142. 迷子の獣耳姉妹
大きく開けた口の中に丸い団子を一つ放り込む。
大きさはピンポン玉より少し小さいくらいで、桜色のもちもちした団子だ。
噛みしめると、その中には甘い餡が入っているのが分かる。
味は……外側は、あちらの世界でのきび団子が近いのかな?
中の餡はほんのりとフルーティーな甘みがあって、これはたぶん、先日食べたバーゼスという果実が練り込まれているんじゃないかな。
なかなか旨い。
油断すると際限なく食べてしまいそうだ。
「ホント美味しいですよね、コレ。トーヤさん、もう一つくださいな」
……特にラヴィが。
それ、いったい何個目だっけ?
「いいけど。二人の分、ちゃんと残しておかないと後で怒られるぞ?」
「大丈夫ですよー」
あっけらかんと言いながら一つ摘んで口に放り込むラヴィ。
ホントに大丈夫か?
確か買った時点では十個あったハズなんだが、残りはもうあと三つしかないんだぞ?
「残り三つだと、二人には半端になっちゃいますよね。なのでトーヤさんも、もう一ついかがですか? そうすれば二人には一つずつで丁度いいじゃないですか」
まるでそれこそがこの世の真理だと言わんばかりに、目を見開いてウサ耳をピンっと伸ばして力説するラヴィ。
「……なあラヴィ?」
「なんです、トーヤさん?」
「もしかしてなんだけど、一人で怒られるのが嫌だからオレを仲間に引きずり込もうとか、してない?」
「うっ!? や、やだなぁ、そんなこと、あるわけ……」
もしもしラヴィさん?
口元は微笑みのままなんだけど、なんで目が泳いでいるのかな?
ったく。
「まあ、足りなければまた買えばいいんだけどな。店はすぐそこなんだし、そんな高価なものでもないんだし」
「そ、そうですよね! さっすがトーヤさん!」
途端に顔を綻ばせ、ラヴィは団子を一つ摘んだ。
まだ食べる気か? と思ったが、どうやら違ったらしい。
「というわけで。はい、トーヤさん。あーん?」
――んなっ!?
オレの口元が引きつってしまっているのが自分でも分かる。
当然だろう!
オレたち二人は今、公園のような広場のベンチに並んで座っている。
周りには普通に人が行き交っているんだ。
そんな公衆の面前で「あーん」だと!?
そんなオレを少しにやにやしながら、ラヴィは続けて宣った。
「大丈夫です。奴隷が主に奉仕するなんて極めて普通のことなんですから。むしろこれこそが当然のお努めです!」
……はぁあ?
いやっ!
いやいやいや!
まてまてまて!
こんなところで奴隷という立場を有効活用しようなんて、なんかズルくない?
ってか、それっておかしくない!?
ぜったいおかしいよな!
そもそも! にやけているその顔が、全てを物語っているよね!?
「そもそもトーヤさんは気にしすぎなんですよ。周りは自分たちが思うより、ずっと気にしないもんですよ」
んなわけあるか!?
奴隷の少女が逆らえないのをいいことに無体な要求を、しかも公衆の面前でさせている極悪非道な男だと、きっと周りはドン引きした視線か、もしくは蔑んだ目でオレを……
団子を摘んでオレの口元に運んでくるラヴィから少しだけ仰け反り、視線だけを周囲に向けてみる。
…………あれ?
確かに、周りはさしてオレたちのことを気にしてない様子だ。
一瞥しつつも、興味なさげに通り過ぎていく人たちばかり。
その視線からは特に何も感じられない。
例えば非難とか軽蔑とか嫌悪とか憐憫とか、そういうのは全く無い。
もちろん憤怒とか憎悪とか殺意とかも無い。
皆とても普通だ。
そういうモンなんだろうか?
もしあっちの世界でこんなウサ耳の美少女にそんなことさせようものなら、きっとオレは生暖かい目で見られつつドン引きされるか、もしくは突き刺さるような怨嗟の視線を向けられて背筋が凍りついていたんじゃないだろうか。
これがこの世界……いや、このベルダートという国?
だとしても、こんな公衆の面前でそんな羞恥プレイ、オレにできるハズも……
ふとラヴィに視線を向けると、彼女は団子を差し出しながら、目をキラキラさせている……ように見える。キラキラは大げさかもしれないが、でもそこにあるのは紛れもなく、たっぷりと期待の込められた眼差しだ。オレを見上げる視線に、オレが拒否するなんて考えは微塵も感じられない。
……この期待を、オレに裏切れる?
オレの頭の中で、拒否した場合のラヴィの落胆顔と承諾した場合の羞恥プレイの恥ずかしさが天秤に載って揺れている。
〝食べるは一時の恥、食べぬは一生の後悔〟……?
変なことわざが頭の中をかすめていく。
もう一度視線を周りに向けるが、知り合いなんかもちろんいない。
ユオンもファムもまだ店の中だろう。
ああ、もうっ!
ラヴィが持つ団子を一瞬のうちにパクリと口にした。
これで団子は残り二つ。
これはもうオレとラヴィで食べ切ってしまって、ファムとユオンには新たに買ってきてあげたほうがいいよな。十個を四人で分けようとすることがそもそも間違いだったんだな、きっと。
団子を咀嚼し、ゴクリと飲み込みながら、そう思った。
オレの横には頬杖ついてニヤニヤしているウサ耳娘がいるが、とてもじゃないけど目を合わせることなんか、できないって!
◇
ラヴィの風邪は、山の中で出会った子どもたちから貰った薬であっさりと治った。あの花びらを一枚、一刻ほど水に漬けて、その水を飲ませたらホントにあっさりと。
みるみるうちに顔の赤みが薄れていき、終いにはケロッと起き上がった姿には、その一部始終を見ていたハズの自分の目を信じられなかったくらいだ。
あれから二日。
一応病み上がりだということも考慮して、ペースを少し落とし、休憩を多めに挟んでの移動だったが、オレたちは無事に次の都市に辿り着いた。
ここはベルダートの王都ユピタシア。
当然かもしれないが、この国ベルダートで最も大きい都市なんだそうだ。
オレたちが今いる広場の先には大通りがあり、さらにその先には大きな門が見える。その向こう側は貴族街だそうで、さらにその奥には宮殿があるらしい。ここからではさすがに、そこまでは見えないみたいだが。
まあ、オレたちには貴族街とか宮殿なんて関係の無い話だ。
メルフィダイムと同じように、必要なものを購入して、宿で一晩泊まって、明日にはさっさと出立するつもりだ。
「それにしても、遅いですね二人とも」
「まだ時間かかるんじゃないか? 色々と買い揃えておきたい物があるって言ってたからな」
「トーヤさんがダメにしちゃった鍋とかですね」
「うっ……」
ラヴィの何気ない一言に、思わず言葉が詰まりかける。
「そ、それだけじゃなく、小さくてもいいのでやかんも購入しておきたいってユオンが言ってたよ、だから……」
「また鍋をダメにされても大丈夫なように、ですかね」
「うっ……」
そ、そうなのか?
ユオンにやかんもと言われた時、あまり深く考えずに頷いたんだけど、あれってそういう意味だったのか?
時間がかかっているのは、なんか色々とオレが原因?
なのにユオンたちに買い物を任せきりにして、オレはここで呑気に団子食っててよかったんだろうか?
ファムに「買い物は二人で十分だから、ラヴィと広場で待ってて」と言われて、それに従ってしまったのは間違いだった?
うーん……
ユオンはオレに、目の届くところにいて欲しいようなことを言っていたが、あれはたぶん、オレの護衛という立場からの発言だろう。
それに対してファムは、店の中には所狭しと雑貨が溢れていて、ただ付いて歩いているだけのオレとラヴィは邪魔だったんだと思う。
……もしかしたらそれは建前で、ファムなりに気を利かせてくれたつもりだったのかもしれない。
いや、さすがにそれは考えすぎか。
とにかく、ユピタシアは割と治安は安定しているし、何かあればすぐ念話で連絡ができるからと、ファムに半ば強引に店を追い出されてしまったわけだ。
「トーヤさん」
考え込んでしまっていたオレの袖を、ラヴィがちょっと摘んで現実に引き戻してきた。
「ん?」
「あそこ……」
ラヴィが指差すのは、広場の中に作られた小さな池の辺りにいる二人の子供たちだ。
頭には少し大きめの獣耳が見える。
それにふさふさの尻尾も。
二人とも狐人族だと思う。
どちらも質素なベージュのワンピースのような服装なので女の子だろう。
それに格好だけでなく顔立ちも似ている気がする。
姉妹だろうか?
小さい方の女の子が座り込んで泣いているみたいだ。
大きい方の女の子は、少し困っている感じで周囲を見渡している。
「迷子でしょうか」
確かにそんな感じに見える。
でも、周囲の行き交う人達はほとんど気にしてない様子だ。
子供とはいえ、獣人だからだろうか?
――あっ!?
姉らしき方の女の子が人とぶつかりよろけた。
キョロキョロしていて、後ろから来た人に気付かなかったんだろう。
ぶつかってきた方は人族の若い男だ。
女の子は慌てて頭を下げて謝罪し始めた。
何度も何度も頭を下げて謝っている。
思わず腰を少し浮かせていた。
もし男が手を振り上げれば、すぐに駆けつけられるように。
男の方は一瞬眉をひそめ、苦々しげな顔で「気をつけろ!」と一言怒鳴って、連れと一緒に去っていった。
男の方だってよそ見をしていたからぶつかってしまったんだろうに。
だけどここでは、人族と獣人では〝お互いさま〟なんてことは成り立たない。
悪いのはいつだって獣人の方。
暴力を振るわれなかっただけまだマシってとこか。
それだってきっと、女の子たちの首に隷属の首輪があるからだろう。
誰かの所有物である奴隷を正当な理由なく傷付ければ、相手によっては大事になってしまうだろうから。
やはりこれが、この国ベルダートの有り様か。
ラヴィが立ち上がり、女の子たちに小走りで駆け寄っていった。
オレもその後を追って歩き出した。
「大丈夫?」
ラヴィが二人の女の子に声をかける。
姉らしき方が振り返り、声をかけられたことに驚いたのか少し目を大きくしながら口を開いた。
「あ、はい。大丈夫……です」
「さっきの、偶然見てたんだ。あっちからぶつかってきたのに、怒鳴るなんてひどいよねぇ」
「あ、いえ、そのぉ……」
ラヴィの言葉にどう応えたらいいのか戸惑っている様子だ。
そりゃあそうかもしれない。
この国の獣人としては、人族に対する非難なんて迂闊に頷ける内容じゃないだろうから。
「あっ」
ラヴィの後ろに立つオレに気付いたんだろう。
小さな声を上げ、あわてて礼を執ろうとしたところをラヴィに止められた。
「アタシたちはこの国の人じゃないから、畏まった礼なんてしなくて大丈夫。この人はアタシのご主人様でトーヤさん。アタシはラヴィ。貴女は?」
……ご主人様?
いやまあ、確かに今の立場はそうなんだけど。
改めて口にされると、なんかこう、すっごい違和感というか、背徳感というか……
いつまでたっても慣れないよなぁ、これ。
逆に慣れちゃマズい気もするけど。
「……メルディ、です。こっちは妹のミルナです」
「ミルナちゃん、どうしたの? お腹痛いの?」
オレ一人、背中になんかむず痒いものを感じている間に、ラヴィが視線をミルナと呼ばれた女の子に合わせるよう、しゃがみながら問いかけた。
「……お腹空いたのぉ」
「こ、こらミルナ!」
「だって、お腹空いてもう歩けないのぉ」
それを聞いてちょっとホッとした。
なにかの病気とかケガというわけではなさそうだ。
ミルナがか細い声で応えてくれたが、その答えにメルディは恥ずかしかったのか顔が真っ赤になっていた。
ラヴィがオレを見上げてくる。
もちろん何を言いたいのか、すぐに察することはできた。
頷きながら、オレは手に持っていた小さな箱をラヴィに渡した。
団子が残り二つほど入っている箱だ。
「良かったら、これ食べる?」
ラヴィが団子をミルナの前に差し出す。
ミルナが鼻をヒクヒクさせ始めている。
涙で濡れていた目を大きく開き、そしてゴクリと生唾を飲み込んだ。
うん。気持ちは分かる。
中に入っている餡が、すごくいい匂いをさせているからな。
「美味しいよ?」
ラヴィのセリフに応じるかのようにミルナは手を出しかけて、でもその動きは途中でピタッと止まってしまった。
その目が隣のメルディをそっと見上げる。
ああこれは、お姉さんに許可を求めているのかな?
たぶん「食べたい、でも食べていいのかな?」と目で問いかけているんだろう。
「ありがとうございます。でも……」
「遠慮しなくていいよ」
「いえ、でも……」
ラヴィは勧めているが、メルディは遠慮しているみたいだ。
オレの方をちらちらと見上げてくる。
「大丈夫。ラヴィの言う通り、遠慮せず……」
もう我慢の限界だったのかもしれない。
オレの言葉が言い終わらないうちに、ミルナが手を伸ばし、団子を掴むと一気に口にほおばった。
「こ、こらっ、ミルナ! お行儀の悪い!」
「メルディお姉ちゃん! これとっても美味しいの!」
顔を赤くして恐縮する姉に、団子の美味しさにご満悦の妹。
その様子はとっても微笑ましくて、思わずオレの顔は綻んでいた。
◇
「これは?」
「ラクオウの飴です。一つしかなくて申し訳ないですが……」
団子のお返しにと、メルディが飴玉を差し出してきた。
何故空腹なのにその飴を食べなかったんだろうと素朴な疑問が浮かんだけど、その答えはすぐにミルナが教えてくれた。
「……それ、とっても苦いの。ミルナ、嫌いなの」
「こ、こらっ! ミルナ! ラクオウはちょっと苦いけど、でもとっても栄養があるんだから!」
ああ、なるほど。
納得した。
小さい子は、いくら栄養があるからと言っても、苦いモノは嫌いだよなぁ。
「気にしなくてもいいよ」
「いいえ。こういうことはちゃんとしませんと。私たちは物乞いじゃありませんから」
メルディにきっぱりと言われた。
見た感じ十五、六歳くらいだけど、しっかりしている子だなぁ。
「あ、でもこれ、人族の方はお腹を壊すことがあるとか……」
オレに飴玉を渡した直後、メルディは申し訳無さそうに言葉を付け足した。
……えっと?
貰ったはいいけど、じゃあオレは食べない方がいいってこと?
っていうか、獣人用の食料ってことか。
ここでもまた人族と獣人の違いなのか。
「じゃあ、アタシがいただきますね」
そう言ってラヴィはオレの手から飴を受け取り、ひょいと口に放り込んだ。
すぐにガリガリと飴を噛み砕く音が聞こえてくる。
……飴って、まずは口の中で舐めるものじゃなかった?
もしかしてこっちの世界じゃ違うのか?
「うぐっ……」
ラヴィが目を見開き口元を押さえる。
「ホ、ホントに苦っ!?」
「でしょでしょ!」
「い、いきなり噛み砕くから……」
ラヴィってば、涙目になってない?
ミルナは何故かすごく嬉しそうで、メルディはあたふたし始めた。
「あががが……。し、舌が……しびれ……。ト、トーヤ、さん……み、み、み……」
「ほら、水」
バッグからラヴィの水筒を取り出して渡してやると、ラヴィは一気に水を飲み干した。それでも足りなさそうなんで、オレの水筒も渡してやる。
水筒二本分も飲んで、ようやく落ち着いたみたいだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……。死ぬかと思った」
「そ、それはいくらなんでも大げさかと。普通はゆっくりと舐めるものですし、そうすれば苦味の中にもほんのりとした甘みが……」
「まだ舌がしびれて……」
「あははは。兎人のお姉ちゃん、面白い顔してるぅー」
舌を出して顔をしかめているラヴィは、確かにちょっと変顔かもしれない。
オレとメルディの視線が交わり、ミルナに釣られるように笑いがこぼれた。
「もう! トーヤさんってば。笑い事じゃなくてですね」
「ははは。ごめんごめん」
その時――
ミルナがオレの後ろから近付いてくる人影に気付き、手を上げながら嬉しそうな声を出した。
「あっ! リュアお姉ちゃんだ!」
……え?
その掛け声にオレの思考は止まりかけた。
……リュア?
その名前には聞き覚えがある。
当然だろう。
つい最近耳にした名前だ。
まさか……と思いつつ、ゆっくりと振り向いたその先には、薄く微笑みながら立つ獣耳の女性がいた。
メルフィダイムでユオンと対峙した、あのキツネ耳の女だった。