144. 闇(くら)き瞳
かなり間が空いてしまいました。ごめんなさい。
ドシリアス警報発令中です。
あれからずっと、片時も離れることなくラヴィに右腕を掴まれていて逃げられない。もちろん、こんなラヴィを置いて一人で逃げるなんて選択肢は端からありえないが。
今オレたちは土手の上のような道をゆっくりと進んでいる。
視線を前に向ければ、リュアとミルナが楽しそうに手をつなぎながら先頭を歩き、それに半歩遅れてメルティが静かについていく。さらに数歩離れてオレとラヴィが後に続いている形だ。
右後の方に軽く視線を向けてみる。
通ってきた道の上に行き交う人もだいぶ疎らになってきている。
先程までいた広場の中心部からもかなり離れてしまったみたいだ。
左側に視線を移せば、少し広めの川とその河川敷が広がっている。
雑草の上に寝転んだり、散歩したりしている人もいるにはいるが、それほど多くはない。
いったい何処へ連れて行こうと言うんだ?
場所を変えると言って歩きだしてから、もうかれこれ三十分以上はかるく経ってるんじゃないか?
……いや、今考えるべきはそこじゃない。
どうすれば操られているようなこのラヴィの状態を元に戻せるのか、そして念話すらも迂闊にできないこの状況でユオンやファムに連絡を取るにはどうすればよいか、だ。
そもそもラヴィが操られているこの魔法だか催眠術だかには不思議な点がある。
あの黒い鈴が関係しているのは、まず間違いないと思ってる。
だけどその鈴の音はオレも聞いているんだ。
もちろんリュア本人もだし、メルディとミルナもだ。
恐らくはあの時点で偶然そばを通って耳にした人だっていただろう。
なのに何故、ラヴィだけが操られているんだ?
オレには効かない?
人族には効かないのか?
もしかして獣人専用?
いや、だとしたらメルディとミルナは?
狐人族には効かない?
もしくは逆に、兎人族だけに効く?
それとも、特定の個人だけに絞り込める何かがあるのか?
……ダメだ。
その辺の理屈が分かれば、もしかしたらラヴィの意識を取り戻せるヒントがあるんじゃないかと思ったんだが、あまりにも情報が少なすぎる。
どうすればいいのか全然分からない。
「先程からずいぶんとお静かですね、トーヤ様?」
リュアが軽く視線を向けながら話かけてきた。
「この道は結構人気のある散歩道なのですよ? 今日は日差しも穏やかで、爽やかな風も気持ちが良いですし、絶好の散歩日和だと思うのですけれど。お気に召しませんか?」
オレは一瞬だけ視線を交わらせたが、すぐに逸した。
この状況で、どうしたら散歩を楽しめると?
「まあ、怖い目ですこと」
クスッと口の端を僅かに上げるリュアが非常に腹立たしい。
思わず拳を強く握ってしまう。
けど、ここで殴りかかるわけにもいかない。
別に相手が女性だからという理由じゃない。
リュアは、ユオンと渡り合うほどの相手だ。
残念ながら、今のオレが単独でどうこうできるレベルじゃない。
ユオンとファムがいない今、例えばラヴィが前衛で相手を抑えてくれている間にオレが魔法で攻撃する、というやり方ならばもしかしたらなんとかなるかもしれない。
だがラヴィが操られてしまっているこの状況ではそれも無理だ。
やはりなんとかラヴィを正気に戻すことを考えないと。
そのためのヒントを何か……何でもいい、何か無いのか?
そもそも何故ラヴィが操られているのか。
何故ラヴィだけが……
「ねえラヴィ。トーヤ様が全然口を利いてくれないのだけれど、トーヤ様が今何を考えているのか、教えてくださる?」
――このっ!
オレの思考がラヴィに漏れていることを利用して、しかも聞えよがしに堂々と!
「……どうすればアタシの意識を取り戻せるか。そして、どうしてアタシだけが操られているのか」
リュアの問いに淡々と答えるラヴィ。
操られているのだから、これは仕方がない。
それに、話した内容自体は、今のオレの立場なら当然とも言えることだ。
別にバレたからと言って状況が悪化するわけじゃない。
「……あら。面白いところに注目しているのね」
リュアが歩きながら、再びオレに視線を向けてきた。
「……面白い?」
オレの口は思わずオウム返ししていた。
「ええ。〝どうしてラヴィだけ〟 そんなことを考えてるなんてすごく面白いわ。普通の人はそんなこと考えもしないでしょう? でも、残念ながら大した話じゃないのよ。分かってしまえばすごく単純で当たり前な事」
何が普通なのかはこの際置いといて、この話の流れだと聞き出せるか?
どうせ情報が足りなくて、今のままじゃ答えは出せないんだ。
ここはダメ元だ。
「……なら、教えてくれるか? どうやったのか」
「ふふふ。よく思い出してくださいなトーヤ様。私と出会う前に何があったのか。ねえメルティ?」
「はい。いきなり噛み砕かれたのには少々驚きましたが、特に問題なく効いてくれたようで、良かったです」
……出会う前? 噛み砕いた?
思い当たることが、確かにある。
それは……
「……あの、飴か」
「ええ、そうです。あの飴にはそういう秘薬が混ぜてあったんです」
オレの言葉に、メルディが前を向いたまま振り向かずに、頷きながらそう答えた。
……秘薬?
薬と鈴で、相手を操るような……これも魔法の一種なのか?
ラヴィが飴を口にしたときのことを思い出す。
あの時、確か飴は最初オレに手渡されたハズだ。
だがうまいこと誘導されて、ラヴィが口にしてしまった。
つまり……
「じゃあ、ラヴィにあの飴を舐めさせたのは、計画的だった……と?」
それに答えたのはリュアだった。
「あの広場で貴方達の姿を見付けたのは本当にただの偶然だったのだけれど、急遽思い付いてね。メルディに一芝居打ってもらったの。彼女の演技力はなかなかだったでしょう? 演劇女優の才能があるのではないかと、常々私は思っているのだけれど、トーヤ様はどう思うかしら?」
あれが、芝居?
全部演技だったと?
しかも……
「声をかけたのは、ラヴィからだったハズ……」
オレの独り言にも近い、小さなつぶやきに答えたのはリュアではなく、メルディだった。
「そうですね。それに関してはむしろ私のほうが驚いたくらいです。どうやって貴方達と接触するきっかけを作ろうかとあれこれ考えていたのに、ターゲットの方から話しかけてきてくれたのですから」
「ミルナも……なのか?」
「……リュアお姉さまに命じられて行動したのはあくまで私です。この子は、付き合わせてしまっただけで、何も知らないことです」
「何故、君がそんなことを……?」
「何故? そんなこと決まっています」
メルティが歩みを止め、振り返る。
それに合わせ、オレも足を止めた。
ラヴィも、リュアとミルナも足を止め、その視線がオレとメルティに集まる。
オレとメルティの互いの視線が交わる。
少し間を置き、ゆっくりとメルティの唇が開き、言葉を紡いだ。
「この国を壊すために」
静かに、されどきっぱりと言い切るメルティ。
その瞳に、オレはゾクッとした。
光を失ったような仄暗い瞳、と言えばいいだろうか。
オレは、視線を逸した。
逸してしまった。
とても真正面からその瞳を見つめ続けることが、オレにはできなかった。
「……ラヴィは、ミルナが泣いていたから。メルディが困っていたから駆け寄ったんだぞ。それなのに、君はその優しさを利用して……」
自分の声が、少し震えてしまっていることが自分でもわかる。
口から出た言葉は、ほとんど負け惜しみのようなものだったかもしれない。
メルティの仄暗い瞳に耐えられず、その視線を外してしまった自分を情けないと叱咤する自分も確かにいる。
その気持ちが、言っても仕方無いと思いつつ、それでも口にしてしまう。
対するメルティの声は、どこまでも冷静なものだった。
「これでも、ラヴィさんの優しさには感謝しています。本当に。獣人が泣いていようが、苦しんでいようが放っておかけるこの国で、あんなに心配そうに駆け寄ってくれた人は初めてでした」
それに、とメルディは言葉を続けた。
「ミルナは以前からあの団子を一度でいいから食べてみたいと言ってました。その願いが叶ったのはラヴィさんのおかげです。本当に感謝しています」
「だったら!」
思わずオレの声が荒くなる。
それに対してメルディはあくまでも冷静に、そして冷ややかな声で言葉を続けた。
「仕方が無いんです。この国を壊すために、これは必要なことですから」
その瞳はどこまでもどこまでも深く闇く、オレの口は凍えて声を発することができなくなってしまう。
「さあメルディ。もういいから、ミルナと一緒に先に帰っていなさいな」
「はい、リュアお姉さま」
メルティが手を伸ばすと、ミルナは黙ってその手を取った。
二人が手をつなぎ、ゆっくりと歩き出す。
「……君もいつか、利用されるかもしれないんだぞ」
凍える口をこじ開けて、オレは声を絞り出した。
これもまた負け惜しみだと思いつつ、口にせずにはいられなかった。
メルディが足を止める。
そして、言葉を口にした。
「構いません。それがこの国を壊すためならば、本望です」
振り向いた彼女の瞳を見たとき、思わず息を呑んでいた。
これをどう表現したらいいんだろう。
幾重にも暗闇が折り重なったかのような、光亡き瞳。
それはまるで、絶望の果に辿り着いた虚無のよう。
言いようのない畏れに巻き込まれ、押しつぶされそうな感覚に体が震える。
いったい……
いったいどうしたら……
オレよりもずっと年下にみえる少女が、いったいどうしたら、こんな瞳をできるというのだろう……