79. 夜明けの景色
翌日、ガンボーズ地方の入り口とも言える、鉱山のための小さな村に着いた。
オレ達は予定通り、その村の宿屋に馬を預けた。
当初の予定では、そこから徒歩で山を迂回しながら、中心部の砂漠地帯を目指すことになっていた。
だが、昨日みんなで決めた通り、今回は山を迂回するのではなく、夜明けの景色を見るために山道を登ることにした。
日没後、山の麓付近で食事と仮眠を交代で取った後、オレ達は月明りを頼りに暗い山道を登り始めた。
最初は色々と会話もあったのだけれど、オレはだんだんと口数が減っていってしまったことが自分でも分かる。
やはり、その……山道は辛いよね。
ただでさえあちらの世界の現代っ子には、体力的に辛いものがある。
それに加えて、月明りで多少は見えているとはいえ、やはり足元はかなり暗い。
地面から出ている岩や木の根などに注意して進むのは、疲労度もかなり加速させてくれるみたいだ。
もちろん休憩はそれなりに取っているんだけど……ね。
ファムとラヴィは、やはり全然問題無いといった感じだ。
オレと違って、まだまだ余裕に見えるな。
リオは気を使ってくれたのか、オレではなく、二人のどちらかの肩に乗るようにしているみたいだ。今はファムの肩に乗っている。
紅鎧の時にも思ったけど、体力を付けないとな。
リオはもちろん、二人は何も言わないし、むしろ気を使ってくれていることが分かるので、ちょっと自分が情けないな。
遠くの方で、犬だか狼だかの遠吠えが聞こえてくる。
そう思った時、ふいにラヴィとファムの足が止まった。
それを見て、オレは思わず疑問を声に出してしまった。
「どうし――」
「しっ!」
直後、ファムに咎められ、それによってオレはようやく状況を察することができた。
……近くに、何かが、いる?
二人が辺りを警戒するように、静かに、ゆっくりと周囲を見渡している。
辺りは暗く、わずかな月明りだけでは、何かの存在を視覚的に捉えることはオレには出来そうもない。かと言って、嗅覚的にも無理。少なくとも今のオレに獣の匂いなんかは感じない。
聴覚は?
耳を澄ませてみるが、遠くの方でいくつか遠吠えが聞こえてくる他は、風で揺れる草木の葉擦れの音くらいだ。
ダメだな。やはりオレは、そういう感覚は鈍いようだ。
いや、でも、それが普通だよね?
仕方がないので、声が出せないならば念話で、と思ったその時、ファムの手から二本のナイフが右前方に向かって放たれた。月明りで一瞬煌めいたナイフが藪の中へ消えた途端、大きな黒い塊が飛び出してきた。
オレはあわてて腰の剣に手をそえたが、その大きな塊は空中でピタッとその動きを止める。
これは……リオの固定か!
そう認識した時には既に、ラヴィのヴァルグニールがその塊を貫いていた。
よく見ると、その黒い塊はイノシシのような獣だった。
ファムのナイフが右目と左前脚に突き刺さっている。
そしてヴァルグニールの矛先が獣の首筋をしっかりと捉えていた。
三人の見事なコンビネーションによって、その獣は既に絶命していた。
オレは、何もできなかった。全く、何も……
先日の盗賊相手もそうだが、ここ最近、オレの出番は全く無い気がする。
いいのか? それで。
体力的にも、感覚的にも、とっさの行動においても。
もしかして、オレって支援魔法が無いと全くの……
いやいやいや。そんなことない……よね?
そんなオレの心情とは関係なく、話は進んでいくようで。
「とりあえず、こいつはボクのほうで保管しておくね。
あとで血抜きして、解体しようか」
そうリオが言った瞬間、獣の姿がふっと消えてしまった。
リオの宝物庫に格納されたのだろう。
ファムとラヴィは一回頷いて、先に進み始めた。
オレも、その後に付いて、黙って歩き出した。
うーむ……
ある程度山を登ったところで、都合よく東の方角が切り開かれた場所に出た。
他に人もいないようだし、ここで夜明けまで過ごそうということになり、オレは腰を下ろした。
途中休憩を挟みながらも、二刻以上は登ったんじゃないかな。
結構疲れたので、地面に座りながら、リオの宝物庫から出してもらった自分のバッグを開き、水筒を取り出して水を飲んだ。
ちょっと離れたところにいるファム達を見ると、彼女たちは特に疲れたといった素振りも無く、先ほど捕らえた獣の解体作業を始めていた。
考えてみれば、解体作業もオレは全く役に立たないよな。
覚えりゃいいのかもしれないけどさ……
少し休んだ後、オレはたき火の準備でもしておくかと近くに落ちている小枝などを拾い始めた。他にすることが無いからな。なんか動いている彼女たちを見ると、何もせずにぼうっと座っているのが少し後ろめたい気がして……ね。
適当に燃えそうな小枝や枯れ木などを集めてきて、いつものようにたき火の用意はしたのだが、さてこの後どうしようか?
いつもならリオが火をつけてくれるのだが、今は獣の解体作業のほうで忙しそうだ。ここで火を付けてくれと頼みに行くのも、なんとなく気が引ける。まるでみんなの作業を邪魔しちゃうみたいでさ。
かといって、オレにできる魔法は《放電》と水を出すだけだ。
火を付けることはできない。
「はぁ……」
思わずため息が出てしまった。
いかんいかん。何かネガティブになっているな、今のオレは。
体力的なことや、さっきの獣退治で全く役に立てなかったことが、そんなにショックで、こんなに引きずってしまうとはね。自分でもちょっと驚いちゃうな。
オレは小枝を一つ手に持って、何とはなしにぶらぶらさせてみる。
気にし過ぎだ。分かってる。
別にみんなはオレの事を役立たずと思っているわけじゃない。分かってる。
分かってるんだけどさ……
ちらっとみんなの方に視線を向けてみた。
解体作業はまだ続いているようだ。
オレは手に持っている小枝に視線を戻した。
これに、自分で火を付けることができたら……
ダメ元で、やってみようか。
どうせ無理だとは思うが。
魔法は、イメージをして魔法素粒子に伝えることで発動する。
今までもそうだったよな。
オレは小枝が燃えるようなイメージをして、そして魔法素粒子に命じた。
――燃やせ! 魔法素粒子!
途端、小枝から大きな炎が上がった。
………………え? 何、コレ?
ほんの一瞬だとは思うが、オレの思考はフリーズした。
大きくゆらめく炎を、オレは呆けたようにただ見つめていた。
「ちょっ!? トーヤ! 何しているの!
早く手に持っているの、放して!」
リオの叫び声に、オレはハッと我に返り、燃えている小枝から手を放した。
その間にも、リオが文字通りオレの肩まで飛んできた。
「大丈夫? 火傷は?」
「あ、いや、その、大丈夫……だと思う」
オレの手の周りに白い光が浮かび上がる。
今までにも何度も見た回復魔法だ、これ。
「……大丈夫、みたいだね。よかった。
でも、一体何してたのさ。
あんなに大きな炎を上げて」
「あ、いや、たき火でさ。
オレにも、魔法で火を付けることができるかなって。
まさかホントにできるとは思わなくて……」
「むしろ、何故できないと思うのさ。
トーヤはもう魔法について、基本的なことは習得済みなんだよ。
物を燃やすくらい、できて当たり前じゃん」
え? そ、そうなの……か?
「トーヤ、大丈夫?」
ラヴィと一緒に駆け寄ってきたファムが心配そうにオレを覗き込んできた。
「あ、ああ。大丈夫だよ。ゴメン。心配かけて」
「無事ならいいのよ」
ファムが安堵の表情を浮かべ、ラヴィと視線を交わした。
ラヴィも同様に、ほっとした顔をしてオレのほうに歩み寄ってきた。
「すみません、トーヤさん」
何故かラヴィが謝ってきた。
「アタシ達の解体が遅いから待ちくたびれちゃったんですよね」
え? いや、そうじゃなくって……
だけど、オレが口を挟む間もなく、ラヴィは続けて声を弾ませていた。
「でも、さすがトーヤさんですね。
いきなりあんな大きな炎を出しちゃうなんて。
ロロアは小さな炎しか出せなかったのに。
やっぱりトーヤさんはすごいです! さすがです!」
ロロアって……
あ、《黒蜂》の火の魔法を使っていた女性か。
ラヴィが、何かすごくキラキラした目でオレを見てくる。
両手をいっぱいに広げて、「すごいです」「さすがです」と何度もオレを誉めてくれている。
ははは……
なんだ……
なーんだ。
それを見ていたら、オレはさっきまで感じていたネガティブな感情なんて、木っ端みじんに吹っ飛んでいたよ。
オレは一体、何悩んでたんだろうな。
やっぱ、オレの思い過ごしだったんじゃん。
誰もオレを役立たずだなんて思ってないじゃん。
それどころか、心配してくれて、すごいですなんて言ってくれて……
何バカな事で悩んでたんだろうな、オレは。
そんなこと、あるわけないのにさ。
ホント、バカだなぁ、オレは。
そして……
女の子にちょっと褒められただけで、こんなあっさり急浮上しちゃうなんて。
オレって、なんてちょろいんだろうね。
はは、あははは……
◇ ◇ ◇
「そろそろだね」
リオの言葉に促されて、オレは東の空へと視線を向けた。
薄白い明るみが夜の闇を払拭し始め、徐々に広がっていく。
青白い夜明けの光が、世界を平等に照らし始め、白銀へと染め上げる。
同時に、東の空に浮かんでいた星々の輝きをも消し去っていく。
「……綺麗」
「……ああ」
ラヴィの小さなつぶやきに、オレは前を向きながらそう返していた。
夜でも昼でも無い、時の狭間がオレの現実感を失わせている様に感じる。
同時に、現実であるこの世界が、実はこんなにも美しい世界だったのだと、改めて実感させられる様にも感じる。
後ろの方にいたファムが、静かにオレのすぐそばにまで寄ってきて、そして後ろからオレの右肩にそっと手を載せた。
オレはその手を横目で確認し、そしてちらっと上の方に視線を向けてみた。
だが、すぐそこにあるはずのファムの顔は、朝日の眩しい光に照らされていて、その表情をうかがうことはできなかった。
ただ、口許だけが僅かに微笑んでいるように見えた。
なんとなく、それ以上彼女の顔を覗くことが憚られて、オレは視線を朝日に戻した。
膝を立てているオレの右脚に、ラヴィがそっと身体を寄せてきた。
こちらを向かずにまっすぐ前を向いて、昇って来る朝日を見ながら、ラヴィの頭がコテンとオレの右膝に寄りかかって来る。
オレは、右手をそっとラヴィの頭の上に載せた。
ほんの一瞬だけ真っ白な二つのウサ耳がぴくっとしたが、ラヴィは特に何も言わない。振り向くこともしない。オレは、そのまま優しく髪を撫で始めた。ラヴィも、特に抵抗らしきことはせず、オレが髪を撫でるのに任せている。
……ラヴィの髪って、こんなに柔らかかったんだな。
そんなことを思いながら、オレはラヴィの後ろ姿を眺めた。
なんか、とても不思議な時間だと、改めて思う。
いつもならそんなこと、恥ずかしくってとてもできそうもないのに。
拒絶され、振り払われてしまったらと考えるととてもできそうもないのに。
なんでだろう。
今はむしろ、それが当たり前のように自然にできてしまう。
まるで、時が止まったかのような感覚。
まるで、世界にオレ達三人だけしかいないかような感覚。
まるで、ずっと昔からオレ達三人が共に過ごしてきたかのような感覚。
もちろんそれらの感覚が全て錯覚だと分かっている。
オレが二人に出会ったのは、つい最近のことなんだから。
二人に初めて出会った時、まさかこうやって一緒に旅をすることになるとは思いもしなかった。
最初に出会った時は、ただの街の娘だと思った。
二度目に会った時は盗賊だと思って戦った。三度目もそう。
今思えば、あの時とどめを刺して殺してしまうようなことをしなくて、本当によかった。
その後、まさか二人がオレについてくると言い出すなんて思いもしなかった。
ホント、先の事なんて全然分からないよな。
ユオンとのメイド隊だってそうだ。獣耳娘との出会いを期待して世界を渡ったが、まさかあれほど素晴らしいものを拝めることになるなんて思いもしなかった。
でも、それでも、分かっていることだってあるよな。
オレは再び視線を前に戻した。
もう太陽はしっかりとその姿を現している。
オレはきっと、今日この時のことを、一生忘れないだろう。
ラヴィと、ファムと、二人と一緒に見たこの夜明けの景色を。
そして二人から伝わって来る、この確かな温もりを。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
いかがでしたでしょう?
楽しんでいただけたなら嬉しいです。
次話「80. 砂漠の入口」
どうぞお楽しみに!