136. 想いの向き先[後篇]
腕組みして、仁王立ちして、ほのかに微笑み、されど目は決して笑っていないネコ耳娘ファムの前で、何故か正座をしているオレがいる。
ホント、何故だろうね?
……いや、考えるまでもないか。
ファムの瞳から放たれる無言の圧力が全てを物語っているのだから。
一度唾を飲み込み、オレは口を開かせる。
「えっと、ですね。以前ラヴィと二人で話をしたことがありまして……」
「それっていつのこと?」
抑揚のない声で問うてくるファムを見上げながら、オレはさらに口を開く。
「確か……ベルダートに入って二日目のこと……です。食後の後片付けに、二人で近くの小川へ鍋や食器を洗いに行ってた時……です」
眼の前にいるのはネコ耳娘のハズなのに、まるでトラに睨まれている気分だ。
実際ファムの気迫に押されて、なんとなく丁寧な言葉を使ってしまっているし。
「ああ。やっぱりあの時か。……それで?」
「えっと、ラヴィが告白してくれたことについて、オレからの返事は少し待ってくれないかという話をしまして……」
「それはもう聞いた。ラヴィもそれに了承したんでしょ。なら後は二人の問題だし、ワタシからは何も言うことは無いわ。ワタシが聞きたいのは、なんでそこで『ワタシのことがあるから』って話になったのか、よ」
「えっと、それは……ですね……」
「ああ、もう焦れったい! 早く言いなさい!」
さらにファムの目が釣り上がっていく……気がする。
ああ、ダメだ。
これは誤魔化せそうもない。
もう正直に言うしか無い。
ゴメン、ラヴィ。
後で一緒に謝ろう。
オレは覚悟を決め、下を向いて目をきつく閉じながら再び口を開いた。
「……ファムも、好きな人と離れてしまっているんだから、と」
言ってしまった!
とうとう言ってしまった!
あれほどラヴィに、絶対内緒にしてくださいよ、と言われていたのに!
きっとファムから怒りの雷が………………あれ? 落ちてこない?
そっと薄目を開けてファムを見上げてみる。
ファムが大きく目を開いて固まっている……ように見えた。
しだいに口元がひくひくと動き、左目辺りもぴくぴくしだした。
「まさか……ラヴィが、話したの? その……相手の名前、とかも?」
「あっ! いや違う! 勘違いするな!」
オレは慌てて言葉を続けた。
ここはラヴィのためにもちゃんと言わないといけない。
誤解が生じないように。
二人の間に変な軋轢なんかが生じないように。
「ラヴィは、相手の名前は言わなかった。それは絶対に言えませんって」
その時のラヴィの様子を、オレは少し思い出していた。
◇
綺麗な水がさらさらと流れる小川の辺り。
普段近くに川や泉が無い場所なら、オレが水を出しながら食器などを洗うこともあるが、近くにこんな綺麗な川があるなら話は別だ。
食事の後、オレはラヴィに声をかけ、二人でここまで洗い物に来ていた。
アンフィビオでの、あの夜。ラヴィに告白されたことについて、二人でちゃんと話がしたかったからだ。
あれから数日経つが、ラヴィからは特に何も言って来てなかった。
だからと言って何もしないわけにはいかないよな。
それじゃあラヴィの気持ちを丸っきり無視した形になってしまう。
状況はどうあれ、女の子が懸命に言葉を紡いでくれたんだ。
それを黙って無視するなんて、男として絶対にしちゃいけないことだと思う。
率直に言ってラヴィの気持ちはとても嬉しい。
こんな美人で明るくて、しかもステキなウサ耳を持つ女性からの好意だ。
嬉しくないわけがない。
何よりも、正直言えばオレだってラヴィのこと……
けど、オレは今、それに浮かれていられる状況じゃない。
今はリオのことで頭が一杯だ。
そのためにも、皆で無事にダーナグランの森に辿り着くことを、何よりも優先しなくちゃいけないと思っている。
こういう時、要領の良いヤツならうまく立ち回れるのかもしれない。
でもオレには無理だ。
今のこの状況では、とてもじゃないが他のことを心から楽しむなんて、きっと無理な話だ。
だからオレは、ラヴィに正直に話した。
気持ちは嬉しいけど、でも少し待ってくれないか、と。
リオをちゃんと救い出すまで、それまで待ってくれないか、と。
ラヴィにまた悲しい顔をさせてしまうことも覚悟していたのだが、彼女は「はい、分かりました」とあっさり承諾してくれた。
「ゴメンな」
食器洗いなどを済ませた帰り道、オレは何度目か分からない「ゴメン」を口にしていた。
承諾してくれたとはいえ、やはり申し訳ないという気持ちに変わりはない。
つい謝罪の言葉が出てしまう。
そんなオレの心情を察してか、ラヴィもそのたびに笑顔を返してくれた。
まるで笑い飛ばしてしまうかのように。
「あははは。ヤですねぇ。そんなに何度も謝らないでくださいよ。それじゃまるでアタシ、フラれたみたいじゃないですか」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「あははは。分かってます。冗談ですよ」
悪戯っぽく舌を出したラヴィは、「それに」と言葉を続けた。
「実はアタシもですね。むしろその方が良いと思ってるんですよ。リオちゃんのこともそうですが、ファムのこともあるし……」
「……ファム?」
「ほらっ! ファムも今、好きな人と離れ離れになってるわけじゃないですか。なのにアタシ一人浮かれるわけにもいかないと言いますか……」
「……へぇ。そっか」
思わず相槌を打ったが、聞いちゃって良かったんだろうか、その話……
「え……? あれ?」
ラヴィがキョトンとした顔でオレの方に視線を向けてきた。
自然と互いの歩みが止まり、しばし交差するオレとラヴィの視線。
やがてラヴィは口を大きく開けパクパクしだした。
何か言おうとして、言葉にならないみたいだ。
「ラヴィ……?」
「い、今の無しです! 忘れてください!」
「えっと、でも……」
「お、お願いします! アタシ、ファムに殺されちゃいます!」
――それ程なのか!?
やっぱり聞いちゃマズい話だったみたいだ。
オレの袖を掴んで、半分涙目で見上げながら必死に懇願してくるウサ耳娘。
見れば手も肩もプルプルと震えている。
たぶん、内緒にしておくべき話を無意識で口にしちゃったんだろうな。
その愛らしい姿にオレはにっこり微笑んだ。
「そうか。分かった。聞かなかったことにするよ」
その言葉を聞いてホッと胸を撫で下ろすラヴィに、オレは微笑みを絶やさずに言葉を続けてみた。
「で、ちなみに誰? ファムの好きな人って?」
とたん、ラヴィの頬が引きつっていた。
やがて目だけが動き、オレをジトッと見上げてくる。
「……聞かなかったことにしてくれるのでは? 今さっき、確かにそう言ってくれましたよね?」
「うん。するからさ。だからその前に、参考までに聞いておこうかと」
「ダ、ダメです! 絶対に言えません!」
首をブンブン振り、それに釣られてウサ耳も大きく揺れている。
その様子に目を奪われながらも、オレは言葉を続けた。
「えー。ダメなのか?」
「当たり前じゃないですか! ダメですっ!」
「そこまで言っといて?」
「うっ! ダメ! ぜっっったいダメです!」
やっぱり無理かな、と思いつつ、もう少しだけ食い下がってみた。
「ファムには内緒にしとくよ?」
「なんと言おうとダメなモノはダメなんです! 絶対に教えません! 女の友情は古竜の爪より遥かに硬いんです! たとえトーヤさんでも、トーヤさんが『教えてくれたら抱きしめてやるぜ』って言ってくれたとしても、アタシは絶対に言いませんからっ!」
……いや、そんなことは言わないからね?
ってかなんだよ。
抱きしめてやるぜ?
オレ、そんな言い方したことないよな?
そんな、昭和時代のアイドルソングに出てくるようなイケメンリア充のセリフみたいなことをさ!
思わず半眼となったオレの視線の先で、さっき洗った鍋を両手で握りしめながらラヴィの力説は更に続いていた。
「たとえ……たとえ、キスを条件に出されたって、ファムを売るようなことは決してしませんっ!」
いやいや、しないから!
そんな条件で口を割らそうなんて、絶対しないから!
そもそも、別に売るとかって話じゃあ……
「そうです! たとえ甘い甘い一夜を一緒に過ごした後でだって、アタシは絶対……ぜったい……たぶん……言わ……ない……ハズ……?」
おい! 今、たぶんって言ったか? 言ったよな!?
しかも最後は疑問形になってないか?
いやいやいや! そこは「言わない!」って言い切れよっ!
でないと女の友情が豆腐なみの脆さになっちまうぞ!
ってか、朝っぱらからいったい何を妄想しちゃってるんだこの残念ウサギは!
◇
思い返してみると、なんか朝からどっと疲れが押し寄せてきてしまった、そんな日だった気がする。
けど、ラヴィはホントに最後まで、ファムの好きな人の名前は言わなかった。
ファムもホントはちゃんと信じているんだろう。
でも、それでも確認の言葉は口にしてしまうみたいだ。
「……ホントに?」
「ああ、ホントだよ」
オレが大きく頷くと、ファムはようやくホッとした顔を見せた。
ちゃんと信じてくれたみたいだ。
よかった。
ホントにラヴィは言わなかったんだから、
変な誤解で二人に喧嘩なんてして欲しくないしな。
ここでオレは少し油断をしてしまったみたいだ。
念話のぶっ壊れ性能を一瞬失念してしまった。
頭の中で考えてしまった。
だけど……
と。
そしてファムは、その言葉にピクリと反応した。……してしまった。
「だけど? ……何?」
――やばっ!?
慌てて口を押さえるがもう遅い。
っていうか、口を押さえることに全く意味が無い。
「あ、いや、なんでも……」
「……なんでも無いなら、言いなさい!」
オレのしどろもどろな受け答えに、再び釣り上がるネコ耳娘の目。
それを見て、オレはもう観念した。
ここまで来たら、〝毒を食らわば皿まで〟ってヤツだ。
……ちょっと使い方、違うかもしれないけど。
「あー、その、なんと言うか。オレも、実は何となく気付いてたから……」
「……何を?」
「……………………………………ファムの、好きな人」
ファムが再び固まってしまった。
よし! もう言っちゃえ!
「ファムの好きな人ってさ。……クロだろう?」
ファムの顔がみるみるうちに真っ赤に染まりだした。
これ以上無いってくらい、首筋まで見事に真っ赤だ。
いつもはだらりと下がっているファムの尻尾も、今はピンッと立っている。
こんなに尻尾が立つ姿は初めて見るかもしれない。
「……な、な、な、なんで!? もしやホントはラヴィが……?」
「いや、違うって。ラヴィは言わなかった。それはホント。オレが、何となく気付いていたんだよ」
「……気付いてた? ウソ!?」
「嘘じゃないって。なんとなくそうじゃないかと思ってたんだ」
ラヴィは最後まで口にしなかったから確信までは得られてなかった。
でも、ファムのこの反応。
どうやら間違いなさそうだな。
初めてクロに出会った時、ファムは恐怖で足を竦めていた。
決してクロがファムに何かしたわけじゃない。
ただクロが、狼人族だから。
その理由も聞かされた。
千年前の戦争で、この世界の人々を恐怖のどん底に叩き込んだ狼人族。
千年経っても、寿命の長い獣人にとっては今でも恐怖の対象なんだ、と。
だがファムはそれを乗り越えようと、克服しようと努力していた。
自ら進んでクロに戦闘訓練を願い、クロもまた、そんなファムに応えてくれていた。
ファムはクロのことを「穏やかで誠実な人」とも言っていた。
それがいつしか好意へと変わっていったんだと思う。
「……何にやにやしてるのよ」
「してないよ」
「してるじゃない!」
「してないって」
ファムが一瞬恨めしそうな目を向け、視線を逸らすと同時に背を向ける。
「もう休憩は終わり! さっさと続き、走るわよ!」
まったく。
ファムってば、照れちゃって。
なんか可愛いじゃん。
むふふふ……
「……最低あと五周は走りましょうか。もう休憩は一切無しでね。もちろんワタシも付き合うわよ? 怠けないように後ろから応援してあげる。……これを使ってね」
ファムの手がトレンチナイフにかけられるのを見て、オレは再び血の気が引いた気がした。