118. 穴猿たちの襲来[後篇]
「爆っぜろー!」
災厄の魔王ラヴィ――もとい、ウサ耳少女ラヴィが叫ぶ。
ドォーンという大きな爆発音を響かせ、長槍ヴァルグニールに突かれた街道横の大きな木が爆ぜる。
近くにいた穴猿たちも巻き込まれて吹き飛ばされたみたいだ。
どうやら《爆砕》を使ったらしい。
ラヴィはすぐさま長槍を引き、大きく振り回して穴猿を薙ぎ払う。
その見かけからは想像できないほどの膂力で、周囲の穴猿二、三匹まとめて薙ぎ飛ばす。
一見すると華奢に見えるのに、どこにそんな馬鹿力があるんだ?
いつもながらそれがホントに不思議でならない。
獣人の筋肉というのは、オレのような人族とは根本からして違うモノなのかもしれない。
改めて周囲を見渡してみる。
残りの穴猿は、ざっと二十弱といったところだろうか。
まだまだ気を緩めることはできないが、数の上でならもう半分は切ったハズだ。
新たな増加はなさそうだし、見る限りファムとラヴィの調子も悪くない。
一時はその数に心配もしたが、これならこのまま何とかなりそうだ。
そう思った時、ガァーンという鈍い音が周囲に響いた。
な、なんの音だ?
その音に驚いて視線を向けると、そこには忌々し気に舌打ちするネコ耳少女ファムの姿があった。更にその先には、ファムのトレンチナイフを盾で防ぐ穴猿たち。
いつの間にあんなものを……?
いや、それよりも……
「なんで、穴猿が盾を……?」
「恐らく、ハンター達が捨てたモノを拾ったのでしょう」
思わず口から漏れ出てしまった素朴な疑問に、隣で同じくその様子を見ていたイヌ耳少女ユオンが答えをくれた。
なるほど。
そういうことか。
穴猿は、人に比べればもちろん劣るが、他の獣と比較してある程度の知能を持ち合わせているらしい。それは徒党を組み、棍棒や石などの武器となるものを持って攻撃してくることからも明らかだろう。
そしてそれは、何も攻撃用の武器に限った話では無かったということだ。
ファムの周りに盾を持つ穴猿は三匹。
よく見ればその盾は凹みも多く、更には折れ曲がっていたり何処か欠けていたりと、どれも歪な形をしている。
ユオンの言う通り、ハンター達が破棄したモノを拾ったのかもしれない。
ここは日本じゃないからな。
壊れてしまった盾をそこら辺に投げ捨てたとしても、それを罰する法なんかないだろうし、咎める人なんかもいないのだろう。
そんな廃品を穴猿たちが回収していたわけだ。
それはつまり、ハンター達にとっては無用となったモノであっても、穴猿たちにしてみればまだまだ有用であるということ。事実、盾を持った三匹が前面に出てファムの攻撃を抑え込もうとしているようだ。
「ちっ!」
トレンチナイフをはめた拳で何度も盾を殴りつけ、更に黒いブーツで渾身の蹴りを入れるファム。
だが、盾はもちろんそれさえも防いでいる。
……これは、かなり厄介かもしれない。
ファムのトレンチナイフでは、残念ながら何度攻撃を繰り返してもあの盾は破れそうもない。鈍い音が周囲に響くだけだ。
……でも、ラヴィの《爆砕》なら?
以前にも盗賊たちの盾を彼女の《爆砕》で破壊したことがある。
だから、こいつらの盾だって破壊できるハズだ。
そう思ってラヴィの方に視線を向けるが、彼女の周りにも穴猿たちが何匹も押し寄せていて、とてもじゃないが、すぐにファムの所へ行けそうもない。
それが奴らの意図したものかは分からないが、どうやら結果的にうまく分断させられてしまっているようだ。
――くっ! それなら!
一旦距離を取ろうと思ったのか、ファムが後方へ跳び退る。
それを見ながら、オレは腰の剣の抜いた。
「トーヤ様?」
ユオンはそれを見て、オレが参戦するつもりだと思ったのだろう。
オレの行く手を阻むかように、一歩足を進めてオレの前に出てきた。
だがそれ以上言葉には出さず、ただ目を細めオレを見上げる。
ユオンの言いたいことは分かってる。
今のオレが参戦しても何にもならない。
ファムやラヴィの力になることはできないだろう。
それどころか、むしろ足手まといになるだけだ。
だからユオンもここにいるんだ。
戦闘はファムとラヴィに任せ、戦えないオレの為に。
オレを守るために、オレの隣にいてくれているんだ。
……分かってるさ。
情けない事この上ないが、それは今さら言っても仕方ない。
オレは剣の柄をユオンに差し出しながら口を開いた。
「ユオン。これをファムに」
それでユオンはオレの意図を理解したのだろう。
得心がいったかのように細めていた目を和らげた。
「かしこまりました」
そう言って彼女は右手を自分の胸に添えながら軽く頭を下げる。
少し大げさ過ぎやしないかと思えるほど恭しく礼をした後で、オレから受け取った剣を振り向きざまに素早く投擲した。
空を貫くようにまっすぐ飛ぶ剣が、ファムの後方一メートル程の所に突き刺さる。
「ファム! それを使え!」
オレの言葉に一瞬振り返ったファムは、すぐさま後方、剣のそばまで跳んだ。
跳びながら両手のトレンチナイフを腰の後ろにしまい、着地したと同時に彼女の細い腕が伸びる。その小さな手で、地に突き刺さった剣が引き抜かれる。
ほんの一瞬、その細腕でその剣を振えるのかと心配してしまったが、次の瞬間そんなことは杞憂だったと悟る。
そう。ファムが上唇を舐めたのが見えたから。
「壊れても、知らないから」
ファムの口からそんなちょっと危険で不安を煽られるような声が聞こえて来る。
……頼むから大事に扱ってくれよな。
そんなセリフが頭を過ったが口には出さなかった。
実際のところ、そんな心配なんか微塵もしていない。
ただその代わり、
「信じてるよ、ファム」
とだけ言っておいた。
それが、オレの本心に最も近い言葉だったから。
ファムが再び穴猿たちの群れに突っ込んでいく。
先程と同様、三匹の穴猿たちが歪な盾を押し出してくる。
……そんな盾で、いつまでも防げると思うなよ?
「はぁあああああっ!」
ファムが気合の入った声と共に力強く踏み込み、剣を降り下ろす。
だが今度は、先程までと違って剣と盾がぶつかるような音は全くしなかった。
オレは、にやりと笑った。
降り下ろした剣の先で、真っ二つに斬られた盾が地に転がっていた。
オレには穴猿の表情は読めないが、それでもなんとなく分かる。
あれはきっと、驚きのあまり絶句しているんだろう。
目を瞬かせている動作なんか、人間そっくりだ。
どうやらファムは、オレの剣をうまく使えているらしい。
オレの剣は特別製だからな。
なにしろアイツが魔法を付与した剣だ。
恐らくこちらの世界でもあちらの世界でも同じモノは無いだろう。
高周波振動剣。
あちらの世界では医療用のメスなんかに一部用いられているそうだが、ほとんど空想上の産物だ。
あちらの世界での、日本のアニメにヒントを得て、アイツが創り出した最高傑作なんだ。
そんな廃品回収した盾ごときで防げるわけがないさ。
返す剣で二つ目の盾をもあっさり斬り捨てるファム。
相手が驚きのあまり硬直している間に体を旋回させ、勢いを付けて再び剣を降り下ろし、三つ目の盾も斬り捨てた。
目を大きく見開きながらも、思わずといった風に穴猿の一匹が後退る。
もう穴猿を守るモノはない。
例えあったとしても、ファムの持つ剣が全て斬り捨ててしまうだろう。
穴猿たちにも本能的にそれがよく分かったんだと思う。
ファムが剣を下げながらも、ゆっくりと足を一歩進める。
それに呼応するかのように、穴猿たちが揃って一歩足を後退させる。
更にファムが一歩踏み出したとき、ファムの周りにいた穴猿たちは一斉に逃げ出した。我先にと、全てを放り出して。
ラヴィの周囲にいた穴猿たちも、それを見て徐々に逃げ出し始める。
あ、いや。
まだ一匹だけ両手を広げながらラヴィに飛び掛かった勇敢な穴猿がいた。
ラヴィが跳び上がり、向かってきた穴猿の顔面を足蹴にする。そのまま踏み台にして更に高く跳び上がり、長槍を両手で持って頭上に構えた。
「やぁあああああっ!」
ついさっき足蹴にした穴猿の顔面に向かって、気合と共に長槍を降り下ろす。
穴猿はほとんど何もできず、頭を殴られ、あっけなく叩きのめされてしまった。
……うん。勇敢じゃなくて、無謀と言うべきだったか。
その間に、他の穴猿たちは全て逃げ出してしまっていた。
「……どうやら、終わりましたね」
「ああ、そのようだな」
ユオンの言葉に、オレは頷きながら答えた。
ぐるりと周囲を見渡せば、恐らく四十匹を超えるであろう穴猿たちの躯が散乱している。逃げ出した穴猿たちを合わせれば、たぶん全部で五十匹以上いたんじゃないだろうか。
ったく。
とんでもない目にあったもんだ。
だが、まぁ、ほとんど戦闘に参加してなかったオレとユオンはもちろん、ファムとラヴィにもたいした怪我も無く無事に終わって良かった。
ほっとしたよ。
「トーヤ様。ファムもお疲れでしょうから、少し長めに休憩の時間を取った方がよろしいかと思いますが、いかがでしょう?」
「ああ。そうだな」
ユオンの提案に深く考えず頷いたが、その直後、オレの頭にちょっとした疑問が浮かんできた。
だって、戦っていたのはファムとラヴィの二人のハズなのに、今ユオンはファムの名前しか言わなかったから。
……あれ? ファムだけ? ラヴィは?
だがすぐにユオンの考えに思い至ってしまった。
「その間、ラヴィには滔々と言って聞かせましょう。ええ、それはもう、じっくりと」
あ、やっぱそういうことですか。
ユオンの目がとてもとても据わっていらっしゃる。
どうやらラヴィの苦難はまだまだ継続するらしい。
あははは……。可哀想に。
思わず心の中で合掌してしまった。
「……えっと、アタシは、そのぉ……」
倒れている穴猿たちを避けながらオレたちの方へ寄ってきたラヴィだが、ユオンのそのセリフを聞いて、その顔を見て、とたんに顔が引きつり眼が泳ぎ出す。
「あ、そうそう。あっちのほうに小さな池があったんですよ。水も澄んでいてとっても綺麗な池でして……」
「それが何か?」
ラヴィは一生懸命話を逸らそうとしているようだが、ユオンの対応があまりにもそっけない。
「だから、その、えっとですね。汗いっぱいかいちゃったし、汚れちゃったから、水浴びしてきます!」
そう言うが早いか、ラヴィはくるりと反転して、脱兎のごとく駆け出した。
脱兎……うん。ウサ耳だもんな。まさに逃げ出す兎のごとくだ。
「あ、こらっ! 待ちなさい! ラヴィ!」
ユオンが大きな声を出すが、そんなことで止まるラヴィじゃない。
すぐにラヴィの姿は木々の中に消えていってしまった。
「……逃げたわね」
「逃げたな」
思わずファムとオレは笑みを溢してしまう。
「笑い事じゃないです。この辺で一度ちゃんとですね……」
「まあまあ」
何故だろうな。
騒動の中にいた時は、今度こそガツンと一言言ってやろうと思っていたのに、その騒動が済んでしまうと「まあいいか」と思ってしまう。
みんなが無事で、安心したからなのだろうか。
それとも、ラヴィと一緒だとこれくらい日常茶飯事で、今更感が強いからだろうか。
ユオンは腰に手を当て、「もう!」という言葉を大きな溜息と一緒に盛大に漏らしていた。
「仕方ないわね。一人にしておくと、また何しでかすか分からないから、ワタシも行って来るわ。ワタシもちょっと水浴びしたいしね。ついでに説教もしておく」
「分かった。頼むよ、ファム。オレたちはこの辺にいるから。終わったら戻ってきてくれ」
「了解」
ファムはオレに剣を返すと、街道の横に放り出していた自分の荷物を肩に載せ、ラヴィの荷物を左手に持ち、ラヴィの後を追って木々の中を入っていった。
その時――
『……見付け……た』
……えっ?
声が聞こえた気がした。
思わず振り返るが、誰もいない。
なんだ、今のは?
改めて周りを見渡すが、やはり誰もいない。
耳を澄ますが、特に何も聞こえない。
他の人の気配なんかも、感じない。
……気のせい……だったのか?
いや、でも、今確かに……
女の子のような声、だと思ったけど……
「どうしました? トーヤ様?」
ユオンが怪訝そうな顔でオレを覗き込んで来る。
オレがキョロキョロしていたからだろう。
「……今、なんか声がしなかったか? 女の子のような……」
ユオンが一瞬首を傾げるが、すぐにその首を横に振った。
「いいえ。わたくしは聞いておりませんが」
「……そうか」
じゃあ、やっぱり気のせい……だったのか?
もし本当に声がしたのなら、ユオンは必ず気付くだろうし。
獣人であるユオン達は耳が良い。
オレなんかよりもずっと。
だから、本当に声がしたのなら、ユオンが気付かずにオレだけが気付くなんてことは無いハズだ。
……いや。もしかしたら今のは念話だったのかもしれない。
だとしたら、オレだけを対象にした念話であれば、他の人に聞こえなかったことも頷ける。
だけど、聞こえたのはあの一度だけ。
再び聞こえてはこない。
周囲にも誰もいない。
じゃあ、ホントにただの気のせいだったんだろうか……?
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
次話「119. メルフィダイムでの受難」
どうぞお楽しみに!