140. 紅焔の刃(レーヴァテイン)
「……ご存知のように、主が強く命じると、奴隷はその命令に逆らうことができません。で、ですから、余計な戦闘を回避するためにも、主が命令する前に、まずはその口を強制的に塞ぐ必要があって……」
「なるほど。だからトーヤの喉を狙ったわけね」
たどたどしいキツネ耳少年の説明に、これ以上無いってくらい冷ややかな声で応じるファム。
オレたちを襲ってきた獣耳の少年少女たち四人を、雨に濡れない程度に洞穴の中に入れ、今は焚き火にあたらせている。特に拘束はしていないが、武器はすべて没収した。マントもフードも、靴さえも一度全部脱がせてちゃんと確認している。もちろんオレじゃなくファムとユオンが確認したんだから、その辺は完璧だろう。
そして何故オレたちを……いや違うか。
何故オレを狙ってきたのかをファムとユオンが聞き出しているわけだ。
オレは少し下がり、横たわっているラヴィのそばに座ってその様子を見ている。
武器は全て没収したといっても、彼らにはまだ爪や牙もある。
もう戦意はなさそうだが、念の為ということでファムにそう促された。
「はい。狙いはあくまで口を塞ぐことです。死なれてしまってはむしろ困りますので、少々難しいですが、殺さないぎりぎりのところを狙いました」
……うわぁ。
会話の内容が剣呑すぎる。
キツネ耳の少年はトルクと名乗ったが、この少年がやはり一番年上らしい。
十三歳だそうだが、これが十三歳の子供がしゃべる内容か?
それだけハードモードな人生を送ってきたんだろうとやるせない気持ちを抱く反面、その対象がオレだったというのだから、背筋がとんでもなく寒くなる。
なんとなく視線をそらしてしまった先で、自分の指にはめている念話の指輪が視界に入った。ふと「口を塞いでも念話があるよな……」と頭を過ったが、そんな茶化すようなこと、とても口にできる雰囲気じゃない。
オレの思考が漏れ聞こえたのだろう。
ユオンが念話で答えてくれた。
『トーヤ様。我々は皆所持おりますのでそうは思われないのかもしれませんが、念話の指輪などは非常に希少なものでございます。この子たちはそういうものがあることすら知らないのかもしれません』
確かにジークも持ってなかったし、師匠も初めて見たと言ってた。
なるほど、そうかもな。
「それで?」
ファムがトルクに話の先を促す。
「は、はい。声を出せないようにした後に、主を取り押さえます。そして交渉するんです。助けて欲しければ奴隷を解放しろ、と」
そう。
この少年少女たちの狙いは奴隷であるファム、ユオン、そしてラヴィの解放だった。どうやらこの洞穴で雨宿りしているオレたちを偶然見付け、そのためにオレを狙ったんだそうだ。
奴隷の解放には主の意思と、そして主の血が僅かにあればいいらしい。
主が解放する意思をもって隷属の首輪のプレートに自分の血を付ければ、それで奴隷解放の儀式が成立する。奴隷にするときもそうだったが、特に呪文のような特定の言葉は必要無いそうだ。
通常は親指を針で少し刺すなりナイフなどで少し傷付けるなりして行なうらしいんだが、首筋を傷付けていれば、そのための血も十分賄えてしまうってわけだ。
……とっても嫌な一石二鳥だよな。
ちなみに、解放する前に主が死んでしまうと、合法であれ非合法であれ、奴隷解放の難易度はとんでもなく跳ね上がってしまうらしい。オレたちの場合は、アダンというアンフィビオの王族との伝手がある。最悪の場合は彼らがなんとかしてくれると信じているが。
「それで? 奴隷を解放した後は、約束通りちゃんと傷の手当でもして主を助けてあげてるの?」
ファムの問いに、少年たち四人はそれぞれに視線を交差させている。
その仕草に、なんかとっても嫌な予感がしてくるのは気のせい……?
オレの方を一度ちらっと見てから、トルクは口を開いた。
「……解放された元奴隷の人たちの判断に任せています。ですが僕たちが解放してあげた獣人たちの中で、元主を助けたいと言った人は、今まで一人もいませんでした」
うわ……
マジですか。
「それどころか、今までの恨みとばかりに、むしろ積極的に傷を広げたり、殺意をむき出しにするという人たちばかりでした」
奴隷の主は、総じて人望は無いらしい。
少なくとも奴隷たちからのは。
その理由は、なんとなく察してしまう話ではあるんだが。
「お姉さんたちは、本当にいいんですか? ……今からでも、まだ」
おいおい。
多少声を潜めたみたいだが、聞こえてるぞ。
「さっきも言ったけど、ワタシたちはベルダートを通り抜けるために、一時的に奴隷という立場を取っているだけ。今ここで解放して貰う必要は無いわ」
ファムが繰り返し説明してくれたが、トルクを始め、少年少女たちはどうもそれにまだ納得してないみたいだ。
っていうか、そこはバカ正直に話さないでカバーストーリーの方を話すべきだったのかもしれない。ベルダートに入る前に、ラヴィとシロがノリノリで作ってたヤツだ。そうすれば奴隷の主はオレでなく、オレの父親ということになって、オレを狙っても意味はないって話に落ち着いてたかもしれない。
もっとも、ファムはその話にあまり乗り気じゃなかったし、一番ノリノリだったラヴィはダウンしているし、オレとしても全然使ってなかった話なんですっかり忘れてたんだけどな。
ネコ耳少女のミミィが「でも……」とためらいがちに言葉を発し、一拍置いてから続けてきた。
「一時的であっても、主と奴隷です。嫌なことだってされたりしちゃうんじゃないですか?」
……奴隷の主には人望だけでなく、当然なのかもしれないが、信用も全く無いらしい。
ミミィの言葉に顔を見合わせるファムとユオン。
おいおい、お二人さん?
そこは速攻で否定してくれるところじゃありませんかね?
「……まあ、多少は、ね」
おいこらファム!
「やっぱり……」
冗談でもそういうこと言うのはやめてほしい。
一体何を想像したのやら、ミミィの蔑んだ視線がオレに向けられてきちゃったじゃんか。
どうしてくれるんだ?
たぶんこの子にはファムの冗談は通じてないぞ?
……ってか、もちろん冗談、なんだよね……? ファム?
「冗談はそのくらいにしておくとして」
ユオンが口を挟んできた。
やはり冗談だった良かった、とホッとしたのもつかの間、ユオンが目を細めて外に視線を向けていることに気が付いた。
いや、ユオンだけじゃない。いつの間にかファムもだ。
「……どうした?」
「どうやら新たな来客のようです。それとも、アレも貴方達のお仲間ですか?」
オレの問いに、視線を外に向けたままそう答えるユオン。
その声に釣られるように、オレたちの視線が外に向けられる。
そこには、いつの間にか黒い犬がいた。
雨の中、全身の体毛を濡らし独特の光沢を帯びている。
口が僅かに開いており、そこから赤い舌と鋭い牙が見える。
一匹だけじゃない。
木々の隙間から次々と姿を現し、全部で……八匹も。
「いいえ、九匹でございます」
いつもの通りオレの思考が漏れ聞こえたのだろう。
ユオンが訂正を口にした時、最後の一匹が姿を見せた。
他のやつらより一回り体が大きい。
もしかして、こいつがこの群れのボスか?
グルルゥと唸り声が聞こえてくる。
オレたちを襲ってくる気満々って感じがするのは、きっと気のせいじゃないと思う。
「禍斗……」
キツネ耳少年トルクの驚愕を含んだ呟きが聞こえてきた。
その体がわずかに震えているのは、きっと雨に濡れたことによる寒さのせいなんかじゃないだろう。
「どうやら、貴方達のお仲間ではなさそうですね」
「当たり前だよ!」
ユオンの言葉に、ほとんど反射的に叫ぶトルク。
「禍斗がこんなに……。僕たちを、襲う気なんだ」
それは、見ればなんとなく分かる。
とても友好的にも、媚を売って餌にありつこうとしている態度にも見えない。
だけど、なんでそんなに怯えているんだ?
外見はちょっと大きめの犬といった感じだ。
確かに野犬がこんなに群れをなして襲ってくるのは怖いものがあるが、さっきオレたちを襲った気概があれば……
「トーヤ様。よく似てはおりますが、禍斗は犬ではございません。非常に狡猾かつ獰猛で、とても危険な獣です。たとえ一匹であっても、この子達では……」
それほどの相手なのか!?
じゃあどうする?
逃げ……られるとはとても思えない。
相手は洞穴の出入り口を取り囲むようにしているし、たとえ突破できたとしても、山の中を野生の獣相手に逃げ切れるとは思えない。
もはや少年たちは顔面蒼白で震えてしまっている。
ましてやこっちには寝込んでいるラヴィもいるんだ。
きっとすぐに追いつかれてしまうだろう。
「さらに申せば、禍斗は、禍をもたらす獣、もしくは禍そのものだと言われております。もし逃しては、後に周辺の畑や家畜、さらには人をも襲い、犠牲も大きくなるでしょう」
つまり、ここで倒すべき相手、ってことか。
だけど……
『ユオン、ファム。……勝てるか?』
その問いは口に出さず、念話を使った。
それに対するファムの答えは、ひどくあっさりしたものだった。
『トーヤ次第ね』
……オレ?
『どういう意味だ?』
ファムとユオンが洞穴の入り口で並び立つ。
ファムの両手にはトレンチナイフが握られている。
腰にはオレが渡した剣があるが、この相手にはトレンチナイフのほうがいいと判断したのかもしれない。
『ワタシとユオンが前衛で抑えるから、その間にトーヤが魔法で片付けて』
『オレが?』
『実戦練習にはちょうどいいでしょ。それに……』
『それに?』
『その子たちに、少しは良いところ、見せたいんじゃないの?』
……確かに、そういう気持ちが無いわけじゃない。
この子達にはなんか変な目で見られ始めているからな。
……誰かさんのせいでさ。
『汚名をそそぐのも、名誉や称賛も、自分の手で勝ち取るものよ』
ファムの言ってることはごもっともだと思うんだが。
なんでだろうな。
言いくるめられ感をビシバシ感じてしまうのは。
オレは立ち上がり、ゆっくりと二人の元へと歩き出す。
なんとなく、両腕の袖をまくりあげた。
「な、何して……。まさか……」
「人族なんかが禍斗と戦えるわけ無いじゃん。死ぬだけだよ」
「そうだよ。そんな弱っちぃナリして……」
そんな少年たちの言葉がオレの耳に届いてくる。
んなろぉ……
見てろよ?
ファムとユオン、二人の後ろに立つ。
禍斗たちはまだ大きく動いていない。
襲ってくるタイミングを測っているんだろうか。
右手をかざそうとして、その動きがはたと止まる。
周囲は雨でびしょ濡れなんだから、当然電気系はやめたほうがいいよな。
とばっちり受けてみんなが感電なんて、とても笑えん。
けど、《火焔》は獣相手には使うなと言われたし……
ファムの念話が頭に響く。
『禍斗は食べられないから、手加減は一切いらないわ』
あ、そうですか。
なんとなく釈然としないが、まあいいや。
気を取り直して右手を獣たちに向け、一度大きく息を吐く。
前回の火焔》はちょっとやりすぎたからな。
あそこまでやる必要はないんだ。
あれを少し抑えるようにしたほうがいいだろう。
そして相手は複数だ。
それを意識して……
「何する気?」
「まさか、魔法?」
「いいや、こんなやつがまともな魔法なんか使えるもんか」
「そうだよ。女の奴隷を何人も侍らせているようなやつに……」
微かに聞こえてくる少年たちのヒソヒソ声。
……………………よし分かった。
ついでに、あちらの世界でのアニメやラノベで培った詠唱知識を織り交ぜて、ちょっとカッコ良くキメてやるっっっ!
いくぞ! 魔法素粒子!
「誇り高き紅の守り人よ 我が呼び声に応えよ 押し寄せる不遜の獣たちに 猛き聖槌を 焔の牙となりて すべてを撃ち滅ぼせ 《紅焔の刃》!」
詠唱が終わると同時に禍斗たちの四肢が焔に包まれる。
一瞬の後、一気に全身を呑み込むかのように燃え上がった。
降り続く雨を物ともせず激しい焔が立ち上がり、それはまるで獣ごと大地に突き刺さった焔の刃のよう。
黒き獣たちは断末魔を上げる間もなく、次々とその場に倒れていく。
よしっ!
ほぼイメージ通りだ。
前回の《火焔》を反省して、今回は紅蓮とか業火は入れるのやめといたんだが、それで正解だったかもしれない。
「すっ……げぇ」
後ろから微かな呟きが耳に届く。
……ちょっとだけ気分が良かったのは、内緒だ。
追記:
いつものように思考は漏れてしまっているんで、その心の声はファムたちにしっかりバレていることは、内緒だ。(笑)