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『ミッドサマー・ロストハート』~心を失った悪魔の王を「愛する」ための方法~  作者: 水森已愛
第4章 ((desire is Sin. )) ……それは、赦されぬ願い。
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第33話 -片翼の双子‐ “The Empty Twins”


挿絵(By みてみん)


 違うよ、と囁いた声があった。


 それは天女<サラスヴァティー>の、そして、幸福の青い鳥<ナイチンゲール>の歌声のようだった。

 ふわり、と降り立った彼女は、僕に歩み寄り、抱きしめた。



小夜さよを壊したのは、ぼく。小夜を裏切ったのは、ぼく。悪者は、悪魔は、ぜんぶぼくなんだ」


 凛音りんねは、とろける綿菓子わたがしのように、やわらか……甘やかに、微笑んでいた。

 だがその瞳は、かすかに濡れていた。


 気が付くと、つい、と、その頬に、触れていた。


 凛音は優しく、しかし、はっきりと、僕の手を払った。

 胸がどくん、と震える。


 凛音が、僕を拒絶した。


 凛音は、また歌を歌った。

 その歌は、ひどく醜く、鼓膜を突き破りそうな苦痛に満ちていた。


 小夜が、憎らしかったこと。

 僕に裏切られた、と思ったこと。


 小夜なんて消えてしまえばいい、と思ったこと。

 世界を呪って、仮面の男を受け入れたこと。


 すべて、僕にとっては、信じられないことばかりだった。


 凛音は、僕の天使だった。


 僕は神を崇める前に、彼女を崇めていた。

 いつの日も、凛音だけは僕の味方だったし、おおよそ空っぽな世界で、凛音だけが本物だと、思いたかった。


 正直に言おう。

 僕は、妹が好きだった。


 それは、小夜に対する感情とは違っていた。

 欲望のままに小夜を怒らせると、凛音は微笑んだ。


 その笑顔をみると、ああ、これでいいんだな、と思った。

 なにがいいのかは、わからない。


 ただ、凛音のことは、大切にしたかった。

 傷つけたくなくて、ただひたすら大事にして、慈しみたかった。


 でも、そんな凛音のことを、僕は傷つけてきたのか。


 恋も愛も、空だった。

 でも、なら、今胸にあふれるこの感情はなんだ。


 僕は、凛音を抱きしめた。

 凛音は、逃げようとした。


 離したくなかった。無理やり抱き留めた。


「凛音。なんで、言ってくれなかったの」


祈音きおん。祈音こそ、なんで」


 なんでぼくを責めないの、と凛音は苦しげな顔で、かぼそい声を吐き出した。


「妹を責めるぐらいなら、僕は自分を責めるよ」


 僕は、空々しく、言った。


 そう、空だ。

 悩みも痛みも、ほかならぬ僕たち自身も、なにもかも存在しない。


「祈音は、うそつきだね」


 こうして生身の精神体で触れてしまえば、お互いの気持ちがわかった。


 長らく、僕たちはひとつだった。分かたれて、互いを慈しんだ。

 それは、どこか、自己愛<ナルシス>に似ていた。


 僕らは鏡写しで、偽物で、空だった。


「祈音は、自分を愛してほしかったんでしょ」


 凛音が、こう言った。


 僕も、こう返した。


「凛音は、恋をしたかったんでしょ」


「なら、祈音は、この世は空じゃない、って証明したかったんでしょ」


 凛音が言い、僕は、最後に、ひとつ、心をこめて言った。


「凛音は、人間になりたかったんでしょ」


 凛音の喉が、ひゅっ、と音を立てた。

 触れ合った胸から、凛音の叫びが聞こえてくる。



『神様なんて、もう、こりごりだ。愛するのは、もう飽き飽きだ。わたしは、人の子になりたい。愛して憎んで泣いて嫌って、もっと駄々(だだ)をこねたい。なにも知らない無知な赤子になりたい。人の縁結びなど、ばかばかしい。わたしは、つがいになりたい。愚かで矮小わいしょうな、青臭い恋がしたい』


 凛音は、かつて、輪廻転生りんねてんせいを見守り、人の子の絆を結ぶ、縁結びの女神だった。

 だが、凛音は、自分に自信がなかった。


 なぜなら、誰も凛音を求めなかった。

 凛音には隙がなく、その慈愛はいつの日も平等だった。


 その表面上の優しさに惹かれた神々は、自分がその他大勢だということを悟り、離れていく。

 凛音は縁結びの神だったが、結局のところ、愛するという感情を実感できなかった。


 それは、実は本当の意味では、誰にも興味がなかったからかもしれない。

 誰にでも優しいのは、誰のこともどうでもいいから。


 凛音は実際は、空っぽだったのだ。


 そして、縁結びをなりわいとする以上、自らは恋はできない。

 なぜなら、どんな相手であれ、無理やりにでも自分に惚れさせることができるのだから。


 そんな卑怯な真似をすることは、真面目な性分ゆえ、できなかった。


 誰かを愛するには、神の身を捨てるしかない。


 だから、自分の魂をくだいた。

 人の身に収めるために、ちいさく分割した。


 ふと酔狂で、あまったかけらを、同じ人の子の腹に宿した。


 今思えば、心細かったのだ。

 人になるなど、はじめてのことだった。道連れが欲しかった。


 わかってくれる存在が。

 そんな存在なら、自分のことも、愛してくれるのではないかと。


「そうだね。凛音が好きだったのは、祈音おまえじゃなかったね。凛音わたしは、ただ、ひとりぼっちが嫌だっただけだったんだ。小夜の事も、逆恨みだった。ぜんぶ自分の不始末なのに、誰かを憎んで現実逃避した。祈音のいう通りだよ。わたしは、ただ、愛されたかったんだ」


 うん、と僕は答えた。


「なら、あるべき姿に戻ろう。凛音。君は、僕だ。憎しみは、愛の裏返し。僕らは、もう空じゃない。僕は小夜を愛するけれど、それは、君の初恋だ。僕らはひとつの存在に戻る。それは、一番ばかばかしいことだ。せっかく得た片割れを、僕たちは永遠に失う」


「でも、それが、本来の僕たちだ。生涯の伴侶は、自分であっちゃいけない。僕たちはひとりぼっちで、つがいを探す。ひとりぼっちを重ね合わせて、違う存在とひとつになる」


 うん、と凛音もうなずいた。


「もう、ずるはやめよう。僕らはひとつ。ねえ、愛しい僕のはんぶん。もう一度、ひとりぼっちに戻ろう、凛音」


 凛音は、こくり、と、もう一度、うなずいた。

 同時に、僕たちはとけあって、ひとつの個体となった。


 祈凛きりん


 新しい僕たちを、そう呼ぼう。

 幸福を知らせる、伝説の獣<麒麟きりん>だ。


 殺生を嫌い、その鳴き声は音階に一致し、歩いた跡は完璧な円になる、賢く優しい、雌雄しゆうの獣だ。


 駆けると、小夏の顔がみえた。

 石となった輝馬がみえた。


 僕たちは、まっすぐ飛び、いなないた。


 恐れや煩悶はんもんは、置いてきた。


 今の僕たちは、ただの人の子ではない。

 神でもない。


 ただ、幸福を届けに来た、一匹の獣だ。




//////////////////////////////////



 “Empty” ~エンプティ~


【形容詞】

 〈容器など〉中身のない,(から)

 《★【類語】vacant は本来中にあるべきものが一時的に欠けて空いている;

blank は物の表面に何も存在しない》.



 〈言葉・約束など〉無意味な,当てにならない; 空虚な,くだらない.


【叙述的用法の形容詞】 〔+of+(代)名〕〔…が〕なくて,欠けていて.


(比較なし) 《口語》 空腹の.



 Twin ~ツイン~


【名詞】

[複数形で] 双生児,ふたご.

【可算名詞】 似た人[もの]; 対の一方.


[複数形で] 対.


【形容詞】【限定用法の形容詞】

 ふたごの.

 対をなす,対の(一方の); よく似た,うり二つの.



 “The Empty Twins”

 ~ジ・エンプティ・ツインズ~


「空っぽの双子」

「よく似た空腹」「対をなす欠落」



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