第50話 -永遠の愛Ⅱ- “good bye,Never Land.”
イラスト@Nicola nn様
オレ達三年生の卒業式、レンガ造りの時計塔の下、輝馬が選んだオーダーメイドの制服のスカートを握りしめ、小夏は泣きじゃくっていた。
「別に家に帰れば会えるし、高等部も同じ敷地内にあるんだから、今までと変わらないよ」とオレは言った。
輝馬と付き合いだした小夏は、日に日に可愛くなって、もう女の子にしかみえなかった。
ハイウエストのワンピースタイプの制服も、ない胸がどうの、と小夏は言っていたけれど、全然変じゃない。
小夏の膨らみだした小さな胸や、細い手足、そして、それらすべてを輝かせる、ぽろぽろと落ちる雫。
なんて綺麗なんだろう、とオレはいまさらながら見惚れた。
小夏はぶんぶんと、肩までのびた、なめらかな茶髪を振りながら、「でも」と言った。
「お前と、もう同じ教室で会えない。あと一年も、オレはお前と勉強できない」
小夏と同じクラスになれたのは、たった半年間だ。
でも、小夏にとっては、永遠にも等しい時間だったのだろう。
そう、小夏は変わらなかった。
オレの本性を知っても、これまでと変わらず、愛してくれた。
そのことは、オレを救った。確実にだ。
いや、最初にオレに手を差し伸べたのは、雷児だった。
笑わなくなり、みんなから距離を取ろうとするオレを、雷児は強引にでも引き留め、元の関係に戻そうとした。
オレが逃げればはがいじめにしたし、オレが嫌がって泣けば、優しく抱きしめた。
小夏が両性であるように、無性であるオレも、男でも女でもない。
けれど雷児は、それがどうした、と言ったのだ。
……オレなんて、本当は、純粋でも無垢でも、綺麗でもない……。 ――だから、どうした。
……みんなを傷つけるなんて、最低だ……! ――だから、どうした。
~~そんな風に甘やかすお前なんか、嫌いだ……!!
――“嘘をつけ”
卒業式の日の屋上で、雷児は、まっすぐオレの目をみて言った。
——嘘をつけ。お前は、愛されたかった。
——でも、好きなやつの一番になれなかった。
——お前は今、飢えて、乾いている。求めていて、泣いている。
……言えよ。お前が本当に、望んでいることはなんだ。
「愛されたい……っ!! 本当は、小夏の本当の初恋が、オレだったらよかったのに……っ、小夏のお嫁さんが、オレだったらよかったのに……オレはもう、どうしていいかわからない……っ!!」
「俺の嫁になれよ」
「え……?」
オレは、まばたきをした。
「俺の奥さんになれよ。俺に愛されろよ。俺だったら、お前を離さない。心変わりもしない。ずっと、お前を愛してやる。それじゃ不満か?」
「なにそれ……意味が……」
「お前は知らないだろうな。俺の初恋がお前だってこと」
「雷児の初恋が、オレ……?」
「そうだ。あの日、小夏に呼ばれて、俺は進藤先生を呼んだ。お前を助けたくて、でも、俺より兄貴のほうがガタイがよかったから、お前を背負う役目を譲った。悔しかった。それでも必死に駆け、助けを呼んだ」
「でも、お前は、小夏のことしかみていなかった。その時、なにかもやもやとした、どす黒いものが俺を満たした」
「本当はな、俺は、小夏に嫉妬してたんだよ。誰にでも愛想を振りまいて、その癖、寂しがりで、笑いながら泣いていて、いつだって愛されたくて仕方がない……。そんなお前に、俺は恋をしたんだ」
「なんで」
オレは、涙目で言った。
その頭を、雷児がくしゃり、となでる。
「なんでだろうな。でも、お前を護りたいって思った。苦しんでいるお前を助けたいって。それが男だろ?」
「……男」
オレは繰り返した。
「ああ。お前にはわからないかもしれない。お前は自分のことを、男だとも女だとも思っていなかったからな。でも、男は誰かを護るために強くなるんだ。俺にとってのそれが、お前だった。それだけのことだ」
「…………」
オレは、黙った。
雷児の言うことは、納得できるものではなかった。
こんな醜いオレを、愛してくれる人が実在する?
そんなことは、とても信じられなかった。
「だから、共犯だ、夏夜。俺はお前が小夏を好きだと知っていて、なにもしなかった。闇に落ちていくお前に気づかず、ほっておいた。お前が仮面の男だと薄々気づきながらも、黙っていた」
「だから、ひとりで罪を背負うな。もう、いいんだよ。お前は、がんばった。これ以上ないほど恋をした。だから、これからは、お前が愛される番だ。幸せになる番だ」
「……な?」と雷児は笑った。
そして、目を丸くするオレに、顔を近づけた。
そのまま、20秒ぐらいたった。
「はー、やっぱダメだわ。かっこいいこと言っても、ヘタレ返上ならずか」
オレは、笑った。それは冗談だと知っていた。
雷児には、それができた。
今のムードなら、いくらヘタレの雷児でも、オレの唇を奪えたはずだ。
でも雷児はそうしなかった。
わざとダメな自分を演じて、笑いをとって、この肩の荷を下ろしてくれたのだ。
そのことに、ひどく安心して、泣きそうになった。
ああ、と思った。
(……ああ、オレは、きっと——。)
そっと、目を閉じた。
微笑みながら、その時を待った。
まもなく、唇になにかが触れた。
それは、そんなに柔らかくなかったし、少しかさついていた。
でも、その感触が、ぬくもりが、果てしなく心地よくて、何度も唇を合わせた。
恋に落ちる、って、こういうことだろうな、と思った。
雷児がこんなにも男らしくみえたのは、きっとなにかの魔法がかかっていたからだ。
いや、オレは知っていた。雷児はいつだって、格好いい。
ただ、今まで、それに気づけなかった。気づかないフリをしていた。
小夏を想うのに不要な感情だと、切り捨てた。
オレは、きっと、小夏と同じだった。
初恋を護ろうとして、新たな恋にふたをした。
でも、そんなことはもうやめよう、と思った。
きっと、雷児のことを好きになれる、と思った。
いや、とっくに、好きになっていた。
オレの初恋は、叶わなかった。
けれど、そのはじめての恋が、今この瞬間、報われた、と思った。
オレが小夏に恋をしなかったら、きっと雷児も、オレに恋しなかったろう。
雷児が好きになったのは、きっと、小夏が好きで好きで、小夏のために必死になって、可愛くあろうとするオレだったのだから。
心破れても、人はまた、恋に落ちる。
何度でも、やり直せる、と小夏が言ったように。
オレの失った心は、恋心は、この不器用なフリをした優しいノライヌに、奪われてしまった。
ならばもう、後は愛するしかないのだ。
この、はじめての恋人を。そして、大嫌いな自分を。
ねえ、この物語に、今、名前をつけよう?
ロストハート。<ミッドサマー・ロストハート>。
狂いそうに暑い夏の夜、理性<ココロ>をなくした一羽の鳥が、臓腑から湧き上がるように生まれ出た、嫉妬の炎に翼をもがれながらも、それを取り戻す夢物語。
混沌の悪夢<ナイトメア>の果てに、真実の愛を知るまでの軌跡。
夢から覚めて、オレ達はまた違う夢をみる。
永遠に眠るまでの、わずかな旅。
そのなかで、なにか失ったり、取り戻したりしながら、オレ達は、せわしなく生きていく。
死と裏切りの<失われた夏>は、新たな生命を生み、新しい朝を、永遠の夏を迎えた。
真夏の悪夢は覚め、後には、ほろ苦くも幸福な現実が訪れた。
夢をみることをやめない限り、現実はほんの少し、甘くなる。
たとえば、あと一歩、もう一歩、踏み出して、心敗れて、泣いて。
……それでもまた、夢をみる。
オレ達は、みんな、夢を溶かして現実を生きる。
ならばオレはもう、逃げたらいけない。
理想論だって?
――そうだね。現実の話をしようか。
オレは、女の子にはなれない。
小夏と違って、胸は育たないし、赤ちゃんも産めない。
……きっと、普通の奥さんには、なれない。
偏見や障害は、きっとオレだけでなく、雷児も苦しめる。
それでも、オレは、夢をみることをやめたくない、と思う。
夢は、命を溶かしたものだ。
夢をみることをやめれば、後はゆっくりと死んでいくだけだ。
生きたいと、思う。夢のその向こうに行きたい。
きっと、ネバーランドなんてなかったのだろう。
<永遠の夢>なんて、存在しなかったのかもしれない。
<永遠の愛>なんて、子どもじみた幻想かもしれない。
それでも、信じたい。
雷児は、自分を信じた。なら、オレも、雷児を信じる。
そして、その先の未来を、雷児と紡ぎたい。
甘いだけのハッピーエンドはいらないと思った。
オレは、本物の幸福が欲しい。
苦しいことも辛いこともあって、それでも、二人なら、乗り越えられる。
そんな御伽話<フェアリーテイル>も、雷児となら、信じられる。
うん。そうだよ。オレはね、強くなりたいんだ。
雷児のように、小夏のように。
そしていつか、小夏に言おうと思う。
「オレを好きになってくれてありがとう。小夏はオレの、永遠の初恋の人です。結婚おめでとう、小夏。おまえが世界一幸せな花嫁になるって、知ってるよ」
だって、小夏の選んだ人は、世界一いい男だから。
「輝馬とケンカしたら、オレに言って。輝馬が浮気したら、とっちめてあげる」
輝馬は浮気なんかしないだろうけど。
「ねえ、小夏。離れても、オレは小夏と繋がってるから。いつの日も、オレにとっての一番は小夏だから」
小夏はきっと、寂しがるだろうから。
「オレも幸せになるよ。だから、勝負だよ、小夏。どっちが宇宙一幸せな花嫁か。いっとくけど、負けないからね」
そうしたら、小夏はきっと、こう言うだろう。
「おう。負けねえよ。オレが……つーか、輝馬とオレが勝つ。お前こそ、泣くんじゃねえよ? 辛くなったら、オレのもとに来い。抱きしめて、ちゅーしてやる」
旦那さまをさしおいて、いちゃいちゃしたことに、輝馬が嫉妬しても、小夏はきっと知らんぷりだろう。
ああ。オレの女神さまは、きっと、どんな障害も乗り越えてみせるだろう。
ならば、オレももう、欲しがりの子どもはやめる。楽園を卒業して、大人になる。
――雷児を幸せにする。
目いっぱい笑って、目いっぱい愛を注ぐ。
雷児を癒して、抱きしめて、キスをして、それ以上は……ちょっと雷児次第だけど。
仮面の男として、小夏たちをいたぶった罪は、たとえ小夏たちが赦してくれたとしても、赦されるわけがない。
なにより、オレが、オレ自身を赦せない。
だから、笑うことを放棄した。
幸せを、拒んで、手放した。
それでも、「それは、お前のエゴだ」と乙姫は、いつかの日、言った。
「俺様は優しくないから言うが、お前は、ただ自分が可愛いだけだ。自分を責めて、満足感に浸っているだけだ。罪を受け止めたつもりで、自己憐憫に酔っているだけだ」
「いいか、小夏を想うなら……小夏と雷児、あの優しくて甘っちょろい、あいつらを本気で思うなら、そんな独りよがりはよせ。お前が自分を痛めつけて本当に苦しむのは、お前じゃない、小夏だ」
「あいつは、自分の痛みには耐えられても、お前の痛みには耐えられない。そんな、柔いやつなんだ。自分の苦しみには打ち勝てても、愛するやつの苦しみは、我慢できない」
「だから、いい加減、目を覚ませ。お前が作り出した悪夢から、幻想から、卒業しろ。いつまでガキのつもりだ。大人になって、受け止めろ。自分がいかに、自分のことしか考えていないクズか」
その言葉は、乙姫なりの、激励だった。
優しくないとうそぶく、本物の優しさだった。
口は悪く、容赦がなかったけど、否定も反発もできなかった。
だって、真実だったからだ。
くだらないプライドから、それを勘違いだと激高し、突っかかるほど、オレはもう、無知でも、子どもでもなかった。
だからオレはこの日、卒業する。
小夏と過ごした、この楽園を。
子供のまま身勝手に生きてきた、この永遠の国<ネバーランド>を、オレは、もう、振り返らない。
小夏、雷児。
ふたりの大切なひと。
もう、都合のいい甘い夢<グリム>はいらない。
オレは、このほろ苦い現実で、生きていく。
現実逃避は、もうやめだ。
オレは、天使じゃないけれど、だからって、言い訳はもういい。
嘘もごまかしもいらない。だけど、ただ、幸せにしたい。
だから笑う。元気づける。
慰めて、慈しんで、全身で抱きしめて……。
自分のすべてで、世界一愛しいふたりに、愛を届ける。
……それが、オレの「ファイナルアンサー」だ――。
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“good bye,Never Land.” ~グッバイ・ネバーランド~
「ネバーランドにさよならを」




