第6話 ‐混沌の王‐ “Take it, and Violate it ,the Beauty”
オレ達のお袋が行方不明になった、という電話が、お袋の管理する孤児院からやってきたのは、月曜日の朝だった。
続いて、俳優である親父の所属事務所からも、同様の電話が来た。
夏夜はそれを聞いた瞬間に倒れて、今は熱を出して寝込んでいる。
小夜も真っ青で、うつむいている。
オレはただ、小夜を抱きしめ、こんこんと眠る、夏夜の手を握ることしかできなかった。
地元グリマー市の警察によれば、人前で突然姿がブれ、跡形もなく、掻き消えたという。
新人らしい若い刑事<ポリス>が、「またあのロストハート事件じゃないか!?」となどわめいていて、年長のポリスに叱られていた。
前触れのない人体消失。はっきり言って、人間業とは思えない。
なんらかの能力者が犯人とみて、警察は捜査を進めているらしいが、今のところ、進展は皆無だ。
もう夕飯時だが、飯を食べる気分になれず、今朝から何も食っていない。
夏夜だけは、とおかゆを食べさせてやろうとしたが、熱がひどく、朦朧としており、起きる様子はない。
進藤の病院に連れていくべきなのだろう。
でも、夏夜は、うわ言のように、いや、いや、病院はいや、と首を振るばかりだ。
向こうから来てもらおうとして、何度か電話もかけたがつながらない。
当然、学校も休んだ。
輝馬たちが押しかけてきたが、追い返した。
小夜の手前、打ちひしがれてはいられなかった。
それでもショックはショックだったし、何かの間違いじゃないかと何度も唇を噛んだ。
とにかく、今はもう誰の顔もみたくなかったし、余計な心配もかけたくなかった。
夜が更けるころ、オレは小夜と交代し自室に戻り、思い出した。
なんでも叶うおまじない。
その方法を、輝馬から聞きだしたばかりだった。
確か、ろうそくを用意する。
そして、白い布か紙を用意して、自分の血液を垂らす。
願うことなど、決まっていた。
オヤジとお袋を取り戻して、夏夜を元気にする。
オレは、その呪文をつぶやいた。
『深淵からいでし、カオスの君よ、我が願いを叶え、我が心臓を喰らえ』
カンペなしで、すらすらと続ける。
……続きは、そうだ、こんなセリフだ。
『忘却と喪失、姦淫と凌辱の王よ』
『泡沫にして永遠、乞い願い希う肉欲の王よ』
『……其方は美しい』
そこで一回区切り、息を吐いた。
『どうか、我の血を飲み欲し、我が肉体を犯したまえ』
こわばった肩を意識しながら、乾いた喉をこくりと鳴らす。
……これで最後だ。
『今ここに、誓約の口づけを。以て、我が願いの成就とする』
ちんぷんかんぷんな言葉だったが、一息で唱えた。
国語力はともかく、暗記技だけは昔から得意なオレにとっては、なんてことのない業だった。
額の汗をぬぐい、やけくそ気味に、にやりと笑うと、触媒である、「白い布」代わりの、ベッドのシーツが光りだした。
「……っっ」
どこからか強い風が吹き、思わず目を閉じた。
目の前には、まがまがしく赤く輝くふたつの瞳。
――裂けたザクロのような口。
――――人肌に似た血色のない白肌が生々しい、気味の悪い面。
手足は細長く、まるで針金か、おもちゃのマリオネットのようだった。
「「私を呼んだのは君?」」
ノイズのような耳障りな声で、やつは言った。
そこにいたのは、親父の仮面を被った道化だった。
ああ、マンガにこういうのいたな、と、どこか他人事のように思った。
「お前が犯人だな、化け物。さっさと、親父たちを返せ」
湧き上がる怒りをねじ伏せながら、押し殺した声で要求する。
——思い出す。
怒りっぽいが、オレ達をいつも励ます、お袋のあたたかな掌を。
いいかげんにみえて、オレ達のためならどんな無茶もやってのける、親バカな親父のくだけた笑みを。
……そして、最後に、そんなかけがえのない肉親を奪われ、うなされている夏夜の苦しそうな寝顔。
なんとしても、こいつから、奪われたすべてを取り返す。
「「なんのことかな?」」
道化は、こてん、とよくできた、からくり人形のように首を傾げた。
わざとらしいしぐさに、腸が煮えくり返り、つかみかかった。
「この場で、消し炭にしてやろうか、てめえ!!」
「「やめようよ、そういう暴力的なことは。そんなに私が憎いの?」」
「決まってんだろ……っ! 早く親父たちを返せよ!!」
「「嫌だよ」」
仮面の男は、馴れ馴れしい口調で、笑った。
「「私はね、君たちをめちゃくちゃにしたいんだ。これはそう、復讐だよ」」
「いちいち気色わりいんだよ!!」
――ごおっっ!
煉獄の炎が、仮面の男をなぶるが、やつは傷一つなかった。
「「そうだな。私を探しに来てよ。ねえ、鬼ごっこだよ、<リトルサマー>」」
……リトルサマー。小さい夏。
オレの名前をおちょくるように、あるいは、悼むように。
そいつはかすかに口元をゆがめた。
道化はくるりと踊ると、今度はにっこりと笑った。
「「私を止めてみせてよ。止められるものならね」」
道化はけたけた、と笑う。
……けたけた。けたけたけた。
そして、なんの前触れもなく、窓から飛び立った。
「おい、てめえ!!」
窓から乗り出す勢いで追いかけるが、外にはすでに姿形もなかった。
「……くそっ……」
拳を窓枠に叩き付けると、熱で歪んだ。
じゅうじゅうと音を立て、溶けた金属のにおいに、吐き気がする。
その場で蹲り、リバースした。
「おえ……っ」
びちゃびちゃ、と汚らしい吐しゃ物がカーペットを汚し、震える躰を抱きしめた。
ないはずの心臓が早鐘を打ち、腹の中で、なにかが暴れまわる。
「……っっ」
目を閉じて、発作に耐えているうちに、ほの暗い睡魔が襲ってきた。
どこまでも、堕ちてゆく。
オレの眦から、一滴、熱い雫がこぼれた。
オレはどこまでも無力で、ただ泣くことしかできない、虫ケラなのだと、ただ、最後に思った。
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(( これは復讐なんだよ、リトルサマー。 ))
(( (( だから、ここまでおいで。 )) ))
かすかにエコーするその声は、<身を焼きつくす業火>と、<魂ごと凍て尽くす氷の棺>に似ていた――。
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Take ~テイク~「奪う」
Violate ~バイオレイト~
〈約束・条約・法律などを〉犯す,破る; 〈良心などに〉そむく,違背[違反]する.
〈…の〉神聖を汚す,〈…に〉不敬を働く,〈…を〉冒涜する.
〈静寂・睡眠・プライバシーなどを〉乱す; 妨害[侵害]する.
〈婦女子に〉暴行を加える,〈女性を〉強姦する.
【語源】ラテン語「力で扱う」の意
Beauty ~ビューティー~
【不可算名詞】 美しさ,美; 美貌.
【可算名詞】美人; 美しいもの,すばらしい人.
(同種のものの中で)特にすぐれたもの 〔of〕.
“Take it, and Violate it ,the Beauty”
~テイク・イット・ヴァイオレイト・イット・ザ・ビューティー~
「奪え、犯せ、美しき者よ」
「奪え、???、すばらしき者よ」