146. 矛盾の上に立つ想い
「ファム! ユオン!」
目の前に立つ二人の名が、思わずオレの口から飛び出していた。
何故ここに? という疑問と、よく来てくれた! という嬉しさが声に滲んでいることが自分でも分かる。
そんなオレをちらりと見てから、二人はすぐに視線をリュアに向けていた。
ファムの右手が腰の剣に添えられる。いつでも抜けるように、そして距離を詰められるように、重心をわずかに落としながら。
口を開いたのはユオンのほうだった。
「トーヤ様をこんなところまで引っ張り回して。いったい何処へ連れて行くつもりです? リュア?」
「うふふふ。目がとっても怖いですわよ、ユオンお姉さま? そんなに御主人様が大切ですか?」
オレからはユオンの目は見えないが、声色だけでもユオンの怖さは十分に伝わって来る気がする。
だが当のリュアは、そんなことを口にしながらも全く気にしたふうもなく受け流しているように見える。その口調や態度は、むしろ少し戯けているようにさえ感じてしまう。
「そんなに睨まないでくださいな。少し散策しながらお話していただけなんですから。もっとも、トーヤ様はとっても魅力的な殿方ですもの。思わず手を出してしまったとしても、それはもう、仕方の無いことだと思いません? それになにより……」
「戯言は、もういいわ」
言葉をさらに続けようとするリュアに対し、ファムがピシャリとそれを遮った。
「今の自分の立場が、わかってる? それとも、何かの時間稼ぎのつもり?」
口を閉ざしたリュアの視線が、ゆっくりとファムに向けられる。
続けて発せられるファムの静かな声音も、ユオンに負けず劣らずオレにとっては十分に背筋が寒くなるほどのものだった。
「四対一よ。前回のように、簡単に逃げられるとは思わないことね。降参するなら今のうちよ」
「まあ怖い。……でも、それはどうかしら」
どこまでも余裕があるかのように、リュアは微笑みを絶やさない。
その視線をファムたちの後方にいるオレに向けてきた。
……いや、オレじゃない。
オレの横にいる――
「ラヴィ、トーヤ様を人質として押さえてもらえるかしら」
その言葉の意味を、ユオンとファムはすぐに理解できなかったのかもしれない。
二人の動きが一瞬止まったその後ろで、ラヴィが静かに動く。
リュアの指示に応じてオレの後ろに回り込み、首周辺を腕で押さえ込んだ。
「――なっ!」
ファムの驚く声が耳に届く。
ユオンも声には出さなかったが、目を見開き、驚いている様子がわかる。
ラヴィの動きはすばやくて、オレに抵抗する間なんかなかった。
仮に抵抗できたとしても、オレの力じゃきっとラヴィに敵わない。
実際がっしりとホールドされている腕を軽く掴んでみるが、オレの力じゃ開かせることは無理みたいだ。
苦しくないだけ、マシなのかもしれない。
『ファム、ユオン……』
「トーヤさんが、ファムとユオンに念話で語りかけています」
念話で二人に語りかけようとした途端、ラヴィがリュアへ報告していた。
やはりと言うべきか。
先程リュアからラヴィに出された指示は、まだ有効らしい。
これじゃあ、念話を使う意味なんてない。
「……見ての通りだ。ラヴィは今、リュアに操られている」
仕方なく、オレは二人に口頭で状況を簡潔に伝えた。
詳細は後回しだ、と心の中で思いながら。
きっとそれも、二人には伝わっているハズだ。
「そういうことなので、ユオンお姉さまと、そちらの猫人のお嬢さん、お名前はファム、でいいのかしら? しばらくお二人には邪魔をしないで、おとなしくしていてもらえると嬉しいのだけれど。お二人が突然降ってきたものだから、トーヤ様との大事なお話がまだ終わっていないのよ」
ユオンとファムも状況をある程度理解し、そう簡単には手出しをしてこないと確信が得られたのだろう。
まるで勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、リュアは言葉を続けた。
「さてトーヤ様。先程はとってもいいところで邪魔をされてしまい、私としても、とてもとても残念でなりませんでした。ええ本当に。何でしたら今から続きをすることもけっして吝かではないのですけれど。でもまずは、お返事を聞かせてはもらえませんか? そうすれば、続きはこれからいつでもいくらでもできますもの。うふふふ」
まるで、もう答えは決まっているとでも言いたげだ。
ちらりとウサ耳の少女に視線を向けてみる。
ラヴィは相変わらず無表情のまま、オレをホールドし続けている。
「……もし断れば、ラヴィをどうするつもりだ」
「あら? 私を奴隷にして好きにできるということよりも、そちらのほうが気になるんですか? 彼女の命には別状はないと教えたはずなのに。……これは少しばかり、女としては妬いてしまうのだけれど」
奴隷という言葉に、ユオンとファムがわずかに反応する。
いったい何の話だというファムの視線には、悪いがスルーさせてもらう。
「……答えろ。ラヴィをどうするつもりだ」
「まあ! 先ほどまでとは違って、ずいぶんと強気のご発言。ユオンお姉さまたちと合流できたからかしら? うふふふ……。まあ、それはともかく。断られた場合のラヴィの扱い、ですか。さあ……? どうしましょうか。そもそもトーヤ様が断るとは思っていないから、そのような仮定は考えていなかったのだけれど」
左手で右肘を持ち、さらに右手でそっと自分の頬に触れ、わずかに首を傾げながらキツネ耳の女は言葉を続ける。
「……でもそうね。その場合、ラヴィにはトーヤ様の代わりに私の願いを叶えてもらう、というのはいかがかしら?」
それを聞いて、思わず奥歯をぎしりと強く噛み締めた。
オレを見上げてくるヘーゼルブラウンの瞳を睨み返す。
「ラヴィに、人殺しをさせる気か」
「あら、そんなに意外かしら? 彼女は、むしろトーヤ様よりもそういうお仕事に慣れているような気がするのだけれど?」
一拍置いてリュアが「もっとも」と、さらに言葉をつなげてくる。
「人を殺める、という点においては、この場には他にもっと最適な人もいますけれど、ね」
姿勢をほとんど動かさず、リュアの視線だけがユオンに向かう。
「……ねえ、ユオンお姉さま?」
当のユオンは何も言葉を発せずにリュアを睨んでいる。
再びリュアが口を開くまでのほんの僅かな時間、二人の視線が絡み合う。
「……とは言え、今回の対象は、ユオンお姉さまには少々お辛いでしょう。私としても、お姉さまにそんな辛い目にあって欲しいわけではありません。ですので、ここはぜひともトーヤ様にお願いしたいと考えているのですけれど……」
「どういう意味です、リュア」
ここでユオンがその口を開いた。
オレも同じことを問おうとして、わずかに出遅れた。
リュアの言い方はあまりにも白々しいが、そんなことよりも「ユオンには辛い」という内容のほうが気になった。
もしかして、ユオンに何かしら関係のある人物なのか……?
「なにせ対象は、十年ほど前のあの時、ユオンお姉さまが私達を裏切り、敵対してまで守り続けた、あのカイル・エルクリアなのですから」
ユオンの息を呑む気配がした。
カイル……エルクリア?
その名は、何処かで聞いたような……?
割と最近だった気がする。
いったい何処で……?
「何を馬鹿なことを。カイルはあの時、……死にました」
「うふふふ、お姉さま? 残念ながらその嘘はもう通じません。確かに私達も長い間ずっと、あの時ユオンお姉さまと一緒にカイル・エルクリアも死んだのだとばかり思っておりましたけれど。でもお姉さまだって、こうやって生きていたではありませんか」
「私は……。でも、カイルは本当に……」
「もう通じないと言ったでしょう、お姉さま。最近になってですが、カイル・エルクリアが生きているという確かな情報を得ているのですよ。もっとも、今はカイル・エルクリアという名前は名乗っていないようですが」
思い出した!
メルフィダイムの宿で聞いた、十年ほど前に滅んだという国の名前が、確かエルクリア王国だった。
……ちょっと待て。
ってことは、じゃあ、そのカイルという人物は、もしかしてエルクリア王国と関係があるのか?
そしてその人物こそが、ユオンとリュアの敵対関係に大きく関与している……?
「うふふふ。私も驚いたのですよ、ユオンお姉さま? ええ、本当に本当に驚いたのです。てっきり、あの時お姉さまと一緒にカイル・エルクリアも死んだとばかり思っていたのですから。なのに、実は生きていて、貴族の養子になっていて、しかもしかも、今では立派に成長して近衛騎士団の一員にまでなっているのだとか」
近衛騎士団、という単語にユオンの肩がわずかに揺らいだように見えた。
それを見て、オレの中でも何かがピタリと当てはまった気がした。
思い浮かぶのはメルフィダイムで世話になった好青年の顔。
いやそんな偶然あるハズは、と考えながらも彼の態度やそれに対するユオンの態度が思い出され、そのたびに何故か確信が深まっていく。
やがてリュアの朱唇が開き、その名を口にした。
気のせいかもしれないが、その様子が、いやにゆっくりしたものにオレには見えた。
「ジーク・グレスティール。それが今の彼の名だそうですよ」
リュアのその言葉を、オレもファムも、ただただ黙って聞いていた。
きっとオレだけでなく、ファムもまたオレ同様に思い当たっていたんだと思う。
そしてユオンは、リュアからも、オレたちからも、その視線を外していた。
◇
「……本当に、お姉さまには騙されました」
しばらく続いていた沈黙を破ったのは、リュアのその戯けたような言葉だった。
いや、実際に経過した時間はほんのわずかだったのかもしれない。
だがリュアの放った先の言葉をうまく呑み込むには、それなりの時間を要したのは確かだ。
ジークの名を聞き、やはり、と思った。
そして同時に、まさか、とも思った。
本来なら相反するような思いを、自分の中で落ち着かせるには、様々な思考が行き交い、そう簡単じゃなかった。……少なくともオレには。
「そのご様子では、やはりユオンお姉さまもご存知だったのではないですか? 彼が生きていたこと、彼の現在の境遇、そして彼の今の名も」
ユオンは視線を外したまま、口を固く閉ざしている。
そんなユオンに構わず、リュアは言葉を続けてくる。
「私としては、できればもう一度トーヤ様のあの素晴らしいお力を拝見したいという思いもありますが。うふふふ。まあ贅沢は言いません。成果さえ上げていただければ良しとしましょう。つまり、誰が事を成しても構わないのですけれど。トーヤ様でも、ユオンお姉さまでも、ラヴィでも、もちろんファム、貴女でも」
「……その男を殺してくれば、ラヴィを解放してくれるのね?」
ファム……?
お前、何を……
いつの間にか、リュアの視線がファムに向いていたことに気付いた。
「ええ、もちろん。トーヤ様の奴隷になることも含めて、ちゃんと約束は守るわ」
「そっちはどうでもいい」
ファムのセリフに苦笑しながら肩をすくめるリュア。
それを目にしながらも、オレはファムが言ったことに頭がいっぱいになっていた。
ファムが、ジークを、殺す……?
ファムが……?
ジークを……?
――そんなことっ!
「……ダメだ」
オレの言葉にファムが振り返る。
「トーヤ?」
「ダメだ!」
「でもトーヤ……」
「絶対にダメだ!」
オレの強い口調にファムが口を閉ざした。
そして、オレはリュアに向き直った。
オレとファムの短いやりとりを見ていたリュアの視線が、オレに向けられる。
一度大きく息を吐きだし、オレは口を開いた。
「……メルディたちの境遇には、可哀想だと思うし、同情もする。この国の獣人たちに対する仕打ちは絶対間違っていると、オレは思ってる。だから、そんな人達を、できれば助けたいとも思うし、オレにできることなら協力だってしたいと思う」
真っ直ぐオレを見てくるリュアに対し、オレはさらに言葉を続けた。
「――でも! お前達のやり方は受け入れられない。ラヴィを人質にして脅迫するやり方も、人を殺めるというやり方も!」
「何故、受け入れられないのかしら? 実際、それしかこの国を変える手段なんてありはしな……」
「それも、絶対間違っていると思うからだ!」
リュアの言葉を途中で遮るように、オレは声を荒げた。
双方の間に一瞬の静寂が生まれるが、すぐにリュアが再び口を開いてきた。
「では貴方なら、トーヤ様ならどうすると言うのかしら? この国を間違っていると言い、そして私たちをも間違っていると言う。では何が正しいのかしら? 貴方なら、どうするというのかしら?」
正直言って、リュアのその問いにちゃんと答えることは、オレにはできない。
分からない。
今のオレには、どうすればいいのか、何が正しいのかなんて、分からない。
その想いが、素直に口から出てくる。
「オレには何の力もなく、色々と間違えてばかりで、正解なんて何一つ分からなくて、後悔してばかりで、仲間に助けられてばかりだ……」
けど、そんなオレでも、一つだけ言えることはある。
ラヴィに押さえられたまま、その腕を掴み、リュアをまっすぐ見ながら、オレは言葉を続けた。
「――だけど! だけどもし、お前たちがそんなやり方をせず、例えばこの国から脱出したいと言うのなら、それに力を貸せと言うのならば、オレは間違いなく協力してたと思う」
リュアの目がわずかに細まる。
おそらく何か言おうとしたのだろう。
口を開きかけていたが、オレは構わず、畳み掛けるかのように言葉を続けた。
「オレにはオレの目的があって、今ここにいる。この国に用があったわけじゃない。この国をさっさと通り過ぎて、できるだけ早くダーナグランへ行きたい。そうしたい目的がオレにはある。それはオレにとってとても大切で、何をおいても、どうしても叶えたい目的であり、願いなんだ」
そう、アイツを、リオを助けるために。
そのためにオレは、オレたちはここまできた。
そして、まだ道半ばだ。
ここからさらに進もうとしている。
それが、今のオレにとって、全てにおいて優先したい目的だ。
だけど――
「……だけど。だけどそれでも! この国の現状を直に知って、お前たちがそんな手段を取らず、ただ自由を求め脱出したいから協力してくれと言われたら、オレは自分のその目的を置いてでも、この国の法に背いてでも、お前たちに協力したハズだ!」
自分でもめちゃくちゃ言っていると分かってる。
矛盾極まりないこと言っているという自覚もある。
いつだってホント、矛盾だらけだ。
リオを助けたくて、でも自分じゃどうすることもできなくって。
仲間たちを奴隷になんてと思ってても、でも実際には奴隷にして。
ラヴィを泣かせたくないのに、でも泣かせてしまうし。
今だって。
いつだって。
オレの行動も、言動も。
ホントにホントに、矛盾だらけだ。
でも、それでも、オレは――
「だからオレは、今のお前たちには、絶対に協力できない!」