06:少女A②
良く日の当たる縁側は、昼寝には最適の場所だった。切人はそこが好きだった。そこにはいつも祖母がいたから。
祖母は話が上手だった。祖母は切人が飽きないように様々な物語を聞かせた。祖母の部屋の棚にはぎっしりと本が詰まっていた。子供向けの絵本から難解なミステリーまで多種多様だった。その本棚が埋まったのは、切人がここに預けられてからだと言う事を切人は知っていた。
祖母の声が好きだった。やさしい声だった。巧みな話術よりも、その音色に誘われて、切人はついうとうとしてしまう。祖母は切人の睡魔に気づくと、話を中断して子守唄を歌ってくれた。優しく囁くような歌声に誘われる。
その時だけは、深い眠りに落ちていけた。
遠くで歌が聞こえていた。小鳥の囀りのように控えめで繊細な声が、穏やかな三拍子のリズムを奏でていた。鼻歌のようだった。
その歌声に切人の意識はゆっくりを引き上げられた。真っ暗な世界に目を覚ます。
鼻歌は続いていた。思ったよりも近くに聞こえる。近くに人がいる。
反射的に警戒した。周囲へ向ける感覚を澄まし、状況の理解を急ぐ。
数は?距離は?敵意は?
「あ、起きたんだね。おはよう」
言葉と共に、身体の上部に何かが触れる感覚があった。温もりと感触からそれが人の肌だとわかる。何者かの手の温もりは、切人の上部を撫でるように数回往復して、離れていった。
「おはよう」
声にはまるで敵意がないように思えた。女の声だった。まだ幼い。
先ほどの少年少女とのあまりの落差に、切人は事態をどう捉えていいのか困惑した。油断させる罠なのか、それとも本当に敵意がないのか、一瞬でも早くそれを見極めようと思考を急いだ。
姿を見ることも、言葉を交わすこともできない状態で何を確認することができるのか。距離はかなり近い。逃げることなどできそうもないが、どうにかしなければならない。
「ちょ、ちょっと待ってよ!そんなに怯えないでって。私は敵じゃないんだよ」
少女が慌てたように言う。警戒しているのはすでにバレバレのようだ。
それに言葉では何とでも言える。それを信じるかどうかは切人自身が決めることだった。
「うわ、すっごい疑われてる!え、えーと……どうすれば信用してくれるのかなぁ?」
今度は真面目に考えるように「うーん」と小さく唸り始めた。
敵意がないと言うのならば、まずはこのすぐにでも触れることのできる距離から離れて欲しかった。先ほどのように、油断すればいつ何をされるかわからないという恐怖が脳裏に残っている。が、それを伝えるにも切人は口が動かせない。
会話ができない事がこれほど不便だと思ったことはなかった。自分の身体がどうなっているのかも分からないこの状況。会話さえできるなら、たとえ自分の目が開かなくとも自分の状態を尋ねることだって出来たのだ。会話さえできれば、これはまたとないチャンスだったのかもしれないとも思える。
「わ、わかった。離れるから!勝手に触ってごめんなさい」
土を踏む音が僅かに遠ざかる。切人の意思は伝わっていた。何故だ?
「あなたの心がそう言ってる」
困惑は加速した。少女は切人の心を読んだのだと言う。
「あのね!私、相手の気持ちがわかるんだよ。相手が人だろうと、動物だろうと、あなたみたいな魔物だろうと、わかるよ」
これまた不思議な相手だった。攻撃的ではない分、先ほどの少年よりはいくらかましだが、今度は自称エスパー少女に捕まったらしい。
事態が理解できなかった。相手は急に超能力者だ。しかも切人は魔物よばわりされている。
確かに状況としては、心を読まれたように感じた。少女の行動と言葉は、話すことの出来ない切人の心情とリンクしている。
だが、切人は身体を動かせはしないが、もしかしたら表情くらいは変化していたのかもしれない。少女は切人の怯えを敏感に感じ取っていた。それは心の中を読んだのではなく、推察したからではないのか。優秀な刑事や占い師は、「見る」というその技術を持っている。嘘を見抜き、まるで心を見透かすように振る舞う。この少女もそうではないのか?
信じるのには勇気が必要だった。信用したいという思いもある。今の自分の状況を教えてほしい。言葉で会話の出来ない切人にとって、喋らずとも会話ができるその少女の存在に縋りたかった。こんなに都合の良い相手はいないだろう。
何よりも証明が欲しい。
敵意がない事、そして本当に心を読む事を証明する何かが。
それを証明させるために何を考えるべきか考えて、切人は気が付いた。
いや、あるのだ。あったのだ。そう、それを証明するような出来事はついさっきあった。
目を覚ました時、この少女はおはようと言った。
なぜわかったのか。声を出すことも出来ず、強く念じなければ身震いも出来ない切人が目を覚ました瞬間に、少女はどうしてそれに気付く事ができたのだろう。
そしてなぜ、この少女はわざわざ切人が目を覚ますのを待ってた?目覚めた切人の意識を読んだからではないのか?
「近づいても良いかな?」
土を踏む音が聞こえた。一歩分だけで音は止まる。
思わず身体に力が入る。思考は続けながら警戒する。
危険はないと思える。思いたい。切人が眠っていた間、少女はただ側に居ただけだ。地面の感触が土ではない事に気がついた。柔らかな布の感触がしている。
「あなたの事、わかるよ」
また一歩、土が踏まれる。二歩、三歩と続く。
眠りの直前、何者かに水の中への放り込まれた気がした。そして切人の傷は癒えた。今はもう痛みなど感じていない。
あれは、この少女の仕業だったのではないのか。
「大丈夫だよ。あなたの事、わかるから」
ふわりと、何かに身体を覆われる感覚があった。驚きはあったが、不快感はなかった。
切人は少女の胸に抱かれていた。
やさしい温もりに包まれて、切人の警戒心は溶けて消えた。