126. 支える手
オレはスリと言うと、ぶつかった拍子に財布なんかをサッと抜き去っていくような、そんなイメージを持っていた。だから金の入った袋をポケットなどには入れず、ちゃんとバッグに入れていたんだ。
それくらいの用心はしていた。……それで用心したつもりになっていた。
まさか剣帯をぶった切って剣を奪うようなことをされるなんて思いもしなかった。それが甘いと言われれば、もう言い返す言葉も見付からない。
だけど、だからと言って、あの剣は簡単に諦めるわけにはいかない。
失くしました、で済むようなものじゃない。
値段だとか価値だとか、そういう問題じゃないんだ。
セイラがくれた剣だ。
そしてアイツが魔法を付与してくれた剣だ。
世界でたった一つの、大切な剣なんだ。
なのに!
自分の迂闊さに心底腹が立つ!
「すみません! 通ります! 通してください! すみませんっ!」
もう何度同じ言葉を大声で繰り返しただろう。
そのせいで騒がしい奴とでも思われているのか、周囲から視線が集まってしまっている気もするが、そんなことに構ってなどいられない。
ファムにも、ラヴィにも、そしてユオンにも、とんでもなく迷惑をかけてしまっているんだ。
本当なら今頃は、楽しく露店を冷かして回っていたハズなんだ。
みんなで楽しい時間を過ごせていたハズなんだ。
なのに……
それをオレの不注意で、不用心で、台無しにしてしまった。
オレがもっとしっかりしていれば。
オレがもっとちゃんと用心していれば。
こんなことにはならなかったんだ。
――あっ!?
『トーヤ様!』
足元にあった誰かの荷物に躓いてしまい、転びかける。
危うく人込みの中にダイブしかけたが、間一髪でユオンに支えられた。
左手でオレの胸を支え、心配そうな面持ちでオレを見上げて来る。
『すまないユオン。大丈夫だ。行くぞ』
オレは再び人込みを掻き分ける。
『……はい』
ユオンもまた、オレの隣に付いて走り出す。
スリの子供といい、ファムとラヴィといい、なんでこんな人込みの中をあんなスムーズに走れるんだ?
そしてそれは、今オレの横を走るユオンとて同じだ。
オレにはとても真似できない。
何度も何度も人にぶつかり、そのたびに嫌な顔をされ、時には罵詈雑言を浴びせられ、ひたすら謝り、それでも押しのけるようにして前に進む。
『トーヤ様。そこの露店を右です』
『分かってる!』
ちらっと視線を露店に向ける。
正確には、露店の端に置いてある人の高さほどある青黒い瓶に。
念話でファムが連絡してくれていた目印だ。
ここを右に曲がって少し細い路地に入る、と言っていた。
路地にはあまり日も差し込まず、少し薄暗い気もするが、人込みは僅かではあるが和らいだような気がする。これならば……
『もう大丈夫だ。ユオンもオレに構わず先に……』
『いいえ。トーヤ様を置いてはいけません』
先に行って貰おうかと思ったのだが、ユオンは首を横に振りつつ念話できっぱりと言ってきた。
……そうか。
考えてみれば当たり前だ。
ユオンがオレの傍を離れるわけはないんだ。
彼女はオレの護衛としてここにいるのだから。
そんなことすら考えが及ばない程、オレは焦ってしまっているのか。
――うっ!? またっ!
足元のちょっとした下り段差に気付かず、バランスを崩して倒れそうになってしまった。
『大丈夫ですか、トーヤ様?』
ユオンがオレの左手を掴み、倒れないように引いてくれながら念話で声を掛けてくる。
『だ、大丈夫だ。すまない、ユオン』
今度も倒れずに済んだのはユオンのおかげだ。
またユオンに助けられてしまった。
情けない。
さっきから謝ってばかりだし、しかも自分で「もう大丈夫」なんて言った矢先にこれだ。
これでいったいどこが大丈夫だと言うんだ。
こんなんだから、例え護衛というのを抜きにしても、ユオンはオレの傍を離れられないんだ。
その時ラヴィからの念話が聞こえてきた。
『……っ! ちょこまかと! ファム、お願い!』
ラヴィの苛立ち混じりの声が頭に響く。
子供からしてみれば捕まったら最後だ。
きっと必死になって逃げ回っているんだろう。
『半壊した青い屋根のボロ屋を左!』
今度はファムの声だ。
あれだけの素早さを持つファムですら、まだ捕まえられない。
あのスリの子供にはそれだけのすばしっこさと、恐らくは地元ならではの土地勘を活かして逃げ回っているんだろう。
無性に胸の奥がざわついてくる気がする。
もし……もし見失ってしまったら……?
このメルフィダイムはベルダート三大都市の一つと言われるだけあって、かなり大きい都市だ。
ほとんど手掛かりも無く子供を探し出すことなんてできるとは思えない。
ましてや奪われた剣を売り払われでもしたら見つけ出すなんて……
オレは強く頭を振った。
頭にこびりつくネガティブな考えを振り払うかように。
しっかりしろっ!
まだちゃんと二人は追ってくれているんだ。
だから、とにかくまずは一刻も早く彼女たちに追い付くんだ!
『行くぞ!』
念話でユオンに声を掛け、再び走り……だそうとしたが、ユオンがオレの手をしっかり掴んだまま離さない。
何だ? どうし……
思わず振り向き、それと同時にユオンがオレの左手を強く引く。
オレの体がよろけながらユオンに引き寄せられる。
………………え?
一瞬何が起こったのか、理解が追いつかなかった。
気付けばオレは、ユオンに抱きしめられていた。
『大丈夫。大丈夫よ、トーヤ』
『ユ……オン? いったい何を……?』
ユオンのこの口調……
今ユオンは、いつもの仮面を外している……のか?
オレの顔を自分の胸に押し付けるように、ユオンがオレの頭をさらに強く抱きしめてくる。
『ファムとラヴィが追っているんだもの。彼女たちならきっと……ううん、絶対。見失わずに追えるから』
ユオンの優しい声がオレの頭に静かに響く。
そして――
「だから、大丈夫。ね?」
念話を使わず、ユオンがオレの耳元でそっと囁く。
そして、更にぎゅっとオレを抱きしめた。
……何故だろう。その声を聴いて、オレの目頭が熱くなってしまう。
『あの剣はトーヤにとって、とても大事なものなのでしょう? 気持ちは分かるけど、でも、焦ってはダメよ』
『あ、焦ってなんか……』
『ダーメ。嘘ついたって分かるんだから。念話の指輪と隷属の首輪がちゃんと教えてくれるんだからね』
再び念話を使い、ユオンのおどけたような声が伝わって来る。
確かに今オレは嘘をつけない。
オレの思考は駄々洩れなんだ。
ついてもすぐにバレてしまう。
『大丈夫。彼女たちを信じなさい』
信じてる。信じてるさ!
でも……
『オレは……みんなに頼りっぱなしだというのに、こんな迷惑までかけてしまって……』
『頼っていいのよ。ラヴィにも言われてたでしょ? もっと頼ってくれって』
憶えている。
それは、オレが一人で出立しようとした、あの夜の事。
確かにあの時、ラヴィにそう言われた。
そうか。確かあの時ユオンもあの場にいた。聞いていたんだ。
『それに迷惑だなんて、これくらいで大げさよ。パーティを組んでいればよくあること。片付いたら、礼を言って一杯奢れば済んじゃう。その程度の事よ』
そういえば、ユオンも以前はハンターだったと言っていた。
バスカルとパーティを組んでいたことがあるとも言っていた。
その当時の経験、ということなんだろうか。
『今回はたまたまトーヤだったというだけ。誰にでも起こり得たことよ。ラヴィにだって、ファムにだって、もちろん私にだって』
……それは、たぶん嘘だろう。
ラヴィはともかく、ファムやユオンにそんな事が起こるなんて想像できない。
きっと二人なら、奪われる直前に、瞬時に相手を拘束してしまうと思う。
だからこれは、オレに気を使った嘘だ。
優しさからの、嘘なんだ。
ユオンのその気持ちは凄く嬉しい。
でも、だからこそオレは……オレは……
『自分で自分を責め過ぎてはダメよ、トーヤ。全く無いのも考えモノだけど、必要以上に自分を責め過ぎると周りが見えなくなって、暗くて深い穴に落ち込んでしまうわ。トーヤは特にその傾向が強いように思える。だから心配なの』
オレの頭の後ろに回されたユオンの手が、軽く優しくポンポンとオレを叩く。
『自分を責めるのは程々にして、反省をなさい。何か失敗をしたら、そこから何かを学びなさい。貴方なら、次に活かせる何かがきっと学び取れるハズよ。そして反省したならば、自分で自分を許してあげなさい』
押し付けられた胸の奥で、トクン、トクンとユオンの心音がゆっくりと優しい音色を奏でている。
ふと、雑踏に漂う埃やオイルなどの強い匂いの中で、微かに香る爽やかでふんわりとした陽だまりのような匂いに気付いた。
これは……ああ、そうか、これはユオンの……
いつの間にかオレは、目を閉じていた。
ユオンの優しい手の温もりを感じる。
穏やかで心地いい心音が聞こえてくる。
彼女が纏う陽だまりのような香りがする。
そして何より、オレを心配してくれているユオンの気持ちが伝わってくる。
どれくらいの時間、オレはユオンに抱きしめられていたのだろう。
先程まであれほど焦燥感に捕らわれていた自分の気持ちが、いつしか穏やかになっていることに気付いた。
『……落ち着いた?』
『ああ。すまな……いや、ありがとう、ユオン』
オレは目を開き、同時にユオンから体を離した。
ユオンがオレの顔を見上げて来る。
そしてにっこりと微笑んだ。
『うん。もう大丈夫そうね。行けそう?』
『ああ。だいぶ時間を使ってしまったな。急がないと。行こう』
オレとユオンは再び駆け出した。
『あっ! そうだ、トーヤ!』
『なんだ?』
『分かってるとは思うけど、今の、ラヴィには内緒にしといてね?』
……言えるかっ!
『うふふふ。でも、ちょっと複雑な気分……かな?』
『今度はなんだ? いったい何がだ?』
ユオンが急に走るスピードを上げ、オレの数メートルほど前に出て振り返る。
『抱きしめた男にドキドキして貰えずに、逆に冷静になられちゃうなんて、女としてはちょっと自信無くしちゃう』
薄暗い路地の中、建屋の隙間から差し込む陽の光がユオンを照らす。
まるで咲き誇る向日葵のように微笑むイヌ耳少女。
『…………バカヤロウ』
オレには何か眩しすぎて、視線を逸らしながら、それだけ呟くのが精いっぱいだった。
◇
スリの子供たちを追っているファム達に合流すべく、メルフィダイムの入り組んだ街中をオレとユオンはひた走る。
既にいつもの完璧メイドの仮面を被り直したユオンは、ついさっき眩しい程の笑顔を見せていた人と同じ人にはとても見えない。いつもながらその切り替えの見事さには感心する。
『この道は……』
何度目かの道を曲がったところで、何かに気付いたようなユオンの呟きが念話で聞こえてきた。
『どうしたユオン。何かあるのか?』
『トーヤ様。ここから先はスラム街になります。ご注意を』
スラム街?
あちらの世界ではもちろん、アンフィビオ王国でもスラム街と呼ばれる場所に足を踏み入れたことは無かった。
そもそもそういう場所があったのかすら知らない。
だが、アニメやラノベなんかではよく出て来る単語だ。
なので知識としてはある。
都市の中でも荒廃した場所というイメージがあるが……
走りながら周囲の様子に目を向けてみる。
確かに今までとは少し……いや、だいぶ違うように見える。
道も壁もひどく痛んでいて、汚れていて、ゴミなんかもそこら中に散らばっている。
立ち並ぶ建屋も木造の平屋ばかりで、しかもかなり小さめだ。
更に言えば壊れているものや、申し訳程度に補修された継ぎ接ぎだらけのものも多い。
ほとんど荒ら家といった感じだ。
それに、僅かではあるが嫌な臭いがしてくる。
この匂いは……。近くに溝でもあるのかもしれない。
それもあってか、なんとなく雰囲気も薄暗い感じがしてくる。
『トーヤ様。そこの建物を左です』
『ああ』
半壊した青い屋根の建屋を見付けた。
さっきファムが念話で連絡してくれた目印だ。
ユオンと共にその荒ら家を左に曲がり路地に入った。
ん? あれは……
少し先の、道の真ん中で三人の男たちが立っている姿が見えた。
だが気になったのはそこじゃない。
彼らの足元、道のど真ん中が大きくえぐられていることだ。
男たちはその穴を覗き込んでいるように見える。
何であんなところに……?
一つの可能性が頭を過る。
まさか、《爆砕》か……?
だとしたら間違いなくラヴィ達がここを通ったという証だ。
しかし、何故こんなところで《爆砕》を?
追っていた子供たちに対する脅しや警告として使ったのか?
穴を覗いていた男たちがオレ達に気付き、何か一言二言話し合ったと思ったら、こちらを向いて下卑た笑みを浮かべ始めた。
三人とも年齢は二十歳前後といったところ。
揃いも揃って薄汚い身なりに、嫌らしくニヤついた顔。
そして三人の手にはナイフや鉄パイプ。
とてもじゃないが、善人になんか見えない。
……そういうことか。
ラヴィが《爆砕》を使った原因は恐らくこいつらだ。
こいつらに絡まれて、邪魔されて、追い払うために使ったんだろう。
男たちが道を塞ぐように広がる。
「よお、お前ら。そんな急いで何処行くんだ? とりあえず、俺らと遊ぼうぜ」
「でも男はいらんわ。金と女を置いてけば許してやっから、さっさと帰んな」
「さっきの女たちは惜しかったが、今度も上玉じゃね? ぐふふふ」
薄笑いを浮かべた男たちの、横柄で品位の欠片も無いセリフが聞こえて来る。
――こんなときにっ!
ゲームならば強制イベントの発生といったところだ。
忙しい時に限って余計な、しかも面倒な邪魔が入る。
ゲームも現実も、その点ではさほど変わりはないらしい。
一瞬オレの足が止まりかけた。が、ユオンの念話が頭に響く。
『排除します。止まらず走り抜けてください』
何をする気だ? なんて問う暇も無かった。
次の瞬間――
「あだっ!?」
「がっ!?」
「ぎゃあー!?」
三者三様の叫び声を上げ、男たちはその体を仰け反らしていた。
――これって、ユオンの指弾か!
オレにはユオンが撃ち出した弾は全く見えなかった。
三人とも武器を取り落とし、額に手を当てて蹲りだす。
そんな男たちを横目で見ながら、その間を全力で駆け抜ける。
だが、僅かに進んだだけで結局オレの足は止まってしまった。
……行き止まり?
目の前にはレンガを積んだような高い壁があった。
オレの背よりもずっと高い。
手を伸ばしても上に届きそうもない。
もちろん壁に穴なんかも空いていない。
左右を見るが横道なんかも無い。
袋小路? 道を間違えたのか?
いや、《爆砕》の痕跡もあったんだ。
そんなことはないハズだ。
戸惑うオレの横をユオンが駆け抜ける。
一切の躊躇いもなく横の壁から出ていた僅かなとっかかりに足を乗せ、その勢いのまま高く跳び上がり、エプロンドレスを翻しながらもあっさりと壁の上に降り立った。
呆気にとられているオレに手を差し伸べるイヌ耳少女。
『トーヤ様。お早く!』
その念話にハッとして、オレは跳び上がりながらユオンの手を取った。
ユオンにも引っ張って貰い、何とか壁をよじ登る。
「待ちやがれ! てめぇらー!」
「何だ今のは! あいつらのしわざか!」
「ふざけやがって! ぜぇってぇぶっ殺す!」
後ろから男たちの罵詈雑言が聞こえて来るが、そんなことに構ってられない。
『行きます!』
念話と同時にユオンが壁の上から反対側へ飛び降りる。
オレもすぐにその後を追って飛び降りた。
◇
『この辺り……か?』
『そのハズですが……』
ファムとラヴィからの連絡が途絶えてしばらく経つ。
最後の念話はファムからの『木造二階建。集合住宅っぽい建屋。横に三本の木』だった。
たぶん、今オレの右にある建屋がそれだろう。横に木も三本ある。
確かに集合住宅っぽい建屋だが、かなり痛んでいて人が住んでいるような気配は感じられない。
辺りを見回すが誰もいない。
また移動しているのか?
どうする?
こちらから連絡を取るか?
だが、追ってくれている二人の邪魔になるようなことはしたくない。
ならば次の連絡が来るのを待つか?
足を止めた途端、今までの疲れがどっと押し寄せてきた気がして、建屋の壁に右手を付いた。
『大丈夫ですか、トーヤ様?』
『ああ、大丈夫だ』
そうは言ったが、実際のところかなりしんどい。
呼吸が乱れてしまっているのは流石にバレバレだろう。
こういう時、念話というのは正直助かる。
言葉を口から発するより、ずいぶん楽な気がするから。
声を出すというのは、実はそれなりに体力を使うものなのかもしれない。
とにかく空気が足りない。そんな感じがする。
肺いっぱいに空気を吸い込み、そして大きく吐き出す。
せめて息を整えておこうと何度か大きく深呼吸しながら周囲を見渡す。
少し離れたところに高くそびえる頑強そうな壁があることに気付いた。
『あの高い壁は、もしかして……?』
『はい。都市外郭の壁です』
ユオンがすぐに答えてくれた。
つまりここはメルフィダイムの端っこってことだ。
そんなところまであの子供たちは逃げてきて、そしてオレ達は追ってきたわけだ。
いったいどれくらいの距離を走ったのだろう。
アイツがいなくなってから続けている走り込みのおかげか、自分では以前よりずっと持久力は上がった気はしていたのだが、それでもまだまだなんだと実感する。
なにせ、ユオンはオレのペースに合わせ、オレのサポートもしつつ、それでも息一つ切らせていないのだから。
その時、ドォーンという大きな爆発音が鳴り響いた。
オレとユオンの視線が交わる。
『今のは、ラヴィの《爆砕》……か?』
『恐らく。あの建屋の向こう側です』
オレ達はすぐさま爆発音のした方へ駆け出した。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
今回もちょっと長くなってしまいましたが、せっかくのユオン回を分けたくなかったので分割せずに投稿させていただきました。
楽しんでいただければ嬉しいです。
あ、そうそう。最後にちょっと補足を。
獣耳娘メイドのエプロンドレスは鉄壁スカートであり、その中は絶対不可視領域なのです!(きっぱり)
だからトーヤにも見えてませんし、作者にも決して描写はできないのですよ。(笑)
ではまた来週!
次話「127. 狐人族の女」
どうぞお楽しみに!