第22話 -美しき夜の娘- “The Maiden of Beautiful Night who is the (L).”
ああ、と小夜は、ため息をついた。
――夜の愛し仔。……<ライラ>。懐かしい名前だ。
13年前、小夜は、確かに、その名前で呼ばれていた。
小夜は、夜<ニュクス>から生まれた、魔性の娘だった。
人に化け、願いをかなえる代わりに、その者の夢を奪う、獏とも呼ばれる化け物だった。
小夜は、退屈していた。
どいつの夢も陳腐で、飽き飽きしていた。
しかも、余命わずかだった、バカな老夫婦を騙した後で、胸がむかむかとしていた。
そんななか、ひときわ輝く家があった。
窓からのぞくと、目が焼かれた。
そこにいたのは、炎のような光で満ちた、一家だった。
まだうら若い父親は、赤子を抱きあげ、無邪気に笑っていた。
母親は、仕方なさそうに微笑みながらも、とても幸せそうにしていた。
第一子を手にした、平凡な家庭。
そう呼ぶには、あまりにも、その喜びは、奇跡的な輝きをはなっていた。
小夜は、両親の心の中をのぞいた。
小夜の薔薇色の瞳に映りこんだ、死と裏切りの物語は、胸やけがするほど、ひどいものだった。
こんな、果てしない絶望の果てに、このふたりは、とうとうハッピーエンドへとたどり着いたのだ。
小夜は、思った。
この子の未来を、奪ってやろう。
この家庭をめちゃくちゃにしたら、どんな甘い味がするだろう。
小夜は、母親の腹に宿った、二人目に目をつけた。
ふたりめの魂の緒は、ひとり目とつながっていた。
双子よりも強い、愛の糸。
小夜は、このふたりを引き裂くため、二人目が生まれるなり、母親の腹に宿った。
計算が狂ったのは、いつだろう。
二人目は、そんな自分に屈託なく、笑いかけた。
自分が生意気に育っても、どんな冷たい態度を取っても、なんだかんだいいながら、かまってくれた。
そのあたたかい手で、触れられるたび、胸がおかしな音を立てた。
それが恋、だと気づいたのは、二人目が、寝ているひとりめに、キスをしているのをみたときだった。
「それ」が視界にうつりこんだとき、激しい炎が、胸を焼いた。
いや、それは、もっと切ない、「狂おしさ」だった。
何度も、邪魔しようとした。
でも、二人目は、あまりに純粋だった。護ってやらねば、壊れてしまいそうだった。
いつしか、ひとり目との仲を、取り持つような真似さえしていた。
ひとり目のずるさも演技も、まるで自分そっくりで嫌気がさしたが、それでも、冷たくするには、あまりに演技を続けた時間が、長すぎた。
そうだ、認めよう。私は、小夏が好きだ。
兄としてじゃなく、異性として。
そして夏夜は、あのお邪魔虫は、小夏の大切なひとなのだった。
こっぴどく傷つけて、ずたずたにするには、私は、人のまねごとに慣れすぎていた。
「……なんで、わかったの……?」
小夜は、震える声で、絞り出した。
「夢をみたんだ」と小夏は、小夜を抱きしめながら言った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夢のなかで、女の子が泣いていた。
カラスのような黒い翼とヤギの角をはやした、とてつもなくかわいい子だ。
女の子は、愛されたいよう、と泣いていた。
ずるいよ。なんでみんな、パパとママがいるの。
私は、ひとりぼっちなのに。出来損ないで、いらない子なのに。
女の子は、どこか、自分の妹に似ていた。
オレは、女の子に近寄ろうとしたが、女の子は、影のように消えてしまった。
翌日、たまたま、校舎で遭遇した煌々(きらら)に、聞いてみた。
――変な夢をみた。お前、千年生きた妖かなんかだろ。翼がはえた女の妖怪っているか。
煌々は、黙って、一冊の本を手渡した。
そして、去り際に言った。
「この本に書かれている女の子は、そなたの大事な子じゃ。そなたは、なにも知らず、やがて、その子を傷つけるじゃろう。その子を救えるのは、そなたしかおらん。……小夏、頼んだぞ」
それは、伝記だった。
夜の女神に捨てられた、夢魔の少女が、失われた愛を求め、さすらうお話だ。
その物語の最後のページには、こう書かれていた。
「この小さな夜は、果たして、永遠に飢え乾いたままなのだろうか? にせものは、ほんものには敵わないのだろうか? この子は、ライラは、幸福な私たちの人生を、憎んでいたのだろうか?」
「……いいや、違う。この子は、子宝に恵まれなかった私たちに、ひとときの夢を与えてくれたのだ。私たちは死ぬが、この子は、もう一度生まれる。今度は、この子にも、夢をみせてやってほしい。私たちの、可愛い宝物の13歳の誕生日に、きっと、私たちは死んでしまうけれど。――どうかあなたは、この子を……」
最後の文字は、血でにじんでいた。
恐らく、これはフィクションではないのだろう。
そして、夜<ライラ>という名前。
ただの偶然には、思えなかった。
小夜が中等部に入り、その能力を間近でみると、あの伝記に出てきた、魔物の能力に酷似していた。
それでもまだ、信じられなかった。
背中に翼をはやし、悪魔のしっぽを躍らせている、小夜のこの姿をみるまでは。
煌々は、きっと予知していたのだろう。
千年生きた神狐の先祖返りは、魔の者について詳しく、また、未来視の才があった。
煌々は、気づいていた。
――小夜こそが、<ライラ>だと。
「なんで、言わなかったの」と小夜は唇を震わせた。
「確証はなかった。それに、言えばお前は、いなくなるだろ? なあ、小夜。お前は、オレの大事な妹だ。もし、お前が望むなら、オレは、お前の帰る場所を作ってやれる。お前のほしい言葉をやる」
オレは、一呼吸して、小夜の頭をなでた。
小夜が、びくりと震える。
少し笑って、その躰を抱く、優しい抱擁に、力をこめた。
こめたのは、力だけじゃない。
「……だから、誓えよ。――最後まで、オレ達と一緒に、幸せになろうぜ」
オレはそう言って、小夜を離した。
これが、オレのことを、この世の誰より思ってくれた、世界で一番愛しい妹への、答えだった。
小夜は、しばらく無言で、まぶたを拭っていた。
「……やっぱり、小夏は、あまっちょろい。そんなんじゃ、運命には勝てないね」
――だから小夜が、小夏を護ってあげる!!
小夜は、一瞬だけ、切なそうに顔をゆがめると、はじけるような笑顔でそう言って、オレに口づけた。
頬じゃない、口にだ。
目を白黒させるオレの前で、結界を解き、小夜は、姿を現したみんなにみせつけるように、もう一度、今度は深く、口づけた。
柔らかい舌が、歯列を割って、オレの舌をからめとる。
燃えるように熱いのは、果たして、舌だったのか、驚きにはねる心臓だったのか。
「ん……っ」
「……はあ……」
恍惚とした表情で息を吐き、小夜はやっと唇を放した。
赤く熟れた舌先から、銀の糸が尾を引く。
ぺろり、と唇をなめて、小夜は笑った。
「――諦めないから。夏夜、お前には負けない」
夏夜がぷるぷるとしているが、これ、どういうことだ?
酸欠でぼんやりしながらフリーズしているオレの横で、輝馬が目を覚ました。
「……――小夏……?」
小夜は、輝馬に歩み寄ると、こういった。
「……輝馬にも負けないから。小夜は、絶対小夏をモノにする」
――え。。
一同が固まる。
……小悪魔小夜が本気を出すと、ろくなことがねえ!!
のちにオレは、自分の言動を、死ぬほど後悔することになる……。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
maiden
娘
処女の、未婚の、処女らしい、初々(ういうい)しい、初めての、一度も勝ったことのない、未勝利の、未勝利馬の
The Maiden of Beautiful Night who is the (L).
「美しき夜の娘、(L)」
L=ライラ
こと座 (Lyra)。
エリス (準惑星) の旧通称 (Lila)。
ライラ (天使) (לילה Lailah)
→ユダヤ教やキリスト教に伝わる、受胎を司る天使。魂の助産婦とされる。
この世に生まれる前の幼児の魂を母親の胎内へ導く役目を持ち、幼児の魂に将来(人生)のことを教えるが、この世へ誕生する瞬間にそれを忘れさせる。
ライラ (Lyla、Lila、Lilah) は、アラブ語・英語などの女性名。レイラ (Laila, Layla, Leila, Leyla) も同根で、アラブ語の「夜」(ليلى) に由来する。
ライラ (Láilá、Laila) は、サーミ語・北欧語などの女性名。ヘルガ (Helga) のサーミ語形で、「聖なる」を意味する。




