139. 獣耳の少年たち
――速い!
影の一つが素早い動きで飛び上がり、天井を蹴り、オレとファムを飛び越える。オレたちとユオンたちとの間に降り立つが、しかしそれをいつまでも悠長に目で追っている余裕なんかない。もう一つの影が、低い体勢で地を駆けファムに迫ってくる。
いきなり後ろを取られた形だが、そちらはユオンに任せ、ファムが右手を構える。トレンチナイフのナックルガードで迫りくる相手を殴り飛ばそうと左足を強く踏み出す。が、その動きがピタッと止まった。
ファムの目が大きく開かれ、同時に戸惑いの声が漏れる。
「――なっ!?」
ファムの目の前で立ち止まったのは獣耳を持つ幼気な少女。
その耳と尻尾から、ファムと同じくネコ耳娘だと分かる。
でも、ファムの動きが止まったのは同族だからというわけではないだろう。
少女が武器のようなものを一切持ってなく、しかもそれを誇示するかのように両手を上げ、その手を広げて見せたからだ。
「大丈夫です。少しだけ目を瞑っていてください。すぐに終わらせますから」
少女の微かな、されど凜とした声が聞こえてくる。
さらに少女はにっこりと微笑み、戸惑うファムに向かってゆっくりと抱きついてきた。
詭道、という言葉がオレの頭を過る。
何処で知った言葉だか覚えてないが、おそらくアニメかラノベだったと思う。
それは、相手を騙し、油断を誘う手段の事。
武器を持たない少女、しかも十歳にも満たないような幼い容姿となれば、その効果は抜群かもしれない。
「ファ――」
ファムに向かって注意するよう叫ぼうとした時、自分に向かってくる影に気付いた。
そうだ。
外にいるキツネ耳少年の後ろから飛び出してきた影は三つだった。
その一つが自分に!
そう思った瞬間、顔の前で腕を十字にして身構えた。
身近に迫ってくるのは黒いマントをなびかせる小柄な体躯。
そのスピードは速く、とてもじゃないが魔法やスリングショットで応戦するような余裕は無い。
ってか、うかつにもスリングショットは荷物と一緒にラヴィのそばに置きっぱなしだ。
先日ファムに魔法の発動をもっと早く、と言われたことを思い出す。
まさにこういうときのための提言だったとは思うが、いくら早くなっても流石にこれに対応できるとは思えない。
だとしたら、できるだけ防御を固めて第一撃を何とか凌ぎ、そして距離をとって反撃を……
と、自分なりに戦い方を考えた、その時――
――シュッ
後ろからオレの両脇を何かが掠めていったのを感じた。
同時に、オレに向かってきた黒マントが飛び上がる。
――今のは、ユオンの指弾か!
そう思いながらも上に逃れた黒マントを追って視線を上げる。
フードが外れ、黒い髪と同じく黒い毛に覆われた獣耳。幼いながらも精悍そうな顔付き。相手は犬人族の少年だということが分かる。
天井の岩盤に左手と足をつけ、右手に黒いナイフを構えている姿が目に入る。
――ナイフ!
思い違いをしていたことに背筋がヒヤリとした。
ファムに向かった少女は武器を何も持っていなかった。
だからこいつも武器はなくタックルのようなものだと思い込んでいて、腕を十字にしたブロックで何とかしようと考えていた。
だが違った。
こいつは間違いなくナイフを、人を殺す武器をオレに向けてきているんだ。
最初にナイフを投げつけられていたというのに、何を甘い事を考えていたのかと自分の迂闊さに舌打ちしたくなる。
同時に、ユオンの援護に感謝する。
彼女の援護がなかったら危なかった。
十字ブロックじゃダメだ。
こいつの攻撃は、なんとか避けなければ。
大怪我を負うこともマズいが、何よりも人質にされることがもっとマズい。
下手したら、それで詰みになりかねない。
そう思った時――
「はぁっ!」
「きゃっ」
ファムの気合の入った声と、同時になんともこの場にそぐわないような可愛らしい悲鳴が聞こえた。ファムが抱きついてきた少女を振り払い、少女の襟首を掴みながら体を一回転させる。さらには、天井からオレに向かって今まさにナイフを振り下ろそうとしている黒マントの獣耳少年目掛け、遠心力を使って少女を投げ飛ばした。
「きゃあああああ」
「なっ!?」
「ミミィー!」
投げ飛ばされた少女の悲鳴に続き、上からと、後ろからと、同時に声が上がる。
おそらくファムに投げ飛ばされたネコ耳少女はミミィというんだろう。
黒マントのイヌ耳少年が慌ててナイフをマントの中に隠し、ネコ耳少女ミミィを抱きとめる。二人がもつれ合いながら落ちてきたが、それでも無事着地してみせたのは獣人の運動神経のなせる技か。
「くっ!」
最初に洞穴に飛び込んでオレの後ろでユオンと対峙していた人物が、悔しげな声を漏らしながら二人の獣耳少年少女のそばに駆け寄ってきた。まだバランスを崩してしまっている二人を援護するためだろう。
そのフードが外れ、こいつもまた、獣耳を持つ少年だと分かる。
見た感じでは十二、三歳くらいだろうか。
外にいるキツネ耳少年と同い年くらいだと思う。
それを見ながらオレは一歩後ろに下がる。
同時に、ファムとユオンがオレの前に立った。
「トーヤ様はそのままお下がりください」
ユオンの声が洞穴の中で静かに響く。
その両手には、おそらく指弾の弾がいくつか握られているのだろう。
視線は鋭く、目の前の三人と、外にいる一人を見据えている。
「トーヤは下がって、ラヴィのそばに」
ファムにも同じようなことを言われた。
確かにここでは、オレはあまり役に立ちそうもない。
スリングショットは今持っていないし、たとえ持っててもこの狭い洞穴の中では射線も取りにくい。
ましてや《放電・極》や《火焔》による攻撃なんて論外だろう。場所の狭さもあるが、こんな幼い子供たちに向かって使うような代物じゃない。命を狙われておいて甘いかもしれないが、オレの心情的にとても無理だ。
一緒に戦うつもりでいながら少し情けないが、少年少女とはいえ武器も持っている獣人相手に素手のオレでは足手まといになるだけだということは分かってる。
オレは素直に頷き、ゆっくりと後ろへ下がった。
後ろにいるラヴィにちらっと視線を向けてみる。
どうやら彼女はまだ眠っているらしい。
普段なら気配に最も敏感なラヴィだが、やはり体調不良は重いらしい。
むしろ頬の赤みが先程より増しているような気もする。
呼吸も、荒くなっているかもしれない。
……そうだ。
ラヴィがここにいるんだ。
ダウンしている彼女を、守らなくちゃいけないんだ。
改めて乱入してきた獣耳の少年たちに視線を向ける。
……前言撤回だ。
こんなに弱って苦しんでいるラヴィを守らなくてどうする!
もちろんファムとユオンを抜けて来るとは思ってない。
二人の強さは信用している。
だが、もしもの場合は、オレがラヴィを守るんだ。
そのためならば、やってやる!
甘いことなんて言ってられない!
相手が誰であろうと、《放電・極》だって、《火焔》だって。躊躇ってなんて、いられないっ!
オレの視線と、握る拳に力がこもる。
「動かないで」
ファムの押し殺したような声が洞穴に響く。
ゾクリとするほどの威圧を込められた声だ。普段のファムを知っているオレでさえそうなのだから、少年たちにはなおさらだろう。実際、一番年少そうなネコ耳少女は半分涙目で少し震えてしまっているみたいだ。
ユオンの指が僅かに動くのが見えた。
「うぐっ」
外にいたキツネ耳少年が太ももを抑える。
「……動かないように、と既に忠告されたハズです」
ユオンの冷ややかな声が聞こえてくる。
オレには見えなかったが、恐らくは立ち上がって駆け寄ろうとしたところで、ユオンの指弾が太ももに直撃したんだろう。
「……なんで?」
ミミィと呼ばれていたネコ耳少女の震えるような声。
その目には涙を浮かべてオレたちを見上げてくる。
「なんでこんな酷いことするの?」
――は?
少女の言葉に一瞬詰まってしまう。
そういうことを口にしてくるとは思ってもみなかった。
酷いこと?
それはむしろオレたちのセリフじゃないのか?
病人を抱えて雨宿りしてたオレたちを突然襲ってきたのはそちらのハズなのに、なんでオレたちの方が責められているんだ?
意味が分からない。
……それとも、何か誤解でもあるんだろうか?
オレたちは知らずのうちに、この少年たちに何か迷惑をかけていたんだろうか?
問おうと思ったのだが、ファムに先を越されてしまった。
「酷いこと? 襲ってきたのはそっちでしょうに」
「私達は、お姉さんたちを助けようと……」
「ナイフを投げつけてきておいて? 防がなかったら、確実に喉に突き刺さってたわよ」
そのセリフにゾッとして、思わず首筋を押さえた。
もうホント、ファム様々だ。
「ち、違う……」
「何が違うの!」
少女の言葉にピシャリと言い返すファム。
少女はビクッとして、黒マントのイヌ耳少年の後ろに半分隠れてしまった。
その獣耳もへにゃっと力なく垂れてしまっている。
少女に代わって声を出したのは、いまだ外で濡れそぼるキツネ耳少年だった。
「ぼ、僕たちは、お姉さんたちを助けようとしたんです」
「だからっ!」
言っていることは少女と変わらない。
何度も同じようなことを聞かされて、つい声を荒げてしまうファムに対し、キツネ耳の少年もまた、大きな声を張り上げた。
「だから! 僕たちの狙いはそっちの男です! そっちの、人族の男を取り押さえて、お姉さんたちを奴隷から解放させようとしたんです!」
ん?
奴隷から……解放?
そして、狙いは……オレ?