113. ラヴィ、悲憤
「オレは……」
口を開きかけて、でもその続きが言葉にならなかった。
オレは、何だ?
オレは、このラヴィの想いになんて答えればいいんだ?
ラヴィの気持ちは凄く嬉しい。それは確かだ。
こんなオレなんかを好きだと言ってくれ、さらには危険だと分かっているのに付いていくとまで言ってくれた気持ちが、これ以上に無いくらいもの凄く嬉しい。
だけど……
同時に、オレはようやく理解した。
ラヴィは必ずオレに付いてくる。
それはつまり、どれ程の理由を重ねても、どれ程の説得を重ねても、ラヴィのその意思を覆すことは決してできないということだ。
だとしたら、オレはどうすればいいんだ?
リオを助けたい。
その気持ちは変わらない。
だから、ダーナグランの森へ行きたい。
ダーナグランの森へ行っても、もしかしたらどうにもならないのかもしれない。
それでも、じっとしてなんかいられない。
ここでただ待っているなんてできない。
じゃあ、ラヴィと一緒にダーナグランの森へ行くのか?
その場合、獣人にとって最悪の国ベルダートを通るわけには行かない。
あまりにも危険すぎる。
ならば、ベルダートを迂回するのか?
半年以上もかけて?
それでは手遅れになるかもしれない。
かといって、ラヴィたちを置いて一人で行くことも、もうできない。
仮に全てを振り払って一人で行ったとしても、きっとラヴィは追いかけて来るだろうから。
……詰んでいる……のか?
もう方法が無いんじゃないか?
何も思い浮かばない。
八方塞がりだ。
急に体中から力が抜けたような気がした。
手に持っていたバッグが地に落ちる音が聞こえた。
オレは、リオを助けることはできないのか……?
リオを助けたいと本気で思っている。
本気でリオが帰って来るために何かしたいと思っている。
オレにできることは限られているだろうが、せめてその手伝いをしたい、と。
だけど、それによって何かが失われるのは嫌だ。
ラヴィやファムが、傷付き奪われるようなことは絶対に嫌だ。
ふいに、以前リオが言っていた言葉が頭を過る。
何かを成し遂げるために、何も失わずに済むほど世界は単純でも優しくもないのだと。何かを得るために、それ以上に何かを失うことだって多いのだと。
あの夜の泉で、リオはそう言っていた。
だとしたら、これ以上何も失わないために、もう何も奪われないために、残されたのは留まるという事だけなのか?
アルテミスに誘われるまま、学院にでも通いながら待つしかないのか?
安全な場所で、のうのうと、リオが帰って来るのを待つしか無いのか?
だけど……
だけどもし、リオが自力で帰ってこれないのだとしたら?
もしリオが助けを待っているのだとしたら?
再び目の奥が熱くなる。
あの太々しいまでのチート鳥が、オレ達みんなを助けるためにそんな状況に陥ってしまったことを想像した途端、オレの胸の奥から何かがこみ上げてくる。
そんなリオを放って、一人学院生活を満喫しろと?
そんなこと、できるわけがない!
じゃあ、ラヴィ達を危険に巻き込むのか?
それも、できるわけない!
じゃあ、どうすればいい?
どうすればいい? どうすればいい? どうすれば……
急に目の前が真っ暗になった気がした。
運命ってやつに全ての道を塞がれて、オレを嘲笑う声まで聞こえてきそうだ。
だが、本当に道が無い。
認めるしかないのか。
もうダメだと。
もうオレには無理なのだと。
オレは無力で、非力で、何もできないのだと。
何もしてこなかった自分が、リオに頼り切っていた自分が招いたことなのだと。
オレには手の届かない望みなのだと。
だから、諦めるしか、もう無いのだと……
気持ちがひどく落ち込んでいくのが自分でも分かる。
沈んで沈んで、光も差し込まない深く深く暗い穴底で、オレの体が黒い靄に捕らわれていく。
それがまるでコールタールのように体にまとわりつき、自由を奪い、オレをさらに深くへと沈めていく。
「……トーヤさん?」
……何処か遠くから、オレを呼ぶ声が聞こえた。
いや、遠くじゃない。
目の前だ。
オレを呼んだウサ耳の少女は目の前にいる。
ラヴィが覗き込むようにしてオレを見上げている。
でも、何故だろう。
ラヴィの顔がひどくかすんで見える。
「……アタシは、邪魔ですか?」
ラヴィのその問いを聞いた途端、思わず息を呑んだ。
ラヴィの瞳がオレをじぃっと見つめてくる。
そんなことはない。
そう即答しようとした。
だけど、開きかけたオレの口は声を出すことを躊躇ってしまった。
自分自身に対する疑念が頭を過ったんだ。
もしかしたらオレは、心の何処か片隅で二人を邪魔だと思ってしまったのではないか? もし二人がいなければ、オレはベルダートを通ってダーナグランの森へ行けるのにと思ってしまったのではないか? もしかしたら、ラヴィはそんなオレを見透かして、そう聞いてきたんじゃないのか?
……いや、違う。
そんなわけない。
オレがそんなことを思うわけがない。
以前にも、似たようなことを聞かれたことがある。
そう。二人がオレに付いて来たとき、フルフの町を出立した後でラヴィがオレにそう問いかけてきたんだ。
あの時のオレも、「そんなことない」って答えたんだ。
獣耳娘に会いたくて世界を渡り、二人と一緒に旅ができることに嬉しくて仕方が無かったのに、それを隠しながら、オレはそう言ったんだ。
あれからの出来事が頭を過る。
決して短くなんかない日々をラヴィとファム、二人と一緒に過ごした。
それは、とても楽しい日々だったんだ。
だから、決してラヴィを、二人を邪魔だなんて思ったことは無い。
そんなこと、オレが思うわけがないんだ。
だが、オレがそれを口にしようとするまでのわずかな時間は、ラヴィの感情を爆発させてしまうには十分過ぎる時間だったのかもしれない。
「……あったまきた」
――え?
ラヴィからその呟きが聞こえた直後、強い衝撃がオレの顎を襲った。
オレの足はその衝撃に耐えきれず、たたらを踏んで、あげく尻餅をついていた。
一瞬何が起こったのか理解できなかった。
だが、直後に目に入ってきたラヴィの伸びきった腕とその拳で、自分が殴られたことに気が付いた。
平手でパチンという甘いものなんかではなく、強く握りしめた拳で、オレは殴られたんだ。だが、それが分かったからといっても、全ての状況が理解できたわけでもなかった。
ラヴィが……オレを?
何故? なんで、オレは殴られたんだ?
痛みよりも疑問の方が強かった。
その疑問を持ちながら、オレはラヴィを見上げた。
「……何情けない顔しているんですか」
殴った直後の拳を震わせながら、ラヴィはゆっくりと静かな口調でそう言った。
「どれだけ情けない顔をしているか、自分で分かっていますか? まるで、世界の終わりを見ているかのような! そして……それがまるで全て自分のせいだとでも言いたそうな!」
最初は静かだったラヴィの声がだんだんと荒くなっていく。
いつもとは違うラヴィのその雰囲気に呑まれ、オレはただ彼女を見上げるしかできなかった。
「……リオちゃんが帰って来れないのは、トーヤさん一人の責任だとでも思っているんですか? それは絶対に違います! アタシ達三人に責任があるんです! それとも何ですかっ! アタシとファムには、そんな責任を持たせられないって言うんですかっ! アタシ達には全く関係無いとでも言うんですかっ!」
その言葉にオレは大きく目を見開いていた。
そんなふうに考えていたわけじゃない。
決してオレは、二人を関係無いだなんて思っていたわけじゃない。
だけど……
オレには反論ができなかった。
事実オレは、二人に何の相談もせず、二人を置いて行こうとしていた。
つまりオレは、まさにそう思われても仕方ないことをしていたんだ。
両拳を強く握りしめて仁王立ちしたラヴィが、愕然としているオレを見下ろしながら、怒りを乗せた言葉を続けて放つ。
「そんなにアタシ達は頼りないですか? 何もかも自分一人でしょい込んで。何もかも自分一人のせいだと思い込んで。あげく、一人で勝手に悲観して。一人で勝手に決めてしまって! 一人で勝手に行こうとして! じゃあ、アタシ達は何なんですかっ! 仲間じゃないんですかっ!」
ラヴィがへたり込んでいるオレに近寄ってきて、オレの胸ぐらをつかんで見据える。
それに対してオレは、一切抵抗ができないでいた。
ただただラヴィにされるがままでいた。
そんなオレに、更にラヴィが言葉を浴びせる。
「言ってくれたじゃないですか。アタシ達は大事な仲間だって」
ラヴィの声に徐々に嗚咽が混じりだす。
だが、それでもラヴィの言葉は止まらない。
涙と共に、絞り出すかのようなラヴィの声がオレに届く。
「一緒にここまで旅してきたじゃないですか。一緒に戦ったじゃないですか。それに、一緒に朝日を見たじゃないですか!」
ラヴィの手に、オレを掴むその手にひときわ力が込められた気がした。
そして俯きながら、嗚咽が交じりながら、ラヴィの小さな声が震える。
「……アタシの髪を、撫でてくれたじゃないですか」
あの夢のように感じた、幸せを感じた時間が思い出される。
同時に、ラヴィの震える声に、締め付けられるような胸の痛みを感じ、自然と彼女の名がオレの口から洩れ出す。
「……ラヴィ」
なのに、とラヴィの声が静かに響く。
「今更、アタシの事……、アタシ達の事、捨てるんですか? アタシ達には関係の無い事だって言うんですか? そんなに……そんなにアタシ達が邪魔になったんですかっ!」
「ちがっ……」
思わずオレはそれを否定しようとした。
だが、ラヴィにはオレのそんな言葉は意味をなさなかったようだ。
ラヴィは大きく息を吸い、ひときわ大きな声で、オレに向かって言葉をぶつけてきた。
「仲間なら、置いてきぼりにしようとするなっ! そんなの……そんなの! ぜっっっっったい、許さないんだからっ!」
そしてラヴィはオレの胸ぐらをつかんでいた手を離し、代わりに跪き、オレの胸に顔を埋めて大きな声で泣き始めた。
そう……か。
オレは、なんてバカなんだろうな。
オレは自分のことしか考えていなかったんだ。
ラヴィも同じように、リオのことを考えていてくれてたということに、全然頭が回ってなかったんだ。
全然見えてなかった。
気付いてなかった。
分かってなかった。
ラヴィも、そしてきっとファムも、オレと同じように責任を感じ、悩んでいたんだということに。
こんな大馬鹿野郎、殴られて当然だ。
オレだって、オレ自身を殴り飛ばしたくなる。
ラヴィが正しい。
ラヴィの言う通りだ。
これは、オレ一人がどうこうすればいい問題じゃないんだ。
誰か一人がやればいいことなんかじゃないんだ。
オレ達三人が、やらなくちゃいけないことだったんだ。
そんなことも分からず、オレはまた選択を間違えていたのか。
ホントにオレは、どうしようもない程の超バカヤローだ。
◇
しばらくの間、オレは殴られて尻餅をついたまま、オレの胸で泣き出したラヴィの頭を撫でていた。
撫でながら、ひたすらラヴィに謝った。
置いていこうとしていたこと、一人で勝手なことをしようとしていたことも。
先程まで大きな声で泣いていたラヴィも、少しは気持ちが収まってきたのか、今はすすり泣くような声に変わってきている。
それでもやはりオレの胸には十分に痛いものがある。
女の子を泣かすというのが、これ程までに胸に突き刺さるモノだとは知らなかったよ。
「トーヤさんは、アタシ達より強くって……」
「ラヴィはもう分かってるんだろう。それはリオの魔法で……」
「うるさい! 口ごたえするな!」
「……はい」
……どうやらまだラヴィの気持ちは昂ぶりが残っているらしく、いつもはオレに対する丁寧な口調も、今は何処かへ投げ捨ててしまっているようだ。
そんなラヴィに、オレにはとても逆らうということはできそうもない。
「男なら素直に『はい』なんて言うなっ!」
……ちょっと理不尽にも思えるが、やはりそれに逆らう気もしない。
オレは「そうだな」と答えつつ、さらにラヴィの髪を撫でていた。
「悔しかったら、アタシを殴り返して見せろっ!」
再びラヴィは声を張り上げて理不尽なことをのたまった。
でも、これを首肯するのは、さすがに無理だ。
「……できるわけないだろう。ラヴィ」
オレには、ラヴィを殴るなんて、できないよ。
「うるさい、バカ! せっかく想いを告げたのに、その甘い感情に浸る間もなく、直後に好きな男を殴りたくなった乙女心も察しろ! バカァ! このトンコンチキ!」
……トンコンチキというのは意味が分からなかったが、今ここでオレが言えるセリフはたった一つだけだった。
「……ごめん」
その言葉を聞いて、ようやくラヴィが顔を上げた。
泣きはらしたその瞳でオレを見上げて来る。
「アタシ達は、邪魔じゃないですよね?」
「ああ。もちろんだ」
オレは真っ直ぐラヴィの目を見て頷いた。
それを見て、ラヴィが更に確認するかのように言葉を続ける。
「アタシ達は仲間ですよね?」
「ああ」
「もっとアタシ達を頼ってくれますか?」
「ああ」
「もっとアタシ達を信じてくれますか?」
「ああ」
「アタシを好きになってくれますか?」
「あ……ああ?」
ちょっと待て!
今、何て言った?
ラヴィの「ちっ! 引っかからなかったか」と呟く声が聞こえた。
――こ、こいつ!
どさくさに紛れて何言わせようとしてるんだ!
さっきまでのしんみりしていた気分が、一気に霧散した気がした。
そうか。そう来るのか。
だったらオレだって、ちょっと言わせてもらおうかな?
なんかそんな気分になってしまった。
「……ちょっと惚れかけていたのに、今ので全部台無しだ。この、残念ウサギ!」
「えっ!? そ、そんな……。じゃあ今の無しです! 無しってことで!」
はぁあ……
いや、もう遅いって。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
先日 (3/17) の活動報告の通り、ラスト三話、今月中に更新する予定です。
よろしければ、どうぞ最後までお付き合いくださいませ~
次話「114. 再始動」
どうぞお楽しみに!