127. 狐人族の女
オレとユオンが駆け付けた先は、朽ちかけた木造平屋に周囲を囲まれた少し広めの空き地になっていた。
――いた!
ファムとラヴィだ。
ようやく追いついたんだ!
『トーヤ様。お待ちください』
急いで建物の陰から出て行こうとして、何故か後ろからユオンに肩を抑えられてしまった。しかも、右手でしっかり口まで塞がれて。
何故? という疑問が頭に浮かぶが、その答えはすぐに教えられた。
『現在二人は何者かと戦っているようです。しかも相手はスリの子供ではありません。どうやら、獣人のようです』
念話で指摘されてようやく気付いた。
ファムとラヴィ、二人の目の前にいるのはスリの子供じゃないってことに。
それどころか二人は武器を構えていることに。
そうか。迂闊だった。
さっきの《爆砕》による爆発音は、子供相手の警告なんじゃないかと思い込んでいた。
違ったんだ。
戦闘の中で使われたものだったんだ。
しかも相手は……獣人?
いったいこれはどういう状況なんだ?
もしかして、またこの辺をうろついていた奴らに絡まれてしまったのか?
スリの子供たちはどうしたんだ?
オレの剣はどうなったんだ?
目の前の現状がうまく呑み込めず、オレの頭の中を疑問が駆け巡る。
『トーヤさん?』
『トーヤ? いるの?』
オレの思考が漏れ聞こえたのだろう。
それが聞こえるのはおよそ視界の範囲。
すなわちオレと二人の距離が近いということだ。
それによってラヴィとファムもオレの存在に気付いたらしい。
二人ともオレ達を探そうとしたのか一瞬だけ顔を横に向けたみたいだが、すぐに目の前の相手に視線を戻していた。
オレの口を塞いでいたユオンの手が離れる。
視線を向けると、ユオンは人差し指を自分の口元に当てていた。
まだ静かに、ということだろう。
オレは黙って頷いた。
『ファム、ラヴィ。追いつきました。こちらからは二人の姿も見えています。この状況を教えてください』
ユオンの念話が頭に響く。
それに真っ先に応じたのはラヴィだった。
『あの子供たちをここまで追ってきたら、こいつらと戦闘になったんです!』
………………えっと、以上? 説明終わり?
『……ファム、お願いします』
ユオンの声が静かに頭に響いた。
『ラヴィの言った通りよ。ここまで追ってきたら、こいつらがいきなり襲い掛かってきたの。たぶんこいつらは、あの子供たちの仲間だと思う。子供たちはアタシから見て左奥にいるわ』
『トーヤ様の剣は?』
『取り返せてない。まだ子供たちが持ってる』
ファムの教えてくれた方を見ると、そこには確かに人影があった。
ここからではちょうど木が邪魔になっていて、いることに気付かなかった。
ただし、そこにいたのは子供たちだけじゃない。
さらにもう二人いる。
一人は薄汚れた灰色のローブを纏っている男。
獣耳は無い。
恐らく人族だ。
年齢は三十歳くらいだろうか。
その横には若い女がいる。
女の頭には少し大きめで正面を向いた獣耳。
体の後ろには髪と同じく濃いこげ茶色のふさふさした尻尾が見える。
あれはたぶん、狐人族だろう。
そしてキツネ耳女の陰に隠れるようにしているのが二人の子供たち。
背格好からして、市の人込みの中でオレにぶつかり、悪態をつきながら剣を奪っていった子供たちに間違いなさそうだ。その手にオレの剣が握られていることが何よりの証だろう。
まずは剣の無事な姿を見付けて少しホッとした。
だがまだ完全に安心するのは早い。
それはちゃんと剣を取り戻してからだ。
オレは視線をファム達に戻した。
ファムは両手にトレンチナイフをはめ、両手で大きな剣を持つ虎人族らしき男と対峙している。
そしてラヴィもまた長槍ヴァルグニールを構えて獣人の男と対峙している。
だがあれは、何の獣人だ?
ここからでは尻尾は見えないが、あの顔、そして耳の形は……
『熊人族、です』
オレの後ろに立っているユオンが念話で教えてくれた。
熊……人族。
言われてみれば確かに熊に見える。
だが、彼は今まで見てきたどの獣人とも明らかに違う。
今までオレが出会った獣人は、耳と尻尾以外、見た目は人族とほとんど変わらなかった。
だけど、こいつは違う。
半袖シャツの袖口から出ている腕にも、そして首から上も、ほとんどの肌は体毛で覆われているようだ。それは獣と比べれば短いのかもしれないが、人としては毛深いなどと呼べるレベルを遥かに超えているように思える。
これが熊人族……なのか。
『熊人族は少数種族です。大都市であってもほとんど見ることのない、かなり珍しい存在です。そして、獣人の中でも獣の特性を最も色濃く残している、と言われています。見た目もそうなのですが、特にパワーが……』
ユオンの念話の途中でドォーンと激しい音が鳴り響いた。
熊人族の男が抱えていた武器……いや、武器と言うか、木材と言うか、枝を切り落とした丸太のような太い木を地面に打ち付けた音だった。
ラヴィは危なげなく後ろに跳んでその攻撃を避けている。
地に降り立つと同時に、再び熊人族の男に向けて長槍ヴァルグニールを構えた。
だが、さすがに太い丸太相手にはやり辛そうだ。
槍ではどうしても力負けしそうに見える。
丸太の先をよく見れば弾けたようにささくれている。
恐らく、あの丸太を何とかしようとラヴィは《爆砕》を使ったんだろう。
その間にもファムと虎人族の男が目まぐるしく動き回っている。
オレの眼ではとても全て追いきれない。
ファムのトレンチナイフが何度も空を切り、また虎人族の男の剣もファムを捕えることは無い。
その剣戟の様に、思わず息を呑む。
……すごい。
あれは相手の攻撃が見えてから避けているんだろうか。
それとも空気を裂く気配とか、相手の手の動きとか、もしかしたら相手の眼の動きとかも含めて、そういうので事前に察して本能で避けているんだろうか。
オレではたとえ何年修行したって、スピード強化の魔法無くしてはとても真似できそうもないレベルだ。
「あら?」
突然聞こえてきた女の声に、オレは思わず反応して視線を向けた。
オレの視線の先にいたのはキツネ耳の女。
彼女とオレの視線が交錯する。
……何が原因か分からないが、どうやらオレ達が隠れていたことはバレてしまったらしい。
キツネ耳女の目が細まり口角が持ち上がる。
その様子はひどく冷淡に見え、それでいてどことなく楽し気にも見えた。
「どうやらお客さんが増えてしまったようね」
キツネ耳女の言葉に反応して、ローブの男もこちらに視線を向けてきた。
「ん? なんだ? 人族のガキとその使用人みたいだな。物好きにもこんなところまで迷い込んで来たのか、それともこいつらの仲間か」
「どちらにしても、このまま帰すわけにはいかないわよね?」
「当然だ。見られたからには消す。やれ!」
ローブの男が物騒なことを口にしつつ、オレ達の方に向かって顎をしゃくった。
「うふふふ。人使いが荒いのね。割増料金を頂こうかしら?」
キツネ耳女のそんな声が聞こえた。次の瞬間――
――え?
女の姿が消えた。
と思った時、ガシィーンという金属同士がぶつかる甲高い音が鳴り響いた。
――え? え?
気付けばオレの数メートルほど前方で、ユオンが左腕でキツネ耳女の剣を受けている姿があった。
……何が、起こったんだ?
一瞬理解が追いつかなかった。
十メートル以上は離れていたキツネ耳女の姿が消えたと思ったら、オレの後ろにいたハズのユオンと、いつの間にかオレの目の前で対峙している……?
これは、まさか……
このキツネ耳女はクロやシロと同じ《跳躍》を使えるのか?
……いや、違う。
もしホントに《跳躍》を使えるとしたら、あんなところでユオンと対峙するハズはない。もっとオレの近くへ現れて攻撃をしてくるハズだ。
たぶんキツネ耳女は、そしてユオンも、オレの眼が追いつけない程の速さで動き、あそこでぶつかり合ったんだ。
ファムと虎人族の男の戦いも凄いと思ったが、ユオンとキツネ耳女も凄い。
改めてその凄さを、自分との差を実感する。
やはり支援魔法、特にスピード強化の魔法がなければ、何をどうしたってとてもオレに対応できるとは思えない、と。
「……へえ。今の、よく防いだわね。使用人のような服装をしているので、騙されてしまったわ」
キツネ耳女がユオンに向けて感心したかように話しかける。
その口調はとても穏やかで、オレには微笑んでいるようにさえ見える。
それに対するユオンは、オレに背を向けているのでその表情は見えない。
その声だけがオレの耳に届いてくる。
「……コピス刀とは、随分珍しい武器をお使いのようですね」
コピス刀?
それがあの武器の名前か?
キツネ耳女の剣にオレの視線が向く。
どうやら両刃の剣じゃない。
片刃で、しかも湾曲した内側のほうに刃があるみたいだ。
あまり見ない形の剣だと思う。
長さは五十センチくらいだろうか。
剣と言うより長いナイフと言った方が近いかもしれない。
「あら、ご存じなのね。うふふふ。嬉しいわ。あまり知っている人がいないから、少し寂しかったのよ。こんな素敵な剣なのにね。私のお気に入りなのよ、コレ」
そこで一旦言葉を切ったキツネ耳女は、「でも」と更に言葉を続けた。
ただしその声は、少しトーンが下がったようにオレには聞こえた。
「それよりも、私としては貴女のその腕の方に興味があるのだけれど? 私のコピス刀をそんなふうに受けて無事だなんて、初めての事だもの。そうは見えないかもしれないけれど、これでも私、とてもとてもショックを受けているのよ? その袖の下には鎖籠手でも付けているのかしら?」
――あっ!?
キツネ耳女のセリフで気付かされた。
さっきユオンは相手の剣を直接左腕で受けていた。
いや、今でも受けている。現在進行形だ。
「ユオン……?」
今更かもしれないが、大丈夫なのか? と心配になって思わずオレの口からユオンの名前が漏れてしまう。
普通なら大怪我を負っているところだ。
二人のとんでもない素早さに驚いてしまい、そしてユオンがあまりにも平然としているように見えるので考えが及ばなかった。
ここから見る限りでは特に怪我をしている様子はない。
ユオンから直接聞いてはいなかったが、もしかしたらキツネ耳女の言う通り、袖の下に何か防具でも付けているのか?
ギギギ……といった金属を強く擦り合わせるような音が聞こえて来る。
互いの力が拮抗しているらしく、ユオンの腕とキツネ耳女の剣はほとんど動かないでいる。
「大丈夫です。何も問題ございません。危ないですので、トーヤ様はお下がりください」
本当に何も問題無いらしく、ユオンのその口調はいつも通りだ。
むしろ逆にオレの心配をさせてしまったみたいだ。
だが、オレがユオンの名前を口にした途端、キツネ耳女の表情が明かに変わっていた。
「……ユ……オン? まさか……」
キツネ耳女の顔が信じられないものを見たかのような驚きの色に染まる。
次第にユオンを見る眼が値踏みをするかのように細まる。
「……犬人族の女。紫檀の髪。黒紅の瞳」
一つ一つ確かめるかのような呟きが聞こえて来る。
キツネ耳女の大きな獣耳がピクピクと動き、ふさふさした尻尾が大きく揺れた。
「その顔。その声。……間違いない。ええ、間違いないわ」
何か納得したかのように大きく頷き、やがて口元に笑みを見せ始めるキツネ耳女。だがオレには、その笑みがとても薄ら寒いものに感じていた。
何だ?
何なんだ、このキツネ耳女の反応は?
一体何に気付いたというんだ?
「うふふ、ふふふ……。そう。そういうことなのね。ふふふ……。凄いわ。驚いたわ。まだ生きていたのね」
更にキツネ耳女の呟くような声が聞こえて来る。
生きていた?
どういう意味だ?
「ああ、私としたことが、何故すぐに気付かなかったのかしら。あまりにも雰囲気が変わってしまっていたせいかしら? 不覚よ。一生の不覚だわ。でも、とても嬉しいわ。ええ。凄く凄く嬉しいわ。つまらない仕事だとばかり思っていたのだけれど、こんなに素敵なことに出会えるだなんて。これだけでもここに来た価値があったと言うものよ。ああ、今日は何て良い日なのかしら。あらゆるモノ全てに感謝したいくらいよ」
「貴女……」
「うふふふ。私をお忘れ? ユオンお姉様?」
……間違いない。
こいつはユオンを知っている。
こいつはユオンの昔の知り合いなんだ。
しかも「お姉様」呼び。
ユオンは犬人族でこいつは狐人族だ。
だから血の繋がった姉妹というわけではない。
つまりはそう呼ぶ程、親しい間柄だったということか?
「あれからもう十年以上ですもの。忘れられてしまうのは仕方の無いことだわ。私ももう十代の小娘では無いのだし。見た目もだいぶ変わってしまったでしょうからね」
「……貴女、やはり……リュア」
「まあ、嬉しい。覚えていてくれたのですね、ユオンお姉様」
キツネ耳の女は微笑む。
知らず知らずのうちにオレの足が一歩後退んでいた。
背中に何かヒヤリとしたものを感じ、オレの体がブルッと震える。
その笑顔はまるで、あらゆるものを全て凍てつかせるような、そんな氷の微笑みにオレには見えた。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
次話「128. 水の蛇」
どうぞお楽しみに!