第45話 ‐愛しさの終着点‐ “The first pain”
イラスト@Nicola nn様
その後、悲しい知らせが届いた。
天国の扉<ヘヴンズ・ドア>を、大量に摂取した副作用で、輝馬は、鬼蜘蛛の力を失った。
しばらく進藤のもとで、療養していたが、どうやら、完治は難しいらしい。
輝馬は自宅に帰った。きっと、落ち込んでいるだろう。
オレは、その知らせを聞いた足で、輝馬の自宅へと向かった。
部屋に向かうと、輝馬はベッドに横たわり、躰を起こしていた。
ぼんやりと窓の外を、みつめている。
胸がぎゅっ、となって、駆け寄って、抱きしめた。
「……君を幸せにする自信が、ないんだ」
ぽつり、と輝馬が言った。
これまで、輝馬は強かった。
中等部<ヘヴン>では序列2位、みんなの憧れで、オレにとってもそうだった。
輝馬はこの力で、至らないオレをなにかとフォローし、護ってくれた。
でももう、それは永遠に叶わないのだ。
オレは、息を吸い込んだ。
そして、輝馬の胸に、顔をおしつけた。
「……いいよ。オレはお前がいい」
「……本当に?」
輝馬の声は、震えていた。
「……うん。不幸になったっていい。お前が今までオレを護ってくれたように、今度はオレがお前を、護りたいんだ」
輝馬の瞳から、熱い雫が零れた。
それをすくい取って、ああ、綺麗だなと思った。
その輝きをなめとって、そっと唇に口づけた。
「なあ、オレ、まだお前にお返ししてないだろ。……やるよ、お前のほしいものすべて」
オレは、シャツを引きちぎるように、脱ぎ捨てた。
輝馬がすがるようにオレを抱き寄せ、育ち始めた胸に口づけた。
オレが甘い吐息をもらすと、輝馬は、喉を鳴らした。
そのまま、ゆっくりと、押し倒される。
輝馬が、オレを求めている。
そのことがたまらなくうれしかった。
あの時とは、もう、なにもかもが違っていた。
はじめての行為は、痛みを伴ったが、輝馬は信じられないほど時間をかけて、優しくしてくれた。
のちに輝馬は、こんな幸せな交わりはなかった、と語ってみせた。
どんな女の子を抱いても、後に残るのはむなしさだけだったと。
輝馬が本当に抱きたかったのは、きっと、オレだったのだろう。
輝馬は、こうも言った。
「一目見た時から、僕は君以外の存在を愛せないだろう、と思った。まるで、磁石が惹かれあうように、砂時計が落ちるように、自然に、君に恋をした。初恋なんていうにはあやふやで、でも確かな瞬間だった」
「……ん」
オレは、うなずいた。初耳だったが、納得した。
輝馬の胸に顔を押し付けて、ほてる頬をごまかしながら、オレは静かにその続きを待った。
「あの時から、僕は君に囚われていたし、君以外には囚われたくなかった。……今この腕の中に君がいる。そのことが、今でも、信じられない」
クッソ気恥ずかしくなって、もぞもぞ、と輝馬の胸に顔をこすりつけた。
なにか気の利いたセリフが返せればよかったが、「……オレも」と言うのが、精一杯だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あーあ、小夏、とられちゃった」
ぱちん、と水泡をつぶすと、オレは肩を落とした。
「オレの小夏だったのに。悔しいな」
「お前のものじゃなかったろ」
オレの頭を撫でる、その手は優しい。
悔しくなって、悪態をついた。
「雷児にはわかんないよ」
「そうかもな」
雷児は、否定しなかった。
「ねえ雷児。オレのこと、今でも好き?」
そっと、雷児を見上げた。
不安に瞳が揺れて、まるで同情を誘って、たぶらかす小悪魔のようだな、と自嘲しながら。
「……好きっていうか」
詰まったように、雷児はこう答えた。
「――愛しい、って感じだな」
「ふうん」
あいまいに答え、気のないふりをして、頬を雷児の胸にあてた。
まるで、そのぬくもりが夢ではないか、確かめるように。
雷児は、無言でオレを抱き留め、あやすようにゆすった。
(……ああ、オレは、ずるいね、小夏)
泣きそうになって、胸に顔をこすりつけると、雷児は、でも、といった。
「お前は最初から、綺麗なんかじゃなかったよ」
「……そうだね」
「お前は、きっと、小夏以上に人を好きにならない。それでも」
――俺はそんなお前だから、好きになったんだよ。
雷児の唇が、額に落とされた。
オレは、今度こそ泣いた。
泣きじゃくった。
それは、明らかな失恋だった。
この痛みも愛しさも、全部小夏がくれた。
――小夏、小夏、小夏。
オレの、最愛の人。
雷児がオレを抱え、背中をなでる。
小夏の躰は、だんだんと女の子らしくなってゆく。
いつか、小夏は、輝馬の子を産むだろう。
そうしたら、オレは、祝福できるだろうか。
きっと、また醜くなる。
でも雷児は、それでいいと、言ってくれるのだろう。
オレの初恋は今日、粉々になった。
隣にいてほしい人は、想い人の腕の中。
きっと、この日を、何度も思い出す。
空いた胸の痛みは、まるで、奪った心臓の対価のようで。
それでも、この痛みも、忘れないでいよう、と思った。
これが、うそつきなオレへの罰なのだと。
――はじめての失恋は、甘くほろ苦い、砂糖菓子の味がした。
辛くても、時は明日へと続いてゆく。
きっと、永遠に、オレはこの罪を抱いてゆく。
小夏は、オレにとって、この世界で一番、大切な人だった。
オレのヒーローで、お姫様で、家族で。
そして、いつしかオレは、小夏を失うことが怖くなった。
いつか小夏が離れてしまうなら、いっそ、心臓ごと奪って、攫ってしまおうと。
間違いだった、と気づいた時には、もう手遅れだった。
小夏は言った、生きている限り、やり直せると。
陳腐なセリフだ。
甘ったるくて、優しくて。ご都合主義でお人好しな、正義のヒーローのセリフだ。
それでも、小夏のセリフだから、信じることができた。
オレは小夏を、散々めちゃくちゃにして、いたぶって、傷つけた。
なのに小夏は少しも、責めなかった。
ただ叱って、抱きしめて、涙を拭いてくれた。
ああ、と思った。
小夏は、ヒーローじゃなかったね。お姫様でもない。
凛音のいう通りだ。
――小夏はきっと、世界一綺麗な、女神さまだ。
小夏は、悪を裁かない。
小夏は、自分の中の悪魔から、目を逸らさない。
小夏は、この卑怯で卑劣で、うそつきの悪魔を、オレを、信じて愛してくれた。
だったらもう、オレも、甘えちゃいけない。
分不相応で、歪なこの恋を、終わらせなきゃいけない。
それがオレにできる、唯一の償いだ。
ひとつ、決めたことがある。
オレはこの力を、誰かのために使う。
いや、誰かなんて、あいまいなことはやめよう。
この力は、ただ、小夏のために。
小夏が苦しむなら、オレが身代わりになろう。
小夏が輝馬を護るなら、その盾になろう。
自己犠牲? 自己満足?
――そうだね。
……でも、心から。
心から、小夏を護りたい。
それはもう、恋ではないのだと思う。
オレは、小夏を愛する。
オレの大事な、家族として。
大切なことは、ぜんぶ、小夏が教えてくれた。
ありがとう、なんて、厚かましい。
オレはおまえを、心から、慕う。
オレの弟であり、妹であり、家族で、女神さまで、もしかしたら、この世のすべてかもしれないおまえを、今度こそ、永遠に愛する。
叶わなくていい。片想いでいい。
もう、小夏を悲しませないと決めたから。
だから、幸せになる。
オレじゃない、オレのために泣く、小夏のために。
これがオレの、最初で最後の恋の、終着点だ――。
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“The first pain” ~ザ・ファースト・ペイン~
「はじめての痛み」




