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序章:解綱の家

 好こうが好くまいが、家業というのは延々着いて回るものである。それが長男であり、唯一の男児であれば尚更だ。嫌だ嫌だといった所で、周りが強制して断りようなどある筈もない。


 あまつさえ、逃げだそうとしても下手に力がある家業であるならば、当然の如く追っ手がかかり逃げ切ることなど出来ようはずもない。数多のラブロマンスに登場する姫君の心持ちを男の身でありながら実感することになろうとは、世の中とは分からない物である。


 「にぁ」


 はいただいま。思索に耽りながら常の仕事を果たしていた私は、催促するような声に追い立てられて手の動きを速くした。


 ざらざらと楽しげな音を立てながら、陶製の上等な器に注ぎ込まれるのは至極一般的なキャットフードである。ただし、一袋で千何百円という酷く高級感あふるる代物だが。


 「にぁん」


 はいはいただいま。下を見やれば、一匹の猫が居た。おや、御猫様と家業的にはお呼びせねばならぬのであろうか。


 とりあえず、ご機嫌を損ねられては困るので、私はキャットフードを盛った皿を置いて御猫様の前に食事を饗した。すると、艶やかな毛並みの三毛猫は、大義であったと褒めるように一声鳴いて皿に頭を突っ込む。このお方は大変な健啖家なので、直に中身は空になることであろう。


 「にぁ~」


 やれやれ、ただいま。声の方へ視線を巡らせると、今度はキジトラの御猫様がいらっしゃった。皿を並べた机の上に飛び乗り、はようせい、と薄緑の瞳を輝かせながら命じている。


 「にぃん」


 へい、ただいま。足下にも衝撃が一つ。額をこすりつけて臭いを付けしていらっしゃるのは、少し小柄なサバトラ殿だ。甘えたなのか、どうにも足下に絡んできておっかない。踏んづけてしまったら事だというに。


 気配を感じて、キャットフードの箱を手に振り向けば、棚の上に御猫様が鈴なりになっていた。白、縞、三毛に錆とありふれた毛色から、舶来の御猫様まで。兎角、沢山の御猫様が勢揃い。


 食事の時間であると察し、ご丁寧なことに素早くやっていらっしゃったのだろう。私は盛大に吐息し、手早く仕事を完遂することにした。


 「はいはい、お待ちくだされよ。直ぐにご用意いたします故に」


 私の名は綱解 喜胤。しがない猫飼いである。流行の言葉を借りるのであれば、猫のブリーダーという所であろうか。


 とはいえ、まぁそんな良い物ではないというのが現状であるが…………。






 綱解の家は、西暦一六〇〇年頃から続く家で、代々猫を飼育、管理し売買することを生業としている。


 古くから続いているとは言え、その所以は立派な武士でもなければ栄華を極めた豪商でもなく、単なる宮中にて働いていた猫の世話役であったに過ぎない。


 当時中国から渡ってきた家猫は高価で、ネズミを捕るからと珍重されて大事にされてきた。それこそ、専属の世話係が置かれ、御猫様御猫様と下手な人より持て囃されたほどである。


 今と違い、猫を綱で繋いで家中にて飼うのが当時の飼育スタイルであった。これは猫が高価で数が少なく、野良犬などが多かった為だと言われている。


 そして、初代綱解が家名を拝するようになったのが一六〇二年、慶弔八年のできごと。神君こと徳川家康公が徳川幕府を打ち立てた一年前なので、さぞ大事があったのでは、と思われるやもしれないが、大したことではない。


 解放令と呼ばれる沙汰が洛中にて下されたのだ。解放令と言っても、穢多非人解放令のような大それたものではなく、猫の売買を禁止し、洛中にて繋いで飼われていた猫を放し飼いにせよとするものである。


 当時の洛中では鼠害が流行しており、民が餓えるほど困窮していたという。解放令は、鼠害を沈めるべく天敵たる猫を放つことによって、広く鼠を撲滅しようとして発布された命令であった。


 一六〇〇年頃には、戦国期と比べて庶民の間でも猫が飼われるようになっていたので、放たれた猫の数は多く、あっと言う間にとは言わないが、鼠害は減ったという。


 初代綱解、単なる宮中の下男であった遠いご先祖様が、この時に猫を上手く洛中中に広める献策をしたことにより褒美を受け取り家を建てたのが綱解家の興りだ。


 繋がれていた猫の綱を解いて、野に放ったから綱解。ひねりも何もない、単純な発想だと笑わば笑いたまえ。私だってそう思っている。


 以後、解綱家は愛玩用の猫を育てて、公家やら武家やらに売りつけることを生業として血を繋いでいった。名だたる名家を描いた家に映り込む猫、それは殆どが我が家が育てた物であるというのが歴代当主の自慢話だったそうだ。至極どうでも良いが。


 兎角我が家は、そういう国家御用達の御猫様ブリーダーの家なのである。


 ただ、そんな普通の古風なペットショップが四〇〇年も老舗旅館が如く、何も考えずに猫だけ売って存続できるかと言えば、簡単に分かるだろうが否である。


 裏の顔があるのだ。


 そして、その裏の顔は今、私の膝の上で堂々と寝転がっていた。


 一匹の艶やかな毛並みも美しい、見事な黒猫様であった。


 天鵞絨のような艶を持つ黒い毛並みと、神工の手によって作られたようなしなやかな体。目は虎目石も霞むほど鮮やかな黄金に輝き、ぴんと張った耳はケチの付けようもないほど整っている。実に美しい黒猫だ。


 さて、今ではすっかり印象も薄まっているが、猫は縁起物でありねずみ取り以外の目的もあって珍重されていた。招き猫は有名だが、猫には魔除けとしての性質もあったのだ。


 夜でも良く目が見える猫は、闇に潜む邪悪な物を祓うとされていた。特に黒い招き猫には破邪の魔除けであるとされる。


 つまり、猫は迷信深い人々に魔除けとして愛されたのだ。綱解は、それを利用して家の安全と繁栄を何より願い、験担ぎに余念が無い金持ちに猫を高く売りつけ家を富ませてきたのである。神君より猫飼いとしてのお墨付きを受けた我が家にて生まれた猫は、魔除けとして大変効果的であると謳って。


 殆ど撫でると健康になる壺と似たような商売だ。ほっとけば増える猫が、何十両にも化ける上、噂を聞いて欲しがる者達が勝手に来るのだから笑いが止まらなかったことであろう。


 ああ、いや、一応解放令で売買が禁止されていた時期もあるので、それは御猫様を紹介した仲介料であって売り上げではないとされていたっけか。確か、帳面には律儀にそう記されていた筈だ。


 とまれ、そんな商売をしていたのが綱解の家であるが……実は、ここまではまだ、表の顔である。


 猫に魔除けとしての力があるというのは、決して嘘ではないのだ。


 「喜胤、もっと丁寧にやらぬか」


 「あ、はい、すみません」


 気が漫ろになっていたからであろうか、毛並みに櫛を通す手つきが荒くなっていたらしい。おしかりが富んできてしまった。


 今響いた女性の声、これは私の指導役が部屋のどこかにいるわけでもなければ、襖の前に控えているわけでもない。膝の上で毛繕いを受けている、御猫様が自らお発しになられたお言葉である。


 「ヌシは丁寧なれど、考えごとが多いのが欠点よなぁ。集中力を磨かぬか、集中力を」


 「はぁ……申し訳ありません」


 機嫌良さそうに弛緩していた体に芯が入り、すっくと体が起き上がった。そして、私の目を射貫くように金色の瞳が向けられる。その視線は、まるで私の心の底まで突き刺さるかのように鋭かった。


 出来ることはと言えば、ただただ平伏して許しを請うことだけである。


 「それで一五代目をよくぞ襲名したものよなぁ、喜胤ぇ……」


 消去法なんだよ、察せよ、仕方ないだろ、とは思ったが口が裂けても言えない。


 とはいったものの、例え表にしなくとも読まれているかも知れないが。


 平伏した私の後頭部に、柔らかな感覚が伝わったことで、想像は確信に変わった。この柔らかな感覚は、前足の肉球だろう。


 「後、ヌシが考えていることくらいワシが気付かぬと思うてか? 未熟者の精神防護など御簾よりも頼りないものぞ。足らぬ身であることを再認識し猛省せよ」


 ほら、これだよ。酷い精神弾圧である。日本国憲法は内心の自由を保障しているはずだろうに。それを大年増の化け猫は軽々し……。


 「ぐぇあっ」


 後頭部に掛けられていた負荷が俄に増大し、下げていた頭が畳に密着した。更に体重が込められ、躙るような動作までが追加される。細かな畳の起伏に擦られ、皮膚が摺り下ろされるような痛みが走る。


 「阿呆が、憲法は国家対国民の法。個人対個人では適用範囲外よ。そも、人の法が化生に通ずると思うてか、たわけ」


 「あがっ、すっ、すれるっ! 摺り下ろされるっ!?」


 暫く躙られ続け、血が出るんじゃなかろうかと思う数歩手前でやっとこ重みが消えた。痛みに耐えながら顔を上げると、其処には美女が立っていた。


 膝元まで伸びるぬばたまの髪とコントラストを成す新雪が如き肌。つんと尖った鼻筋は挑戦的に伸び、意志が強そうに緩く弧を描いてつり上がった瞳は鈍い黄金に煌めいている。


 身に纏うは古色に染め上げられた泥染めの長襦袢で、浅く左前に合わされた胸元からは張り裂けそうなほど豊かに発達した胸部が顔を覗かせていた。微かに足が覗き、瑞々しい太ももを惜しげもなく晒しているのも、酷く目に毒である。


 そう、この御仁こそが先ほど私の膝の上で液体になりかかっていた、見事な毛並みの黒猫様である。御年四〇〇余歳になられる大化け猫……初代綱解が大成する切っ掛けとなった、我が家に払いきれぬほどの貸しを持つ大本締めであった。


 「もっと精進せいよ喜胤……では、ワシは甘味処でも冷やかしてくる故、頭を冷やしておくがよい」


 散々に私の頭をなぶって溜飲が下がったのか、黒猫様は大笑しながら襖を豪快に開け放ち、どこぞかへ去って行った。


 ……ふと起き上がって見れば、懐が軽い。不思議に思って懐手に着物を探ってみれば、胸中に飲んでいた札入れが失せていた。


 「……畜生やられた」

 落胆しつつ舌打ちを零すと、タンスの上に座っていた別の御猫様が、あざ笑うように口の端を吊り上げたのが見えた。


 そう、綱解の実態にして裏の顔……それは、化け猫屋敷の奉公人である…………。

 想像以上にプロットが膨らんでしまったので、中編という体を取ってちまちまと投稿してガッと終わらせてしまおうと思います。


 Twitterで上げられた要素は しゃべる猫 黒髪美人 シャベル の三つなのですが、とりあえず全部回収したつもりではあります。私の悪癖のせいで何処まで膨れあがるか分かりませんが、とりあえずおつきあい願えれば幸いです。

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