第48話 -永遠の夢‐ “Ever Dream”
イラスト@Nicola nn様
親父たちは無事、帰ってきた。
オレは、平凡な日常を満喫していた。
もはや習慣でしかない、ジョギングを済ませ、シャワーを浴び、すっかり克服した牛乳を、ごくごく、と飲む。
そういえば、牛乳を飲むと、胸がでかくなるらしい。
ただの脂肪だろ? と思うが、気が付くと飲んでいる。
別に輝馬に、「ちいさいちいさい」言われるのは、気にしていないが。
つーか、「ちいさいのが可愛い」って侮辱だろ。ふざけんな。
親父が話しかけてきたのは、その時だった。
「彼氏、できたんだってな」
「ぶっ!!」
オレは、牛乳を吹いた。
なんてこと、してくれやがる!!
「なんっ……、誰から……っっ」
「命から聞いた」
親父は、にやり、と笑った。
「あんの、クソやろう……っっ」
オレは、怒りの矛先をセクハラ保険医に向け、コップを割る勢いで、握りしめた。
「やっぱりオレの、予想通りだったな」
「はあ?」
親父の意味不明なセリフに、オレは首を傾げた。
「お前が、輝馬に惚れるなんて、みればわかんだよ。お前が夏夜を嫁にする、と言い出した時は、びっくりして言葉もなかったが、あの日、お前が自分の性別を知って、高熱を出した日、こういうことがあってな」
親父はやがて、語りだした。
お前は高熱でうなされ、三日も意識が戻らなかった。
男でも女でもないお前を、ヘタな医者に見せれば、モルモットにされかねない。
診療所の主である進藤は、これはよくあることで、しばらく安静にすれば回復する、と言っていたが、やっぱり今からでも病院に連れていくべきか。
オレも千夜も、心労でボロボロで、正常な判断ができないほど、疲れ切っていた。
でも、そんなとき、お前を心配して来てくれた、輝馬だけが、冷静だったんだ。
「親御さんは、眠ってください。後は、僕がみます」
それは、とても小5とは思えない、大人びた口調だった。
そのうえ、進藤が大学病院に呼ばれ、千夜がダウンした後、不眠不休で小夏を診ていたフラフラのオレを、有無をいわさず、寝室におしこんだ。
心配になって、もう一度みにくると、輝馬は、熱を出して、苦しそうにしているお前を、黙ってみつめていた。
――そして、こう言った。
「僕は、信じてます。小夏は、たとえどんなことがあっても、あきらめません。たとえどんなひどい目にあって、辛い目にあっても」
――身に覚えのない罰を受けて、ボロボロになっても。
「戻ってきます。だって、僕が、ずっと隣にいて、小夏を護るから」
そういって、お前の手を握って、微笑んだんだ。
その言葉を聞いた時、オレは、小夏は、きっとこいつに、恋をするだろうな、と思った。
だって、こんなイイ男に想われて、惚れねえ女なんて、いねーだろ?
「親父まで、女扱い……」
オレは、ひくり、と頬をひきつらせたが、親父は笑った。
「……女だよ。お前は、最初から、女だった。知ってるか? 輝馬と一緒にいるとき、お前がどんな顔をしていたか。きっと、お前が恋を自覚する前から、ひょっとしたら、出逢ったその時から、お前は輝馬に、恋をしていたんだろうな」
「…………」
オレは、微妙な顔をした。
納得しがたい内容に、眉間にしわがよる。
親父は、そんなオレの仏頂面をみると、ふっ、と笑って、こう続けた。
「知ってるか。恋に落ちるか落ちないかは、最初の出会いで決まるんだ。そして、突然、火が付く。だから恋は、時限性の爆弾なんだよ」
親父は、得意げにいった。
「それって、一目ぼれ、ってことかよ?」
いまいち納得できず、オレは、ぶすっ、として、返した。
輝馬の顔は嫌いじゃないが、オレが好きになったのは、輝馬の顔面じゃない。
「違うな。オーラとでも、空気とでも。まあ、言葉にすれば、なんとでもいえるけどな。そいつが持っている、魂の輝き。それを瞳がとらえたとき、オレたちは恋に落ちるんだ」
「……あっそ」
オレは、気のない返事をした。
親父の言うことは要領を得ず、あいまいかつ、電波だった。
でも……、そうだ。
はじめて出逢った時、飛び込んできた、あの光。
あいつの瞳の奥に咲いていた、とてつもなく綺麗で、胸をぎゅっ、とつかむような輝き。
……あれが、輝馬の「魂の光」だったのか。
不思議と、腑に落ちた。
理屈じゃない、本能で、オレは恋に落ちたのか。
だとしたら、オレの初恋は夏夜ではなく、輝馬だった、ということになる。
……いや、違うな。
夏夜に感じていた愛しさは、嘘じゃない。
夏夜を想い、ともに過ごした、あの甘い時間は、まさに「初恋の夢」だった。
夢から覚めたあとも、オレを包む羽。
本当は醜いところも、ずるいところも、夏夜は隠していた。
夏夜は、天使なんかじゃない。
でも、「だからなんだ」?
オレにとっては、夏夜は今も、大事な兄で。
ああ。そうか。だから、なのかな。
ひどい目にあって、真実を知り、ズタボロにされても。
やっぱり、その愛おしさまでは、冷めなかった。
だって、のほほんと、恋に酔っていたオレより、夏夜のほうがずっと苦しんでいて、いつだって、泣きだしたくてたまらなかったはずだから。
盲目なオレだが、それでもわかる。
夏夜は、ただひたすら、オレに、「恋」していただけなんだ。
絵にかいたような綺麗事じゃなく、己を穢し、暗黒に堕ちてしまうぐらい、本気で。
ふと、気になって、聞いてみる。
「親父も、そうだったのか?」
親父の口ぶりは、まるで、懐かしむような、響きだったから。
「ああ。千夜にはじめて会った時から、恋してたな。それに気づくまで、ずいぶん遠回りして、バカなこともしたが」
そう言う、親父の顔はすっきりとしていて、まるで、悪夢なんて、経験していなかったかのようだった。
何度も繰り返された、「死と裏切りのゲーム」。
それでも、勝利し、覚めてしまえば、悪夢もまた、ただの夢なのだ。
「……ふうん」
オレは、すんなりと、理解した。
あれは、オレが、まだ4歳の時だ。
日本から、引っ越してきたやつがいた。
やつは、オレよりひとつ年上で、親父のダチの、ガキだという。
オレは、そいつを眺めた。
そいつの髪は黒くて、さらさらで、顔は整っていた。
でも、そんなことは、どうでもよかった。
冷たく冷めた切れ長の瞳が、オレをみて見開かれ、その奥で、きらきら、と何かが、輝いていた。
オレの胸は高鳴り、目をこすった。
光は、しばらく消えなかった。
今思えば、それが、すべてのはじまりだった。
何度もみた、あの綺麗な光。
あれは、オレの胸の中で輝いていた、「初恋の時限爆弾」だったのか。
夏夜に恋をしても、反応しなかった爆弾。
ゆっくりと火をつけて、気づいた時には、それは手遅れだった。
オレは、「恋」を知った。
それは、きっと、<約束された物語>だったろう。
永遠に覚めない御伽話<フェアリーテイル>だったろう。
永遠の国<ネバーランド>で、ゆっくりと芽吹いて、楽園<ヘヴン>で花咲き、そして、夢の国<グリム>で、真実になった。
そう。『 本物の愛 』に。
今では、わかる。
あの、「真夏の悪夢<ナイトメア>」の意味が。
オレ達は、嘘をつき、ごまかし、たやすく自分の心から目を逸らす。
そして、失いかけてはじめて、目を覚ます。
「悪夢」とは、「自分の本性を映す鏡」だ。
――「なにが欲しい?」
……「なにを、失いたくない?」
――……「自分は誰だ?」
だからきっと、「仮面の男」も、夏夜も、やっぱり、「オレ自身」だったのだろうと思う。
もし、輝馬に恋をして、「愛」を知らなかったら。
オレも、夏夜を独占して、嫉妬して、夏夜に近づくやつを、ズタボロにしていた……。かもしれない。
そう、オレに「愛」を教えてくれたのは、きっと、輝馬なのだ。
「勇気」だとか。「立ち向かう強さ」とか。
もし、そういうものが、オレのなかに、あるとしたら。
全部、輝馬がずっと、信じてくれていたからなんだ。
たとえ、どんなことがあっても、あきらめないと。
どんなひどい目にあって、辛い目にあっても、煉獄の業火に焼かれて、ボロボロになっても。
戻ってくる。絶対に打ち勝つ。
だって、輝馬が、ずっと隣にいて、オレを護ってくれていたから。
片時も、違えることなく、そう、誓ってくれたから。
はじめて出逢ったあの日、オレの心臓を燃やしたのは、輝馬の瞳の奥にあった、「氷の奥の温度」で、「熱」で、「光」だった。
だから、オレの心臓は、とっくに輝馬に、奪われていて。
「肉の心臓」がなくなったところで、どうってことなかったのだ。
オレの、本当の心臓は、輝馬が持っていた。
答えはいつも、ずっと近くにあったのだ。
オレ達は、すごく、遠回りをした。
傷つけて、傷つけられて、裏切って、裏切られて。
……最後には、殺しあって。
本音でぶつかって、醜い感情もさらけ出して。
でも、案外、それが、「愛」なのかもしれない。
偽物のままでは、うわべだけでは、愛せない。
オレ達は、きれいなところも、汚いところもみんな見せ合って、そうしてはじめて、ひとつになった。
これから、きっと、様々な難題が、オレ達を待ち構える。
たとえば、世間体とか、妊娠とか、結婚とか、老後とか。
それでも、大丈夫だ、と思う。
輝馬が灯してくれた炎は、この先決して消えたりしない。
だって、煉獄の炎を宿す騎士は、最強無敵だからだ。
……いや、宿したのは愛だったかもしれない。
輝馬は、鬼蜘蛛の力を失った。
今度は、オレがお前を、護る番だ。
だから、輝馬、よく聞けよ。
――オレは、お前を……。




