109. 異世界のアルテミス
あの迷宮の探索から、早くも二十日が過ぎた。
それは同時に、リオがいなくなって二十日が過ぎたということでもある。
あの後オレたちは、ガンボーズ地方の入り口とも言える鉱山の村で、五日ほどリオの帰りを待っていたのだが、結局リオは帰ってこなかった。
その間、三人で再びあの迷宮に入ってみようかという話も持ち上がった。
危険だということは十分分かっている。
だが、どうにもじっとしていられなかったんだ。
だが、砂漠地帯にあるハズの転送場所、あの黒い岩を見付けることはできなかった。砂地がすり鉢状になっている場所は見付けることができたんだが、その中心には何も無かった。
砂地を少し掘ってもみたのだが、砂以外何も出て来なかった。
最初にオレたちが転送された時は夜で暗かったこともあり、もしかして似ているだけで違う場所かもと思ったのだが、ラヴィとファムが二人揃ってここで間違いないと断言していた。
二人にそう言われてしまっては、オレにはそれを覆せるだけの根拠なんかあるわけがない。
もしかしたら、あの黒い岩もまとめてリオは転送して持っていってしまったのかもしれない。
結局オレたちは、そこでは何もできず、リオに言われた通り王都に戻るしかなかったんだ。
ガンボーズ地方から王都に着くまでに十日かかった。
リオはオレたちを転送してくれた時、リオの宝物庫に入れてあったオレたちのバッグなどもちゃんと残してくれていた。だから、行きに比べて帰りは馬に載せる荷物が多かったということもあると思う。
だけど、十日もかかった一番の理由は、リオが追いかけて来るんじゃないかと気になって、オレたちの進みが極端に遅くなったからだ。
王都までの道のりでは、オレたちの口数は極端に少なかったと思う。
振り返ってみても、何を話したかほとんど覚えていない。
オレはリオのことばかり考えていたし、たぶん二人も似たようなものだったんじゃないかと思う。
王都に着いてから、オレたちは事の顛末をクロ達に報告した。
クロは最初こそ少し驚いたようだが、オレの肩に手を載せ、「大丈夫。リオはすぐに帰って来る。それまでは少しゆっくり過ごすといい」と言ってくれた。
シロも「そのうちひょっこり戻って来るんだからさ。心配するだけ無駄だよ」なんておどけていた。
……うん。
オレもそう思うよ。
そう、信じているよ。
当初の目的であった大砂蛇の黒い角だが、七本ともオレのバッグに入っていた。
本来なら今の持ち主であるオレじゃないと、この魔法のバッグに荷物の出し入れはできないハズなんだが、リオはマスターコードを知っているからな。そういうこともできるのかもしれない。
そのおかげで、今ファムとラヴィのハンターの申請が進められている。
依頼を受けたのは二本だったが、結果的には七本だ。
十分すぎるほどの成果として、オレと同じC級で推薦するとクロは言ってくれていた。
王都に戻ってからのこの五日間、オレは朝と夕方に走り込みをしている。
朝日を見るために山を登ったとき、自分の体力の無さを痛感した。
というのを表向きの理由にしている。
クロはゆっくり休め、みたいなことを言ってくれていたが、とてもじゃないがじっとなんてしてられなかった。
今リオがどうなっているのかを考えると、自分だけのんびりとなんてできない。
今のリオに、オレが何かをしてやることはできない。
いくら考えても何をどうすればいいのか、何も思いつかない。
でも、何かをしていたい。
……いや、違うな。
何かをしていないと後ろめたいんだ。
以前、異世界に向けて出発する直前、母さんにあまりリオに頼り過ぎちゃダメだと言われていた。その時オレは分かってると答えたハズだ。
けど実際は?
そう。リオに頼りっぱなしだ。
オレは分かってなんかなかった。
全然分かってなんかなかったじゃないか。
体力不足なんてとっくの昔に気付いていたことだ。
紅鎧討伐の時にだってそのことは気付いてて、鍛えなきゃと思っていたハズだ。
なのに、オレは今まで全然しようとしてなかった。
別に体力のことに限った話じゃない。
リオに頼って。
リオの魔法に頼って。
オレは何もしてこなかったんじゃないか?
今さら何を、とオレも思う。
リオがいなくなってから、何を今さらって。
だが、それでも!
オレは走った。
王都の街中を、朝日が照り付ける広い路地を、ただひたすら走った。
これも、やはり逃げなんだろうか?
何かをしているということで、自分の中の罪悪感を打ち消そうと逃げているだけなんだろうか?
きっとそうだろうな。
でも、それでも、今のオレには、他にできることは無いから。
他には、何も……無いから。
◇
オレはいつの間にか町はずれの原っぱに着いていた。
先日、二代目獣耳娘メイド隊も含め、みんなでバーベキューをしに来た場所だ。
走り込みは、ここと宿の往復にしている。
宿からここまで、休み無しで走ってきたから息が苦しい。脇腹も痛い。
たった五日の走り込みじゃ、まだまだってことだな。
オレは腰に括り付けていた水筒を手に取り、水を口に含んだ。
周りを見渡すが、ほとんど人はいない。
が、全くいないというわけでも無い。
まだ朝も早いハズなのに、遠くの方で子供たちが何かボール遊びのようなことをしているみたいだ。
この後には、剣の素振りと、誰もいなければ魔法の練習をする予定だ。
だがその前に、少し休もうとオレは大きな木に歩み寄り、その根元に座った。
膝を抱え、そこに顔を埋める。
走っている間は色々と考えずに済む。
だが止まってしまうと色々なことが頭に浮かんでくる。
今リオはどうしているのか。
何故まだ戻ってこないのか。
すぐに戻ると言っていたのに。
そして、最悪の展開までもが容赦なく浮かんでくる。
こんなに待っていて、でもまだ帰ってこないということは……
もしや、あのリオが……
その時だった。
コーン、という音と共にオレの頭に軽い衝撃がしたのは。
「てっ!」
何事かと、思わず顔を上げた。
そこには、いつの間にか一人の若い女性が立っていた。
その手には鞘に納められた細身の剣。
もしかして、それでオレの頭を叩いたのか?
ってか、誰だコイツ?
なんで、見も知らぬ女に、オレは頭を叩かれたんだ?
正直怒鳴りつけてやりたい気持ちが強いが、相手は女性だ。
何とか自分を抑えつつ、手で頭も抑えつつ、オレはできるだけ穏便な声で彼女に向かって声を掛けた。
「君は、誰?」
女は一拍置いて、座っているオレを見下ろしながらそれに答えた。
「私は、アルテミス」
……え? アルテミス?
その答えにちょっと驚いた。
何故オレを叩いたのかと、聞こうと思っていたことも忘れて思わず彼女を見上げていた。
だって、アルテミスだ。
向こうの世界での有名な女神、確かギリシア神話での狩猟か月の女神だったと思うが、それと同じ名前を彼女は名乗ったんだ。
これは、単なる偶然なんだろうか?
驚いているオレを、アルテミスと名乗った女がじぃっと見つめている。
そこに、何か言いたげな雰囲気を感じて、オレは再び口を開いた。
「なんだ?」
「……その様子だと、まだなのね」
彼女の言葉には溜息が交じる。
だが、オレにはその言葉と溜息の意味が分からない。
「何が?」
穏便にと心掛けていたつもりだが、多少オレの声色に苛立ちが含まれていたとしても仕方ないことだと思う。だって、いきなり叩かれて、その上なんか意味不明なことを言われているんだから。
そんなオレに、彼女は更に驚くことを言ってくれた。
「私は、貴方の婚約者よ」
………………はい?
思わぬ答えに、オレは更にまじまじと目の前に立つ女を見てしまう。
年齢は、オレと同じか一つくらい歳下だろうか。
蜂蜜色の綺麗な髪に碧眼、整った顔立ち。
美少女と言っていいだろう。
獣耳は無い。
尻尾も無い。
普通の人族の娘。
どうやら身なりは良さそうだ。
薄いブルーのワンピースに、日除けのつばが広く赤いリボンが巻かれた白い帽子をかぶっている姿はどこぞのお嬢様といった感じだ。
ただし、手に持っている細身の剣が、その身なりに果てしなく似合っていない気がするが。
そして、やはりというべきか、見覚えは無い。
会ったことは無いハズだ。
だから、思ってしまう。
何を言っているんだこの娘は、って。
だって、初対面で婚約者ってありえないだろう?
それにそもそもオレに婚約者なんていない。
恋人と呼べる人だっていたことないのに。
ましてやこっちの世界にいるハズもない。
だとしたら、考えられることは唯一つだ。
「……やっぱり人違いだろう。オレには婚約者なんていないよ」
「でも、貴方がトーヤでしょう?」
……え?
何故オレの名前を?
え?
ってことは、人違いじゃない?
いや、同名の誰かと間違えているという可能性だって……
ほとんど混乱しかけているオレに向かって彼女が口を開く。
「やはり、まだ父様から聞いていないのね」
「……悪いが、話が見えない。父様って?」
「私の父よ。知ってるでしょ? アダン・アンフィビオよ」
――あのおっさんの、娘? この美少女が!?
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
次話「110. アルテミスの慰め」
どうぞお楽しみに!