第36話 ‐さよならの意味‐ “Divergence of the Sex”
イラスト@Nicola様
走りすぎて、息が切れた。
しゃがみこむ。
背後に、人の気配がした。
雷耶のにおいだ。
「あいつ、どうかしてる。オレ達、男同士なのに」
「小夏、お前はきっと、わざと考えないようにしているんだと、思っていた。……でも、お前は男じゃない」
「なんだよそれ……っ」
オレはぐちゃぐちゃな気持ちのまま、叫んだ。
「お前までオレを、女扱いすんのかよ……!?」
「輝馬の方が、お前の性別について直視している。小夏、もう一度言う。お前は、男じゃない。いいかげん、わかれ」
雷耶は、珍しく、いらだったように言った。
「お前もオレを、そういう目でみてんのかよ……っ!!」
オレを女みたいに扱った、輝馬の姿がフラッシュバックし、思わず怒鳴った。
「それには答えられない」
「なんで……っ」
「答えたら、お前は離れて行く。輝馬の時みたいに」
「決めつけてんじゃねえよ……っ」
「じゃあ、俺がもし、お前を押し倒したら? ……それでもお前は、抵抗しないのか?」
「そんなの……!!」
するに決まってる、と言おうとして、つまった。
雷耶のほうが、正論だった。
「……でも、おかしいだろ……」
だってオレは、どうみても……。
「小夏。お前だって、気づいているはずだ。最近、ある部位が膨らみ始めたことに」
オレは、ばっ、と胸を押さえた。
「進藤先生から聞いた。あの時、人間ドッグで、お前には伝えていないことがあった。それはお前の体内の属性が、急速に光に傾いていることだ」
「お前が知っているとおり、陰陽の法則で、母親の胎内で育つうちに、体内の龍脈のうち、光の門が開けば、女として生まれ、闇の門が開けば、男として生まれる。無性や両性は、両方の門が開いているか、不安定な状態をさす」
「――小夏。お前は闇の龍脈が活性化した状態で生まれたが、同時に光の門も開いていた。子どもの頃のお前が女じみていたのも、そのためだ」
「しかし、思春期に入り、お前は一気に男らしくなった。それはなんでだか、わかるか?」
オレは、唇を抑えた。
そうだ、心当たりがある。
能力が発動した日の夜、オレは寝ている夏夜にキスしたのだ。
「そう、夏夜を好きになったから、お前は男として成長していった。でも、最近のお前は、急速に女性化している。それには、当然、明確な原因が存在する」
「お前の異変がはじまったのは、中学二年になったころだよな? そのころからお前は、めまいや吐き気で、たびたび体調を崩しはじめた」
オレは、思い出した。
昼下がりの教室、そよぐカーテン、光を抱いて輝く輝馬の瞳を。
あの時の動悸を思い出す。
「まさか……」
「そう、お前は、輝馬に惹かれ始めている。その結果が、これだ」
「どうすれば……っ」
「輝馬から距離を置け。女になりたくなければ、これ以上、輝馬の近くにいないほうがいい。お前は、これまで通り、夏夜だけをみていればいい」
「お前は……?」
人のことを考えている余裕なんて、ないはずだった。
でも、それじゃあ雷耶は、どうなる? お前もオレのことが、好きなんじゃなかったのか?
「俺はいい。これ以上、お前が倒れたり、苦しんでいる姿をみたくない。お前はお前のままでいればいい。俺はお前を困らせるために、好きになったわけじゃねえんだ」
いつから? とか、どうしてオレを? とか、聞きたいことはたくさんあった。
でもそれのどれも、そぐわない気がして、オレはこれだけ聞いた。
「雷耶。お前は、オレは輝馬を好きなのか……?」
「さあな。答えは、お前が知ってるはずだぜ。そしてそれは、お前にしかわからない」
好き、とか、愛してる、とか。
オレはそれらを甘いものだと思っていた。
お手軽で楽しくて、なめているだけで幸せな、「砂糖菓子」だと。
……でも違った。
ないはずのオレの心臓は今、壊れそうなほど暴れて、息が切れる。
苦しい。辛い。
女になりたくない。輝馬にそんな目でみられたくない。
……本当に?
オレは、口を抑えた。
胃液がせりあがってくる。腹の中がぐちゃぐちゃにかき回される。
オレの躰は、女になっていく。
誰のために?
……なんのために?
ああ、とオレは思った。
恋なんて、愛なんて、ろくなもんじゃねえ。
知りたくなかった。
オレは今まで、なにもみず、なにも知ろうとせず、幸福な夢をみていたのだ。
……――ぷつん。
激しい吐き気の果て、意識がとぎれた音がした。
/////////////////////////////////////////
“Divergence” ~ダイバージェンス~
分岐; 逸脱.
(意見などの)相違
“Sex” ~セックス~
【名詞】
【不可算名詞】 性,性別 《男[雄]と女[雌]の別》.
【可算名詞】 [通例 the sex; 修飾語を伴って; 集合的に] 男[女]性.
【不可算名詞】セックス,性的なこと.性行為,性交.
“Divergence of the Sex”
~ダイバージェンス・オブ・ザ・セックス~
「性の分岐」
「性(に関する認識)の相違」