130. 教えてもらったこと
「どうでしたトーヤさん。連絡取れました?」
「……分からん」
縛り上げているベニートとウルヴァーをどうするか少し悩んだ。
オレたちはすぐにこの都市を出立する予定なんだし、最初はこのまま放置してしまうことも考えた。だがそれは子ども達と同じく、見逃してやることになってしまう。
この二人は直接戦った相手だし、オレも死にかけたわけだし、何より立派な成人なんだ。責任の重さはやはり子ども達とは違うだろう。
そこで、都市警備兵なり、然るべき相手に引き渡そうということになった。……のだが、こいつらを引っ張って都市中心部まで戻るのもなかなか大変そうなので、ジークに連絡を取ってみることにしたわけだ。
子ども達のことを相談するのは躊躇われたが、犯罪者を捕まえて、それを引き渡す相手を寄越してもらうよう頼むくらいなら、まあ、あまり迷惑にはならないだろう。……たぶんな。
問題は、ジークが念話の指輪や腕輪をしてなかったことだ。
念話の指輪や腕輪を持っていない相手にも、こちらから念話で話しかけることはできるそうなので、事情をかいつまんで話し、場所も伝えてみた。
だけどそれはこちらから一方的に念話で話しかけただけだ。
ジークからは何も応答は返ってこない。
ジークにホントに通じていたのか、実のところよく分からない。
そういう手応えみたいなものが全然無かったんだ。
「ま、通じていたと信じて少し待ってみるさ。もし待っても誰も来なかったら……その時はまた考えよう」
「分かりました。ファムにもそう言っておきますね」
ファムの元へ少し小走りに駆け寄っていくラヴィ。
ウサ耳を揺らしながら走るその後姿を見送っていると、
「トーヤ」
後ろからユオンに声をかけられた。
ん? トーヤ?
ユオンはいつも、オレのことは〝様〟を付けて呼ぶ。
もちろん「様付けで呼んでくれ」なんて頼んだわけじゃない。
最初に出会ったときからだ。
完璧メイドの仮面をかぶっているときは、少なくとも彼女にとってはそれが当たり前なんだろう。
今までの経験からして、〝様〟を取って呼ばれるのはメイドの仮面を外して素顔になったときだけだ。
……仮面を外しているのか? でも何故?
疑問を抱きながら振り向いた時、ユオンはすぐ目の前にいた。
予想通りと言うべきか、いつものメイドの澄まし顔じゃない。
仮面を外した素顔でオレを見上げてくる。
「ユオン? どうし……」
「もう、大丈夫?」
両手でオレの頬に触れ、心配そうな口調と表情でユオンがオレを見上げてくる。
突然のことだったので少し戸惑っていると、ユオンが言葉を続けてきた。
「ごめん、トーヤ。トーヤを守る立場なのに、貴方をあんなに危ない目に遭わせしまって。本当にごめんなさい」
……さっきの戦闘のことか。
ユオンはアダンやアルテミスから、オレの護衛という命を受けている。
なのにオレが危険な目に遭ってしまったから、そのことに責任を感じて、こうして「ごめん」と口にしているんだ。
それは分かる。
だけど……
「見ての通りもう大丈夫だよ。それにユオンが謝る必要なんかない。そもそも、今回の一件はオレの不注意から始まったことなんだから」
ユオンの手の温もりがオレの頬に伝わってくる。
それを感じながら、オレはできるだけ穏やかに語りかけた。
本当に大丈夫だから、気にするなと。
それでもユオンは、ゆっくりと首を横に振った。
「例えきっかけはそうだったとしても、よ。それでも私はトーヤを守らなきゃいけないの。いけなかったの。なのに……。ごめんなさい」
オレを見上げながら再び謝罪の言葉を繰り返すユオン。
なんか、ユオンと二人で走っていたときと立場が逆になってしまった気がする。
だったらちゃんと、今度はオレが彼女に言ってあげないといけないよな。
あのときユオン本人に教えてもらったことをさ。
そして、オレは口を開いた。
「こうして無事だったんだから、何も問題無いって。それにオレは、ユオンに謝って欲しいとか、これっぽっちも思ってないよ。オレはさ、ユオン。そんなことより、ユオンとファムとラヴィの三人に、一緒に喜んで欲しいと思ってるんだ」
「喜ぶ……?」
オレの言葉はユオンにとって意外だったみたいだ。
心配そうにしていたユオンの顔が、少し驚いたような顔に変わった。
死にかけたのにそれを喜ぶと言われれば、そりゃあ驚くよな。
オレは頷きながら言葉を続けた。
「ここに来る途中で、ユオンがオレに言ってくれただろう? 『片付いたら、礼を言って一杯奢れば済んじゃう。その程度の事』って。アレときっと同じことだと思うんだ」
そう。
あの時ユオンはオレにそう言ってくれた。
「あの話ってつまりさ。謝って欲しいんじゃなく、ありがとうと一回言ってくれれば、それでいいんだよって。そういう話だったんじゃないか? それと同じなんだよ、ユオン。オレもユオンに謝って欲しいとは思ってないんだ。オレは喜んで欲しいんだよ」
一拍置いて、オレは更に言葉を続ける。
今なおオレの言っている意味が今一理解しきれていないという顔のイヌ耳の少女に向かって。
「オレもみんなと一緒に戦えたこと。あの男を倒せたこと。偶然かもしれないけど強力な魔法を撃てたこと。なんとなく魔法のコツが実感できたこと。オレはそれが嬉しいんだ。凄く凄く嬉しいんだよ。だから『ごめん』なんてセリフじゃなくって、『やった!』って一緒に笑って喜んで欲しいんだ」
紛れもなく、それが今のオレの本心だ。
できるなら、三人とハイタッチでもして喜びを分かち合いたいくらいだ。
ユオンが俯いてしまった。
その手もオレの頬から離れてしまった。
ユオンの顔が見えない。
今どんな表情をしている?
何を思っている?
オレの言ったことは、ちゃんと通じているだろうか?
ユオンの中に、ちゃんと届いているだろうか?
「……ダメかな? ユオン?」
「な……」
ん?
ユオンの右手がゆっくりと上ってきて、そして――
「……なんか生意気。トーヤのくせに」
何故か鼻をギュッと摘まれてしまった。
――は? なんだよそれは! ってか、痛いって!
思わずユオンから顔を離し、自分の鼻を押さえてしまう。
「なんとなく、理屈が飛躍していて納得し難いような気もするんだけど……。でも言いたいことは分かった。それがトーヤの望みならそれに従うわ。私はトーヤの奴隷だもんね」
仕方の無いような口ぶりをしながらも、満面の笑みを見せるユオン。
えっと、やっぱ無理あった?
我ながらうまく言えたかな、とか思ってたんだけど……
ま、でも、納得してくれたなら、それでいいか。
うん。
ユオンが笑っているなら、それでいいよな。
ユオンの笑顔につられるようにオレの頬も緩む。その時――
「……楽しそうですね」
ラヴィの抑揚のない声が後ろから聞こえてきた。
思わず振り向いた先には、なんとなくジト目をしているラヴィと、何故かため息を付いているファムの姿があった。
「何を話していたんですか?」
「いや、何って……」
再びユオンのほうに視線を向ければ、いつのまにかユオンはオレから数歩離れ、居住まいを直し佇んでいる。
しかも完璧メイドの仮面をかぶったいつもの澄まし顔で。
――早っ! 切り替え、早っ!
そしてユオンは何故か目を伏せながら口を開いた。
「実はトーヤ様は、強力な魔法を撃ち、自ら敵を葬ったことを褒め称えて欲しいとのことです」
――おい! おいおいおいっ!
葬ったって何! 相手は死んでないから!
褒め称えて欲しいって何! そんなこと言ってないから!
「って、トーヤさんは言ってるけど?」
あまりのことに、頭は回っても口が回らない。
だが、オレのその思考はしっかりと三人に届いていたみたいだ。
意思が漏れちゃう念話のぶっ壊れ仕様、マジグッジョブ!
だがラヴィの疑問にユオンは実にあっさりと答えてくれた。
「トーヤ様はシャイなお方ですので」
「なるほど」
大きく頷くラヴィ。
あまりのことに、今度は頭も回らないが、それでも左目辺りがピクピクしちゃったのは自分でも分かった。
「……ぷっ。くくく」
ファムも笑うなよ!
◇
「褒め称えるわけじゃないけど、トーヤはよくやったと思うわよ。かなりヒヤヒヤさせられたけどね」
「ホントです。あの時はかなり焦りましたよ」
ファムもラヴィも、そしてユオンも、あの時はオレの所へ駆け寄ろうと、オレを助けようと、必死になってくれていた。三人がオレを呼ぶ声もちゃんと聞こえていた。
「あー、まぁ、そのぉ、なんと言うか、心配かけてすまなかったな。そして、ありがとな」
改めて礼を言うのって、やっぱなんか照れてしまう。
それを誤魔化すかのように一度「ゴホン」と咳払いして、オレは言葉を続けた。
「確かに危なかったけど、でもそのおかげであの魔法を撃つことができた。なんかさ、少し魔法のコツを掴めたような気がするんだ。〝怪我の功名〟ってヤツだな。もちろんリオの魔法に比べれば、オレなんかまだまだだけどな」
「リオちゃんは特別としても、トーヤさんのアレもとんでもなく凄かったです。しばらく耳がうわんうわんしてましたよ」
ラヴィが頭とウサ耳を一緒に左右に揺らして、あの時の様子を語ってくれる。
「それに目も。直接は見ないですみましたけど、潰れるかと思いました」
「まったくよ。ホントとんでもない魔法だったわ。いったい何なのあの魔法は。《放電》って言ってたけど、以前見たのとは全然違うわよね?」
「そうそう。あれって、ほとんど雷でしたよ?」
……まあ、原理的には同じようなものだしな。
「《放電》だよ。一応な。ただ、最大出力でぶち込んでやれって思っただけで」
「なるほど。最大出力だとああなるのね。……つまり、以前ワタシ達に使ったときは手加減してくれていたわけね」
ファムってば、何故そこでジト目になるんだ?
ってか、そんな昔のことを持ち出すなって。
「ワタシは背を向けていたから直接見ないで済んだけど。あの光、直視していたらワタシの方が目を潰されて、コイツにやられてたわよ」
そう言いながら今だに気絶している虎人族の男を軽く小突くファム。
聞けばこの男はあの光を直視してしまったらしく、そのため目を潰され、最後はあっさりファムに倒されたんだとか。
それはホントに偶然で、運が悪ければこの男とファムの勝敗は逆転していたかもしれないってことだ。
「お願いだから、今度やるときは直前に何かしらの合図を頂戴。じゃないと危険だわ。冗談抜きで。ホントに」
「あ、ああ。分かった。善処する」
うう……
ファムにちょっと睨まれてしまった。
「ところでトーヤさん。怪我の……何でしたっけ? そのなんとかって、いったい何ですか?」
「ん? ああ、〝怪我の功名〟な。こっちの世界では言わないのかな? 怪我をするとか、うっかり失敗するとか、そういう過ちや間違いが、偶然に良い結果に結びつくことだよ。似たようなのに〝災い転じて福となす〟っていうのもあるな」
「へぇー」
ラヴィが頷く。
まあ、ことわざなんて文化が異なれば違って当然だからな。
それでも同じような意味のことわざはこっちの世界にだってたぶんあるだろう。
そう思って聞いてみた。
「こっちの世界では? 似たような意味の言葉は無いのか?」
「そうね。〝火竜の後には実り多し〟っていうのがあるわね」
……火竜? って、火のドラゴン?
「それって、どういう意味だ?」
「言葉通りよ。火竜が暴れ回って、全て燃やし尽くした後には、その土地は草木がよく育って実りが多いって」
うわぁ……
さすが異世界。
なんか規模が違いすぎる。
「っていうか、竜って実在するのか? 伝説とか想像上でなく、現実に?」
「いるわよ」
「いますね」
あっさりと頷くファムとラヴィ。
見れば、ユオンも頷いている。
三人とも、そんなの当たり前って顔だ。
……マジですか。
「あれ? 以前にもどこかで竜はいるって話をしたことがあったような……」
「あれじゃない? トーヤが異世界から来たって初めて聞いたとき、ダーナの神話の話になって、その中で古竜が出てきたハズよ」
そういえば、そんな話があったか。
すっかり忘れてたけど。
「ま、竜なんてそうそう現れないですけどね」
「でも、二十年くらい前に黒竜が現れたという話がございます」
「あ、知ってる! 西の方のなんとかっていう都市が一晩で壊滅したって。幸いというか不思議というか、死人は出なかったらしいんですけど、かなりの大騒ぎになったとか。アタシが生まれる前の事なんで、聞いた話ですけど」
やはりここはファンタジーな異世界なんだと改めて実感したよ。
でも、二十年くらい前?
それって、ちょうど母さんがこの世界で冒険してた頃じゃないか?
なんだろう。
気のせいかな?
もの凄く嫌な想像が頭を過っちゃうんですけど。
母さんなら、好奇心で竜の巣穴にちょっかい出した挙げ句、わざわざ逆鱗をつついて竜を激怒させる……とか?
あはははは……
ありえそうで怖い。
いやいや、まさかまさか。
いくらなんでも、それは無いよな?
……関係、無いよね?