第2話 -心臓神隠し- “Lost Heart Hide-and-Seek” 【前編】
「命!」
ここは、幼小中高部一貫校、アマツガーデンスクール中等部<ヘヴン>の廊下だ。
時代の最先端をいく、アメリカを代表する能力者校にしてはシンプルで、窓枠が黒だったり、一部の扉がIDカードにもなっている生徒証で開く自動ドアだったり、全体的にスタイリッシュ感がある以外は、ごくごく平凡な廊下だ。
日本国首相や、日本国の象徴、天王うんぬんが設立に関わっただけあり、グリマー市一美しいと言われている自慢の庭や、時計塔を思わせる外装以外はおおむね日本式といっていい。
ストレートのショートカットの黒髪を揺らした夏夜は、ほそっこくちんまりとした体をぴょこんとはねさせ、通りがかるなり、ある男に抱きついた。
「やあ、夏夜。元気だったかい?」
亜麻色の髪をした男、命は童顔の甘いマスクを緩め、微笑んだ。
「うん! 命も元気そうだね!」
命は夏夜を依然として微笑みながら撫でているが、その手つきは、どうみても卑猥だ。
「おい、離せよ」
オレは、クソ美形の手を掴んで、夏夜から引きはがした。
オレの胸のなかで、光を抱いたように輝く、澄んだ黒い瞳を丸くして、夏夜がきょとんとしている。
「小夏?」
「あんまりこのオッサンに近づくな。孕まされるぞ」
亜麻色の柔らかそうなくせ毛に、なつっこそうな瞳、白く滑らかな肌、女生徒からババアまで幅広く受けそうな、天使然とした甘いマスク。
見た目年齢は二十代半ばの、ハーレム貴公子のようだが、オレは騙されねえ。絶対中身はただのエロオヤジだ、こいつ。
「相変わらず失礼だね? まあそんなところも可愛いけど」
オレは鳥肌を立て、夏夜を後ろにかばうと、触ろうとしてきた命を突き飛ばした。
「黙れホモ!! オレ達に金輪際近づくんじゃねえ!!」
「君達は男じゃない……という野暮なツッコミはやめたほうがいいのかな? はあ、いい話があったのに、仕方ないね」
「いい話だと?」
オレは、わざとらしくため息をついた変態貴公子ををねめつけた。
「うん。小夏、君の身体検査のデータが出たんだ。後で保健室においで」
命はにこりと微笑んだ。
「そんなこと言ってオレ達を襲う気だろ。このセクハラ教師」
命はれっきとした保険医だが、楽しそうなあたりがあやしい。
夏夜はオレの背中にかばわれたまま、うとうとしている気配だ。
「いくら僕でも、そこまで野獣じゃないよ。だいたい、そんなことしたら、妻に怒られる」
「わかった、信用してやる。でも今回だけだぞ」
行こうぜ、とオレは夏夜をひっぱって行った。
「小夏は、命が嫌いなの?」
背中を押されながら、夏夜が言う。
「嫌いっつーか、本能が拒否するんだよな。虫唾が走るっつーか」
「ふうん」
「お前こそ、その警戒心のなさ、どうにかしろよ。いつか泣いても知らねーからな」
夏夜は、日本年齢にして、中三とは思えないほど、ぽわぽわしている。
純粋でピュアといえば、聞こえはいいが、親バカ二人に純粋培養された、箱入りだけあり、人を疑うことを、まったく知らない。
だから、弟であるオレが、護ってやらないと。
「小夏小夏」
「なんだよ」
こっちを向いた夏夜に、ぷにっと頬をつつかれた。
「小夏よりオレのほうが強いよ。安心して」
「……まあな」
確かに、夏夜は、ああみえて強い。
校内でおこなわれる定期試験では、常にトップだ。
愛の仔天使<エロス>という、可愛らしいキューピッドを身に宿す夏夜は一見お荷物だが、その瞳の放つ光の矢は、対象者の性別・年・持てる能力に関わらず、当たっただけで、即<魅了>し、戦闘不能にする一撃必殺の呪いじみた洗脳アイテムだ。
この、最終兵器すぎる能力のおかげで、夏夜は常に主席をキープしており、それ故、楽園の熾天使<セラフ・オブ・ザ・エデン>とも呼ばれている。
それだけならまだいいが、模擬戦闘において魅了<チャーム>されたものは、戦闘が終わった後も、しばらくは呪いが解けず、夏夜にゾッコンになる。
結果、夏夜は、いまや校内のアイドルだ。
おかげで弟であるオレは、毎日てんてこまいだ。
この無防備すぎる、天然天使を護るため、色々と気を回さなければならない。
特に、夏夜はただでさえ目立つ。
可愛らしい言動とちんまりした容姿は、小動物好きのミーハーな女子どもの注目の的だし、男子のなかにも、隠れファンが大勢いる。
夏夜は便宜上男ということになっているが、夏夜だったら男でもいい、と内心よこしまな目を向ける変態どもは、特に危険だ。
目立つ理由は、それだけではない。
身にまとう白いローブと金色の腕章は、最高クラスのSクラスに所属する光属性の生徒の証。
そして、背中に縫い付けられた赤い4つの翼の文様と赤いネクタイは、愛の最高位天使、識天使<セラフィム>をあらわしている。
一目で、学園最強の生徒だとわかるこの華やかな衣装は、どこに言っても視線を奪いまくる。
表裏のない無邪気な性格ゆえ、恨んだりねたんだりする者は今のところ皆無だが、万が一があってはならない。
と、いうか、降り注ぐ熱い視線から、夏夜を護るのが、弟としての、そして夏夜を愛する男の使命だ。
——降りかかる火の粉は、オレが消し炭にしてやる!!
「…………っ」
ふと、いつものめまいがして、頭を押さえた。
「こなつ?」
夏夜が、首を傾げ、額に触れる。
酩酊感は、すぐになくなった。
「いや、大丈夫だ。ありがとな」
よしよし、と夏夜の、自分より少し低い頭をなでた。
日本年齢にして、中学二年にあがったぐらいからはじまった、軽い頭痛やめまい。
時には、吐き気や倦怠感を伴う、コレの正体を調べるため、オレは、セクハラ教師こと、命のお世話になっている。
いわく、成長期特有の、単なるホルモンバランスの変調だそうで、体内の気を練成……要するに、練り上げ、整えることができる命に、背中をなでてもらえば治るたぐいの、ささいなものだ。
だが、最近その感覚が狭く、症状も日ごとに悪化している。
大昔、気を操る能力者だったらしい、輝馬の親父に、みてもらったこともあるが、すでに力を失っている以上、大したことはわからないらしい。
子どものころから、なんだかんだ干渉してきやがる、ヤブ医者、進藤にもらった薬は、うさんくさすぎてろくに飲んでいない。
あの変態保険医の、命の力を借りるのは癪だったが、これが思春期特有の現象なら、兄なのにオレより発育の悪い夏夜も、年齢的・遺伝子的に、おそらく、もうそろそろ、同じ状態になるだろう。
夏夜が苦しむ姿は、みたくない。
実験台でもいいから、そのまえに自分のカラダをちゃんと治して、夏夜の身を、色んな意味で護ってやる。
「やあ」
歩いていると、社会科の女教師、リンドウこと、天津凛灯に声をかけられた。
「うちの主人が迷惑をかけたね。僕がしっかり調教しておくから、心配しないでね」
このリンドウとかいう教師、穢れなき湖のように澄んだ、黒い切れ長の瞳といい、黒髪ストレートがにおい立つようなスレンダーな超絶美女のくせに、子持ちで、あの変態の妻で、そのうえ、一人称が僕のゲテモノだ。
性格は一見温厚だが、時折飛び出る過激発言から、生徒には「キモ……っ」とドン引きされたり、「毒舌女神様、俺(私)を踏んでください」などと崇め奉られている。
本人は、まったく気にする気配がないが。
「リン姉!!」
夏夜が飛んで行って、また抱きついた。
「あは。ナツは相変わらず可愛いね。さすが、僕のプリンセスの子だ」
リンドウは、かすかに頬を緩め、夏夜をぎゅっと抱きしめ返した。
プリンセス、とはオレ達のおふくろのことだ。
なんでも、親父とお袋がゴールインする前、この無駄に美しすぎる僕女は、お袋の<第一騎士>を自称していたらしい。
……はっきりいって意味不明だが、本人は大真面目だからタチが悪い。
変態の妻は変人……あまり笑えないが、お似合いの夫婦だ。
「リン姉こそ、今日もキレイでいいにおいだね! 香水変えた?」
夏夜は謎発言を気にも留めず、リン姉ことリンドウをナチュラルに褒めた。
「ああ、魔よけの香だよ。最近ぶっそうだからね。市内に結界を張る術式を、毎日行っているんだけど、どうも、ネズミが五月蠅くてね。おかげで、最近ろくに寝れてないんだ」
小柄な夏夜を抱き留めたまま、ふあ、とあくびをするが、その目の下にクマはなく、瞳は澄み切っている。
さすが世界的宗教の元トップ、睡眠不足でも、自己管理は完璧だ。
きっと、どんな魔物が襲ってきても、瞬殺だろう。
その美しいぬばたまの黒髪と、細くなめらかな手足を躍らせ、ワルツでも踊るかのように繰り出される、薔薇色のレイピアとサーベルは、どんな悪鬼も悔い改めさせる、菩薩の一撃だ。
あのセクハラ保険医も、そこそこ強いらしいが、きっと実戦ではかなわないだろう。
ふたりのガキである、チビ達も、小学二年生にして、すでにそれぞれ、花蓮宗、天津教の、弟子つきの高位戦闘員、花守長や、修験長クラスの腕前だというし、とんだ化け物一家<モンスターファミリー>である。
「そうなの? がんばってね! なんかあったら、オレも戦うから、期待してて!」
夏夜は、元気よくはにかんだ。
クッソ、いつもながら、マジ天使だ。
「あは。心強いね。でも、露払いは、僕達大人のお役目だから、きみ達は勉学に励むんだよ。――ああそうだ」
夏夜をあやしながら、リンドウは、オレのほうをみた。
「放課後、きみに話がある。保健室の後でもいいから、資料室に来たまえ」
「……? ああ、わかった」
意味深な発言が引かかったが、オレが返事をするなり、夏夜の頭を撫でて、颯爽と去って行った。
立つ鳥、後を濁さず。
本当に、振る舞いだけは爽やかだな、とオレは溜め息をついて見送った。
「……小夏」
「ん? どうした夏夜」
ふいに声をかけられ、振り向く。
「ううん、なんでもない」
はにかむようなスペシャルキュートな笑顔が、わずかにかげっている気がして、オレは首を傾げた。
「腹でも痛いのか?」
「全然平気だよ。小夏は?」
今度はいつも通りの笑顔をみせる夏夜。どうやら体調が悪いわけではなさそうだ。
安心するが、念のため、釘をさしておく。
「オレは平気だ。なにかあったら言えよ、クソ保険医に頼るのは癪だけど、変なことしねえか見張っててやるから」
「うん、ありがと。小夏も無理しないでね?」
「おう」
代り映えしない、すべてが平和な午後。
オレは知らない。この後に待ち受ける、真実を。
楽園の日々は、ある突然変異する。
ゆっくりと、だが確実に、その蹄は聞こえてくる。
いずれ、青馬のいななきとともに、オレ達は扉を開く。
(( さあ、終わらない夢を、はじめよう。 ))