120. 許せる事、許せない事
『いいと思いますっ!』
オレの思考は、またまたラヴィたちに念話で漏れていたらしい。
ラヴィの喜々とした声が念話で聞こえてきた。
『いいわけないでしょ! ラヴィはちょっと黙ってて。トーヤは少し落ち着きなさい!』
間髪入れずにファムの少し慌てたような念話が頭に響く。
ちらっと彼女たちの方に視線を向けるが、三人とも礼を執っている姿勢はそのままだ。手足はもちろん、獣耳も尻尾も全く動かさず、ただ黙ってオレ達の会話を聞いているように見える。
だがもちろん実態は違う。
ラヴィはファムの制止に構わず念話を続けていた。
『じゃあ、ファムはいいの? こんな奴らに一晩弄ばれても』
『いいわけないでしょ! そんなの、死んだほうがマシよ!』
『でしょう? アタシだって絶対ヤダよ。トーヤさんとだってまだしたことないのに!』
――なっ!?
ど、どさくさ紛れに何を言い出してるんだ! このウサ耳娘は!
『ファムだって言ってたじゃん。初めてはロマンチックなのがいいって』
『ラヴィーーーーッ!?』
ファムの絶叫が頭の中に響く。
へ、へぇー。
そうか、ファムもまだ未……あ、いや、ゲフンゲフン。
これ以上は考えてはいけない。絶対ダメだ。
そんなことしたら、後でファムに殺されるかもしれない。
オレは何も考えてないし、聞いてもいない。
そう。何も聞いてない。聞いてないったら、聞いてないんだ。
それでも好奇心を抑えきれず再びファムの方にちらっと視線を向けてみると、やはり礼を執っている姿勢はそのままだが、顔が少し赤くなっているような……
『というわけでトーヤさん。相手はたった七人。強そうには見えないし、アタシ達なら五つ数える間に終わります。幸い周囲には他に人もいませんし。さくっと潰して、さっさと逃げる。それで済むんじゃないですか?』
何が「というわけ」なんだ? というツッコミは置いといて。
ラヴィのその提案という名の誘惑に頷きたくなるのは、いつの間にかオレも、ラヴィの後先考えない短絡的思考ってヤツに染まってしまっていたという事なんだろうか?
違うよね? ……違うと信じたい。
『……なんか今、アタシに失礼なこと考えてませんか?』
おっと。なんて鋭いカンだ。
これも女のカンってやつなんだろうか?
ゴホン。
とりあえず、今のラヴィの念話はスルーしておこう。
……でも、ラヴィ達のおかげだな。
さっきまでの怒りが落ち着いて、少し頭が冷えた気がするよ。
さて、どうするか?
確かにファムとラヴィならそれができるような気がする。
でも、そうすれば間違いなくオレ達はお尋ね者だ。
こいつらが証人になって、あることないこと色々罪を被せられ、手配書なんかもすぐに国中にばら撒かれてしまうだろう。
ベルダートを横切るにはもう少し時間がかかるというのに、その間ずっと逃げ回ることになってしまう。
それだけじゃない。
アンフィビオのスパイという疑いを掛けられたんだ。
ヘタしたら、アダンやクロ達に迷惑をかけてしまうかもしれない。
世話になった人たちなんだ。それは絶対に避けたい。
『なんでしたらヴァルグニールの《爆砕》で全て吹っ飛ばしてもいいんじゃないですか? 証拠も、証人も』
――怖ぇよ!
ラヴィの念話に対し、思わずツッコミが口から出そうになった。
『ラヴィ。《爆砕》を人に使うのは禁止だと言っただろう』
『そうですけど。でもこいつら、アタシ達を弄ぼうなんて考えているんですよ? それだけで万死に値しますよね?』
……そこは否定しないけどな。
『いや、それでもダメだ』
『えー』
ラヴィから凄く不満げな声が念話で聞こえて来る。
ったく。
ともかく、吹っ飛ばすのは論外だ。
あと、その前に言っていたラヴィの提案は最後の手段に取っておくとして。
まずはもう少し穏便な手段を模索してみようか。
オレは視線を目の前の茶髪の男に戻した。
「ずいぶん長く考え込んでいたようだが、結論は出たかい、兄ちゃん?」
……この下卑たにやけ面を見ると、やっぱりラヴィの案を採用したくなってくる。
だが、ここは我慢だ。我慢、我慢、我慢……
オレは腰を折り曲げ、深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。それは、勘弁して頂けないでしょうか」
何も悪い事なんかしていないのに、こんな男たちに頭を下げるのは勿論イヤだが、それも彼女たちのためだと思えば何てことは無い。
オレのささやかな誇りと、彼女たちの身の安全と尊厳。
どちらが大事かだなんて、そんなの比べるまでも無いことだ。
オレの頭を下げるだけで済むなら、むしろ安いものだ。
だが、やはりそう安く済むことではないらしい。
「……ああ¨?」
途端、茶髪の男が怪訝そうな声を出す。
後ろにいる男たちも目を細めてオレを睨んでくる。
これがこの都市の警備兵?
ほとんどチンピラだよ。やってることも含めて。
「じゃあ、お前さんを連行して、じっくりと尋問することになるが、それでいいんだな?」
「それも、勘弁してください」
「……兄ちゃん。そりゃ道理が通じねぇよ」
そもそもお前の話の何処に道理があったんだ? というツッコミが頭に浮かぶが、今はそれを口に出すべきじゃないことくらい、流石にオレも弁えているつもりだ。
冷静に。冷静に、だ。
怒っちゃいけない。
怒らせてもいけない。
オレは心にそう言い聞かせながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「その代わりと言ってはなんですが、別の形で私の誠意を示させていただけませんか?」
「あん? 別の形? なんだそりゃ」
オレは肩にしょっていたバッグを下ろし、紐をほどいて右手を中につっこんだ。
そして今まで一言も発せず黙って見守ってくれていたイヌ耳少女に念話で声を掛けた。
『ユオン。幾つくらいが妥当だと思う?』
『まずは小袋二つで。それで引かなかった場合、もう一つだけ追加を』
『分かった』
流石、ユオン。
何が? なんて問い返してこない。
オレが何を取り出そうとしているのか、ちゃんと分かってるんだ。
その上で、明確なアドバイスを即答してくれているんだ。
最大で小袋三つ。
それがこちらの譲歩できる最終ライン。
もしそれを超えるようであれば、その時はラヴィの案を採用することになるだろう。……もちろん《爆砕》は論外だが。
オレはバッグから小袋を二つ取り出した。
「これを」
「……ほお?」
一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに小袋の中身に察しがついたのだろう。
茶髪の男がオレから二つの小袋を受け取り、中を確かめる。
途端、再びその顔がにやついた。
……どうやらこれでうまくいきそうだ。
あの小袋一つには金貨十枚が入っている。
それが二つなんだから、全部で金貨二十枚だ。
単純に換算はできないが、日本で言えば金貨一枚でだいたい十万円程度。
つまり金貨二十枚で二百万円くらいということになる。
そう考えるととんでもない額のように思えるが、三人と天秤にかければそれさえも端金のようなものだ。惜しむつもりは無い。
もっとも、今オレがそんなことを言えるのは、アイツがあの時、数百枚もの金貨もオレのバッグに入れて一緒に転送してくれていたおかげだ。
それが無かったら、流石にこんなことはできなかった。
考えるまでも無く、ラヴィの案を採用していただろうな。
彼らにしてもそれだけあれば、七人でもかなり豪遊ができるハズだ。
なんなら、その金で娼館にでも行けば、十分楽しめるんじゃないだろうか。
『……へぇー、そうなんですか。よくご存じですね、トーヤさん』
――っ!?
突然聞こえてきた冷ややかなラヴィの念話に、オレの心臓が跳ね上がる。
思考がまた漏れていた?
しかも、選りに選って女性向きとはとても思えない低俗な内容が!?
『もしかして、行ったことあるんですか? 娼館に』
『いやいや、無いから!』
『ヘェ、ソウナンデスカ。その割にはよくご存じで』
何故カタコト!?
『いや、ホントに! っていうか、なんで? オレが考えていること、念話で伝わってしまっているのか?』
『はい。普通に聞こえてますよ』
おいおいおい。ちょっと待て。
何で最近、オレの思考がそんな駄々漏れなんだ?
もしかしてオレの念話の指輪、壊れているんじゃねぇのか!?
『いいえ。正常な動作だと思われます』
『今度はユオン!? いや、だって今も……』
『恐らく、わたくし達に装着されている隷属の首輪によるものかと思われます。奴隷は主の意を酌むことが強く求められます。そのため、隷属の首輪を装着したばかりの頃は、主の持つ念話の指輪との相互作用で、より主の意思が伝わりやすくなる、と聞いております』
………………マジですか?
『はい』
念話で伝えたつもりは無いのに、ユオンが返答してきた。
『へぇー、最近トーヤさんからの独り言のような念話が多いな、とは思っていたんですが。そういうことだったんですね。なるほどです。それは、とっても便利ですね』
いやっ! いやいやいやいやいやっ!
全然便利なんかじゃないから!
むしろ不便極まりないから!
それに、独り言が頻繁に聞こえていたなら、もっと早く言ってくれよ、ラヴィ!
『別にいいじゃない。多少の独り言くらい気にしないわ。むしろトーヤの意図が伝わりやすくなって、ラヴィの言う通り、ワタシも便利だと思うわよ。それより目の前の問題をさっさと片付けたら?』
ファムまで!
全然良くなんかないから!
オレのプライバシーはいったいどうなる!?
思考が駄々漏れだなんて、怖すぎるっ! 恥ずかしすぎるっ!
念話の指輪を外すか?
いやダメだ。
オレにとって念話の指輪は言語翻訳も兼ねているから単純に外すことはできない。そんなことをすれば、逆に三人との意思疎通は全くできなくなってしまう。
ど、どうすれば……
いや、今はそんなことをゆっくり考えている時間は無い。
今はファムの言う通り、目の前の警備兵たちの問題が先だ。
これを片付けたら、後でちゃんとこのふざけた念話への対応を考えよう。
それまでは、とにかくヘタなことは考えないようにしよう。うん。
オレは気持ちを切り替えるために一度大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐きだした。
――よしっ!
「……いかがでしょう? それで、私への疑いは晴れるでしょうか?」
「ま、まぁ、誠意としてはぎりぎり及第点といったところだな」
……このやろう。
金貨二十枚、日本円にして二百万もの大金を、ぎりぎり及第点だ?
『トーヤ。顔が引きつってる』
ファムの念話が聞こえて来る。
いかんいかん。落ち着け落ち着け。
「どうやらアンフィビオのスパイかもしれないというのは勘違いだったみたいだ。そうだろ、お前たち?」
茶髪の男が声を掛けると、後ろにいた男たちがみんな頷いた。
その顔をにやつかせながら。
「ありがとうございます」
そう言いながら、オレは再び頭を下げた。
「じゃあ、そういうことでこの件は終わりだな。時間取らせたな兄ちゃん。これからも旅を存分に楽しんでくれ。お前たち、いくぞ」
茶髪の男が声を掛けると、後ろの男たちは頷き、大通りの方に向かって足を進め始めた。みんな一様に御機嫌の御様子だ。
そりゃそうだろうな。
一人の旅人に因縁をつけただけで、金貨二十枚も手に入れたんだ。
この後はきっと、早々に任務を切り上げ、みんなで祝杯でも上げて豪遊するつもりなんだろう。
そのことに腹が立たないわけじゃないが、こっちもみんな無事に済んだんだ。
それで良しと思うことにするしかない。
そう思ってた。
その時までは。
七人の男たちが笑顔を浮かべながら、オレの横を通り過ぎていく。
そのうちの一人、グリバードと呼ばれていた金髪の男の腕が不意に伸びた。
終わったと思って安心し切ってしまったオレはそれに対応できなかった。
その腕の動きを、ただ目で追うことしかできなかった。
そして……
その手がラヴィの胸を鷲掴みにした。
――なっ!?
それは時間にすればほんの一瞬の事。
すれ違いざまの出来事だった。
「あっははは! なかなか良いモン持ってんじゃねぇか。ちょっと惜しいが、これくらいで許してやるよ。じゃあな」
そんなグリバードの声が、笑い声と共に聞こえて来る。
それでも、三人は礼を執る姿勢を崩さなかった。
ユオンも、ファムも、そしてラヴィさえも、その場を動かなかった。
奴隷という立場だから?
相手はこの都市の警備兵だから?
ここで騒ぎを起こさないため?
オレに迷惑がかかると思ったから?
そんなことのために、みんな我慢……して……
ユオンが、肩を震わせている。
ファムが、下唇を強く噛みしめている。
ラヴィが、拳を強く握りしめながらも堪えている。
それを見た時、オレの中で何かがプツンと切れた気がした。
「――ぅぁあああああーーっ!」
気付けばオレは、渾身の右拳をグリバードの顔面に叩き込んでいた。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
昨日、とうとうブクマが1000に……( ノД`)感涙
ありがとうございます!
今もギリギリですので、もういつ落ちるかと恐々としていますが。(苦笑)
もし楽しんで頂けたなら、ブクマ、感想等、応援頂けると大変励みになります!
どうぞよろしくお願いいたします。m(__)m
次話「121. 緊迫の裏側」
どうぞお楽しみに!