第30話 -竜宮の使い- “First love of Lilith”
――俺様の話をしよう。
乙姫、というなにかの冗談のような名前は、両親から一文字づつもらった。
母は「乙女」、父は「姫」、と呼ばれていた。
ようするに、両方、女だった。
いろいろあって、れっきとした女である親父は、両性具有になった。
本来男性性を有する鬼の血が、女神アマテラスの血で薄まっていたのが、死にかけて蘇生のために、魔神の力を受け取ったことで、急激に男性化したのだ。
まあ、アレがある以外は、どこからどうみても女だが。
そういう、複雑な事情で生まれた俺様は、当然ひねくれた。
どこの世界に、女同士から生まれるガキがいるんだ。
俺様はクソオヤジ(見た目はクッソ美女)のせいで、生まれつき両性だったし、魔神と鬼の血を強く受け継ぎすぎて、化け物じみた能力を持っていた。
手かせ足かせ、ならぬ、制御装置代わりのブレスレットとアンクレット、首輪ならぬ魔封じのチョーカーをつけて、もと闇医者の診療所で生活するはめになった。
こういった子供が生まれたのは、世界初ということで、俺様はいわば、実験動物<モルモット>扱いだった。
この世のすべてに嫌気がさし、俺様は、女嫌いになった。
当然、己が半分、女であることも否定した。
俺様は、外見的にはほとんど女だったため、わざとぶっきらぼうで無骨なふるまいと、口調でごまかした。
当然、女物の服は着ない。
さらしを巻いて、男物の衣装を身にまとっていた。
そんなある日のことだ。俺様が、やつに遭遇したのは。
俺様が、小学半ばぐらいのころだ。
3歳の検診だといって、俺様の両親の知己のガキが、診療所にやってきた。
美しいモノなら、自分や父で見慣れていたし、まあ、少女は確かに美しく可愛らしかったが、なんということはなかった。
だが、その澄んだ炎のような瞳から、目が離せなかった。
少女は、自分を「オレ」といった。
姉も同じ口調だったし、まあ、人のことは言えねえが、変なガキだな、と思った。
少女は、あまり女らしくなかった。
見た目はすこぶる美少女だが、とにかく、じっとしていない。
俺様は、遠目で観察しながらも、ふーん、という感じでソファーに寝そべった。
なんか、重い。
目を開けると、クソガキが、俺の腹に乗っていた。
無邪気なイタズラだろう。
これが知らねえ男だったら、蹴り飛ばして不能にさせてやるところだが、ガキのすることだし、こいつは女だ。
だが、いいかげん重いし、暑苦しい。
俺は、おしのけようとした。
――落ちる。
両手で受け止めようとしたら、唇と唇が触れ合った。
……電撃が走った。
俺様のファーストキスが、こんな乳臭いガキに奪われた、からじゃない。
全身がしびれて、どうしようもなくなった。
原罪の乙女<リリス>という二つ名の俺様は、当時は、魅惑の乙女<サキュバス>と呼ばれ、唇で触れたものを弱体化させる、吸収<ドレイン>の能力をそなえていた。
その能力を、ものの見事に、跳ね返された気分だった。
なんでこんなクソガキに、そんなことができるんだ、と俺は、ガキを抱き上げた。
ガキは目をこすった。そして、にぱっ、と笑った。
その瞬間、全身の細胞が花開いた。
とてつもなく鼓動が高鳴って、俺は手を離した。
腹にどすん! とガキが落ちる。
もはや、触れ合っているだけで、どうしようもなかった。
俺様は、脱兎のごとく、ガキから逃げ出した。
今思えば、最強無敵の俺様が、敵に背を向けたのは、あれがはじめてだった。
少女の名を知った。
「小夏」だ。そして、俺様と同じ、両性なのだという。
俺様は、小夏の姿を観察した。
やや色素の薄い、生まれつきの茶髪。ところどころ紅色に染まった、ひじやひざ。
きらきらと輝く、炎みたいな瞳。
ストーカーかよ、と思ったが、小夏は、俺をみかけると手を振った。
「おとひめ!!」
名を知られた恥ずかしさで、寄って殴ると、「いて」と頬を膨らませた。
それから小夏は、診療所にこなくなった。
再会した時には驚いた。
小夏はもう、少女にはみえなかったし、おおよそ、美少年といってさしつかえない利発なガキに育っていた。
小夏が中学生になり、もう一度検診に来た。
その時、俺様は、試した。
あの時の感覚はなんだったのか、答え合わせがしたかったのだ。
ソファーで寝こけている小夏は、無防備だった。
あの時とは状況が逆だ。仕返し代わりに、いたずらしてやろう。
そう思って、くすぐってやった。
小夏は、声を上げた。
半分眠っているのだろう、「ふひゃひゃ」とか「やめろよ、夏夜」とか言っていた。
でもある時、変な声を出した。
「――ん……っ」
全身が沸騰した。
気色悪い、とかではなく。もっと鳴かせたい。
そう思って執拗にくすぐると、「……ぁっ」とか、「……ゃ……っ」とか可愛い声で鳴いた。
さすがにやりすぎて、小夏は目を覚ました。
「夏夜、寝てる時にくすぐ……」
姉、ならぬ兄と勘違いしたのだろう、小夏は涙目で目をこすった。
目があった。
俺様は、その時初めて、冷静になった。
「こんなところで寝てんじゃねーよ、カス」
ぶっきらぼうに言って、蹴り飛ばしたが、内心慌てていた。
困った。
あの時の感情をあらわすなら、むらむら、だった。
この俺様が、あんなクソガキにむらむら……。
俺様は、小夏から目が離せなくなった。
恋とか愛とかではなく、もっと本能的に小夏が欲しい、と思った。
とはいえ、別段照れているわけではないが、素直にデレるには、俺はプライドが高すぎた。
診療所で会うたびにツンデレというより、ヤクザよろしくな態度を取ってしまったのもそのせいだ。
だが、心境が変わった。
小夏を振り向かせたい、と思ったのは、異世界で小夏が泣きじゃくったあたりだ。
小夏は今、不安定だ。不安定なやつというのは、優しくされると落ちやすい。
本人は気づいていないが、小夏はモテる。
父親がアメリカを代表する、現役・日系イケメン俳優だけあって、元から容姿もいい。
だが、それより周りの心を奪ってやまないのは、なんといっても、ひたむきで仲間想いで、たとえば輝馬が死にかけたときのように、誰かのために一生懸命になって、泣くピュアさだ。
愛だの恋だの友情だの言っても、実際は自分のことしか考えていないクズがあふれるこの世で、ここまで混じりけのない奴は、そうそういないどころか、存在自体が、軽い奇跡に等しい。
小夏の混じりけのない、まばゆいばかりの純粋さに触れたものは、間違いなく、恋に落ちる。
それも、どうしようもない中毒のような、あるいは、得体のしれない熱病のような、ほの甘い激しさで。
そういうわけだ、この状況で小夏にアプローチしないと、とんびが油揚げをかっさらうように、誰かに取られてしまうだろう。
俺様はわざと女を強調するような、花魁衣装を身にまとい、これまでの態度とは真逆に、わざと馴れ馴れしくふるまった。
女の真似など、こりごりだと思っていたが、小夏が俺様の胸の谷間や、魅惑のふともも、まろびやな腰つきをみてドキドキしているのをみたら、もうどうでもよくなった。
この前、熱を出して倒れて、なにか柄にもないことを言った気がする。
俺様は女でも、男でもない。
どんなに男らしくふるまおうとも、俺様の躰は丸みをおびていて、また余計な脂肪も胸についていた。
俺様は、そんな自分を気持ち悪い、と思っていた。
気持ち悪い。女じみた自分が。
女と女の間に生まれた、自分が。
なのに、小夏は言った。「気持ち悪くない。嫌いになったりしない」と。
額にキスされて、その時気づいた。
ああ、俺はこいつが好きだ。
こいつのためなら、俺は「女」になれると、そう思った。
正直、割の悪い勝負だな、と思った。
小夏は好きな人がいたし、傍目、お似合いだった。
まあ、いろいろな障害があるし、もちろん邪魔してやるつもりだが、失恋も考慮に入れないと、傷つくのは俺様だ。
負け戦を前提にするなんて、俺様らしくない。
こんなよわっちくなるなら、俺様は、恋などするべきではなかった。
……なんてことは、残念ながら、まったく思わなかった。
俺様は、小夏を手に入れるためなら、自分が自分で、なくなってしまってもよかった。
小夏にだったら、すべてをやれる気がするし、女らしくふるまえというなら、してやってもよいと思えた。
恋は盲目というが、やはり、これは病気なのだろう。
だからこそ、目の前の、うじうじしたクソガキに、ムカついた。
兄に好きな人ができたぐらいで、世界のすべてを呪って、自分は不用品だと嘆く。
惰弱すぎて、お子様すぎて、ヘドが出た。
俺様は、だから今から、そんなこいつに、「お説教」をする――。
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“First love of Lilith”
~ファーストラブ・オブ・リリス~
Lilith ~リリス~
「男たらしの夜の女」
男性たちが寝ているときに、性的に彼らに近づくために、女性の姿をとる女悪魔。
聖書のアダムの最初の妻とされるが、のちにアダムと仲たがいし、悪魔となった。
“First love of Lilith”
ファーストラブ・オブ・リリス
「リリスの初恋」




