94. 怨嗟の声
「殺す……!」
さっきから物騒なことを口にしている人が約一名いらっしゃる。
「殺す、殺す、コロス……!」
もうずっとこの調子だ。
でも、その気持ちは、まあ、よく分かる……と思う。
あれだけ恥ずかしい思いをさせられたんだ。
もしオレがその立場だったら、きっと同じように恨み言を繰り返していたんじゃないかと思う。
だから、それをやめろとは、オレにはとても言えない。
「殺す。絶対殺す。何が何でも殺してやる。八つ裂きにしてやる。細かく切り刻んでやる。そして燃やして灰にしてやる。欠片一つも残してやるもんか……!」
ファムの怨嗟の声は、留まるところを知らないようだ。
オレはファムの怒りに満ちた顔を想像して、思わず身震いしてしまった。
既にファムは、リオの魔法でシャワーのようにお湯を浴び、ぬるぬるした一角山羊の胃液とやらを綺麗さっぱりと洗い流したハズだ。そしてリオの宝物庫に入れていた別の服への着替えも終わっているハズだ。……たぶん。
たぶんというのは、まだそれをオレ自身の目で確認したわけではないから。
オレは、さっきリオに言われて、慌てて後ろを向いたっきりでいる。
その場に座って、なんとなく体育座りでファムが落ち着くのを待っている。
さらに言えば、正直怖くてファムのほうを向くことができないでいる。
だって、不可抗力だったとはいえ、オレは、その、彼女の……
見てしまったのだから。
でも、あれは断じてわざとではない。
ノゾキのような不埒な動機などで行ったことでもない。
不可抗力……そうだ、不可抗力だったんだ。
これは、抗うことが不可な何らかの力によって生じてしまった不幸な事故だったんだ。
だから、オレは悪くない。悪くない……ハズだ。
……そう思いたい。
しかし、はたして彼女はそれで許してくれるだろうか。
納得してくれるだろうか。
……してくれることを、切に切に願う。
「ねえ、ファム。そろそろ……」
「何?」
「っ! いえ、なんでもありません」
ラヴィが恐る恐るといった感じでかけた言葉に、ファムは極寒の冷気をまとったような声で返答していた。
オレは横目でちらっとラヴィを見てみた。
オレの視線に気付いたラヴィは、だがオレに向かってゆっくりと首を横に振りながら肩をすくめて見せた。
どうやら、さすがのラヴィでも、今のファムはどうしようもないみたいだ。
どうしよう?
どうしたらいいんだろうか?
とりあえず、オレは謝るべきなんだろうか?
でも、なんて?
見ちゃってごめんなさい、とか?
でもそれって、自ら墓穴を掘ることにならないか?
わざわざ地雷を踏み荒らしに行くようなものじゃないか?
そんなマインスイーパーだかマインローラーのようなことは、正直勘弁してもらいたい。
オレが小さくため息を付いたとき、ファムがリオに声を掛けていた。
「ねぇ、リオ」
「何?」
「アイツ、ワタシに譲ってくれない?」
「それはダメだね。あれはボクの獲物だって言ったじゃない」
「それは分かってるわ。でもね、このままじゃ、ワタシの気が済まないのよ。アイツ、八つ裂きにしてもし足りないわ」
「気持ちは分かるよ。でもそれはボクも同じさ。こればっかは譲れないかな。でもその代わり、ボクがファムの分まできっちりと十二分に、ヤツにお返ししてあげるからさ」
アイツってのは、当然迷宮の主のことだよな。
そう思いながら、オレはそっと振り返ってファムの様子を見てみた。
やはりファムはもうちゃんと着替えているみたいだ。
先程の、服を溶かされる前までと同じような格好をしている。
似たような服を好んでいくつも持っているというのは、なんとなくファムらしい気もする。
だが、とりあえず今はそれは置いておこう。
問題は、ファムが一体何を考えているかだ。
ファムの怒りは分かるが、その前のリオの怒りも相当だったと思う。
あれだけ大暴れして大砂蛇を屠っても、全然気が晴れた様子じゃなかった。
だから、そう簡単にリオが獲物を譲るとは思えない。
そしてまた、ファムもそう簡単に諦めるとも思えない。
いらぬ心配だとは思うが、そんなことでリオとファムがケンカなんかにならなければいいが……
ファムは右手を口に当てながら少し考えて、再びリオに向かって口を開いた。
「じゃあ、アイツを殺してから、生き返らせることって、できる?」
――はい? なんだそれは?
「生き返らせてどうするのさ」
「そうすればアイツを、また殺してやることができるじゃない」
おいおい。
「……なるほど。それは思いつかなかったかな」
「そうすれば、リオも殺れるし、ワタシも殺れる。さらに言えば、文字通り気が済むまで何十回でも何百回でも好きなだけ殺ることができる」
「それは、かなり魅力的なアイデアだね」
「でしょう?」
おいおいおいおい。
「「ふふ……ふふふ」」
リオとファムが、なんか見つめ合って笑い出した。
ちょっと、リオさん? ファムさん?
二人とも、めちゃくちゃ怖ぇんですが!
ったく。どこまで本気で言ってんだか。
ファムはともかく、まさかリオのやつ、本気だったりしないよね?
そもそもそんなことができちゃったり、しないよね?
その時、ふいにファムがオレの方の見て、つい目が合ってしまった。
うっ……や、やばい?
いやでも、ここで目を逸らすのはもっとやばい気がする。
ファムがじぃっとオレを見ている。
すごく居心地が悪い思いをしながら、オレも目を逸らさずになんとか踏みとどまった。
「……トーヤ」
「は、はい!」
な、何を言って来る?
そしてオレはどう応えればいい?
ここは、反論とか口答えとかしちゃいけない場面な気がする。
もし謝れというのであれば、すぐにでも彼女の気が済むまで謝ろう。
望むなら、土下座だって厭わない。
……長時間の正座は、できれば勘弁して欲しいが。
「……見たわよ、ね?」
ファムの冷ややかな声がオレに届く。
うっ! そう来たか!
ファムには珍しく、ストレートに来たみたいだ。
でもこれって、どうすればいい?
どう応えるのが正解だ?
素直に正直に、はい、と答えるべきなのか?
それとも、いいえ見ていません、と嘘をつき通してしまうべきなのか?
いやいや。
あれだけしっかり見ていたんだ。
ファムもそれは分かっているハズなんだ。
いくら見てないと口で言っても、信じられるわけがない。
オレが答えないでいると、さらにファムの追及は続いた。
「……しっかり、見たわよ、ね?」
ううう。ノーコメントというわけには……いかないですか?
オレは視線を逸らしたい衝動を一生懸命堪えていた。
「……しっかり、全部、見たのよ、ね?」
オレの額から冷や汗が伝い落ちた気がする。
先程から背筋もゾクゾクが止まらない。
とうとう耐え切れず、オレは視線を下に向けてしまった。
無理だよ。耐えられるものじゃない。耐えられるわけがない。
あれは、人に耐えられる限界値を遥かに超えているよ。
ファムのあの視線は、まさに絶対零度の冷気を纏っているとしか思えない。
それはもう、ブリザードなんてものじゃない。
そんな生易しいものなんかじゃない。
オレの周りだけ氷河期が到来したんじゃないだろうか?
なんか、息苦しささえ感じて来る。
そりゃ、見たか見てないかと問われれば、当然見てしまったわけだ。
日本にいた頃のオレの視力ならともかく、今のオレの視力はしっかりと彼女の姿を鮮明に捉えていた。
膝より下はよく見えなかったが、逆に言えば膝から上は、それはもうばっちりと見てしまっていた。
だけどやっぱりそんなこと、本人に面と向かって言えないよ……
言うも地獄、言わぬも地獄。
いったいどうしろと?
その時だった。
ヤツの高笑いが再び響いたのは。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
次話「95. 三人の口撃」
どうぞお楽しみに!