03:生まれる③
眠りは浅い方だった。幼い頃は良く寝る子だったという。子供ならばみんながそうだ。それがいつからだろうか。今のように深く眠ることが出来なくなったのは。眠りに落ちても五感は警戒を解くことはなく、何かに怯えているような感覚があったのを覚えている。何に怯えているのかもわからずに、ただただ寝覚めの悪い朝を繰り返した。
睡眠は嫌いだった。それは今だったそうだ。寝ている間には良くない事ばかりが起こる。
全身に奇妙な感覚があった。例えるなら、お腹や太腿などの柔らかい部分を指でつつかれているような感覚に近い。それが全身で、様々な場所から感じられる。痛みはないが、不快ではあった。
何が起こっているのかを理解したかったが、相変わらず視界は真っ暗で、身体は言う事を聞かない。切人は身体の制御を諦めて、とにかく自分の周囲の様子を探ることに意識を集中させた。
草の香りを嗅ぎ取ることは出来ていた。風の音を聞き取ることも出来ていた。ならば身体が動かない理由を探るよりかは、視力に頼らなくとも、耳と鼻で周囲の様子を探るほうが容易な事に思えた。
草の香りはまだあったが、それとは別の匂いもしていた。知っている匂いだった。恐らくは汗の匂いだ。風の音も聞こえている。それとは別に、布が擦れるような音も聞こえた。風が冷たさを増して、身体に感じていた温もりがなくなっていた。日が落ちたのかもしれない。
不快な感覚が身体に感じられる直前に、風を切る音がハッキリと聞こえていた。何かを振り回すような音。野球のバットやゴルフのグラブが連想された。そして音源はかなり近いようだ。
なんとなくだが、理解できた。どうやら何かで身体を叩かれているようだ。不思議なのは、聞こえる風切り音に対して、感じている身体の感覚があまりにも鈍い事。野球やゴルフのフルスイングを思わせる音に対して、身体は痛みなど感じておらず、身体の柔らかい部分を軽く押されたような感覚しかなかった。
そのまましばらくすると鋭い風切り音は止んで、身体への不快な感覚もなくなった。代わりに荒い息遣いが聞こえてきて、汗の匂いがキツくなった。
「ははっ、本当に動かないぜ。コイツ!」
ハッキリと、人間の声がした。男の声だ。なんとなくまだ若いのが分かる。
「死んでるわけじゃないのに、ヘンなヤツ」
別の声が続いた。今度は女の声。この声も幼さを感じさせた。
「これだけ殴っても動かないなんてな!」
「ずっと眠ってるの?」
男女の二人組のようだった。切人がどれだけ眠っていたのかは分からなかったが、その間に見つかったのだろう。ピクリとも動かない切人が遊ばれているようだった。先ほどの感覚は、柔らかい棒か何か、オモチャのような物で叩かれていたのかもしれない。
起きてる。止めろ。と言いたかったが、口はピクリとも動かなかった。
「フア、コイツを倒して持って帰るぞ!これできっと、村の奴らも俺を認めるぜ」
「でもどうやって?やっぱり叩いたりしても意味ないよ。一度、村もどって……」
「バカか!こんなチャンス滅多にないんだ。村の奴らになんか譲るかよ!」
「でも、アル君……」
「俺が倒すんだよ!俺が!」
危険は無さそうだと安堵しかけた時、会話の内容が物騒なものになっていた。
これは何かのごっこ遊びなのだろうか。切人はまるで獲物のように扱われている。
「フア、下がってろ」
アルと呼ばれた少年は、呼吸を落ち着かせて何かを呟いた。それが聞き取れなかったのは決してその声が小さかったからではなく、それが切人とって全く聞きなれない響きだったからだ。
「わぁ、アル君すごい!」
フアと呼ばれていた少女が感嘆の声を漏らした。切人には何も見えないが、少年が何かを行ったようだ。そして、それは成功したらしい。
声のする方向が少し暖かくなった気がした。
「へへ、これくらい楽勝なんだよ」
少年は照れくさそうに笑って、覚悟を決めるように言った。
「死ね!軟体やろう!」
次の瞬間、風切り音はなかった。ただ音もなく、熱が身体を焼いた。
激痛が全身を走り抜け、切人は叫び出したい思いだったが、口を開けることすらできなかった。身体が正常に機能していたなら、絶叫して、ジタバタと地面を暴れまわっていただろう。しかし実際には小さく左右に身体を揺すった程度で、相変わらず言う事を聞かなかった。
激痛は消えなかった。身体の左半分に、火傷のような痛みが残っている。熱湯を浴びた、どころではない。何が起きているのかは理解できなかったが、それは半身が炎に包まれたような感覚だった。
「はははっ!どうだ!」
「効いてる!すごいよ、アル君!」
悶絶する切人を見て、二人が歓喜する。無邪気な笑いだった。
火炎瓶でも投げつけられたのか、一体何が起こっているのか、本当に二人は自分を殺すつもりなのか。有り得ない状況であり、想定外の事態であり、考えたい事がいくつもあったが、そんな中で切人の思考は一点にまとまっていた。
逃げなければ、死ぬ。