われてしまうらしい。さらに、実際にはそれよりももっと早い段階で意味のある情報としては読めなくなるだろう、と。
それがこちらの世界でも当てはまるのだとしたら。
剣歯白虎の絶滅は約十万年も前のことだ。
遺伝子情報の部分的な欠落は、大いにあり得る話だろう。
でも、だとしたら、どうやって剣歯白虎を復活させたんだ?
「……だから、足りない遺伝子情報は、現在存在する比較的似たような動物からその辺を補完したってわけさ」
――なっ!?
別の似たような動物からの補完?
そ、そんなことが可能なのか?
いや、可能も何も。
今オレ達の目の前にはそうして蘇らせた剣歯白虎が実在している。
あれは、夢でも幻でもない。
迷宮の主は、それをやってのけたんだ。
……もしかして、それもまた魔法の成せる事なのか?
「……そんな気の遠くなるようなことをよくもまあ。ずいぶんと、暇を持て余していたんだね」
「ふん。何とでも言え」
リオの皮肉を受け流しながら、迷宮の主は言葉を続けた。
「そのおかげで剣歯白虎は大きく進化したんだよ! 敏捷性が今一だったことと、最大の武器であるハズの牙の強度不足。この二つが従来種にとって最大の弱点だった。欠点だった。けどコイツはそれを克服した種だ。もはや新種の剣歯白虎と言える存在なのさ!」
迷宮の主の誇らしげな声が洞窟の中を響き渡る。
「コイツは、このオレ様が創り上げた最高傑作なのさ。くくく……。素晴らしいだろう? わっははははは!」
オレは迷宮の主の笑い声に、何か薄ら寒いものを感じていた。
迷宮の主は、目の前にいる剣歯白虎を自分の最高傑作だと言う。
実際、化石から得た遺伝子情報に補完までして、一つの生命体を創り出した。
だがそのことに、オレはまだ引っかかるものを感じている。
違和感が拭えないんだ。
この世界には魔法がある。
事実リオは、まるで不可能なんて無いと言わんばかりにその魔法を使う。
だから、遺伝子情報の補完なんていうことも、もしかしたら魔法でできてしまうことなのかもしれない。
だが、だとしても、オレにはどうしても違和感が残るんだ。
そう。
何故、遺伝子というものを知っている?
この世界は、そんなに科学が進んでいるとは思えない世界だというのに。
そう思うのは、オレの偏見や先入観なんだろうか?
分からない。
迷宮の主は、一体何者なんだろう?
リオはその辺、どう考えているんだろう。
オレはちらっとリオを見た。
だがリオは、そんなオレの疑問などに全く気付かないかのように、迷宮の主に向かって口を開いていた。
「そう。それは良かったね。そして、残念だったね」
「……あん?」
ん? 残念? どういう意味だ?
オレにはリオの言葉の意味が分からなかった。
そして迷宮の主にもとっても同様で、それは通じなかったようだ。
ヤツがオレと同じ疑問を口にした。
「……どういう意味だ?」
「君の言う最高傑作とやらは、今回初めてのお披露目だったんでしょ? こんな寂れて誰も知らないようなマイナーな迷宮だもんね。なのに、初めてのお披露目で、それを失ってしまうんだから」
一拍置いて、リオは言葉を続けた。
「ホント、ご愁傷様」
「……オレ様の剣歯白虎がこんな小娘に負けると、本気で思っているのか、てめぇは! 強がりもほどほどに……」
「強がり? それは君の方でしょ。虚勢を張るにも程があるんだよ、坊や? 実際、君自身がボク達を怖がって奥に隠れてしまっているじゃない。そんな弱虫が何を言っても、戯言としか聞こえないんだよ? 違うというのなら、そろそろ君自身が出てきたらどうなのさ」
そして、続けて放たれたリオの言葉に、オレとラヴィは思わずにやりとしてしまったよ。
「そもそも、ボクの方こそ君に問いたいね。この程度の獣で、ボク達に敵うと本気で思っているのかい? ボク達を侮るのも大概にして欲しいね」
――よく言った、リオ! グッジョブだ!
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
次話「98. 失敗作」
どうぞお楽しみに!