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143. 黒鈴の音

「リュアお姉ちゃん!」


 ミルナがリュアに駆け寄り、元気いっぱいに飛びつく。

 リュアは笑顔で受け止め、ミルナを両手で抱き上げた。


 そこにあるのは、まるでちょっと歳の離れた姉妹のようなキツネ耳娘同士の仲睦まじい様子。本当の姉妹なのかどうか分からないが、ぜひ写真に納めたいくらい、とても穏やかで微笑ましい情景だ。


「あらあら、ご機嫌なのねミルナ。何か良いことでもあったのかしら?」

「あのね、あのね。ミルナ、お団子食べたの! すっごい美味しかったの!」

「あら、それは素敵。良かったわねミルナ」

「うん! 兎人のお姉ちゃんがくれたの!」


 抱きかかえられながらミルナがラヴィを指差し、それに促されるようにリュアが視線をこちらに向けてくる。その眼差しはメルフィダイムの時とは違う、少なくともオレには、とても優しげなものに見える。


「またお会いできたわね。確かトーヤ様、でよかったのかしら?」


 表情だけでなく、声色も穏やかなものだ。


 なのに、何故?

 オレの頭の中でけたましく警報が鳴り響く。

 危険だ、近寄るな、と。


「メルディとミルナがお世話になったようね。どうもありがとう」

「あれ? リュアお姉ちゃん、この人達を知ってるの?」

「ええ。以前仕事で少し、ね。どうミルナ? トーヤ様は人族だけれども、とっても優しい人だったでしょう?」


 ミルナの素朴な疑問に笑顔で答えるリュア。


 メルフィダイムでのリュアと今のリュア。

 見た目は同じ。

 だが雰囲気は全く違う。


 (たお)やかな笑顔と共にゆっくりと発せられる声に、どうしても違和感が付きまとう。別人だと言われたほうが、まだ呑み込めたかもしれない。


「うん! このお兄さんも優しいの!」


 にこやかなミルナのあどけない声を耳にしたおかげだろうか。

 ようやくオレは口を開くことができた。


「……何故お前……君がここに?」


 見るからに平和で温厚そうなリュアの様子に、なんとなく「お前」呼びすることが憚られて呼び方を言い直していた。


 だがその問いに、リュアは答えなかった。

 まるでオレの声が届いていなかったかのようにスルーされ、少し周囲に視線を巡らせながら逆に問われた。


「ユオンお姉様の姿は無いようだけれど、別行動中なのかしら?」

「……だとしたら?」


 ユオンがここにいなかったことは幸か不幸か……?

 ユオンとは何か因縁がありそうだし、出逢えばまた争うつもりなんだろうか?

 という思いは、どうやら顔に出てしまったみたいだ。


「うふふふ。そんな警戒しなくても大丈夫よ。ユオンお姉様とお会いできないのはひどく残念だけれど、でも今はむしろ好都合かしら」

「……どういう意味だ?」


 優しげな目元が細まり、さらに嫋やかな笑顔を深くしながら、リュアの朱唇(しゅしん)が開く。


貴方(あなた)とゆっくりお話をしたいと思っていたのよ、トーヤ様。メルディとミルナがお世話になったお礼もしたいし、今少し時間はよろしいかしら?」


 ……話?

 オレと?

 いったい何を?


 そう口にしようとしたが、ラヴィがオレの前に立つほうが早かった。

 その手には紅い長槍(ヴァルグニール)が握られているが、周囲に多くの人が行き交う場所とあってか、さすがに槍先から被せられた革布(かくふ)はそのままだ。


 その様子を見て、少し苦笑しながらリュアは言葉を続けてきた。


「……別に、今ここで貴方達と争うつもりはないのだけれど?」

「そんな言葉、信じられない」


 ラヴィが静かに、だがきっぱりと言い放つ。

 リュアを睨む視線は鋭く、紅い長槍(ヴァルグニール)を握る手に力が籠もり、そのウサ耳が小さくわさわさと動き出している。


「あら。この子たちもいるんですもの。あまり血生臭い状況なんて見せたくはないのだけれど。分かるでしょう?」


 ミルナはリュアの言葉の意味がよく分からないのか、ちょっとキョトンとした顔をしている。

 そんなミルナを安心させるためだろうか。

 メルディがそばに寄って、その頭を撫でる。

 くすぐったそうに笑顔で目を細めるミルナ。


 確かに、メルディとミルナは戦闘をするようなタイプには見えない。

 そんな二人を巻き込んで、さらには周囲をも巻き込んで戦闘をするわけにはいかないし、少なくともこちらから戦端を開くようなことはしたくない。


「それに、メルフィダイムの時は雇われの身で仕方なかったのだけれど、今は違うわ。貴方達と争う理由なんて私には無いもの。第一、ここで騒動を起こしては、折角の機会なのにトーヤ様とお話できなくなってしまうでしょう? それはとてもとても残念なことだわ」


 パッと見た限りでは、リュアは武器を持っていない。

 メルフィダイムで見た、あの少し変わった形の剣がリュアの武器だと思うが、それはどこにも見当たらない。


 とは言っても外見を眺めただけの話だ。

 ゆったりとした、あのロングスカートのような服装の中まで分かるはずもない。

 もしかしたらそこに隠してあるのかもしれない。

 油断できないのは確かだ。


 だが、リュアの両手は今ふさがっている。

 ずっとミルナを抱きかかえていて、武器を取り出すような素振りは微塵も見せていない。

 本当に戦うつもりは無いように見える。


「……ラヴィ」

「ダメですトーヤさん。この女を信用しては」


 声をかけるが、頑なに警戒を強めているラヴィ。

 その耳のわさわさとした動きが徐々に大きくなってきている気がする。


「あら。その言われようは心外だわ。とてもとても心外よ。そんなに信用できないかしら。でも貴女(あなた)だって、むしろ私と同類だと思うのだけれど?」

「どこが!」


 リュアのセリフにカチンと来たのか、反射的に言い返すラヴィ。

 それに対してリュアは笑顔を崩さず、さらに言葉を続けた。


「自分や仲間たちが生き延びるためならば、法を背くことに一切の躊躇(ためら)いなど持ち合わせないところ、かしら?」


 にっこりと微笑むリュア。

 だがそこには先程までの嫋やかさではなく、むしろ妖しさを感じてしまうのはオレの気のせいだろうか。


 対してラヴィは、一瞬言葉に詰まってしまったみたいだ。


「気を悪くさせたのならばごめんなさい。それを責めるようなつもりは全く無いのだけれど。ただ、そういうところは私も貴女も変わりはないでしょう、と言いたかっただけなの」

「……何故、アタシがそうだと?」

「そう改めて聞かれると答えに困るのだけれど。敢えて言えば、匂い、かしら」


 それを聞いたラヴィがわずかに顔をしかめ、一度スンと鼻を鳴らした。


「うふふふ。本当に貴女が匂っているという意味ではないのだけれど。……そうね。雰囲気、と言い換えればいいかしら。貴女も、そしてあの猫人の娘さんも、この国の最底辺で生きてきた私たちとはまた違うのでしょうけれど、かなり不自由な環境で生きてきたのではなくて? 少なくとも、恵まれた環境で何不自由なく甘やかされて生きてきたようにはとても見えないわ」


 そんなことを言い当てられて、良い気分はしないのだろう。

 さらにラヴィが顔をしかめている。


 ラヴィもファムも、赤ん坊の頃からの孤児院育ちだ。

 かなり困窮していたそうだし、だから幼い頃はけっして褒められないようなこともしばしばしていたと聞いている。成長した後は《黒蜂》という非合法を請け負う組織に属していたのも事実だ。


 しかし、そんなことが雰囲気なんかで分かるもんなのか?

 当てずっぽうというわけでもなさそうだが。


「そんな貴女(あなた)ならば分かるでしょう? あの時貴女達と争ったのは、そういう立場だったというだけ。そして今の私は、貴女たちと争うような立場ではないの。むしろ、似た境遇を過ごしてきたであろう貴女たちとは仲良くしたいとさえ思っているのよ」


 メルフィダイムでのリュアは、盗賊であるベニートの仲間であり、オレの剣を盗んだ側の立場だった。だから盗まれた側の立場であるオレたちと対立した。

 だが雇い主であるベニートが倒されて捕まった今、そんな対立する構図はもはや存在しないんだ、と。


 その理屈は分からなくはない。

 だけど、そんなこと素直に納得できるものか?

 はいそうですか、と受け入れられるものか?


 あの時、結果的には誰も死なずに済んだけど、オレたちが負けていれば間違いなく殺されていた。

 そういう戦闘だった。

 そういう、命のやり取りがそこにはあった。

 実際、オレは死にかけたんだし。


 だけど……


 視線だけを周囲に向けてみる。

 混雑というほどではないが、人の行き来はそれなりにある。

 オレたちの会話が他に聞こえている様子はなく、人々は普通に行き交っている。


 こんなところでいきなり戦闘を始めるわけにはいかない。

 そもそも争いはできる限り避けたい。

 ましてや命のやり取りなんて、したいはずもない。

 オレたちの目的はできるだけ早くこの国を抜けてダーナグランへ行くこと。

 余計な厄介事に巻き込まれるのも正直ゴメンだ。


 オレの一歩前で相手を睨んでいるラヴィに視線を向ける。

 ラヴィが一度大きく息を吸い、そして静かに口を開いた。


「アタシは、アンタと仲良くしたいなんて思えない。アンタは信じられない。だって……だって! アンタは、絶対に何か嘘をついている!」


 ラヴィがリュアを指差しながらきっぱりと言い切る。

 その耳が大きくわさわさと動いている。


 ここに至って、ようやくオレは気付いた。

 ラヴィの耳がわさわさと動いていることに。

 いや、その動き自体は分かってはいたんだ。

 だけどそれが意味することに気付いてなかった。


 そうだ。

 ラヴィのこの耳の動きは、相手の嘘を見抜くときの動きだ。


 再び視線をリュアに戻したが、リュアはそれでも口元の笑顔は絶やしていない。

 ラヴィの指摘に動揺の素振りなんか見せない。

 ラヴィが相手の嘘を正確に見抜けるということを知らないから、そんなのはいくらでも誤魔化せると思っているのかもしれない。


 リュアはオレと話をしたいと言うが、嘘をついているのならばどうせ碌なことじゃない。

 そんなことに関わるべきじゃない。

 だったら、やることは……


『ラヴィ、隙をみて走るぞ』

『了解です!』


 念話でラヴィに伝え、オレの足がわずかに一歩後退(あとずさ)る。

 それに気付いたのか、リュアが小さくため息を付いた。

 一拍置き、再びその朱唇が開く。


「……そうなるかもとは思ってはいたのだけれど。仕方が無いわね。ええ。とてもとても残念だけれど、仕方が無いわ」


 仕方が無い?

 オレとの会話を諦めた?


 一瞬そう思ったけど、それは違ったらしい。


 ミルナを左手一つで抱えながら、リュアが右腕を静かに前に出してくる。

 同時にオレはさらに一歩引き、身構えた。


 オレの腰に剣はない。

 剣はファムに渡していて、今オレの腰に差してあるのはスリングショットだ。

 うまく使えば、これで隙を作るくらいできるはずだ。

 ラヴィも紅い長槍(ヴァルグニール)を持ち直し、構えている。


 リュアの右手に何かが握られている。

 ラヴィが警戒して、すぐに対応できるよう腰を少し落とした。


 何だ?

 武器?

 いや違う。

 あれは、武器なんかじゃない。


 あれは……


 ――リィン、リィン。


 リュアの手が僅かに揺れ、そして綺麗な音色が耳に届く。

 透き通るような高音。


 あれは、鈴……?


 リュアの手にすっぽり収まるくらい小さく丸っこい物体。

 そして黒塗りのそれが揺れるたびに音色が響く。


 いったいこれは何だ?

 もしかして仲間を呼ぶ合図?

 いや、だとしたらあまりにも小さい音だ。


 いったいどういうつもりだ……?


「さあラヴィ。トーヤ様が逃げ出さないよう、捕まえていてくれるかしら?」


 は? 何を言って……


「……は……い」


 まるで言葉を発することがおぼつかないような、だけど素直に返事をして左手でオレの右腕を掴むラヴィ。


 な……んだ?

 いったい何がどうなってる……?


 見ればラヴィのウサ耳は先程までと違って力なく項垂(うなだ)れ、体は非常に小さくではあるが前後にふらついている。


『……ラヴィ?』


 念話で名前を呼ぶが、返事が無い。


「ラヴィ? どうしたラヴィ?」


 今度は声を出して何度か呼ぶが、それでも全く反応が無い。

 まるで、オレの声が全く届いていないかのよう。


 ……これってまさか、操られている?


 ラヴィに向けられていたオレの視線が、自然とリュアの持つ黒い鈴に向かう。


 あの鈴のせいか!?

 あれはまさか催眠術……もしくは何か精神攻撃系の魔法のアイテムなのか!?


 だとしたら、マズい!

 とにかくユオンたちに連絡を取って……


「ああ、そうそう。ラヴィ、お願いがあるのよ。トーヤ様がユオンお姉様やあの猫人の娘さんに念話しようとしたら、すぐに私に教えてくださいな」


 ――なっ!?


「……はい。分かり、ました」


 リュアの言うことに素直にコクリと頷くラヴィ。


「うふふふ。知ってるのよトーヤ様。貴方たちの指にはめているのは念話の指輪で、そして念話の指輪をしている奴隷の(あるじ)の思考は、隷属の首輪を通じてほとんど全て奴隷に伝わってしまうってこと」


 ――っ!?


 思わず息を呑んだ。

 額から何か嫌な汗が吹き出してきたような気がした。

 それだけじゃなく、とてつもなく冷たい何かが背中を這いずり回るような感覚がオレを襲う。


 まさか、念話と隷属の首輪の機能をこんなふうに使われてこちらの動きを封じられるなんて……


 思いもよらぬことに戸惑いつつも、苦々しい思いが奥歯をギシリと強く噛みしめてしまう。

 そんなオレに、リュアは冷たい微笑みを向けながら言葉を続けた。


「だから、念話の指輪はどうぞそのままはめていてくださいな。でも、おかしなことは考えないでもらえると、こちらとしても色々と助かるのだけれど。よろしいかしら。ねぇ、トーヤ様?」


 リュアの腕の中にはキョトンとして首を(かし)げているミルナ。

 それとは対照的に、一切の感情を消し去ったかように、ただただ冷たい視線をオレたちに向けてくるメルディが、リュアに寄り添うように立っていた。




続きます。




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