123. 第一回念話対策会議
大通りを西に向かって歩くこと数分。
赤い屋根のパン屋を左に曲がり、更に歩くこと十数分程。
大きな看板に文字らしきものが書かれた、少し年季の入った木造三階建ての建物が見えてきた。
一階は食堂……いや、酒場?
結構賑わっているみたいだ。
まだ日は沈んでない時間だというのに、こんな時間から呑み始めている人が多いってことだろうか。
『ここで間違いない?』
『はい。看板には〝山猫の宿〟って書いてありますから』
ラヴィが看板を見上げながら念話で教えてくれた。
ジークに教えられた宿はここで間違いないらしい。
ジーク曰く、この都市メルフィダイムで獣人にも部屋を貸してくれる宿はとても少ないんだそうだ。大抵の宿では獣人の寝る場所は馬小屋などになるらしい。極端なものになると獣人は建物に入ることすら禁止なんだとか。
そこまでするか? と舌打ちしたくなる。
ちなみに、通り道にあったパン屋も張り紙がしてあった。
ラヴィが『美味しそうな匂いなのにちょっと残念です』と苦笑いしながら、この世界の文字が読めないオレに教えてくれた。
〝ペット・獣人不可〟と書いてあったらしい。
ペットはなんとなく分かるよ?
オレだって犬や猫がパン屋の中にいたら、ちょっとは気になってしまうと思う。
でも、獣人もそれと同列扱いってどうよ?
そもそも剥き出しのパンが置いてあって、そこを人がうろうろしてるんだ。
衛生面とか問い詰めたら、そこからしてマズいという話にならないか?
オレの偏見、もしくは屁理屈かもしれないけどさ。
思い出したらまたなんか腹が立ってきた。
話を元に戻そう。
ともかく、ジークが言うには獣人にも部屋を貸してくれる宿は極端に少ないが、全く無いわけじゃない。そして、この目の前の宿〝山猫の宿〟は獣人にもちゃんと部屋を貸してくれる非常にありがたくも希少な宿なんだそうだ。
こんな宿を知っていて、かつオレ達に快く教えてくれたジークはホントにいい奴みたいだ。美青年だけど。
『何故そこで美青年が出て来るのか、聞いてもいいですか?』
――うっ!?
『ラヴィ。そこは黙っててあげるのが女の優しさよ』
『なるほど! さすがファム!』
何をどう納得したと言うんだね? キミたち?
◇
「いらっしゃいませ!」
ドアを開くと、喧噪と、それに負けないくらい元気な声が出迎えてくれた。
視線を向けると右奥のカウンターの向こうに十四、五歳くらいの黒髪の女の子が座っている。どうやらあそこが受付らしい。
ざっと視線を巡らせてみる。
一階はやはり酒場だったようで、既に顔を赤くした男たちばかりだ。
オレ達が入って来た時、一瞬だけ静まって注目を浴びたが、すぐに興味を自分たちの酒と肴に戻したみたいだ。
少し驚いたのだが、その中には獣人もいた。
首に隷属の首輪は装着しているが、連れの男と同じテーブルで食事をしているみたいだ。それだけじゃなく、ちゃんと普通に会話もしているようだ。
『恐らく行商人でしょう。北方の国では獣人の奴隷に対する扱いはかなり緩いと聞いています。そういう土地から来た者たちかと思われます』
ユオンが念話でそう教えてくれた。
なるほど。
この都市に入ってから初めて獣人が普通に扱われている姿を見た気がする。
この店は人族至上主義の国ベルダートでありながら、そういう事ができる店なんだ。
そのことに少しほっとしたよ。
ジークは、ホントに良い店を紹介してくれたみたいだ。
……ただもちろん、首には隷属の首輪があるんだけど。
「お兄さん達はお食事ですか? それとも御宿泊ですか?」
「宿泊と食事を。一泊ですが、おいくらですか?」
「一人一泊素泊まりで白銅貨四枚、先払いでお願いいたします。うちでは獣人さんも一人と数えるから四人で一泊ちょうど銀貨一枚になります。食事代は別ですが、ここで召し上がってくださるなら一品サービスでお付けしますよ」
すらすらと淀みなく受け答えしてくれる。
この店の娘さんかな?
きっといつも手伝いをしていて、それくらいの計算も慣れているんだろう。
四人で銀貨一枚。
アンフィビオの宿に比べると少しお高め?
まあ、誤差範囲だし、なにより獣人に寛容な店というのは凄く助かる。
オレはバッグから銀貨の入った小袋を取り出し、そこでふと大切な事を伝え忘れていたことに気付いた。
「あ、部屋は二つ借りられます?」
「え? 二部屋、ですか?」
そう言って受付の少女は一瞬きょとんとした顔を見せ、オレの後ろにいたファム達三人に視線を向けた。
この反応には慣れてる。
この世界では男女であっても、連れは一緒の部屋とすることが多いらしい。
オレもファムとラヴィの二人と初めて泊った宿では一緒の部屋だった。
二部屋も借りるのは勿体ないからって言われたよ。
でもそれ以降は、オレは二部屋借りるようにしている。
金銭的には余裕があるし、男女別けるために。
やっぱり何か落ち着かないからな。
「あ、あの……。大丈夫です」
目の前の少女は顔を赤らめながら伏し目がちにそんなことを言い出した。
……ん? いったい何が大丈夫なんだろう?
「三階の一番奥の部屋が空いています。あそこでしたらベッドも大きいので、えっと、そのぉ、四人一緒でも……」
思わず小袋を落としそうになったよ。
うら若いお嬢さんが、いったい何を考えてる!?
『そりゃあ……』
ラヴィ! 言わんでいいからっ!
◇
結局、オレ達は無事二階の二部屋を借りることができた。
少し割増料金を取られたが、そんなのは誤差範囲だ。
「割といい部屋じゃない」
「そうだな」
オレはファムの言葉に頷いた。
ベッドが三つ入っているせいかそんなに広くは感じないが、小さいテーブルと椅子まであるし、寝泊まりするだけなら十分だ。
一緒に借りた隣の部屋もここと同じ作りだそうだし、こっちはオレが使わせて貰い、隣は女性陣三人に使って貰えばいいだろう。
全員が部屋の中に揃ったことを確認して、オレは口を開いた。
「さて、三人ともその辺適当に座ってくれるか? ちょっと話をしておきたいことがあるんだ」
「お部屋の割り振りのことでしたら、わたくしはトーヤ様のお世話という大事な役目がございますので、当然トーヤ様と同じお部屋で……」
「却下っ!」
ユオンの提案を速攻で斬り捨てたのはラヴィだ。
ったく、この二人は。
「いや、違うから。部屋の割り振りはもう決まってる。こっちはオレが使うから、隣を三人で使ってくれ。で、そんなことよりもっと大事な話があるんだよ」
椅子やベッドに腰かけた三人が少し首を傾げながらオレを見ている。
オレがこれから何を言い出すのか全く見当がついてないって顔だ。
オレにとってはとんでもない一大事だというのに、みんなにしてみればその程度の認識なんだということがよく分かる。
「他でもない。念話のことだ」
「ああ、その事ね」
声を出したのはファムだ。
このネコ耳娘はそれだけ言うと、まるで興味無さそうにその場でトレンチナイフの手入れを始めてしまった。
「とっても便利ですよね。トーヤさんが何を考えているのか丸分かりなんて」
……丸分かりって。
ウサ耳を楽し気に揺らしながら喜々として言わないでくれるかな、ラヴィ。
こっちはホント大変なんだからさ。
「全然便利なんかじゃないからな? むしろ不便極まりないからな? 頼むからオレの身にもなってくれ。一瞬たりともヘタな事考えられないって結構辛いぞ?」
「なら、その〝ヘタなこと〟とやらを考えなければいいじゃない」
トレンチナイフを磨きながらファムが事も無げにそんなことを言ってくれる。
それができれば苦労はしない。
聖人君子の域にはまだまだ程遠いんだ、オレは。
……そんなの目指したことも無いけど。
「トーヤ様も年頃の殿方ですので考えてしまうのは仕方の無い事です。わたくし達が気にしなければ、それで済むことですから」
身も蓋も無いことを言ってくれたのはユオンだ。
いつものメイドの仮面を被ったすまし顔で。
こいつめ。絶対オレの事からかってるだろう?
「そもそも、隷属の首輪と念話に、そんなふざけた機能があると知っていたなら先に教えてくれよ、ユオン」
「もしお教えしておりましたら、わたくし達を奴隷にはされなかったのでしょうか?」
「あ、いや……」
思わず口ごもってしまう。
それでも結果的にこうなったとは思う。
みんなでこのベルダートという国に入るには、たぶんこれが最適だと、今でもそう思う。
なにしろメルフィダイムでの獣人の現状をこの目で見て、更には着いた早々に都市警備兵たちの獣人に対する認識ってやつを直に味わったんだ。
隷属の首輪無しでは、もっと悲惨な結果が待ち受けていたかもしれない。
想像もしたくないが。
「では、何も違いはなかったかと」
「いやいやいや。それでも心構えというかさ、気を付けることができたかもしれないというか」
「それでは面白く……あ、いえ。奴隷としての主に対する忠誠が……」
――おいっ!?
「……今、面白くないからって言おうとしたよな、ユオン?」
「気のせいでございます」
……こいつめ!?
「でも、普通逆のような気がしません? 奴隷側の考えていることは主に全部伝わってしまって、主の考えていることは奴隷には伝わらない。そうでないと主の秘密なんかが全部奴隷に漏れちゃうでしょう?」
ラヴィの疑問はオレももっともだと思う。
普通に考えればそうだよな。
……いや別に三人の思考を盗み聞きしたいということじゃないよ?
「主は当然ながら奴隷に命令することが可能です。命令すれば暗示のように奴隷に働きかけますし、その命令が強ければ強い程、奴隷は自由を奪われ、主の命令に従うことになります。場合によっては……」
死を命じることさえも可能、と。
だから主の秘密は厳守されるので問題無い、ということか。
「トーヤ様。御命令、されますか?」
「しないよ」
ユオンの問いにオレは即答した。
するわけない。
オレは三人にそんな奴隷になって欲しいわけじゃない。
できるならそんな首輪は今すぐ外したいくらいだ。
これはベルダートを抜けるまでの便宜上の処置に過ぎないんだから。
「そもそもオレは、オレの秘密を守ってくれとか口外するなとか、そういうことを言っているんじゃなくて、オレの思考が制限なく全部お前たちに漏れるのが、そのぉ、恥ずかしいというか……。だから、何か対応策は無いのか? ユオン?」
「申し訳ございません。わたくしは存じておりません。ただ……」
「何だ? 何かあるなら教えてくれ」
「念話には可能な範囲というものがあります。通常ですと同じ都市の中ならば可能と言われています。それくらいの範囲に限定されるものなのですが、しかし隷属の首輪との相互作用によりその範囲は拡大され、およそ国内であれば可能になる、と聞いております」
「へぇー。……って、ちょっと待て。それってまさか、主と奴隷が一つの国の両端にいても、主の漏れた思考は奴隷に聞こえるってことか?」
「いいえ、そうではありません。積極的に行う会話と違い、漏れた思考が聞こえるのは範囲が限られているそうです。だいたい視界の範囲と聞いております」
思わずホッとしてしまった。
でも、範囲は結構狭いみたいだが、近くにいれば結局思考が漏れてしまうんだ。
それについては、何の解決策にならないよな……
「そんなにイヤなら、トーヤは念話の指輪を外しておくというのは? 必要な時ははめるにしても、普段は外しておけばいいんじゃないの? ちょっと面倒かもしれないけど」
「それができたらここまで悩まないよ、ファム。言ってなかったか? オレの念話の指輪は言語翻訳も兼ねているんだ。これを外したらオレはお前たちと全く会話ができなくなる」
「そうか。トーヤは異世界から来たんだものね。当然言葉も違うのか」
「そういうこと」
「今まで普通に会話できてたから、全然気にしてなかったわ」
「だろうな」
そこへウサ耳をピンッと立てたラヴィが身を乗り出してきた。
「トーヤさん、トーヤさん。ちょっと指輪、外してみません?」
「ん? なんで?」
「異世界の言葉って、ちょっと興味あるかなぁって」
あ、そういうことか。
「そうね。ワタシも少し興味がある」
ファムも?
ま、いいか。
オレもこっちの言葉にちょっと興味あるし。
オレは左の人差し指にはめていた念話の指輪を外してみた。
考えてみれば、アイツからこの指輪を受け取って以来ずっと指にはめていて、外すのは初めてだ。
「どうだ? オレの言葉、分かる……わけないよな」
オレの声を聴いてラヴィが目を丸くしている。
ファムもだ。
ユオンはいつも通り、にこやかにしているみたいだが。
「ຂ້ອຍບໍ່ຮູ້ວ່າຂ້ອຍ ກຳ ລັງເວົ້າເຖິງຫຍັງແທ້ໆ. ມັນແມ່ນຄວາມຮູ້ສຶກທີ່ແປກຫຼາຍ.」
ラヴィが何か言っているみたいだが、マジで全然分からん。
「ນີ້ແມ່ນ ຄຳ ເວົ້າຂອງໂລກຂອງ トーヤ ບໍ?」
ファムも全く同じだ。
一部トーヤと聞こえているから、オレの名前を言っているみたいだが。
日本語とはもちろん、英語や、大学で少し習ったドイツ語とかとも全く違うように聞こえる。どれが名詞でどれが動詞なんだか。そもそも発音がとっても難しそうだ。
「ダメだな。二人が何言っているか全然分からないよ。オレの言葉だって分からないだろう?」
やはりオレの言葉は通じていないらしい。
予想してた通りとは言え、ホントに全然分からないもんなんだな。
これは、やっぱ念話の指輪の言語翻訳が無いとどうにもならんだろう。
「わたくしの言葉はいかがですか、トーヤ様?」
――えっ!? ユオン?
オレは思わずユオンのほうに振り向いた。
念話の指輪はまだオレの手の中にある。
指にはめていない。
なのに、なんでユオンの言葉が分かるんだ?
ユオン、まさか日本語をしゃべっている? ……わけないよな。
「……分かる、けど、どうして?」
「わたくしの言葉はちゃんと通じているようですね。これが以心伝心というものでしょう。トーヤ様とわたくしの間には、既に強くて硬い確かな絆がございますので、言葉の問題など全く障害にならないのかと」
「ບໍ່ໄດ້ເລີຍ! ມັນເປັນໄປບໍ່ໄດ້!」
それを聞いてラヴィが何か喚いている。
その内容は全く分からないが。
でもそれは、ユオンの言葉がオレとラヴィの両方に伝わっているということなんだろう。
「で、ユオン。冗談は置いといて。どうしてユオンとだけは会話ができるんだ?」
「まあ、つれないお言葉ですね」
そう言いながらも、微笑みながらユオンは言葉を続けてくれた。
「わたくしが身に付けている念話の腕輪は、トーヤ様の指輪と同じく言語翻訳の機能も付いていると聞いております。もっとも、今までそれを実感したことはなかったのですが」
なるほど。そういうことか。
ってことは、もしファムとラヴィが持つ念話の指輪にも言語翻訳の機能が付いていれば、オレが指輪をはめてなくても、少なくとも彼女たちとのコミュニケーションは取れたわけだ。
だが、残念ながら無いものは仕方が無い。
そうそううまくはいかないもんだ。
オレは再び念話の指輪を自分の左手の人差し指にはめた。
「これで、オレの言葉は分かるか?」
「あ、分かります! すっごい不思議ですね」
全くだ。
魔法っていうのは、ホント、ファンタジーだよな。
「で、結局、どうするの?」
ファムが磨き終わったトレンチナイフを腰の後ろにしまいながら聞いてくる。
少なくともベルダートにいる間は隷属の首輪を外すことはできない。
三人の身の安全に関わる事だから、これは絶対だ。
念話の指輪を外すこともできない。
三人とのコミュニケーションが成り立たなくなる。
お互い視界外で行動する?
論外だな。
ってことは結局、オレは自分の思考に注意しつつ、三人に漏れてしまうことを我慢するしかないのか……?
「我慢はお互い様ですよ? アタシ達もトーヤさんの漏れて来る独り言を我慢するしかないんですから」
お互い様……? 我慢する……?
そんなにやにやした顔で言われても、全然説得力無いよ、ラヴィ。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
今回でようやく50万文字を超えたところですね。
ここまでお付き合い頂いてホントありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。
あ、それとタイトル変更しました。
旧題「異世界と青い鳥 ~本物の獣耳娘と仲良くなりにちょっと異世界に行ってきます♪~」
新題「獣耳娘☆クライシス!」
今までのタイトルも個人的には気に入ってたんですが、いまいちしっくり来て無くて、何か良いのはないかとずっと考えていました。
今度のタイトルはいかがでしょう?
気に入っていただけると嬉しいです。
次話「124. 山猫の宿で」
どうぞお楽しみに!