第9話 ‐甘い毒‐ “A Gentle Poisonous Spider” 【前編】
目を覚ましたオレが立っていたのは、乾いた地面と、荒れ果てた草花の残骸以外なにもない、荒野の真っただ中だった。
巨大な太陽は何かの冗談のようにどす黒く、まるで、すべてを飲み込むブラックホールのように、ぽっかりと浮かんでいる。
じゃり、と足元を踏みしめると、サバンナかよ、というレベルの熱風がびゅうびゅうと吹きすさび、焼けつくように、肌をなぶった。
「ウソだろ……」
頬をつねるが、普通に痛い。
どうやら、オレは、またもや、やっちまったらしい。
頭をがしがしとかき回し、さてどーしたもんか、と考え込んでいると、「そなた、阿呆か」と、鈴を鳴らしたような可愛らしい声が降ってきた。
見上げると、煙と共に、けもみみとシッポをはやした、傾国の美少女が宙から降ってきた。
——かこん。小気味のいい音と共に、下駄が鳴る。
目にも鮮やかな紅色と柔らかな白が、目の前で踊った。
白衣と緋袴。バカでも一目でわかる、伝統的な巫女服だ。
安っぽい紅色や朱色でなく、紅と緋を重ね合わせた、赤のなかの赤であるところの、紅緋色をさりげなくまとっているのが、コスプレでない証拠だ。
最も、色のことなんてさっぱりなオレは、本人から聞くまで、「高そうな赤い布」ぐらいの認識だったが。
双子坂煌々(きらら)。
輝馬の妹であり、神狐と契った巫女の末裔だ。
「煌々(きらら)、お前、攫われたんじゃ……」
「いかにも。われのカラダは今、仮面の者に囚われておる。じゃが、われは妖の先祖がえり。妖とは、実態を持たぬあちらの者。霊体が本体のようなものじゃ。その系譜を受け継ぐわれにとって、幽体離脱など、お茶の子さいさいというわけじゃな」
——もっとも、肉体や霊体が損傷すれば、命はないがの、と煌々(きらら)は得意そうに、たわわな胸を張った。
「ふうん、お前が逃げたことに気づかないなんて、仮面の男も案外マヌケだな。でも、よかった。オレひとりだったら、のたれ死んでたところだぜ」
案内よろしくな、とオレは、煌々(きらら)の頭をなでた。
「……ふん」
煌々は、悪態をつきながらも、頬を染め、キツネ耳を、ぴょこぴょこ、とくすぐったそうにしていた。
「ここは恐らく、魔界と冥界の狭間じゃ。われが囚われている洋館まで転移したいところじゃが、あいにく、肉体から切り離されている状態で、あまり妖力を使うと、霊体が消滅しかねぬ。ここは、歩いて行くぞ」
言って、煌々はシッポをふりふりして歩き出した。
今日は、やけに機嫌がいい。
なにかいいことでもあったのか?
歩き出して少したったころだ。
キーキー、という、猿のような声が、どこからか聞こえ始めた。
「……近いな。まさかと思っておったが……やはりか」
こちらに向かって、土ぼこりが舞う。
ゲホゲホとむせていると、前方に、信じられないモノがみえた。
「小鬼<ゴブリン>……?」
思わず口をついたのは、なじみのゲームに出てくるモンスターだった。
猿の顔に、鬼の角。シッポは蛇。手に持った松明と棍棒。
バケモノじみてはいるが、その身長は小学生低学年ぐらいのチビだ。
「よく知っておるな。もっとも、あれはなにか“違う”が」
煌々は悠然と構えているが、やっぱりそうか。
いや、でも、なんでこんな変なのがいきなり出てきやがるんだ。
「違うって……なにが違うんだ?」
「さあな。じゃが、あれには妖気を感じない。まがいものの妖魔じゃ。ただし、スペックおよび能力は、まるでオリジナルと同じとみた。やはり、われらがいるのは、現ではないようじゃ。さて、小夏、どうする?」
偽のモンスターに、現実じゃない世界。
ようするに、オレ達は、仮面の男にはめられたと言いたいのだろう。
ミイラ取りがミイラになる、とはいうが、仮面の男を召喚しようとして、まんまと異世界に放り込まれたオレ達がまさにそれだろう。
唇を噛み、拳を握るが、それどころじゃなさそうだ。
——キー、キー!!
小鬼<ゴブリン>、ゴブリン、ゴブリン。
溢れるほどのゴブリンの群れは、悩んでも待っちゃくれない。
オレ達を囲むと、耳障りな奇声を上げて、でかいパチンコ玉のように、一斉に飛びかかってきた。
「——いちいち、うぜえんだよ……っっ!!」
オレは、体内の龍脈を開き、全身の気を掌に集めると、津波のような、煉獄の炎でなぶった。
——ギィヤアアアァァァア……!!
赤黒い炎に飲み込まれ、つんざくような断末魔の声をあげて、ゴブリンどもはすぐに消し炭になった。
「ふっ……決まったぜ……」
——煉獄の番犬<ケルベロス>様、参上……!
とオレはポーズをとるが、煌々は冷めたような目つきで、「次のが来てるが」と冷ややかに述べた。
「げ……っ」
ドドドドドドド……と砂埃をあげ、何かが迫ってきていた。
一目でわかった。あれはやばい。
ぎょろりと覗く五つの目。憤怒に色どられた、阿修羅のような顔つき。
今にも涎を垂らさんばかりの、二枚に割れた舌。尾は蛇どころか龍で、凶悪な鎌口をもたげている。
それだけじゃない。
オレ達の二倍から三倍はありそうな、その巨体に握られている、ところどころ欠けている、血糊のついた斧。
あんなのを喰らったら、即死だ。そして、ていのいい餌のように、むさぼり喰われるだろう。
「やべ……っっ」
オレは、煌々の手をひっつかんで、一目散に逃げ出した。
——冗談じゃねえ! 調子に乗って小物を倒してはみたが、こんな怪物、ゲームでしか戦ったことねえよ!!
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「やばかったな」
ぱちぱち、とたき火をしながら、オレは言った。
煌々が、はぐはぐ、と、焦がした蜜色の団子をむさぼっている。
「まあな。鬼人<オーガ>から逃げきれたのは幸運じゃった。そなたはついておる」
ぺろり、と唇の端をなめて、煌々はなんてことのないように言った。
「お前が狐火でおとりを作って誘導してくれたおかげだろ。ありがとな」
あいにく、妖力節約のため、転移の術は使えなかったが、低コストで出せる狐火を、オレ達の形にして追わせ、オレ達の姿は、神隠しの煙でごまかすことに成功した。
だから、オレがしたのは、こいつの手を引いて走ったぐらいなのだが、煌々のその口ぶりは、どこかこちらをほめているように聞こえた。
平然とはしているが、実はこいつも不安だったのかもしれない。
なにせ、体はいまだ囚われの身だ。
話し相手がいるのといないのとでは大違いだろう。
バカなオレでも、それぐらいは想像できる。
だとしたら、強がっているだけかもしれない。
とたんに、煌々がいじらしく思えて、もっと優しくしてやらなきゃな、となんとなく思った。
「なんじゃ、褒めてもなにもでんぞ」
煌々は少しだけ嬉しそうにしっぽを振ると、そっと笑った。
「出そうとしてねーって。つうか、それうまそうだな」
「そなたにはやらん」
ぷいっとそっぽを向かれた。
(さっきまで可愛かったのに、やっぱこいつ素直じゃねーな)
というか、それにしてもつっけんどんなやつだ。
輝馬もドライだが、妹であるこいつは、それ以前の問題な気がする。
妹の小夜と、進藤の娘、ようするにオレ達のおばである紅夜と、行動を共にしている姿を、たまにみかけるが、それ以外のやつと話している光景は、いまだかつて、見たことがない。
しっぽと耳はやたら感情豊かだが、この2つは、基本的に、妖術の使用前後しか出現しないので、普段のとっつきにくさは、もうどうしようもない。
「黙ってりゃ、かわいーのに」
もふもふなキツネ耳を触ると、「やめろ」と、手をはたかれた。
煌々は、飴色の長いポニーテールといい、兄に似てやや切れ長の、可憐な金貨色の瞳といい、どうみても綺麗で、とてつもなく可愛い。
背はちいさいが、胸はD以上ありそうだし、腰もきゅっとくびれていて、とっつきにくい性格さえなおして、笑顔でもみせれば、一躍、男子どものアイドルになりそうだ。
「余計なお世話じゃ」
そう切り捨てるなり、再び、はぐはぐ。と団子をほおばりはじめた。
霊体なのに、メシ食えんのかよ、と突っ込みたくなったが、そういえば、妖怪は霊体が、基本なのだったか。
ほおばりすぎて、ハムスターみたいになっている。
時々、ちょこんとのぞく犬歯に、ちょっとだけムラムラしたのは内緒にしておく。
——いかん、オレには夏夜というものが!!
ぶんぶんと首をふるっていると、「そなた、腹でも減ったのか」と、おかしそうに笑って、団子を差し出してきた。
「でもそれ、お前のじゃ」
「腹がいっぱいになった。残飯でもよければ、恵んでやろう」
ふん、と偉そうに胸を張るが、その瞳はきらきらと輝いていた。
「残飯かよ。でもいいぜ、腹減った」
あーん、とオレが口を開けると、「!?」と、しっぽをびくんとさせ、顔を真っ赤にして固まった。
「そなたは赤子か。仕方がないやつじゃ」
煌々は団子をつまむと、オレの口にほおり込んでくれた。
若干ぷるぷるしているが、どうしたんだ?
「んまい」
やーらかくて、もちもち。
ほどよい甘じょっぱさがくせになる。
まさに、オレ好みのパーフェクトなみたらしだった。
「じゃろ。われ特製じゃ」
「あれ、お前、料理とか作れんの?」
料理というか菓子だが、これだけの腕前なら普通の料理もうまそうだ。
「作れたら、悪いか」
煌々は、むっとして頬をふくらませた。
薄紅色の頬がぷっくりとしていて、思わずつつきたくなったが、さすがに怒られそうだったのでやめた。
「いや、すげえよ。いい嫁さんになれるな」
代わりに、頭をなでてやる。
「あたりまえじゃ」
煌々はくすぐったそうに、シッポをふりふりした。
狐耳のあたりをくすぐると、煌々は、「やめろ、阿呆が」と身をよじって、手を払った。
「今日はやけにしゃべるな。どういう風の吹き回しだ?」
「別に、気まぐれじゃ。ばーか」
煌々は、つんとあさってを向きながら、子どものように唇を尖らせた。
「お前、本当に狐の神様かよ。もう威厳のかけらもねえな」
煌々の二つ名は、金色夜叉<テンコ>。テンコとは、本来、天の狐と書くらしい。
千年生きた狐は、神に等しくなり、そう呼ばれるようになるという。
「じゃから、われはただの先祖返り。長年、人の社にて護り神をつとめてきた、九尾の狐の知識は受け継げど、体と心は、そなたと同じ童だと言うておるに」
「そのしゃべり方で言われても、説得力ねえな。もっと現代の言葉を話せよ」
いつも思うが、何時代だよ。今西暦何年だと思ってんだ。
「いーやーじゃ。そなたの言うことなど、誰が聞くかばーか」
「ばかっていう方がバカなんだよ、バーカ」
再び、ガキみたいな憎まれ口をたたかれ、イラっとして、こっちもガキ理論で言い返してやった。
「ブラコンバカ」
「しゃべり方がバーバア」
「……よしそこになおれ。こうしてやる」
「うっは、やめろっ、くすぐって……、おい!! 脇はやめろ脇はっ!!」
——こいつ、いきなりこちょこちょしてきやがった!!
「ふは、やめろっ、っマジでやめろ!! おま……っっ、せ、セクハラ……」
ひーひーいいながら身をよじる。腹とか脇とか、弱いところをガン攻めされて、力が入らない。
オレがくすぐりに鬼弱いってことを、知ってやがったなこいつ!!
「われをババア呼ばわりした罰じゃ! ほれほれ早く謝らんとこっちもくすぐってやるぞ??」
「――ちょっ……!! ……っくふ、こんの……っ、クソアマぁっっ……!!」
いたるところを、さわさわ、こちょこちょされ、いろんな意味でやばくなってきた。
いい加減反撃しようと、シッポをつかんだその時だった。
(( ――ググゥゥゥゥル…… ))
すえたような悪臭。
地の果てから響いてくるような、低い唸り声が、鼓膜を震わせた——。