第21話 -夜の愛し仔‐ “Beloved Nyx”
目が覚めると、小夜が、輝馬の首をしめていた。
慌てて駆け寄ると、小夜は、その手を離した。
「――小夏。……小夜をみて……」
オレは、小夜の瞳をみつめかえした。
小夜の顔が、驚きに見開かれる。
オレの瞳の中の何かが、めらめらと燃え、夜の闇を燃やし尽くした。
「小夜。今までオレは、お前のことを、誤解していた」
「――何を……」
一歩つめると、小夜は一歩後ずさった。
「お前は、夏夜のことを嫌いだと言った。でも、お前は、いつの日も、夏夜を気にかけていた。オレと一緒に、夏夜を見守って、護っていた。それはなんでだ?」
「そんなの……」
小夏の目をあざむくため、と小夜は、絞り出すように言った。
「――違うだろ」
煉獄の業火が、再び、夜の闇を引き裂く。
「お前は、オレに、夏夜はおかしい、と伝えてくれていた。それは、オレと夏夜の絆が壊れないように、忠告してくれていたんだ。小夜、お前は、いつだって、オレ達のことを考えてくれていた」
「……それは……っ、小夏が悲しむから、仕方なく……っ」
金切り声で、小夜が言う。
「……違うな。だったら、夏夜の本音を暴けばいい。オレの知らないところで。真実を知られた夏夜は、恥ずかしくなって、オレから距離を置くだろう。そうすれば、オレは悲しむが、夏夜からオレを奪って、今度はお前がオレを慰めれば、オレは、お前を大事にするだろう。そう、お前が今までそうしてきたように」
――今度は、立場を交代させる。……それだけのことだろ?
小夜は、真っ青になって、耳をふさいだ。
「……やめて……言わないで……」
「でも、お前はそうしなかった。わざと、オレの前で、夏夜を糾弾した。オレに、お前を裁かせようとした。それは、お前が、苦しんでいたからだ。大切な夏夜に嫉妬する自分を、誰かに、オレに責めてもらいたかったんだ」
「――違う!!」
小夜は、今度こそ、叫んだ。
「――違わない!! お前は、オレに愛されたかった。でも、自分より、オレや夏夜を優先した。自分が嫌われてもいいから、祝福したがっていた。それが、お前だ!! 世界で一番優しい、オレの妹だ!!」
「――勘違いしないで! 小夜は、そんな綺麗な子じゃない!!」
小夜は、全身で叫びながら、夜の腕<マザーダーク>を展開した。
オレは、それをすべて焼き払い、小夜を抱きしめた。
「素直になれよ。小夜。ほんとはな、お前がオレの実の妹じゃないことなんて、知ってたんだ。親父とお袋の子じゃないことも。……お前が、人間じゃないことも」
小夜は、ひゅっ、と喉を鳴らした。
その額に口づけて、固く抱きしめた。
「お前は、夜の愛し仔<ビラブド・ニュクス>。人の子に擬態して、夢を喰らう、夜の女神。そうだろ、"ライラ"」
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Beloved ~ビラブド~
【限定用法の形容詞】 最愛の,かわいい,いとしい; 愛用の,大切な.
【叙述的用法の形容詞】 〔+前+(代)名〕〔…に〕愛されて 〔by,of〕.
【名詞】
[通例 one's beloved] 最愛の人
Nyx ~ニュクス~
【名詞】
ギリシアの夜の女神
“Beloved Nyx” ~ビラブド・ニュクス~
「ニュクスの最愛」
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【注釈】
~ニュクスの伝説~
恐ろしい黒い翼を持つニュクスは黄昏時に地面から二輪の馬車を駆って天空を馳せ行き、漆黒の夜を世界に運んでくる。
ホメーロスによる『イーリアス』によればニュクスは神々や人間どもを屈服させた強大な威力を持てるため、神々の王であるゼウスがニュクスに対して尊敬を抱き、また畏怖していた。
オルペウスの神話によればニュクスはガイアと同じく、精確な予言能力を持つ女神で、神託の伝達にも長ける。
ヘーシオドスのうたうところでは、ニュクスはさらに単独で多数の神々を生んだとされる。
これらは「人間の存在のありよう」についての概念の神格化が多い。
ほぼ死を意味する同義語とも考えられる、忌まわしいモロス(Moros、死の定業)、死の運命であるケール(Ker)、
またタナトス(Thanatos、死)を生んだ。次いでヒュプノス(眠り)とオネイロス(夢)の一族を生み出した。
更に、モーモス(momos、非難)とオイジュス(Oizys、苦悩)を生んだとされる。
義における憤りに基づく復讐の女神であるネメシス(Nemesis、義による復讐)もニュクスの子である。
さらにアパテー(Aphate、欺瞞)、ピロテース(Philotes、愛欲)、ゲーラス(Geras、老年)、そして人間の苦しみの大きな原因とも言える「争い」の女神エリス(Eris、争い)もニュクスの子である。
運命の女神である三人のモイライもニュクスの娘とされ、それぞれ、クロートー(紡ぐ者)、ラケシス(分け与える)、アトロポス(曲げ得ない)である。
また、ニュクス=「夜を運ぶ者」とも呼ばれる。




