第3話 -心臓神隠し- “Lost Heart Hide-and-Seek” 【後編】
放課後、オレは、夏夜の下校を輝馬に任せ、命の待つ保健室へと向かった。
「おい、入るぞ」
ガラガラと扉を開けるが、返事がない。
治療室の簡易ベッドをのぞくと、あろうことかあの薄らバカ、仰向けになって寝ていた。
柔らかそうな亜麻色の髪が、枕の上で踊っている。
眉はぎゅっと寄せられており、苦しげに息をしている。
ひげ一つ、染み一つない、すべらかな頬だ。
天使のような、というのはこの変態には似つかわしくないが、寝ている分には安全だ。
頬をつねると、命は、うっすらと目を開けた。
「命」
やっと起きやがったか、と話しかけようとすると、コロンのようなあまずっぱい香りがふわりと漂い、気づけばその広い胸に抱きしめられていた。
「……チカ……」
「……ッッ!!」
勢いよく突き飛ばすと、命は、「……? ああ、小夏だったか……」と、だるそうに身を起こした。
「どんな夢みてやがったんだ、ヘンタイ」
ムカムカしながら毒づくと、「ああ、いや、ちょっと昔のことを思い出してたんだよ」と、セクハラバカはひょうひょうと微笑んだ。
だが、そのまなじりに涙の跡があって、オレはぐっと拳を握った。
「オヤジがどうかしたのか」
「いや、君のパパの話じゃないよ」
命は、どこか元気なく、小首をかしげた。
チカ、とは、オレの親父のあだ名だが、どうやら、嘘をついているわけではなさそうだ。
「詳しくは聞かねえけど」
オレはそう前置きしてから、こう言った。
「てめえに、涙は似合わねえよ」
ふい、と顔をそらすと、「あは。そういうこと言うと、勘違いするよ」と命は嬉しそうに笑った。
「勝手にしてろ、ボケ」
命は、話はこれで終わりだとばかりに、すっくと立ち上がると、カルテを見せた。
「君の不調だけどね。どうも、血液に由来するらしい。正確には、その血液を生み出す心臓なんだけどね。結論からいうと、本来あるべき場所になかったんだ」
「……は?」
「いや、前はあったんだよ。少なくとも、一か月前にはね。だけど、君が保健室から遠のいた一か月間の間に、君の心臓は消失<ロスト>した。僕はこれを、最近結界を破ってくる<ゴキブリ>のせいだとみている」
「なんだよそれ……」
バカな嘘はよせ、と言いたかったが、レントゲンにうつっていたのは、肋骨と、その下のがらんどうの空白だった。
結界。ゴキブリ。最近、似たような話を聞いた気がする。
「ネズミ……?」
そうだ、命の妻のリンドウが、うるさいネズミがどうとか、言っていた。
それの対策で、寝不足だと。
「ああ、妻と僕では、専門が違うからね。前にも少し説明したけど、妻の役目は、能力を悪用して犯罪をたくらむ子供たちを捕捉する結界<ファイアウォール>の維持と、それをかいくぐってきた侵入者<ネズミ>へのお灸、ようするに守り重視の保安活動。一方、僕は、そんな子供たちを利用する腐った大人<ゴキブリ>をみつけだし、審議会に報告の上、是正させる外野清掃<アウトフィールドワーク>だ。地元警察とFBIとでも思ってくれたらいいよ」
もちろん、大きな悪戯っ子<ネズミ>は僕がしとめるけどね、と命はなんてことないことのように言った。
その解説は意味不明だったが、オレには、それより気になることがあった。
「体は大丈夫なのか」
命は、明らかに憔悴していた。
明るくふるまってはいるが、昼間見た時とは、まるで様子が違う。
すこぶるどうでもいいが、いちおう保険医だ。
こいつが体調不良だと、オレや夏夜にもかかわってくる。
「ああ。体内の気を錬成して、自己治癒力を高めていたんだよ。妻の高速治癒<カレセ>でもよかったが、無駄な徳<ホーリーポイント>の消費は避けたかったからね。気やすめだが、ないよりかはいい。いずれにせよ、問題は君の心臓だ。<あの噂>も気になるしね。そのまえに、僕ら夫婦で、黒幕を仕留める」
「~~そんな大事なこと、なんで言わなかったんだよ……っ」
うつむいたまま、歯を食いしばり、拳を握った。
オレは、黙っていた命以上に、なにもできない、未熟な自分自身に憤っていた。
黒幕をしとめるだと?
そんなに疲れ切るほど、無理をしていたのか?
なんでもないフリをして、くだらない冗談を言って。
オレ達ガキどもを、護っていたのか。
オレ達生徒がのほほんと暮らしているときに、誰にも告げず、ただ、オレ達のためだけに。
「――君を護りたかったから」
命に、頭を撫でられた。目をこすり、顔を上げ、その手を押しのける。
「……余計なお世話だ、バカ」
命は、どこか嬉しそうに頬を緩めた。
このセクハラ保険医は、なんだかんだ気持ち悪い言動をしながらも、たびたび体調を崩すオレの面倒をみた。
オレが肉体と連動して精神的にも参ったとき、こいつはいつものわけわからんひょうひょうとした言動で、バカなことを言って肩の力を抜かせてくれた。
命の妻であり、癒しの力を持つ女教師、リンドウは非常勤でだいたい学校にいないし、認めたくないが、オレが学校で倒れた時、なんとかしてくれるアホはこいつしかいない。
だから、こんな風に倒れられたら困るのだ。
ただそれだけの話で、断じてこいつに好意なんぞない。
勘違いはなはだしいが、命があんまりに嬉しそうなので、言い返す気力がうせた。
「小夏、ありがとう」
命は、爽やかな声で、再びオレの頭に手を伸ばし、ぽん、と優しくたたいた。
「……柄にもねえこと言うんじゃねえ。あと、さわんな」
軽く払おうとした時だった。
「……お取込み中悪いけど」
そこに降ってきたイレギュラーな低音に、思わず、後ろを振り向いた。
「……輝馬」
そこに立っていたのは、オレの幼馴染兼悪友の、双子坂輝馬だった。
輝馬は、やや不機嫌そうに、下ばきを鳴らすと、オレの腕をぐいっと引いた。
「来て」
「おい……輝馬っ?」
「……君の不調は気づいていた。でも、まさか、事態がここまで深刻だったなんて」
輝馬は、裏庭までオレを引っ張ると、疲れたように眉間を押さえ、溜め息をついた。
「夏夜は?」
「小夜に送ってもらった。妹くんのほうが君より頼りになるからね」
「なんだよそれ」
いつもの毒舌も、どこか覇気がない。
「お前も、なにか知ってるのか」
「知っている、というほどでもないけどね。最近子どもたちの間で、タチの悪いおまじないや、ドラッグが流行っている話はしたよね? その元凶である、仮面の男の情報を追っていたところ、興味深いデータが、浮かんできたんだ」
「話せよ」
「心臓神隠し<ロストハート・ハイドアンドシーク>。警察が揉み消している、子どもたちの変死事件だ。どこのメディアでも、いまだに報道されていない情報だが、子持ちの親が口々に噂している、姿なき猟奇殺人。死んだ子供たちの共通点は、いずれも成長途中の中高生であること、なんらかの体調不良を訴えていたこと、仮面の男をみたということ、そして」
“死体に、心臓がみあたらなかったことだ” と、輝馬は言った。
「おい、それって……」
「ああ。君の症状と、一致している。問題は、心臓が死ぬ前になくなったのか、それとも、なんらかの方法で死後抜き取られたか、ということだ。だが、その躰には、目立った傷もない。当然、ナイフの後もなければ、出血のたぐいもない。警察内部でも、扱いかねているらしいね」
輝馬の父親、双子坂遠馬は、ここアメリカはテキサス州所属のプロファイラーである。
きなくさい事件、特に凶悪事件をはじめ、とりわけ能力者がらみの不可解な事件を解析するプロだ。
本来、実の家族とはいえ、部外者に情報をもらすわけはないが、輝馬は持ち前のハッキングの腕で父親のデータベースにアクセスしたのだろう。
「ロストハート……」
ないはずの心臓がうずいた。
「でも、オレは死んでねえよな? どうして、息ができるんだ?」
首筋で脈をはかるが、やはり、どくどく、と熱を持って脈動している。
心臓がないのに生きている。
オレは、ぞっとしながらも、どこか他人事のように、ぼうっとしていた。
「それについては、僕が答えよう」
思わず、振り返る。
第二の声の主は、命の妻、リンドウだった。
資料室に連れられ、オレ達は、スライドショーをみせられた。
心臓をなくした子どもたちの死体。そして、個人データ。
いずれも、輝馬の集めた情報と、ぴったり一致した。
「この子達は、いずれも、家庭環境に問題をかかえていた。学校でいじめられていた子どももいれば、いじめていた子もいる。その親は片方、ないし両方が死亡している。つまり、青少年特有の心の歪みと鬱屈。それらが、<男>を呼び寄せたとみられる」
「男?」
オレは、聞き返した。
「ああ。仮面の男。人肌にも似た真っ白な仮面に、三歳児が描いたような、まがまがしいアーティスティックな目。裂けた口元は、毒々しいほど真っ赤だ」
「それって……」
似たような仮面を、夏夜が持っていた。
「いや。ナツは関係ないだろう。それをナツに譲ったパパさんもだ。つまり、誰かがナツと、君の父親、チカを貶めようとしている。そう考えるのが妥当だろうね」
「そんな……」
そんなことが、起こりうるのか。
オレは、冷えていく躰を片手で抱いた。
その腕に、ひんやりとしたものが触れた。
見上げると、輝馬が、オレの腕をつかんでいた。
「だとしても、小夏は僕が護ります。凛灯先生、僕達はあなた達が思うほど、弱くも子どもでもない。この件、僕達に任せてください」
「僕達って」
突然、凛々しい顔で言い放った輝馬に驚いて、聞き返すと、「僕に考えがある」と、輝馬は、目を細め、首をかしげて微笑んでみせた。
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“Hide-and-Seek” ~ハイドアンドシーク~
「かくれんぼ」
“Lost Heart Hide-and-Seek”
~ロスト・ハート・ハイドアンドシーク~
「失われた心臓のかくれんぼ」