90. 迷宮の主
天井にまで届く炎が、オレ達にそれ以上近寄らせることを阻んでいる。
そのとんでもない熱に、これが紛れもなく本物の炎だと思い知らされる。
ダメだ。近寄ることができない。
吹き上がる炎が激しすぎる。
あそこにはリオがいるというのに!
普通の人なら、とても耐えられるものじゃない。
あっという間に消し炭になってしまいそうだ。
だが、リオなら?
頼む。無事でいてくれ!
イヤな予感はしたんだ。
オレがもっと早く気付いていれば。
オレがもっと注意深くしていれば。
こんなことにはならずに済んだはずなのに。
完全に油断してしまった。
完全にハメられてしまった。
この迷宮が勉強のために作られたかもしれないだって?
違う!
違う、違う、違う!
なんて甘いことを考えたんだ、オレは!
全ては、この罠のためだったんだ。
この罠に引っ掛けるため、油断させるための簡単な問題だったんだ。
だからここまでの間、ロクに罠らしい罠もなかった。
だから、あんな甘々なペナルティしかなかった。
完全にハメられた。
そして、まさかリオがやられた?
そんなことがあるのか?
そんなことがありえるのか?
あの太々しいまでのチート鳥が、こんな簡単に?
嘘だ!
そんなことあるもんか!
リオ、お前は……
お前ならきっと……
頼む!
オレは炎に向かって力の限り叫んでいた。
「リオォオオオーー!」
「……大きな声を出さなくても、ちゃんと聞こえてるよ、トーヤ」
――えっ!?
今のは……リオの……声?
その途端、フッと炎が消えてしまった。
今の今まで、あれ程激しく立ち上っていた炎が、一瞬のうちに消えてしまった。
そしてそこには、いつもと変わらぬリオの姿があった。
「……どういうことかな? ボクが何か、間違えたというの?」
「そ、そんなことより、大丈夫なのか? 無事なんだよな? 怪我は? 火傷は?」
リオが今立っている岩が黒くなってしまっている。
それだけで、かなりの高温だったことがうかがえる。
見た目はいつもと変りなく無事に見えるが、そんなところの中心にいたんだ。
ホントに大丈夫なのか?
「ボクが火傷? 怪我? あるわけないじゃん。そんなことより、これは一体どういうことなのかな?」
この時点で、オレはようやく気が付いた。
リオの様子がおかしいことに。
いつものリオと、なんとなく雰囲気が違うことに。
リオは目を閉じて、そして声が少し、震えている?
でもそれは恐怖とかそんな感じじゃない……と思う。
これは……怒っているんじゃないか?
リオが淡々と、抑揚のない声で言葉を発した。
「ボクは確かに正解を選んだハズだよ。半径かける半径、かける円周率。こんな簡単な問題、ボクが間違えるわけがない。ボクの計算が……」
「ハメられたんだ、リオ。騙されたんだよ、オレ達は!」
「……どういう意味?」
「問題にあった旋亀は、肉食動物だと聞いた。つまり、水草なんか食べないんだ」
リオは目を閉じたまま、ピクリとも動かずオレの話を聞いている。
「これは、算数の問題なんかじゃない。言ってみればクイズだ。引っかけ問題だったんだよ」
それも、たぶん、今まで簡単な問題で油断させた上での、悪質な……
その時、どこからともなく笑い声のようなものが洞窟の中に響き始めた。
「……くくくっ。ぶっぷぷぷ。あっははははは!」
なんだ? 誰だ? 男のような声?
でも、オレやリオなんかじゃない。
もちろんファムやラヴィなんかでもない。
「引っかかった、引っかかった。わっははははは。バカが引っかかったよ。あっはははは」
周りを見回すが声の主がどこにいるのか分からない。
オレは剣に手を添えながら、誰何の声を上げた。
「誰だ!」
相手がどこにいるのか分からない。
大きな笑い声は、この閉鎖された空間で反響しまくっていて、その位置が全くつかめない。
オレは声の主を必死に探した。
ファムとラヴィも同様に、周囲に視線を巡らせている。
リオだけが全く動かずに、まだ目を閉じている。
「誰? 誰だって? 決まってるじゃないか。この迷宮、ガンボーズ迷宮の主様だよ!」
主? もしかして、ダンジョンマスターってやつか!
ゲームやラノベではよく見かける存在だ。
迷宮のラスボスだったり、迷宮を思い通りにコントロールできる存在。
そんなものがいるのか、この迷宮には!
「……ふーん。主ねぇ」
リオが目を開き、首を捻って後ろを向いた。
「じゃあ、とりあえず、死んでくれる?」
――え?
その瞬間、リオの周りに三本の光の矢が現れ、即座に放たれる。
止める間どころか、口を開く間もなく、光の矢は壁に突き刺さった。
オレがその突き刺さった光の矢に視線を向けると、そこに何か蠢く影のようなものが見えた。
あれが、この迷宮の主……なのか?
「……おーおー、怖ぇ怖ぇ。何怒ってんだよ。間違えたのは自分が愚かだったせいだろ? オレ様のせいじゃねぇだろうが。責任転嫁してんじゃねぇよ。恨むなら、自分のバカさ加減を恨みなよ。あっはははは」
なんだ、コイツは。
まるで実体の無い影のように壁に沿って動いている。
それにコイツ……
「なんかコイツ、むかつく」
ファムがボソッとつぶやいた。その横でラヴィも頷いている。
うん。それについてはオレも激しく同意するよ。
だがもしかしたら、今問題なのは、むしろリオのほうじゃないのか?
完全に頭に血が上ってるように思える。
相手にいきなり「死んで」なんて……
「リ、リオ……」
「三人は手を出さなくていいよ。ボクがやるから」
そう言ってリオは再び三本の光の矢を出し、間髪入れずに放つ。
だが、迷宮の主とやらは、それもスルスルと避けているようだ。
……結構すばやいヤツだな。
それを横目で見ながらオレはリオに声を掛けた。
「リオ。相手を殺すのは……」
「大丈夫。アレは人じゃないから」
「え?」
「生命反応は無い。あれは、生物ですらない」
なんだ、それは?
じゃあ、あれは何だというんだ?
「はっ! てめえこそなんなんだよ一体。オレ様が知らん間に、外の世界は鳥がしゃべって魔法使う世の中になってたってのか? 鳥ごときが大した進化してるじゃねえか」
「それを知ってどうするのさ。どうせもう、君は外の世界を知ることも無く、ここで死ぬのに?」
迷宮の主が壁に沿って動き回る。
岩のデコボコや、その影に入られると、オレでは見逃してしまいそうになる。
だが、リオの視線はそれを決して逃さず後を追う。
「へっ! 口だけは達者だな、鳥野郎が。だけどお前のちゃちな攻撃は、オレ様に全然当たらんぞ?」
「へー、そうなんだ」
リオがまた三本の光の矢を出し、迷宮の主に向かって放つ。
だが奴の言う通り、矢は当たらずに壁に突き刺さった。
「どうしたどうした。もう終わりか?」
「……そうだね。遊びは終わりにしようか」
リオはそう言うと、右の羽を大きくかざした。
その途端、ちょっと大きな、直径一メートルくらいの白く輝く車輪のようなものがリオの頭上に浮かびあがった。
なんだ、これ?
魔法陣?
いや、違う。見たこと無い魔法だ。
白い車輪がゆっくり回りだす。
徐々にその回転速度が上がる。
そしてその外周から十二本の光の矢が迷宮の主に向かって放たれた。
その一度では終わらない。
一拍置いてさらに十二本の矢が出現し放たれる。さらにまた……
十二本の光の矢は、先程の三本の矢よりスピードが上がっているように思う。
だがそれでも迷宮の主は第一波、第二波をするりと避けてみせた。
さらに襲い掛かる第三波の十二本の矢。
「……くっ、この!」
迷宮の主はかろうじてそれも避けた。
だが、その避けた先に第四波の光の矢が突き刺さる。
進もうとした先に突き刺さる矢を見て、迷宮の主の動きが一瞬止まった。
反転しようとしたのだろう。しかし、その時には既に次の十二本が、奴の周囲に突き刺さり、その動きを止めた。
「何か、言い残すことは、ある?」
冷ややかなリオの声が洞窟の中を静かに響く。
「てめぇ、生意気……」
「そう、無いね。じゃあ、さよなら」
相手のセリフを、リオは容赦なく一方的に打ち切った。
そして再度放たれる十二本の光の矢が、全て相手に突き刺さった。
さらに……
「これは、おまけね」
そう言って、リオはさらに十二本の光の矢を放っていた。
その容赦の無さにオレは絶句していたよ。
「これでお終い? 主とやらも、大したことないね」
主じゃなくて主……
あ、いや、意味は同じようなもんなんだし、別にどちらでもいいのかな?
などと、相手を倒したと思い込んで呑気に考えていた時、その声は再び聞こえてきた。
「……お見事、お見事。いやぁ、最近の鳥はすごいじゃん。恐れ入ったよ」
どこからともなく聞こえてくる声。
さっきのやつと同じ声だ。
倒したわけではないという事か。
「何よりも、末端の端末一つ壊したくらいで、そこまで勝った気になってるその神経が素晴らしいね。くっくくく」
……端末?
オレはその単語に違和感を感じた。
もしかしたら、指輪の翻訳がたまたまそういう単語を選択してしまっただけかもしれない。だけど、気のせいかもしれないけど、なんとなくこの世界にはそぐわない単語に思えた。
「まあ、仕方ないか。あんな幼稚なクイズに引っかかるくらいの単細胞っぷりじゃあな。せいぜい頑張って、その調子で先に進みなよ。どこまで来れるのか、見ものだね。あっははは……」
それだけ言って、迷宮の主の声は消えていった。
迷宮の主とやらは倒せてはいない。それははっきりとした。
つまりは、これから先、何らかの形であいつはまた出てくるという事だろう。
ここからがこの迷宮の本番、ということなのかもしれない。
そう思った時、リオがオレ達のほうに振り向きながら言った。
「……トーヤ、ファム、ラヴィ。言っておくけど、アレは、ボクの獲物だからね?」
その言葉とリオの目に気圧されて、オレは思わず頷いてしまった。
オレだけじゃない。ファムとラヴィもだ。
「ふふふ。ここまでコケにされたのって、何百年ぶりかな。どうしてあげよう? ふふふふふ。なんか、ワクワクしてきちゃったよ。この先がホント楽しみだね。ふふ……うふふふ」
迷宮の主なんかより、リオのそのセリフにオレの背中は何か冷ややかなものを感じていたよ。
正直今すぐ帰りたい。来るんじゃなかった。切実にそう思う……
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
次話「91. リオ、蹂躙」
どうぞお楽しみに!