08:少女A④
「えっ!?あなた、に……人間なんですか!?」
心を読むという相手に言葉を使わずに情報の伝達を試みるのは簡単な事だった。考えるだけで良い。切人は、とにかく自分の状況を知ってもらおうと、これまでの事を思い出すように思考してみた。
自分自身の記憶をロードムービーのように、ゆっくりと再生する。
最初に目覚めた時のこと。身体がまるで動かず、目も口も使えないという状況。少年少女による襲撃と、崖からの転落までの逃走劇。そして何者か、恐らくはこの少女に助けられた事。
言葉と同じように会話をすることは想像以上に困難だった。発したい一言を思考するのは容易ではなく、無意識にその言葉に関する思考が浮かび上がる。それは壊れかけたラジオのノイズのようなものだ。雑音がひどく、聞き取るのは難しいのだと、少女が教えてくれた。
だから、会話をする必要はない、と。故に、切人はただ情報を垂れ流す。
少女はそんな切人の思考を静かに聞きながら、それを読み解いていった。バラバラに溢れて出る思考を整理し、関係性を導き出して組み合わせなおす。そんな作業を頭の中で静かにこなした。
そして少女の口から飛び出したのがそんな言葉だった。
「ご、ごめんなさい!でも、えー、えっと……なんというか、あなたの姿を見てすぐに人間だと理解するのは難しいかと……」
少女は言い難そうにそう言った。
一体、自分の身体はどうなっているのだろう?
切人は恐ろしく不安になった。人間に見えない身体とは、どういう状態なのか。
例えば、全身の骨が砕けてグニャグニャになっている、という状態。身体が動かない状態も説明できる。痛覚は痛みを通り越して麻痺しているのかもしれない。
「いえ、そうじゃないんです。傷とかではなくて、その、なんていうか、もっと根本的にというか、その……」
少女はためらうように言葉を濁していた。
切人は、覚悟していた。どんな状態であろうともう驚かない。とにかく真実が知りたいと思った。
その思考に答えるように、少女がゴクリと息を飲む音がした。
言葉にする覚悟を決めたようだった。
「すごく、スライムです」
思考が停止した。少女の方も、切人の反応を待つように停止した。
え?
スライムってなんだ?子供の時に理科の授業で作ったことがある気がするアレだろうか?洗濯糊と何かの薬品を溶かした水を混ぜて作る、あのプルプルした物体の事で良いのか?薬品には毒性があるから口にしたり粘膜に触れるなと注意されたあの時の物質で良いのだろうか?
「な、何か良く分からないんですけど、多分、違います」
切人の思考を読んで少女が申し訳なさそうな声で答えた。
「どこにでもいる魔物なんですけど、もしかして切人さん、知らないんですか?」
知らない。そもそも、切人は魔物という単語を現実的に理解できなかった。
単語自体は知っている。だが、それはあくまで人間の想像の産物であり、どこまでもファンタジーな存在でしかない。
「丸いジェル状のシンプルな魔法生物、つまり魔物なんです。大きさは個体によって様々ですけど、今のあなたは平均的な大きさだと思います。人の半分くらいの大きさ」
少女がその概要を簡単に説明してくれる。「はいそうですか」と、信じられる話ではないが、その一方では「なるほど」と納得できる部分もあった。
切人の目が見えない理由。喋ることが出来ない理由。スライムだから、だ。目も無ければ口もないらしい。そして身体が言うことを聞かない理由もそう。切人の意識と、現実の身体の構造があまりにズレていたからだろう。手や脚などない丸い生物らしい。脚ではなく身体全体で飛び跳ねた時の感覚、這って動こうとした時の感覚、どちらも軟体の丸い身体を想像すれば納得が行く。少なくとも人型で想像するのは難しい動きだと思っていた。考えないようにしていただけだ。
「えーと、さきほどからずっと気になっていたんですけど……」
少女は困惑したような声で尋ねた。
「あなたは、一体ドコからやってきたんですか?」
ドコと聞かれても、すぐには答えを返せなかった。思考が止まってしまったわけではなく、思考の末に何も返答を見出せなかった。
そういえば、ドコから来たのだろうか。自身の名前は覚えている。職業はなんだろう。歳は十七歳だったような気がする。ならば学生という事になるのだろうか。高校へは行っていた。あのポストまでの競争は、確か高校の帰り道。家族は、思い出せない。祖母は居た。小学校の夏休みの記憶が祖母との思い出だった。他の家族は分からない。スライムという単語は理解できた。それも小学校の時の理科の授業の一部。教師の顔は出てこない。魔物という単語は分かる。恐ろしい存在。モンスター。ではどんなモンスターか。思い出せない。
ツギハギだらけだった。部分的にしか記憶を持っていない。それぞれの記憶がひどくうっすらとしか結びつかない。点と点がバラバラに存在している感覚だった。
目覚める前の記憶のほとんどを思い出せない事に、切人はやっと気がついた。