54. リンゴの酒を飲みながら[前篇]
クロと別れた後、オレ達はクロに勧められた宿に向かったが、宿に着くまでほとんど誰もしゃべらなかった。
オレも、二人に何をどう言えばいいのか、全く分からなかった。
宿に着いて、オレは部屋を二つ取った。
ファムとラヴィが少し驚いていたが、やはり男女で部屋は分けた方がいいと思うし、何より今は三人でいても沈黙で空気が重くなるだけだと思ったんだ。
オレ自身も、少し一人で考えてみたかったということもある。
その代わり、二つの部屋は隣同士で、バルコニーが繋がっている部屋にした。
その気になれば、バルコニーを通って互いの部屋に簡単に行き来ができるわけだ。
オレは、自分の部屋に入り、荷物を放って、ベッドに寝転んだ。
オレの肩に止まっていたリオが羽ばたいて、テーブルの上に降り立つ。
その様子を横目で見ながら、オレはクロが話してくれていたことを思い起こしていた。
あの時、クロの話を聞いた時、オレはどうすればよかったんだろう?
何を言えばよかったんだろう?
何度も考えてしまうが、今でもまだ良く分からない。
オレがもう少し大人だったら、何か気の利いたことでも言えたのだろうか?
「なあ、リオ」
「うん?」
オレは、天井を見上げながら、リオに話しかけた。
「どうすればいいんだろうな?」
「トーヤはどうしたいの?」
「そりゃあ、みんな仲良くってのが理想だろ?」
「それは、なかなか難しいね」
「だよなぁ。みんなとはいかなくても、ファムやラヴィが、クロとシロを怖がらずに、普通に接してくれたらと思うんだけど。戦争なんて、そんな千年も前のことなのに……」
もちろんそれは、オレが彼らに比べて寿命が短く世代交代が早い種族だからなんだって、クロが言ってたことも覚えている。そうかもしれないけどさ。だけど……だけどさ。
「王都のように移り変わりが激しい土地ならまだしも、地方だと特にね。昔のこだわりや因習に引きずられてしまうことが多いよ」
「……そういうのは、魔法じゃどうにもならないか」
「……できなくはないよ」
――えっ!? 今、何て言った!
オレは思わずベッドの上で上半身を起こした。
テーブルの上にいるリオを凝視する。
「できるのか? 魔法で? どうやって?」
「……先に言っておくけど、お勧めはしないよ。記憶操作して狼人族に関するネガティブな記憶を全て抹消してから、新たに感情操作してクロやシロに対する好印象を植え付ける、なんてさ」
「……できるかよ、そんなこと」
「だよね」
オレは再びベッドに倒れ込み、天井を見上げた。
ったく。なんてこと考え付くんだよ、この腹黒チート鳥は。
そういえば、この世界に来た頃も似たようなこと言ってた気がする。
女の子を惚れさせちゃうこともできるって。
それって、ほとんど洗脳だよ。怖すぎるだろう。
もちろんリオも、できるというだけであって、それがいいとは言っていない。
むしろお勧めしないと言っているんだ。
それは、いい方法なんかじゃないと分かっているんだ。
だから、別にリオは悪くはない。
分かってる。
オレは静かに目を閉じた。
世界は単純でも優しくもない。
以前そう言っていたリオの言葉を思い出していた。
全くその通りだ。
争いなんかない、皆が笑い合っていられる、そんな世界を多くの人達が望んでいると思う。なのに、それは叶わない。
魔法が存在するような、夢見た獣耳娘が実在するような、オレからすればファンタジー溢れるこの世界でさえも、それは叶わない。
何故?
それが、リアルだから?
はっ! 身も蓋もないな。
何よりも、オレが、オレ自身が情けなさすぎるよ。
何にもできないなんてさ……
オレは、そのまま眠ってしまったみたいだ。
そして、夢を見た。
そう、これは夢。
そこは森の切れ間だった。先日紅鎧討伐をした場所だ。
そこには皆がいた。
リオも、ファムも、ラヴィも、クロも、シロも、ミリアも、セイラも、ココも、母さんまでも。
皆が笑っている。
楽しそうに笑っている。
とても幸せそうに笑っている。
それを見て、オレは涙が出そうになった。
オレの見たい理想の風景が、まさにそこにあったんだ。
◇
目を覚ました時、部屋の中は真っ暗だった。
どれくらい寝てしまったのだろう。
ファムとラヴィは?
ちゃんと食事は取っただろうか?
起き上がろうとして、右腕が何かに押さえつけられていることに気付いた。
そして同時に、寝息がすることにも。
……ラヴィだ。
部屋の中に明かりはなく、真っ暗ではあるが、なんとなく気配で分かる。
ラヴィがオレの腕を抱えて、隣で寝ているんだ。
オレの右腕が、ラヴィの体温を、そして柔らかな感触を、オレに伝えてくる。
いつの間に入って来たんだよ。
しかも、なんで隣で寝ているんだよ。
しかも、しかも、こんな、こんな……
――ゴクッ
オレは起き上がるべきか、それともこのまま……
いやいや。このままじゃ危ない。マズいだろう。
この部屋にはいないようだが、隣の部屋にはきっとファムもいるはずだ。
っていうか、ファムはどうしたんだ?
ラヴィは一人で来たのか?
もしかしたらファムがラヴィを探しに来るかもしれない。
いや、普通来るだろう。
もしこんなところを見られでもしたら……
起き上がるべきだ。絶対そうするべきだ。すぐにそうするべきだ。
でも……でも、あと一分だけ……うん、あと一分だけ……
結局オレは、五分ほどしてから、ラヴィを起こさない様、そっと起き上がってベッドから離れた。
静かに大きく息を吐き出す。
暗くて良く見えないが、ラヴィが寝ているほうに視線を向けてみる。
ちょっと惜しいことしたかも……って、いやいや、違う違う。
この甘美な誘惑に打ち勝ったオレは、グッジョブだ。
それに比べラヴィは、全く、しょうがないヤツだ。
男の部屋に入ってきて、しかも隣で寝てしまうなんて、非常識にもほどがある。
どうなっても文句は言えないんだぞ?
間違いが起こってからでは遅いんだぞ?
むしろ一度くらい痛い目に合わせてやるべきなのか?
そうか!
一度オレが痛い目に合わせてやれば……痛い目……
いやいやいやいやいや。
そうじゃなくって。
今度、しっかり説教してやるべきだ。うん。
バルコニーの方へ視線を向けると、どうやら扉が開いているようだ。
そっか、鍵がかかってなかったのか。
オレはバルコニーに出てみた。
外は暗いが僅かな月明りで、小さな丸テーブルとイスがあるのが分かる。
バルコニーは広場に面していて、その広場にいくつか設置されている松明の灯が見えた。
冊に手を掛け、見上げれば半分に欠けた月と無数に散りばめられた星々。
以前リオと森の泉で見たほどではないが、視界の全てに散りばめられ、煌めく星々に目が吸い寄せられる。
……この世界は、こんなにも綺麗なのにな。
オレはしばらく星空を眺めていたが、ふと人の気配を感じて振り返った。
「……ファムか」
「……ええ」
隣の部屋の扉のところにいた人影が月明りの下に歩み出てきた。
「トーヤ。少し、付き合わない?」
そう言ってファムは瓶と二つのグラスを丸テーブルの上に置いた。
瓶の中身は、たぶんお酒なのだろう。
もう既に三分の一は無いみたいだ。
今まで一人で飲んでいたのかもしれない。
「ああ。貰うよ」
そう言って、オレはイスに座った。
ファムが琥珀色の液体をグラスに注いで、オレに渡してくれた。
色からしてウィスキーのようなモノだろうか。
「ちょっと飲んでみて」
オレは、ファムに勧められるまま口を付けてみた。
一口飲んですぐに分かった。
これは、ウィスキーじゃないと思う。
でも、なんだろう。ほのかに果物のような甘味?
これは……
「リンゴ?」
「ええ。リンゴの蒸留酒だそうよ」
「へえ。そんなものもあるのか」
「トーヤの世界には無い?」
「いや、あるとは思うが、あちらの世界ではオレは酒が飲める年齢ではないからな。あまり酒に詳しくはないんだ」
「年齢? お酒を飲むのに、年齢制限があるの?」
「ああ、オレのいた国では、二十歳未満の飲酒は禁止だな。こちらの世界は? 年齢制限はないのか?」
「聞いたこと無いわね。もっとも、あまり小さい子に飲ませようとする人もいないでしょうけど」
そう言いながら、ファムもオレの対面に座り、自分のグラスに酒を注ぎ、一口口に含んだ。
「どう? 口当たりもまろやかで飲みやすいでしょ?」
「そうだな」
オレは、さらに一口飲みながら、ファムの言葉に同意した。
「……ところで、トーヤ」
「ん?」
ファムがグラスを両手で持ちながら、伏し目がちに声を掛けてきた。
少し言い難そうな、ファムのその雰囲気から、オレは夕方のクロとの事なのだろうと察した。
少し身構えてしまう。
だって、何をどう言えばいいのか、全然分からないのだから。
「……ラヴィがあなたの部屋にいるでしょ」
――え? あれ? 違うのか?
「ああ、今ベッドで……」
「――したの?」
――なっ!
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
なんと本日、二度目のレビューをいただきました。
本当に、本当に、ありがとうございます!!
嬉しくなって、モチベーション上がりまくって、予定では来週のつもりだった第54話を急遽仕上げて、本日投稿させていただきました。
ちょっと長くなったので、前後編に分けています。
後編は、一応来週投稿の予定です。
どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。