第13話 ‐慈悲深き龍神‐ “Kyrie=【lo2ng she2n】”
……辺りはもう、火の海だった。
その真ん中で、輝馬を抱いて、オレはうなだれていた。
――オレのせいで。輝馬が。
泣きじゃくるオレの周りに、あの骸骨犬<グール>が迫ってきていた。
もう、抵抗する気も、戦う気も、まるでなかった。
グールが、オレの喉笛を狙い、一斉にとびかかってくる。
……ここで、終わるのか。
空っぽな心のまま、オレは瞳を閉じた。
――その時。
「諦めてんじゃねーよ!!」
澄み切ったアルトが、オレの鼓膜を揺さぶった。
――ザパァァァァン!!
身の丈数10メートルはあろうかという津波が、襲ってくる。
――溺れる!!
思わず身構え、体をぎゅっと丸めるが、津波は、オレ達を避けるように真ん中から分かれると、グールの群れを押し流していった。
思わず、顔を上げる。
さらりとした柔らかそうな黒髪。猫のような金色の瞳。
華奢で小柄なカラダの周りには、天女の羽衣のごとく、透明に輝く水が渦巻いていた。
目の前に立っていたのは、日本国の主、天王の後継者、皇だった。
「皇……」
信じられない、とつぶやくオレに、皇は言った。
「みせてみろ」
言うなり、オレの腕から輝馬を引ったくり、脇腹に手を当てた。
水色に似た光の粒子をまき散らし、輝馬の傷が癒えていく。
水属性の高度治癒魔術、龍神の情け<キリエ・ロンシェン>だ。
中等部<ヘヴン>序列三位、座天使<スローンズ>を襲名する、闇属性のナンバーツー。
そのたぐいまれな癒しの技から、名付けられた二つ名は、そのまま、「慈悲深き龍神<キリエ・ロンシェン>」。
そんな皇にかかれば、どんな傷も、なんてことないかすり傷に等しい。
最も、さすがに絶命してからでは遅いが。
「まあ、こんなもんか」
なんでもない風に息を吐くと、皇は当てていた手を離した。
「とりあえず傷は治したが、闇の力は、血液と一緒に傷口から漏れ出し、体内の龍脈が枯渇している。小夏、あの薬、今出せるか」
生命力の源泉であり、能力の源でもある龍脈が枯れれば、肉体の傷を治したところで、意識は戻らない。
その筋の研究者である進藤いわく、頭を損傷して植物人間になった、などの例も、魂<アニマ>に繋がる重要な器官である脳がダメージを受けたことにより、龍脈から命のエナジーが漏れ出し、まともに機能していないことによるらしい。
<龍神の情け>は、傷は修復できても、溢れ出たエナジーまでも、元に戻すことはできない。
だから、生きるか死ぬかの大怪我で、龍脈が機能不全に陥った場合、それを修復<リカバリ>する「なにか」が必要となる。
「ドーピング剤か? でも……」
あれを飲んで、オレはおかしくなったのだ。
「いいから、貸せよ」
オレの手から瓶をひったくると、皇はそれを口に含んだ。
「何を……」
困惑するオレの前で、皇は輝馬に口づけた。
「!!?」
驚愕して言葉をなくしていると、輝馬の喉がこくり、と上下した。
「これで一安心だな」
ぐい、と口を拭う皇だが、オレは、それどころではなかった。
「おま、おまえ……っ!!?」
「なんだよ。こんなんノーカンだろ」
非常事態なんだし、と皇はあっけらかんとのたまった。
「いや、そういう問題じゃねーだろ!!」
「じゃー、どういう問題だよ」
言い返され、ぐっとつまった。
どういう問題と言われても、男同士でキスってどうなんだよ、と反射的に言いかけて、あの時の輝馬のキスを思い出したのだ。
もっとも、口じゃなく、鼻だが。
(……あれはなんだったんだ。マジで)
気になるなんてもんじゃないが、今更聞こうにも、輝馬は気絶中で、それどころじゃない。
「それより、他のメンバーでも探しに行くぞ」
黙ったまま、ぐるぐる考えこんでいると、さして気にも留めてない風に、皇はまたあの津波を呼び出した。
――ザパアアン!!
「……ッ?!」
足元をすくわれ、思いっきり流された。
みると、皇は軽々と輝馬をかつぎあげ、さながらサーファーのように、波に乗っていた。
――オレよりチビで、華奢な癖に!!
……と、ジェラシーが燃え上がったが、何度も言うように、皇には平安時代に都を騒がせた、悪鬼の血が流れている。
もとから、人外してるやつなのだった。
「~~っっ」
(――っていうか、流れはええ! 溺れる!!)
あわあわしていると、皇は、こちらを振り向き、にやりと笑った。
「怖かったら、捕まってろ」
「こ、こわくねーよ!!」
言いながら、なんとかほそっこい背中にしがみついた。
「お前って、ホントかわいーな」
皇が、くくっと笑った。
「どういう意味だよ」
おちょくってんのか、こいつ。
むっとしてにらみつけると、「いやそのままの意味」とひょうひょうと返された。
「なんだと……オレ、知ってるんだからな」
「何をだよ」
意地になって言い返すと、皇は軽い調子で問い返した。
そんなふうに調子こいていられるのも、今のうちだ。
オレは不敵に笑って、さっそくその話題を切り出した。
「この前、裏庭で、足洗いまくりながら泣いてたろ」
皇は、時期天王であるがゆえ、学校でもオレ様キングを演じている。
みんなの期待に応えたい一心で、信者どもの要望なんかも聞いてやっているらしく、校内での人気も上々だ。
ただ、どうもこいつ、人の頼みを断れないところがある。
そういうわけで、「皇様、足をなめさせてください」とでも土下座されたのだろう。
優雅に足を投げ出しながら、恍惚と愉悦の混じった、威風堂々(いふうどうどう)たる姿をさらしていた皇だったが、付き合いの長いオレからみれば、あれは、変態に足をペロペロされて、泣く寸前の顔だった。
みてはいけないものをみてしまった、とそのままそっと立ち去ったが、あの後、百回ぐらい流水で洗って、半泣きでぷるぷるしていたことは想像に難くない。
つくづく、損なやつなのだ、こいつは。
「……お前もペロペロされたいか?」
皇はにっこりと笑ったが、その目は笑っていなかった。
「だが断る」
まあ、なんだかんだいいながらも、「放り出すぞ」と言わないところが、こいつらしい。
その優しさで、身を滅ぼさないといいが。
そんな風に軽口をかわしながらも、皇は探索<サーチ>を続けていた。
龍神、すなわち水の神は、遠い昔、海の生き物に、求める者を探す力を与えたという。
反響定位<エコーロケーション>。
音や超音波を反響させ、物体の距離や方向、大きさなどを知るこの能力は、今でも、クジラやイルカなどに引き継がれている。
そのおおもとである龍神は、海だけでなく、空中でも同じ能力を使い、あらゆるものを探索できる。
輝馬の、蜘蛛の糸による索敵<サーチ>の、いわば上位版だ。
「……いたぞ」
皇は、一気にスピードを上げ、波に乗った。
「おわ……っ」
情けない声をあげてしがみつくと、前方に、雷を背にしたたくましい青年が立っていた。
百獣の王を思わせる、毛先が黒く染まったワイルドな金髪。
無駄のない筋肉が、敗れたTシャツからみえかくれしている。
そいつは、輝馬が倒した「顔なし」を、何倍にもでかくしたやつの群れの真ん中で、肩で息をしていた。
――ドゴォォォオオオオン!!
天空からすさまじい轟音を立て、幾筋もの雷が堕ちる。
(( ――ゥオオオォォオオオン……。))
顔なし巨人はぶるりと震え、気の抜けたような声と共に、一頭、また一頭と倒れていった。
「雷耶、増援に来たぞ!!」
皇が、雷耶を避けて、津波を展開した。
ちょうどそのとき堕ちてきた雷によって、残っていた大型巨人全員が感電する。
<< ――……ヴォオオオオヲヲォオオオォォォォンンン……!! >>
断末魔の叫びは、すさまじく、鼓膜を破らんばかりだった。
――ザザザアン……ッ。
津波に乗って、皇は、雷耶の目の前まで滑っていった。
「わりいな、礼を言う」
「お互い様だろ」
ふたりは、拳を突き合わせた。
もっとも、身長差約15センチなので、雷耶は大きくかがみ、皇はつま先立ちという、かなりシュールな図だったが。
こうして、オレ、輝馬、皇、雷耶の4人が揃った。
心強い味方との再会を喜ぶオレ達。
だが、いまだ輝馬は目覚める様子はなく……。
歯車は、少しづつ回る。
設計図通りに、あるいは、描かれた台本<シナリオ>通りに……。
(( ねえ、早くここまでおいで、リトルサマー ))
その囁きは、誰のものか。
青馬<ナイトメア>が誘う終着点には、まだ早い。
だが、明日へと歩む彼らの足には、確かに、みえない糸があった……。
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「キリエ(Kyrie)」
ギリシア語の κύριος(kyrios - 主)の呼格κύριεをラテン語読みしたもので「主よ」を意味する。
また、「キリエ」(もしくは「キリエ・エレイソン」)はキリスト教の礼拝における重要な祈りの一つ。
日本のカトリック教会では第2バチカン公会議以降典礼の日本語化に伴い、憐れみの賛歌と呼ばれる。
日本正教会では「主、憐れめよ」と訳される。(Wikipediaより一部抜粋)
「龙神」(中国語で「龍神」の意)
発音は 「lo2ng she2n」
“Kyrie lo2ng she2n” ~キリエ・ロンシェン~
「龍神の情け(憐み)」
「龍神の主よ」