95. 三人の口撃
「あっははははははははははは! ひぃいいい、おかしい!
お前ら、相変わらずイイ味出してくれるな。最高だよ。ぎゃははははははは!」
その品の無い笑い声が周囲に響いた途端、オレの目の前でファムの目付きがあきらかに変化した。
先程までの絶対零度を体現化しているかのような瞳から、まるで紅蓮の炎を纏い高温の極限まで達したそれに変化したかのようにオレには思えた。
ファムのネコ耳がピクピクと動き、さらに舌なめずりまでした後に、その瞳が声の主を探そうと動き出す。
オレもまた、すばやく立ち上がり、周囲を見渡した。
だが、もしかしたらこの高笑いに、オレは事実上救われたのかもしれない。
少なくとも今は、ファムからの追及は止まったのだから。
なので、正直助かったと思ってしまっている自分がいる。
……ごめん。
誰にともなく、心の中でそう謝ってしまっていた。
「どこにいるの? 姿を現しなさい。あなたにはちゃんとお礼をしなくちゃいけないんだから」
ファムの声が響く。
声を大にして叫ぶでもなく、静かに淡々と、されどぐつぐつと煮えたぎるマグマを内包するかのような声で。
だが当の迷宮の主はそれを知ってか知らずか、明らかに嘲笑を含むかような声で答えてきた。
「お礼? ああ、そこの男に自分のご自慢の体をしっかりまじまじと見て貰える機会を与えてくださって心より感謝いたしますってか? ぷっぷぷぷ。なぁに、礼には及ばないぜ。その一部始終にはオレ様も十分に笑わせてもらえたからな。くくく。オレ様の方こそ礼を言ってやるよ。最高に面白いひと時をありがとよ。ぎゃっははははは」
――お前っ! 今それを蒸し返すなっての! このバカ!
オレは苦虫を十匹くらいまとめて噛み潰したような気分になりながら、ちらっと横目でファムを見た。
彼女の左目がピクピクしている。
なんとか自分を抑えようとしているのだろうか。
強張った表情のまま、大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出している。
オレが見る限り、もう臨界点間近なんじゃないだろうか?
「……トーヤには後で、その辺の記憶はちゃんと消してもらうとして、今はあなたよ」
――えっ!? ちょっと待てぇ!
今前半、なんかさらっと怖いことを言わなかったか?
ファムがオレの方をチラッと見て、すぐに再び周囲に視線を巡らし始めた。
もしもし、ファムさん?
なんか、冗談を言っているようにはとても見えないんですが?
確か以前、リオは記憶操作ができるようなことを言っていた気がする。
そうだ。王都に着いた夜にそんなことを言っていた。
まさかファム、本気で言っている……?
「ぁあ? その男の記憶を消したって何の意味もねぇよ。ちゃんと記録に残ってるんだからな。なんなら見てみるか? ほれ!」
迷宮の主がそう言った途端、空中にファムの姿が現れた。
まるで空中に見えないスクリーンでもあるかのように、実物の倍くらいの大きさで、ファムの姿が映し出されていた。
それは先程の、緑の液体を頭からかぶり、服が溶けて裸体を晒してしまった姿。
オレが見た、あの時のファムの姿がそこにあった。
――っ!?
それを認識した途端、オレはすぐにそれから目を背けた。
これをまた、まじまじと見てしまうなどという愚かなことはできない。
さっきはあまりにもびっくりして理解が追いつかずに目を逸らすのが遅れたが、同じ過ちを繰り返すわけにはいかないんだ。
目を背けた先で、リオがラヴィの頭上から、一度大きく羽ばたく様子が視界に入った。その途端、ゴォオオオという音と共に、オレ達の間を風が駆け抜ける。思わずその様子を目で追うと、映し出された映像の真下から竜巻のように渦巻く風が立ち昇り、ファムの映像をかき消してしまった。
「全く、いい趣味とはとても言えないね」
リオはそう言いながら、ファムの方に飛んでいき、その肩に降り立った。
「若い女性の恥ずかしい映像を記録し、さらにはそれをひけらかすなんて。これだから引きこもりで小心者の童貞クンは始末に負えない」
今度はリオの呆れたような声が周囲に響く。
「……あ゛ぁあ゛? なんだと? 誰の事だ?」
「もちろん君だよ。迷宮の自称主くん? こんな誰も知らないような寂れた迷宮なんかに何年も引きこもっちゃってさ。だから人前に姿を現すこともできなくてこそこそと隠れて、怖がりで腰抜けで、臆病者で意気地無しで、小心者の弱虫っぷりをそんなに患わせちゃって。ようやく来訪してくれた、しかも若い女の子に舞い上がっちゃって、誰も喜びもしないそんな無用で無益な映像を記録できたと一人で有頂天になってしまった小物で卑小な嫌われ者の童貞クン。それが君でしょ? 何か間違っているかな?」
よ、容赦無ぇ。さすがはリオだわ。
よくもまぁ、そんなセリフがすらすらと出てくるものだ。
ほとほと感心してしまうよ。
オレにはとても真似できそうもない。
ラヴィが「ぷっ」と吹き出し、声を押し殺して肩を震わせている。
ファムのほうも、左手を口に当てている。どうやらこっちも笑いをこらえているようだ。そのせいか、少し雰囲気が和らいだ気もする。
それに対して迷宮の主は……あれ? 何も言ってこない?
「あれれ? どうしたのかな?」
「きっと恥ずかしがり屋の純情な坊やなんですよ。あまりホントのことを言って追い詰めてしまっては可哀想ですよ、リオちゃん。ぷっ……ぷぷぷ」
リオがさらに煽ろうとしているようだ。
それにラヴィまでが便乗して迷宮の主をからかい始めている。
これはもしかして、怒らせて誘き出そうとしている?
「……てめぇら」
ようやく一言漏らした迷宮の主を、しかしラヴィは完全に無視してファムのほうに振り向いた。
「ファムも何か言ってあげたら?」
ラヴィのにやにやしている顔をちらっと見てから、ファムは何処にいるか分からない迷宮の主に向かって口を開いた。
「……ふん。むっつりスケベが」
――ぷっ
ファムが鼻で笑いながらそうつぶやいた様子に、オレは思わず吹き出してしまった。
「……しまいには殺すぞ、てめぇら。黙って聞いてればいい気になりや……」
「あはっ! むっつりスケベ! あっはははははは! こんなところに閉じこもっている根暗坊やにはぴったり! あははははは」
ラヴィはまた完全に迷宮の主を無視してその言葉を遮るようにして笑い出した。
しかも腹を抱えて。
これって、マジ笑いしてないか?
いやまぁ、オレも思わず吹き出しちまったんだけど。
だが、今度は相手も黙り込んではいない様だ。
「はっ! スケベってのはそこの小僧のことじゃないのか? さっきから一言もしゃべらずに、ただにやにやして突っ立ているだけの能無し野郎!」
ん? それって、オレの事か?
別ににやにやしていたつもりは無いんだが。
確かに口出すタイミングが無くって、完全に沈黙してしまっていたけど。
しかし、オレが口を開くより先に、オレの代わりにラヴィが反論を口にしてくれた。
「何言ってるんだか。負け惜しみにも程があるよ? アンタなんかと一緒にしないでくれる? トーヤさんはアンタなんかと比べるまでもなく紳士ですよーだ」
「はぁあ? 紳士だ? さっきそこの小娘の裸見て、鼻の下伸ばしてたエロガキじゃねーか。冴えねぇ面構えしやがって。こいつこそ童貞だろうよ」
……何言ってるんだ、こいつ。
見てしまったことは認めるが、鼻の下を伸ばした覚えはないぞ?
「ほら、何とか言ってみろよ。それとも童貞クンには、あれはちょっと刺激が強すぎたか? あっはははははは」
ホント。何言ってるんだ、こいつ?
「トーヤさん。気にすることないですよ。あんな奴のいう事なんか!」
ラヴィが、なんかオレをフォローしてくれている。
でもそんな事、オレははなっから気になんてしていない。
だって……
「いや、別にオレ、童貞じゃないし」
オレは髪をかき上げながら、思わずそう言葉を漏らしてしまった。
その瞬間、何故か場が静まり返った。
あ、あれ? やばかったか?
そう……だよな。
女の子のいる前で、あまりにもはしたないことを言ってしまった気がする。
「「…………はぁあ?」」
何故か迷宮の主とラヴィが、ひと際大きな声で見事にハモっていた。
なんでお前まで。
そう思った時、リオからいらぬちゃちゃが追加された。
「でも、準童貞だけどね」
――くっ! リオ! お前、まだそれを言うのかよ!
オレは思わずリオを睨みつけていた。
その視界の端では、ファムがオレから視線を外しているのが見えた。
あ、やっぱマズかったか。
迷宮の主が変な言いがかりをつけるから、つい言い返してしまったんだが。
これは、やっぱり後でちゃんと謝るべきなんだろうか。
その……見てしまったことも含めて、さ。
そこへ、ラヴィがなんか怖い顔してつかつかとオレに歩み寄ってきた。
「トーヤさん!」
「お、おう?」
――な、なんだ? なんでそんな怖い顔してんだ?
もしかして、怒ってる?
オレがあまりにもはしたない発言をしたって。
さっき、オレの事を紳士って言ってくれたというのに、そんな発言をしたから。
ラヴィはわりとその辺オープンな性格かと思ってたけど、やっぱりそれでも女の子だからな。下品なことには敏感に拒絶反応を……
「お相手は、誰ですか?」
――へ?
ラヴィがオレの目の前にまで来て、なんか睨みあげながら問いかけてきた。
「いや、誰って……」
「あちらの世界の人なんですか? もしかして、トーヤさんには将来を誓った相手がいるんですか?」
「え? いや、そんな相手はいないけど」
「ホントですか?」
「あ、ああ」
「じゃあ、恋人ですか? あちらの世界には、トーヤさんの帰りを待ってる恋人がいたりするんですか?」
「いや、それもいないけど……」
「じゃあ、誰なんですか!」
――いや、ちょっと待て!
なんでそんな話になったんだ?
今そんな話をするような雰囲気じゃなかったと思うんだが?
オレが答えないでいると、ラヴィはその矛先を別に向けたようだ。
「リオちゃん!」
「はい!」
ラヴィの勢いに押されたか、リオがなんか珍しくかしこまった返事をしている。
「リオちゃんは知っているの? トーヤさんの相手が誰なのか!」
「えっと、その……」
「知っているんだ。……まさか、セイラ・アスール……とか?」
――へ? いやいやいやいやいや。
なんでそこでセイラの名前が出てくるんだ。
「いや、ちょっと待て。そりゃ、やむなく二人で夜を過ごしたことはあるが、オレとセイラはそんな関係じゃないって」
「二人で夜を……?」
しまった! 違う、間違えた!
「いや、違う。リオもいた。二人っきりじゃない。あれだ、ほら。フルフまで護衛した時の話だ」
むしろ、お前たちが襲って来たから、やむなくそうなったんだろうという反論の言葉が口から出かけたが、それはなんとか飲み込んだ。
「……じゃあ、誰ですか?」
ラヴィが半眼のジト目でオレを見上げて来る。
「そ、それよりほら! ノゾキが趣味の出歯亀むっつりスケベの事をだな……」
「ん? 出歯亀? って何です? 出っ歯な亀?」
ラヴィがきょとんとした表情で首を傾けた。
あれ? こっちではそういうことは言わない?
オレはうまく説明ができなかったが、そこはリオが代わりに説明してくれた。
「くくくっ。トーヤも言うねぇ。出歯亀っていうのは、あちらの世界の言葉だけど、ノゾキとか、変態的な行動をする奴を指して言う蔑称だね」
「ああ、なるほど。納得です。まさにその通りですね。出歯亀……ぷぷぷ」
視線を向けると、ファムも肩を震わせているのが分かった。
どうやらウケたらしい。
そして、なんとか話を逸らし……いや、元に戻せたようだ。
だが、当の本人には残念ながらウケなかったようだ。
もちろんそうだろうな。
「てめぇら、てめぇら、てめぇら!
もう許さねぇ。いくら寛大なオレ様でも、もう限界を超えたぞ」
その言葉が言い終わるや否や、ラヴィのウサ耳がピンと立つのが見えた。
同時に、ラヴィは左奥の方に視線を向けた。
オレもそれに釣られて視線をそちらに向けた。
そこには大きな横穴があった。
それは、恐らくは次に通じるかと思われる道。
そこにオレ達の視線が集まったとき、そいつはゆっくりとその姿を現した。
そのほとんどが白い毛に覆われ、一部に薄めの黒い横縞が入った大型のトラのような体躯。だが、一番特徴的なのは、上あごから伸びている、通常ではありえないような長い牙だろう。
「……剣歯白虎」
リオが小さな声でそうつぶやいた。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
次話「96. 甦りし存在」
どうぞお楽しみに!
P.S.
来週土曜日の同時刻、いつも通りに投稿する予定です。
そしてその日は、この作品の一周年になります。
なんか、ちょっとじ~んと来るものが( ToT)うるうる
では、また来週お会いできることを!