04. 異世界での奇跡
※ 2017/06/15 誤字脱字、改行位置など修正。一部余計な、くどい描写を削除。
朝起きた時には午前十時を少し過ぎていた。
確か寝たのは午前二時を回っていたハズだ。
母さんとの電話を切った後は、早々にベッドに入った。
母さんの経験上、やはり旅の間は野宿が基本だそうだ。
ベッドや布団で寝るなど滅多に無いらしい。
普段はベッドの有難味など考えもしなかったが、これがしばらく味わえないのかと、今回はその寝心地を十分に堪能しておいたよ。
あっちの世界への出発は夕方の予定だ。
昼間のうちに部屋の片づけや荷物の整理など、旅の準備をして、夕方に母さんが来たらアパートの部屋の鍵を渡して、オレとリオは出発する。
さて準備だが、何を持っていこう?
母さんからは、あまりぶっとんだ知識チートになるものは持ち込むな、と言われている。別にオレはあっちの世界に永住する気は無いし、成り上がりをするつもりも無い。期間もせいぜい一年間くらいで、しかもそのほとんどが旅の移動となる予定だ。
そういう意味では、地球上を旅するバックパッカーと同じような感覚でいいのかもしれない。
着替えを少し、あと水筒、それと筆記用具や雑貨をいくつか。
他に必要なものは、基本的にあっちで手に入れればいいだろう。
多少の路銀はバッグに入っているそうだし、リオも持っているそうだ。
そうそう。
とりあえずスマホとデジカメは持っていく。
デジカメ用の予備の電池もいくつか持っていこう。
あっちの世界で素敵な耳の獣系美少女とお友達になれたら、ぜひ記念写真くらいは撮っておきたい。
スマホは基本的にはデジカメの予備のようなものだ。
電池の減りが滅茶苦茶早いから、普段はスイッチを切っておこう。
もしかしたら某死に戻り系主人公のように、うまく使う機会があるかもしれない。
そうだ! 忘れちゃいけないことがあった。
見られちゃ困るモノの処分だ。
古雑誌の資源ゴミ回収が偶然にも今日でよかった。
これも日頃の行いの成果だな。うん。
夕方、母さんがオレのアパートに到着した。
リオの姿を見た母さんは、目に涙を浮かべながら凄く凄く嬉しそうに微笑んでいた。
「そう言えば、今日父さんは?」
「もちろんお仕事よ。何で?」
「いや、父さんに何も言わずしばらく留守にするからさ」
「そうね。機会を見て私の方から言うかも。ふふふ。お父さん、ビックリするわね、きっと」
そりゃあ、ねぇ? ははは……
父さんのことだけでなく、大学への休学届なども母さんに任せてある。
その他にも、新聞は取っていなかったが、水道、電気、ガス、電話、アパートの管理人への長期不在の説明なども、全て母さんに丸投げだ。
色々と面倒をかけて母さんには頭が上がらないが、一年かけてお使いを果たすことで、恩に報いたことにさせてもらおうと思う。
部屋の鍵は、もう母さんに渡した。
「さて、二人とも、準備はできたかしら?」
「うん。トーヤは?」
「ああ、いつでも」
出発は部屋の玄関から。オレは靴を履いて、母さんから譲り受けたバッグと自分の荷物を入れたリュックを背負った。
「冬也、あまりリオに頼り過ぎちゃダメだからね」
「ああ、分かってる」
「リオ、冬也をよろしくね」
「うん」
「フューネ達にもよろしくね」
「うん」
「……また、会おうね」
「うん。またね、マイコ」
今日の母さんは、いつになく涙もろいようだ。
「じゃあ、出発しようか。ちょっと肩を借りるよ」
リオが羽を広げ、ゆっくりと飛んできてオレの左肩に止まった。
リオによると、実はリオに触れていないと転移範囲を広げなくてはならないため、効率が悪いのだそうだ。逆に言えば、リオに触れてさえいれば比較的効率良くあっちの世界へ転移ができるらしい。
リオは最初、オレの頭の上に止まるつもりだったらしいのだが、それはカンベンしてもらった。
だって、なんか恰好つかないじゃん?
できれば、某風の谷のカリスマ少女がパートナーを肩に乗せていたシーンのようにありたい。そう思うのはささやかな願いであって、決して我儘なんかじゃないと思うんだよね。
「――行くよ!」
もう何度も見た紫色の淡い光の環が、リオの首の辺りに現れた。
その環が一瞬でオレをも含める大きさに広がり、さらに半球面状の光の膜となってオレ達を包み込む。
そして、オレ達は跳んだ。
母さんの「いってらっしゃい」という言葉を耳にしながら。
◇
気が付けば、オレ達は草原にいた。
実は好奇心から、転移の瞬間を見てみようと目を凝らしていたのだが、光の膜が眩しくなってよく見えなかった。立ちくらみのような、平衡感覚が無くなるような感じが一瞬だけしたが、次の瞬間には目の前が草原になっていた。
結構あっけないというのが正直な感想だ。
実を言えば、猫人族と犬人族がアスレチックで戦争する場に召喚された某勇者達のように、遥か上空から落とされることも一応覚悟はしていたのだが、そんな非人道的な扱いを受けずに済んでホッとしたよ。
ぐるりと周囲を見渡してみた。
多少傾斜はあるが、非常に広い草原だ。少なくとも見える範囲に人影は無い。
「トーヤ、異世界へようこそ」
「ああ」
そう言われると、なんか異世界ファンタジーの主人公になって勇者召喚された気分になるね。
「まずは目の再生治癒だね」
――いよいよか!
「ああ。そうしてもらえると嬉しいが、魔法の粒子ってのは大丈夫なのか?」
「魔法素粒子。君、覚える気無いでしょ?」
確かに何度か聞いていたのにちゃんと覚えてなかった。そのことを一瞬マズかったかと思ったが、リオの素振りにはちょっと楽しそうな雰囲気を感じる。声のトーンから判断しても、別段怒って言っているわけでは無さそうだ。
人相手と違って、鳥相手だと会話の際に表情を読むのが難しいな。
喜怒哀楽を声となんとなくの雰囲気で判断しないといけないみたいだ。
母さんに、リオとのコミュニケーションのコツを聞いておけばよかったかもしれない。
「魔法素粒子ね。聞きなれない言葉だからさ。でも、今度は覚えたよ。で、大丈夫なのか?」
周りを見渡しても、その様なものは見当たらない。
どこかに隠れているものなのか。それとも目には見えないものなのか。
もしかしたら、魔法の詠唱を始めたら何処からともなく現れるとか?
だったら、すごくファンタジーだね。
「うん。大丈夫。周囲にあふれてるよ。ちなみに、魔法素粒子は人の目には見えないよ。すっごく小さいからね」
なるほど。探すだけ無駄なんだな。
オレはリオのセリフに頷いた。
「じゃあ、早速始めてもらっていいか?」
「了解。そこに普通に立っててね。まずちょっと準備するから」
「準備?」
「うん。補助用の魔法陣を用意するから」
そう言ってリオが右の羽を上げると、オレの頭の左側に白く光る魔法陣が浮かび上がった。
――おお! これが本物の魔法陣か!
円形の中に文字だか模様だかがびっしりと、しかし規則的に配置されたような図で、日本のアニメにも良く出てくるのとそっくりだ。少なくともオレには違いは良く分からない。
リオが今度は左の羽を上げると、オレの頭の右側にも白く光る魔法陣が浮かび上がった。
「これで準備ができたよ。トーヤ、眼鏡を外して、目を閉じて」
「ああ」
言われた通りに眼鏡を外し、目を閉じた。
うまくいけば、もうこの眼鏡は用済みになるわけだ。
「始めるよ」
「ああ、よろしく頼む」
両目の周りを、何か柔らかく、ほのかに熱を帯びたもので優しく包まれるような、そんな不思議な感覚。
それは、わずか数秒間の出来事だった。
「もう目を開けていいよ、トーヤ」
――早っ!
もう終わったのか。
治療がこんな早いなんて。
大学病院で診察を受けた時の、待合室でのあの長い長い待ち時間はいったい何だったのかと……
いや、それはもういいや。
確かに、先程まで目の周りに感じていた柔らかくて温かい感触が、今はもう感じられなくなっている。
オレはゆっくりと、ゆっくりと、目を開き始めた。
――なんだろう。すっごくドキドキしてきた。
右目を悪くしてから約五年。
オレは自分の目の不自由さに多少の不安感は持っていたが、大きく取り乱すようなことはなかった。
オレの周りは、特にオレの両親は、オレ以上に心を痛めていたように思える。
実際そうなのだと思う。
それが、もうすぐ終わる。
いや、もう終わったんだ。
オレは今まで、強い悲壮感とか、絶望感とか、無念さとか、そういう感情は実際のところ殆ど無かったと思う。
それは、オレが豪気だったというわけじゃない。
覚悟を決めていたわけでもない。
うまく言葉にし難いが、ただ実感が湧いていなかったのだ、という表現が一番近いのだと思う。
だから、黒板が見えにくいとか、免許が取れないとか、生活面での具体的な不自由さを感じた時に、ようやく不安感を感じることができた。
単に鈍感なだけだったのか、それとも強い負の感情に囚われるのが怖くて無意識にそれを考えないように逃げていただけなのか。後者なのだとしたら、オレはやっぱり単なる臆病者なのかもしれないな。ヘタレもいいところだ。
でも、もういいんだ。
もう終わったんだ。
この目を開ければ、その全てが終わったことを実感できるんだ。
「トーヤ、どう?」
ん? なんとなくリオの声に不安感が混じっているような気がする。
オレが何も反応を返さないから不安にさせてしまったのかもしれない。
ゆっくり開く瞳に、眩しい白い光と鮮やかな緑が飛び込んで来る。
な……に……
なに、これ……
なんだよ、これ!
景色は先程までと、何も変わらない。
だけど……
だけど!
その鮮明さは先程までとは比べ物にならない程、オレには感動的なものだった。
今のオレのこの気持ちは、どう言葉で表現したらいいのだろう。
オレの内から、何かがこみ上げてくる。
オレの目から、涙が溢れてくる。
――世界は、こんなにも鮮やかで、綺麗だったんだ。