110. アルテミスの慰め
鳶が鷹を生むという言葉が一瞬頭を過る。
いや、アダンも黙って立っていれば結構ハンサム……に見えなくもない。
それに、母親が美人なら、美少女の娘がいても不思議じゃない……のかもしれない。
でも、それよりも、だ。
何だよ、婚約者って!
あのおっさん、本人に何の相談もなく、一体何をしてくれてんだ!
しかも、リオがいなくなって大変なこんな時に。
今度会ったら、後ろから蹴りでも入れてやろうか?
……一応、クロが見ていないところで。
アルテミスがオレの前に、膝を抱えるように腰を下ろした。
「で、貴方はこんなところに座り込んで、何をしているの?」
「何って、別に……」
そのオレの返答に、何故か彼女は眉をひそめていた。
「別に、ね」
なんだ?
なんか気になる言い方するヤツだな。
それとも、オレが何か気に障ることでも言ったか?
そう思いながらも、オレの口は同じ質問を彼女に返していた。
「君のほうこそ、こんなところに一人で何しに?」
「別に一人じゃないわ」
「ん?」
アルテミスが顎をしゃくる方向を見ると、少し離れたところにヴィクトリアンメイド型のメイド服を着た女性が一人と、さらに後ろには腰に剣を差した三人の男たちが立っていた。
……なるほど。メイドに護衛付き、というわけか。
お嬢様、っていうかアダンの娘なら王族なんだから、当然か。
「……それと、知らない間に決められてしまった、見たことも無い自分の婚約者殿とやらを見に来たのよ。宿のほうに行ってみたら、たぶんここにいるだろうって聞いたから」
なんとなく非難するような視線をオレに向けているような気がする。
それが婚約に対するものなのか、オレが宿にいなかったことに対するものなのかは分からない。もしかしたら両方なのかもしれない。
だが、婚約については別にオレが頼んだわけでも、何か画策したわけでもない。
文句なら勝手に決めたアダンに直接言って欲しい。
そうは思ったが、口にはしなかった。
別に面と向かって非難されているわけではないしな。
でも、そうか。
この子も王族の一人なんだから、考えてみれば若いうちに婚約者を決めておくということは、その立場からすれば当然ありえるのかもしれない。
詳しくは知らないが、ちゃんと子孫を残すというのは王族の義務の一つのようなものだと聞いたことがある気もする。
でも、その相手がオレって。
アダンは一体何をとち狂ったんだか。
「……そうか。君も大変だな」
「全くよ!」
そう言ってアルテミスは勢いよく立ち上がった。
右手で剣を握りしめ、左手は腰に当て、ほとんど仁王立ちしている。
その様子にオレは苦笑いしてしまった。
ならば、ぜひ拒否してもらいたいところだ。
男であるオレの方からお断りするのは、色々と角が立つかもしれない。
しかもこの子は王族。それなりに立場だってあるだろう。
そう考えると彼女の方から拒否してくれるのが一番丸く収まる気がする。
オレはそれで全然構わない。
っていうか、オレはまだ結婚なんてするつもりは無いんだし、この婚約とやらは早々に破断になってくれないと、むしろ困る。
そもそも、オレはこっちの世界にずっといるわけじゃないんだから、王族と結婚なんてできるわけがない。
それに第一、今はとてもそんなことを考えられる余裕なんてない。
どうやってそれを彼女に伝え、このバカげた婚約話をご破算にしようかと考えていた時、アルテミスが思わぬことを口にしてくれた。
「貴方は、異世界から来たって、本当?」
ちょっと驚いたが、考えてみれば彼女はアダンの娘だ。
婚約なんて話になったくらいなんだし、知ってて当然かもしれない。
「……アダンから聞いたのか」
「ええ。父様は昔、異世界から来た女性と少しの間旅をしたことがある、と。その女性は異世界に帰ってしまったそうだけど、今度はその御子息が現れた。それが、貴方だと。本当なの?」
「ああ」
オレは素直に頷いた。
アダンの娘なんだし、別にあえて隠すようなことじゃないと思っているから。
「正直、信じられないのよ。父様が嘘をついているとは思わないけど、でもおとぎ話にある《ダーナの扉》じゃあるまいし。だから、失礼を承知で聞くわ。何か、証拠はある?」
「証拠?」
アルテミスがじぃっとオレを見つめだした。
まあ、異世界から来たなんて、普通は信じられない話だろう。
でも、証拠と言われてもな……
おそらくデジカメやスマホなんかがいいとは思うのだが、あいにく宿に置いてあるバッグの中だ。今手持ちの中で、異世界から来たという証拠になりそうなモノは一つも持っていない。
なら、これはどうだろう?
オレは思いついたことを口にしてみた。
「こんなことが証拠になるか分からないけど、君の名前」
「……私の名前が、何?」
「アルテミス、というのは、こちらの世界ではよくある名前なのか?」
「……どうして、そんなことを聞くの?」
「アルテミスというのは、あちらの世界では割と有名な、月の女神の名前なんだ」
途端、アルテミスの目が大きく開かれた。
「それ、父様も同じことを言っていたわ。異世界から来た女性に聞いたんですって。その人がいた世界での、アルテミスという名の女神の話を。私の名前はそこから付けたんだって」
やはりそうか。そんな気はしていた。
母さんが、アダンに話したんだ。
そしてアダンはそれを覚えていて、その名を自分の娘に付けた。
そういうことだったんだな。
「じゃあ、本当なのね!」
こちらの世界のアルテミスは凄く嬉しそうに微笑んだ。
どうやら信じて貰えたらしい。
「ねえ。良かったら聞かせてくれない? 私の名前の由来である、その女神のこと。あなたの住んでいた異世界のこと。そして……貴方のことも」
そう言って、彼女はオレの横に座った。
アルテミスにせがまれて、オレはあちらの世界について語った。
特に彼女は、自分の名前の由来となった女神アルテミスについては目を輝かせて聞いていたよ。
といっても、オレもギリシア神話についてそれほど詳しいわけじゃない。
してあげた話は、太陽の神アポロンと双子だとか、オリオンと仲が良くて、でもそれを良く思っていなかったアポロンの罠にはめられてオリオンを殺してしまい、その後にオリオンは星座になったという、あの有名な話くらいだ。
こちらの世界のアルテミスはそれを熱心に聞いてくれていて、最後には「アポロン、許すまじ!」とこぶしを強く握っていた。
その他にも色々とあちらの世界の話をしていたが、その途中でメイドが一人、こちらに寄ってきた。
よく見ると、このメイドは最初に見た時にはいなかった人だ。
いつの間にかメイドが一人増えていたんだ。
そしてそのメイドは大きな白いシーツのようなものを敷いてくれ、さらにその上にバスケットと木製の水差しを置いてくれた。
アルテミスが「ありがとう」と言うと、メイドは軽くお辞儀をして他の従者たちの所に戻っていった。セイラの屋敷でも見たことはあったが、あれよりもさらに洗練されたお嬢様とメイドのやりとりといった感じで、ちょっとした感動を覚えたよ。
バスケットの中身はサンドイッチだった。
どうやらオレとここで朝食を摂るために用意してくれたものらしい。
つまりあのメイドが、これらを用意してくれて、ここまで持ってきてくれたということだろう。
それに気付いたとき、オレもちゃんと礼を言うべきだったと反省したよ。
サンドイッチは、炒り卵と輪切りにしたトマトを挟んだもの、薄く切った朝鳥の肉を焼いてレタスやキュウリと一緒に挟んだもの、ハムとチーズを挟んで表面を軽く焼いたものの三種類。
どれもとても美味しかった。具ももちろんだが、なによりも白くて柔らかい食パンのようなパンは、こちらの世界で初めて食べたかもしれない。このパンがどこかの店で売っているのなら、ぜひその店を紹介してもらいたいくらいだ。
水差しに入っていた飲み物はラーの果汁だった。以前にもここで飲んだことがあるヤツだ。すっきりとした控えめな甘さでサンドイッチともよく合っていた。
食事中も、そして食事の後も、オレの話に対するアルテミスの興味は衰えていないようだ。あちらの世界の話にとどまらず、オレがこちらの世界に渡ってから今までしてきた旅の話も聞きたがって、衰えるどころか、むしろエスカレートしている気もする。
先日の、ガンボーズ地方へ大砂蛇討伐に行ったこと自体はアルテミスも知っていたようだ。アダンから聞いていたのかもしれない。
だがその内容までは詳しく聞いてなかったのか、その話もせがまれた。
オレはちょっと戸惑いつつ、さしさわりの無い範囲で話した。
通常よりも大きな大砂蛇が現れたこと、そこから迷宮の入って、最初は簡単な問題を解いて進んだこと、後に大砂蛇や灰小玉鼠、剣歯白虎、そして迷宮の主と戦ったこと。
最後、リオがいなくなってしまったことは話さなかった。
話せなかった、といったほうが正確かもしれない。
いろいろな感情がぶり返してきて、オレは口をつぐんだ。
それ見てアルテミスが口を開いた。
「……ごめんなさい。実は最後のところ、少しだけ父様から聞いていたの。大切なお仲間の一人がまだ帰ってきてないって。でも、死んだわけじゃない。ただ帰って来るのが少し遅れているだけだって言ってたから。私もそう深く考えて無くて」
オレはその言葉にただ頷いた。
そうだ。
ただ帰りが遅くなっているだけだ。
なのに、初対面の人にまで心配をかけさせてどうする。
だが、その後の彼女の発言に、ちょっとしんみりしかけていたオレの感情は吹き飛んだ。
「実は父様から、トーヤはそのことで少し落ち込んでいるから慰めてあげなさいって言われてて。婚約者なんだからって」
――は? 慰め……って。
おいおい!
自分の娘に、一体何を吹き込んでんだ、あのおっさんは!
目の前の少女に視線を向ければ、彼女は屈託のない瞳でオレを見上げている。
「してあげましょうか?」
――はい?
い、いやいや!
婚約者って言っても、承諾した話ではないんだし。
それに、ついさっき会ったばかりだぞ?
ポーカーフェイススキルを駆使しつつも、内心少し狼狽えていたオレに向かって、アルテミスは右手を伸ばし、オレの頭に触れた。
そしてにっこりと笑いながらオレの頭を撫でる。
……あれ?
ああ、そういうことか。
これがこの子のいう「慰める」か。
そうか、そうだよな。ははは……
思わずため息が出そうになる。
あ、いやいや。
これは安堵のため息であって、決して落胆のため息ではないよ?
別にオレは、もう少し大人向けの「慰める」を想像してしまったわけでも、それを期待したわけでもないからね?
そ、そもそも、アルテミスのほうこそ純真なんだとは思うが、この年齢でそれはちょっと純真すぎやしないか?
いや、そういえばまだ年齢は聞いていないか。
そう思ってオレは尋ねてみた。
「アルテミスって、歳はいくつ?」
「今年で十六よ。それが何か?」
――十六!? オレより三つ下!
もう少し上かと思っていたよ。
だとしたら、この純真さというか、無防備さというか、それは年相応か?
いや、この世界は十五で成人だと聞いている。
ならば、やっぱもう少し、そのなんというかさ、警戒心というか……
当の本人はオレの思いなど全く気付かずに、同じ質問を返してきた。
「トーヤは?」
「オレは十九だよ」
「――えっ!?」
驚きの声を上げて、アルテミスの手の動きが止まった。
なんでそこで驚く?
オレを幾つだと思ってたんだ?
っていうか、アダンから聞いてなかったのか?
……いや、アダンもオレの年齢をちゃんと知っているのか、ちょっと怪しいか。
「……ホント?」
「嘘をついてどうする。本当だよ」
アルテミスが座りながらも少し後退った。
なんかアルテミスの顔が引きつってないか?
「……てっきり同じか、一つ年下かと」
そういってオレの頭を撫でていた手を引っ込めた。
なんか、頬も少し赤くなっているみたいだ。
「ご、ごめんなさい。年上の殿方に、その……」
そう言ってアルテミスはオレに背を向けてしまった。
なるほど。
彼女はオレを年下だと思っていたわけだ。
つまり、オレを子ども扱いしてくれていたわけだ。
あの無防備さも、なんとなく納得した。
でも、そりゃあ向こうの世界でも多少童顔に見られることもあったが、それでも十五、六に見られたことは無かったぞ?
この世界では、オレはそう見えるのか?
もしかして、今までもそう見られていたのか?
まさか、ファムとラヴィも、オレをそう見ている?
ははは、まさかね。
……後でちゃんと確認しよう。うん。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
次話「111. 心が選ぶこと」
どうぞお楽しみに!