53. 狼人族
クロはベンチに座り、そしてクロから見て左側にオレが、ファムとラヴィが右側に立っていた。
「座らないのかい?」
オレは、ファムとラヴィをちらっと見た。二人は、とても座りそうにない。
ならば、オレも立ったままでいい。立ったままの方がいいと思う。
オレは首を横に振った。
「そうか」
クロは、何かを納得したようにちょっと頷いてから、話を始めてくれた。
「トーヤは、約千年ほど前に起こったこの世界の戦争について、何か聞いているかい?」
「戦争? いや、何も」
「そうか。この世界では、約千年ほど前に少し大きな戦争があったんだ。人族も、獣人も、最終的にはエルフ族をも、全てを巻き込んだ戦争がね」
……戦争か。
今まで考えたことも無かったけど、言われてみればあってもおかしくない。
あっちの世界だって、人の歴史はイコール戦争の歴史だ、なんてフレーズを耳にしたこともある。
アニメやラノベにだって、戦争は良く題材に使われている。
人が複数集まれば、なんらかの争いが起こる。
つい先ほどだってケンカが起こったばかりだ。
それの規模が大きくなれば、当然戦争となっていってしまう。
「この世界には、人族や獣人など様々な人と呼ばれる種族が存在しているが、人族の割合が一番多いと言われている。正確な人数を数えたわけではないけれど、だいたい八割から九割が人族だと言われているんだ」
今まで通り過ぎてきた町などを思い起こしてみると、獣人よりも普通の人のほうが圧倒的に多かった。確かにそれくらいの比率なのかもしれない。
「何故人族の割合がそれほどまでに多いのかについては諸説あるが、まあ、それはここでは置いておこう。とにかく、人族の数は圧倒的に多い。それはもちろん千年前も同様だ」
オレは頷いて、クロに先を促した。
「そして人族は頭がいい。何か問題が起これば、集団で一致団結し、皆で知恵を絞り、工夫を凝らして問題を解決してきた。それは種族間の争いについても同様だ。言い換えれば、人族は個々の身体能力や戦闘能力は獣人には及ばないが、集団で知恵を出し合うことで獣人達に対抗し、組織を固めていき、現在のようにこの世界を実質的に支配する種族となったわけだ」
だが、とクロが言葉続ける。
「それを良しと思わない種族もいた。その種族が、身体能力の低い人族が支配するこの世界の在り方について異を唱え、人族に対して戦争を起こしたんだ」
「……つまり、自分たちに劣るやつらが支配するのが気に入らない、と?」
「ありていに言えば、そういうことだね」
「じゃあ、獣人と人族の全面戦争ということか」
「いや、そうはならなかった」
ん? どういうことだ。
獣人の不満が爆発したということじゃないのか?
「今現在のこの世界と同様さ。経済的なことも含め、人族が世界を回しているという状態が既に定着していたんだ。多少面白くないという感情はあるかもしれないが、安定していた生活を根底から崩すことを望む者は少なかった。結局、一つの種族とそれに賛同したわずかな部族が、それ以外の獣人達と人族を相手に戦争をすることになったんだ」
「それは……」
「そう。無謀ともいえる戦いだ。だが、その戦争は十年以上続いた。その間に死んだ人族や獣人達は、数百万か、それ以上とも言われている」
「そんなに……。圧倒的な数の差がありながら、そんなことがありえるのか?」
「それが史実だよ」
いったいどうやったらそんなことができるんだ?
数は少数でも、相手を圧倒できる戦闘力ということか?
まさか、あっちの世界から近代兵器を持ち込んだとか言わないだろうな。
いやいや。千年前だったら、そんなことはありえないか。
その答えを口にしたのは、ファムだった。
「……それだけ、狼人族の戦闘力が並外れていた」
それまで黙っていたファムが、ようやく口を開いた。
だが、その声は確かに震えていた。
それも気になるのだが、もう一つ気になる単語が出てきた。
狼人族?
その一つだけの種族というのが、狼人族ということなのか?
オレは思わずクロの耳や尻尾に視線を向けた。
シロの耳や尻尾も、おぼろげながら思い出していた。
オレは、今までクロとシロを犬人族だと思っていた。
だけど、この話の流れからすると、それは違ったという事か?
犬と狼。
そういえば、この違いって、何だっけ?
いや、遺伝子的にはほとんど同じだと聞いたことがある。
ホントかどうか詳しいことは知らないし、それはもちろん、あちらの世界での話だが。
クロは何も言わず、ファムに先を促しているようだ。
それに応じるように、ファムが言葉を続けた。
「狼人族は、そのずば抜けた身体能力の高さから、獣人の中の獣人と呼ばれてる。子供の頃、何度も狼人族の怖さは聞かされたわ。その戦争だって、獣人で構成された千人近い部隊を、狼人族はたった四人で殲滅したという、にわかに信じられない逸話だってある。そして……」
途中でラヴィの言葉が淀む。
何か、言い難そうな……
「構わないよ。続けて」
クロはそう言って、目を閉じた。
この先のセリフについて、予想がついているということなのか?
ファムは、自分の両手で自分を抱きしめながら、そしてクロから視線は外して俯きながら、続きを口にした。
「……そして、狼人族はとても残虐で残忍な種族だと。戦争中、非戦闘員はもちろん、女子供でも、例え赤ん坊でも容赦なく殺したって。丸ごと火の海にされた村も、一つや二つではないって」
ファムは一旦口を閉じたが、オレの方をちらっと見た後、再び口を開いた。
「狼人族が通った跡には生者無し。何度も聞かされた言葉よ。《黒蜂》でだって何度も忠告されたわ。もし狼人族と対峙することになったら、全てを放り出して逃げろと。命が惜しければ、決して後ろを振り向かず、全力で逃げろと」
そう言って、ファムはまた口を噤んでしまった。
……そうか。ようやく分かった。
ファムとラヴィがクロに怯えていた訳が。
そんなことを小さいころから何度も聞かされていれば、確かに恐怖心が刻みこまれても仕方ないかもしれない。
オレは、再びクロに視線を戻した。
それに気付いたかのように、クロは目を開き、再び口を開いた。
「戦争は、それまで中立を保っていたエルフ族が介入したことで終焉を迎えた。だが、その爪痕は今でも狼人族に対する恐怖という形で残されているんだ。トーヤからしてみると、千年も前のことと思うかもしれない。マイコもそう言っていたよ」
母さんの名前が出てきた。
そうか。母さんもこの戦争の話は聞いているのか。
「でもそれは、人族の寿命が短いから。人族にとっては何十世代も前の話だから、そう思うのだろう。人族よりずっと長く生きる獣人には、千年程度では、刻み込まれてしまった恐怖や嫌悪感は消えたりしないんだ」
確かにオレは、そんな千年も前の話、と思っていた。
第一、今目の前にいるクロは、そんな恐怖の対象にはとても思えない。
オレにとっては世話にもなった相手だ。
だから、どうにか、せめてファムとラヴィだけでも、クロと普通に接するように、何かできないのかと思うのだが、何も思いつかない。
今何と言えばいいのかさえ、オレには思いつくことができなかった。
「トーヤ。繰り返すことになるが、彼女たちを責めたりしてはいけないよ。これは我々狼人族の贖罪なのだから」
こんなときに、オレは何も言葉を思い付けない。見付けられない。
オレは、ホントに、無力だ。
情けない。
「すまないな。重い話になってしまったね。今日はもう、楽しく食事をするという気分じゃないだろう。明日に延期としようか。主には、私の方から言っておくよ」
「……ああ、そうだな。すまないが、そうしてもらえると助かる」
オレは、それだけ言うので精一杯だった。
「この広場の反対側、あそこの赤い屋根の建物が宿になっている。なかなか評判も良いそうだよ。今日はそこでゆっくり休むといい。明日、昼の五刻に迎えの者を寄越すよ」
オレは、クロが指さした方を見て、赤い屋根の建物を確認して頷いた。
クロは頷き返し、そしてオレ達の前から去って行った。
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