~エピローグ~ -永遠の恋-【後編】 “Ever Heaven”
イラスト@Nicola nn様
中等部二年に上がるころには、僕はSクラスに繰り上がり、そして、三年生を差し置き、あっという間に序列二位になった。
小夏への想いを断ち切るように、勉学や能力に打ち込んだ僕は、父譲りの涼しげなマスクもあいまって、より一層女子に騒がれるようになった。
はじめての彼女ができたのは、中学二年の春だった。
新入生のなかに、とても可愛らしい子がいた。
性格や容姿こそ違えど、その面影が、どことなく、昔の小夏に似ていた。
だからというわけじゃないが、告白された瞬間、二つ返事でうなずいていた。
彼女は可愛かった。
けなげで、よく手作りのお菓子や、お弁当を持ってきてくれたし、よく笑った。
だが、彼女をみるたびに、違和感ばかりがつのった。
小夏に似ているその子は、小夏とは違う笑い方をする。
小夏とは違うしゃべり方で、小夏とは違う、潤んだ瞳で僕をみつめる。
気づけば僕は、小夏にしたように、その子を突き放すようになっていた。
彼女は、よくこらえたと思う。だが、ある時、泣いた。
それが、僕たちの最後となった。
僕は、彼女にさよならを告げられた。
「ごめんなさい」と彼女は言った。
「輝馬君は、わたしの幻想だったんだね」と。
その後も、女の子から告白される日々が続いた。
そのころには、もう気づいていた。
彼女たちがみているのは、僕じゃない。
父譲りの容姿と成績、そして大人びたクールな言動、それらを総合した、双子坂輝馬という名のブランドなのだと。
次々と言い寄ってくる少女たちは、そのブランドに憧れ、いつしか、その幻想を、虚像を、愛した。
だが、どんな理由であれ、僕を選んでくれた子だということには変わらないし、全員がそうではない、と信じたかった。
だから、いつも、その子のほしい言葉をかけてやったし、僕なりに誠実に接したつもりだ。
だけど、どうしてだろう。
付き合って一日がたち三日がたち一週間がたつころには、その子に優しくすればするほど、幼き日の小夏の姿が思い浮かんだ。
麦わら帽子をかぶって笑う小夏。膝小僧をすりむいて泣く小夏。
怒って、ぱんぱんに頬を膨らませる小夏。
互いに水鉄砲を掛け合ってびしょびしょになった時、小夏のシャツから肌が透けて見えて、落ち着かなくなったこと。
そうすると、たまらなくなって、彼女を突き放した。
キスやセックスの真っ最中に、突き飛ばしたこともある。
最低だとわかっていたが、自分でもコントロールできず、途方にくれた。
そして一か月もたたないうちに、終わりは訪れる。
「そんな人だとは、思わなかった」
最後はきまってこうだ。
お決まりのセリフだと、自嘲して笑めば、平手打ちをくらうなら、まだいいほうで、泣き崩れられることもあった。
裏切られた、と思わせてしまう自分がいらただしかった。
最低の男だと思われても仕方なかったが、果たして、捨てられたのはどちらだったろう。
次第に心がさび付いて行った。
一年がたとうとする頃には、すでに色々と諦めていた。
クールでそつがないといえば聞こえがいいが、ようするに人付き合いに疲れ、投げやりになっていただけだった。
女の子を大切にできない、自分にいらだち、小夏に何度も当たった。
小夏のせいにするつもりはなかったが、今にして思えば、恨めしかったのだと思う。
子どもの頃あれほど恋していた、あの「幼馴染の少女」は、もうまるで、別の生物になっていたのだから。
八つ当たりだと、わかっていた。
もうすでに、女の子ですらないその子に、今だ恋い焦がれている、なんて認めたくなかった。
それでも、気が付けば、口をついていた。
「だとしても、小夏は、僕が護ります」
いや、保険医の天津先生と小夏の、仲睦まじい様子をみたときから、気づいていてもよかった。
臓腑から湧き上がる、嫉妬という業火が、僕の心臓をあぶったその時に。
それでも、蓋をしていなければ、辛すぎた。
もう男にしかみえないあの子に、いまだに恋し続けている、なんてことを認めてしまえば、自分がおかしいと、狂っていると。
否応にも、自覚してしまうのだから。
「僕に考えがある」と言ったきり、小夏をほっておいて、自分一人で仮面の男の調査に乗り出したのも、今から思えば、恰好つけたいだけだった。
当時すでに、僕は、連日の悪夢に、悩まされていた。
最初は、昔の可愛い女の子だった時の小夏、次に、だんだんと男子へと、変貌していく小夏、そして、今の小夏。
キスからはじまり、最後には無理やりに組み敷き、レイプする。
あまりに卑劣で、残忍な行為を繰り返す自分は、まるで、悪魔のようだった。
きっと、これは、噂の怪人のもたらしたものだ。
仮面の男の噂を聞き及んでいた僕は、その悪行を裁こうとするかのように、徹底的に調べ上げた。
いや、本当は、その悪夢から、逃れたいだけだったろう。
そして、とうとう、その薬、天国の扉<ヘブンズドア>を入手した。
みたい夢を、みられるドラッグ。
自分がとうに、おかしくなっていることは、気づいていた。
鉄壁の理性で、人前では平然としていたが、やけになって、そのドラッグを飲み込んだ時点で、もうすべては手遅れだった。
——この薬を飲み下せば、もうこんな悪夢からは逃れられる。
今からすれば、支離滅裂だが、もう何が現実で、何が夢かもわからなくなっていた僕は、藁にもすがる気持ちで、それを飲み下した。
そうして、思い知った。
いくら、女の子と肌を重ねても満足できない、この飢えかわく喉のわけを。
自分が抱きたかったのは、世界でただひとり、小夏だったのだと。
だが、小夏は、どんなに突き放しても、僕から離れていかなかった。
ほかの女の子のように泣いたり、傷ついたようなそぶりをみせず、ただ、「てめえ、無視すんじゃねーよ!」とか、「はーあ? ぶっころすぞ!!」といって、突っかかってきた。
どんなに遠ざけようとしても、怒りながら追ってきた。
僕は恐らく、逃げていた。
本当の気持ちからも、小夏からも。
それでも小夏は、たぶん、信じていてくれた。
僕が、本当の意味で、君を傷つけるような真似は、しないということを。
だから、僕はあと一歩のところで、踏みとどまることができた。
小夏を、めちゃくちゃにせずにすんだ。
もとより、離れられないのは僕のほうだった。
あの夏の日、小夏は僕をみつけてくれた。
僕が、僕を見失うたびに、みつけだしてくれた。
そうして、この心臓を、ほてらせた。
……いや、みていたのは、夢だったのかもしれない。
人より少し低い、僕の体温を上昇させる、恋の病。
——あるいは、狂おしいほどの、愛の病。
あの日以来、そんな覚めない夢をみていた。
そう、「永遠の夢」を。
今、僕の腕のなかには、その子がいる。
世界で1番愛おしい、僕の宝物が。
「……ん……」
みじろぎをして、小夏が寝返りを打つ。
タオルケットからのぞく小麦色の肌も、その胸に咲く、膨らみはじめた女の子の証も、今は閉じられている、炎みたいに澄んだ瞳も。
……きれいだ、と思う。君は、きれいだ。
何より、その曇りのない、ぴかぴかのガラス玉のような心が。
純粋で、ひたむきで、誰かのために一生懸命になれる、その魂が。
世界で1番きれいだ、と思う。
……まぁ、こんなことを真面目に考えている僕も、大概、盲目だけどね。
「……こーま……」
いいながら、子供みたいに、この胸に、よだれを垂らすその姿さえ、たまらなく可愛らしくみえるのだから、僕もいいかげん病気だ。
どうしてくれよう、と頬をつねると、小夏はへにゃりと笑った。
「――こーま……」
「……なぁに?」
思わず唇から漏れだしたのは、でろでろに溶けた砂糖菓子のような、甘い返事だった。
柄でもないが、仕方ない。惚れた弱みだ。
「…………」
案の定、返事はかえってこなかった。
がっかりはしたが、どうせ何の意味もない寝言だろう。
しかし、その時、小夏の唇が、再び動いた。
「……――ずっと、一緒にいような……」
それは、奇しくも、君のお父さんが昔、僕の父に言ったセリフと、全く同じだったわけだけど。
そのセリフに、僕の心は、もう、とろけきってしまった。
「――どこにもいかない。……ここにいるよ……」
君の、隣に、永遠に。
歌うように囁き、そっと頬にキスを落とすと、小夏は、にまにま、と笑った。
どんな夢をみているんだろう。
でも、幸せな夢だといい。
君の未来に、祝福を。
願わくば、君の隣で君を護る男が、永遠に、僕だけであることを。
まぁ、それはまた、「おいおい」かな、と僕は、小夏を抱き寄せた。
触れた肌から伝わる温度。脈動。
そうだ、と思う。
はじめて君をみつめたあの瞬間、僕の心はとけて、とろけきってしまったんだ。
あの時の業火は、今も僕の心臓の奥を燃やしている。
——好き? 大好き?
……違う。
あの時の僕が落ちたのは、そんなありふれたものじゃない。
永遠の恋……いや、恋ですらない。
<永遠の愛>に、落ちたのだ。
たった、三秒間のうちに。
瞳の奥は、心臓と繋がっている。
僕らは瞳で触れ合って、心臓に触れ合った。
瞳で恋をして、心臓で愛を始めた。
だから、結末はもう、幸福な夢しかないのだ。
<永遠の夢>を語ろう。
それは、あまく愛おしい君の最期を、看取ることだ。
<永遠の愛>を語ろう。冷めない真夏の夢を。
僕はもう君なしでは、呼吸すらできないのだから。
あわせた胸と胸のあいだに、永遠がある。
こんな話をしよう。
それは、失った心臓がつむぐ、真夏の恋物語だ。
永遠に冷めない、恋の歌だ。
永久に終わらない、愛の歌だ。
小夏の頬にもう1度口づけると、僕もまた眠った。
もう、あんな悪夢をみることもないだろう。
あれだけ求めていた、愛しい夏は、僕のもとに。
その幸福は、きっと、永遠に僕の心臓を燃やす。
永遠なんて信じていなかった。
幼稚な妄想で、ままごとだと思っていた。
幻想で、虚像で、空想だと。
でも、今、僕は、信じている。
たとえ、どんなに残酷な運命が、再び、僕たちを引き裂こうとしても。
この子がくれた熱は、僕の心臓を、永遠に燃やし続ける。
だから、あえて、誓おう。
幻想を、虚像を、空想を、妄想を、現実へと変えてしまおう。
その、天国<ヘヴン>の夢を。
——さあ、<永遠の愛>を、はじめよう——。




