りんごのこころ
お皿の上にはりんごが一切れ。私はそれを食べてしまおうかと思い、手を伸ばしかけた。
りんごは私の好物だ。生のりんごも、りんごジャムも、アップルパイも、とにかくりんごならなんでも好きだ。
今日の夕飯の後のデザートもりんごだった。いつものようにみんなが一切れ以上食べ終わったのを見計らってから食べ始めた私は、ほとんど食べれずちょっぴり不満だった。
だから最後一個になった時に誰も食べないので、私が食べてしまおうと思ったのだ。
でもその時。
「あ、最後の一個もらっていー?」
ちょうど同じように目の前の美幸が手を伸ばしていて、目が合った。……とっさに手を引く自分がいる。
「美幸ちゃん、いいよ。私もうたくさん食べたから」
笑顔を作り、左手で促す。どうぞ、というこのポーズは意識しなくても出てきてしまうほど体に染みついていた。
「えっ、いいの?やった、ありがとー!」
そしていつもこう続くのだ。
「かおりんはいっつも優しいねー」
ありがとう、とかそんな事ないよ、とか笑顔で答えている私の心の中は、いつも沈み込んでいた。
私、本当にそんなんじゃないんだよ?優しいとか、そんなのじゃない。
本音がうまく言えなくて、譲っているだけなんだ。
一歩踏み出す勇気がない。意見や要望を言うのが怖い。どうしても流れに乗って、ただ道を譲るだけ。反発も抵抗もしない。ただ笑顔を作って、「それくらいべつに大丈夫だよ」……そう繰り返すだけ。
本当はそんなんじゃないのに。したい事も言いたい事もあるのに。譲りたくない事だってあるのに。
自分の心が弱いから、何もできない。
私はこんな性格の自分が―――嫌いだ。
私は自分の部屋に帰ると、ベッドの端に腰かけた。そのまま布団をかぶって寝てしまいたいけど、できない。明日の授業までの課題があるからだ。よく課題を忘れて平気な人がいるが、私には信じられない。歯を磨かないと気持ちが悪いように、課題をやらないと気持ちが悪いのだ。
でも、そんな私だけれど……たまには課題をやりたくない時もある。
「はぁ……」
溜息をついて、天井を見上げ、ボーっとしていたい時だってあるのだ。
隣の部屋からは、何やら楽しそうな声が聞こえる。隣は美幸の部屋だ。私は時折、美幸の事が羨ましくなる。
私たちが住んでいるのは、学生向けのシェアハウスだ。シェアハウスと言ってもここは少し規模が大きめで、男女がそれぞれ六人ずつ自分の部屋を一部屋持つ。それに加えこの家の家主のおばさんが住んでいる。トイレと風呂は共同。食事は基本的に皆で一緒に摂る。
言ってみれば小さな寮のようなものである。家主であり、皆の母親のようにおせっかいを焼くおばさんのもとまるで家族のように暮らしている。
一階は女子の部屋が六つ。二・三階は男子の部屋がそれぞれ三つずつ。基本的に夜の行き来は認められてはいないが、見つからなければ移動したっていいらしい。修学旅行の部屋割を思い出してほしい。そんな雰囲気だ。
私はじっと壁を見つめる。美幸はいつも誰かを部屋に連れ込んでいる。たいていは一番の仲良しの穂香と、男の子が何人かだ。休日どこに遊びに行くかを相談していたり、なにかゲームをやっていたり、かなりきわどい生々しい恋愛の話をしていたり、時にお菓子やお酒を持ち込んでいる時もある。私はそれをいつも、壁越しに聞こえてくる音で聞いていた。
私は別にそこに交ざりたいとかじゃない。そんな事が出来る美幸が羨ましいだけだ。
私は自己主張が苦手だ。さっきみたいに残り一切れのりんごが食べたくても、どうしても譲ってしまう。もはや反射に近い。無意識のうちに手を差し出して、口が勝手にどうぞ、と言っている。
その度に、みんなは「優しいね」「性格いいよね」「いい人なんだね」「人間ができているって感じ」……そんな事を言う。私が自己主張できないだけなのに、誰かに褒められるというのはとても胸が痛む事だった。
でもそんな事、誰も分かっちゃいない。……当たり前だ。みんな私の事、優しくていい子で、欲がない……そんな風に思っているからだ。何よりそうさせているのは自分の行動だ。自業自得なのだ。
だから嫌になる。
りんごの一切れさえも欲しいと言えない自分が。
だから羨ましくなる。
欲しいものを欲しいと言えて、やりたい事をやりたいと言えて、いろんな望みをかなえていく美幸が、羨ましい。
今日の隣の部屋に来ているのは誰だろうか。美幸の特徴的な笑い声、穂香の関西弁。男の子はよくわからない。美幸と仲良しなのは松井くん、仲村くん、石橋くん……それに、長瀬くん。
ふと、長瀬くんのような笑い声が聞こえてくる。隣にいるのだろうか。それとも、上から聞こえてきたのだろうか。気付けば壁に耳を押し当てている自分がいて、とても情けなくなった。なにやってんだ私、馬鹿みたい。
私は長瀬くんの事が好きだ。この想いは誰にも告げた事はない。本人にだって、ない。こんな性格だから、今まで言えているわけもない。
さらにいえば、あまりしっかりと話した事はない。長瀬くんと一番仲のいい女の子は美幸で、私はいつも遠目にそれを見ているだけだ。自分から話しかけた事はたぶん、ほとんどない。思い出せるのは、トイレの順番を譲ったとか、廊下で道を譲ったとか、そんな思い出しかない。
本当は私は長瀬くんと話がしてみたかった。私は長瀬くんの事を詳しくは何も知らないし、長瀬くんもきっと私の事はほとんど分かっていないと思う。ただ同じ家に住んでいて、食事や廊下などですれ違うと挨拶を交わすだけの、それだけの存在なのだ、私は。
私がもっと自分のしたい事を伝えられる人間だったら。もしそうだったら今頃私は隣の部屋で長瀬くんの隣に座っているはずなのだ。
美幸はよく私に、「今夜あたしの部屋に来ないかい?」と誘ってくれる。にひ、と歯をむき出しにして笑う特徴的な笑顔で言うのだ。でもその度に私は、反射的に遠慮してしまう。本当は行きたいのに、誘いに乗りたいのに。今日は課題があるから、と口に出してしまってから後悔するのだ。
私が言ったら迷惑じゃないだろうか。ずうずうしい女だと思われないだろうか。……誰もそんな事思わないのは知っている。知っているけれど、どうしてもぬぐいきれなくなって、怖くなる。
だから部屋に帰って隣の声に耳を澄ませては情けない気持ちになるのだ。
「……どうにかしたいのになぁ……」
泣きそうな声で呟く。
いや、本当に……何かのきっかけで泣いてしまうかもしれない。
流す涙は悲しい涙なんかじゃない。自己嫌悪の冷たい涙だ。
今日の夕飯の後も、おばさんはりんごをむいてくれた。昨日の残りだからあまり多くはない。数えたところちょうど十二切れあったので一人一つは食べられる計算だ。
私は安心して残り一つになるのを待っていた。
ところが。
「あれ、これで最後だ」
長瀬くんがりんごを食べようとして、手を止める。言われて気が付いたが、これが最後の一切れだ。誰かが一切れ余計に食べたのかもしれない。
私は伸ばしかけていた手を慌ててひっこめた。
「誰か食べてない人がいるんじゃないか?」
長瀬くんは言いながらつまようじをりんごに刺す。そのままの姿勢できょろきょろする視線と、私と目がばっちりと合ってしまった。
「……広畑、もしかして食べてない?」
「えっと、あの、うん」
目が合ってしまった以上、認めるしかなかった。
「で、でも、いいよ。長瀬くん食べちゃってよ」
いつものように、どうぞ、と手で促す。でも長瀬くんは引き下がらなかった。
「いいのか?昨日もあんまり食べてなかった気がするんだけど」
「いいのいいの!私、そんなにりんご、好きじゃない……しさ」
「遠慮しなくていいんだぞ?」
平行線だ。ここまで言われたら、やはり私が貰うべきなのかもしれない。それで長瀬くんの気を悪くしても、何の意味もない。
「じ、じゃ……」
「誰も食べないんだったらもらうよー!」
ください、と言おうとしたその瞬間に美幸の声が重なった。
「え、え?」
長瀬くんが驚いている隙に、美幸は一切れを丸ごと口の中に放り込んだのだ。
「あ……」
「お前、広畑が食べてないって言ってたぞ。俺はともかく、広畑がかわいそうじゃないか」
「あー、ごめんごめん、つい!」
手をひらひらさせて謝る美幸。そんな美幸を見て私は言ってしまう。
「あ、いいのいいの!そのまま置いとくとほら、茶色くなっちゃうしね!」
言いながら、内心落胆していたのは言うまでもない。でも、表情には出さない。
ああ、結局……りんご、食べれなかったな。頭の中を回るのはそれだけだ。
ふと、私は長瀬くんと目が合いそうになり、慌ててそらした。きっとかわいそうだと思っている。それと同時に優しいやつなんだと思っている。きっとそうだ。
私は長瀬くんの口からはそんな言葉は聞きたくなかった。そんなこと言われたらまた、「そんな事ないよ」「私は大丈夫だから!」……そんな事ばかり言ってしまいそうで。
私がどんどんみじめになるだけだ。自分に嘘ばっかりついてさ。ほら、これで長瀬くんとも話し辛くなったじゃないか。
美幸のせいなんかじゃない。私のせいだ。
ああ本当に、私って馬鹿。
しばらくりんごなんて見たくないと、そう思った。
なのに、次の日の夕飯の後にもりんごが出た。しかも、通常のデザートにブドウが出た後に、だ。
もう見たくなんてなかったのに、再会が早すぎだ。
「おいおい三日連続りんごかよー」
松井くんが文句を垂れる。まあ、無理もない。でも、ブドウも食べてるからむしろ豪華でいいじゃないかと、長瀬くんは松井くんをたしなめるように笑っていた。
相変わらず一人一切れの配分だ。私はやっぱり、みんなが取り終わるのを待つ。
「いよっしゃー!これもらい!」
美幸は一番大きいのを穂香と争っていた。
「何言うてんねんアホ!あんた昨日二切れも食べとったやないか!」
「う、でも昨日は昨日、今日は今日!明日は明日の風が吹く!だからこれは……あたしがもらうぜーい!」
「うっわ、お子ちゃまやなー!」
無駄に楽しそうなやり取りだ。私はそれを見て、ちょっと笑ってから、視線を外した。どうせ今日も食べられないのかもしれないのだから、初めから期待なんてしない。
それが食べたい、そのりんごが食べたい!……そうやって主張できない私がいけないのだから。
大皿から視線を外した先、長瀬くんがいた。……無意識に長瀬くんを視界に入れていたようだ。長瀬くんはりんごを……二切れ持っていた。つまようじで刺したりんごを二切れ持って、顔を上げ、私の方を……向いた。どうして……こっちを向いた?
「広畑」
私がわからないままでいると、長瀬くんは真っ直ぐにこちらへやってきていた。
私はそこでやっと長瀬くんの意図が分かった。りんごを一切れ私のために確保してくれたのだろう。もしかしたらなくなってしまうかもしれないから、と。けれども私の口は素直じゃないから、余計な事を言ってしまうのだ。
「べ、別にいいよ!私はほら、大丈夫だから……」
……私ってば、いっつもそう。いつも通り、いつもと同じ。黙って素直にうなずけばいいのにさ、ありがとうって。そう言って受け取ればいいんだ。なのにどうして、遠慮なんてしちゃうんだろう。わがままだって、みんな言ってるのにさ。少しくらい私が言ったって、いいはずなのに。
でも、言えない。私にはできない。
だって怖いから。
何がきっかけで人間関係が崩れてしまうかなんてわからない。だからできるだけわがままなんて、言わない方がいい。そして誰かが我を通そうとしたらその分誰かが身を引かなければならないのだ。自然、私がみんなのそれを請け負っているだけ。そういう「立ち位置」にあるだけなんだ。
私は自分自身に言い聞かせる。
きっと私は今日も長瀬くんのその好意を断ってしまうのだろう。あまりに情けない話だけれど、私にはそれしかできなかった。そういう役回りなんじゃないかって、諦めている。身体が自然とそうなってしまうのだ。
だから私はさらに、「気を使わなくってもよかったのに」と言おうとして、口を開いた。
「気を使わな……んむっ!?」
でも、口の中に何かを押し込まれてその続きを言えなかった。
咀嚼すると、甘酸っぱい果汁が口に広がる。昨日食べれなかっただけなのに、なぜか懐かしいような気がした。
「長瀬……くんっ!?」
流石に全部はいっぺんに食べきれず、半分にする。それを飲み込んでから、私は口を開いた。
「り、りんご……」
「おいしい?」
長瀬くんは覗き込むように聞いてくる。
「……うん」
だから私も、素直にうなずく。長瀬くんはそれを聞いて、よかった、と言った。どういうことだろうと思ったら、すぐに種明かしをしてくれた。
「それ、実は俺が買ってきたんだ」
「え?長瀬くんが……?」
おばさんが三日も連続で同じものを出すわけがないからおかしいと思っていたが、まさか長瀬くんが買ってきたとは分からなかった。しかも、それって……私のため……に?
いやいや、それは考えすぎだと思う。うぬぼれだ。
でも長瀬くんはそんな私の考えを見抜いたかのように、言う。
「昨日のりんご、すごく食べたそうだったからさ。それに……りんごがあんまり好きじゃないなんて、それ嘘だろ?」
「あ……う……全然そんなことないよ!嘘なんかじゃ、」
「嘘。絶対嘘。だってほら、今すごく嬉しそうな顔してる」
軽く歯を見せて笑いながら、私の顔を指す人差し指が、くるくると円を描いた。
「えっ……!」
「なーんてね。顔には出てないよ、顔には。でも、なんとなく嬉しいって思ってるような気がしてさ。……違う?」
私は両手で頬を覆った。普段よりも熱くなっているのが分かる。
嬉しくないわけなんて、ない。嬉しいに決まっている。内心では嬉しいに決まっているのだ。でもそれを誰かに見抜かれたのは……初めてだったから……驚いているのだ。
きっと長瀬くん以外の人たちは、さっきの言葉で私が本当にりんごが好きではないように思っているはずだ。だって、内心どんなにりんごが食べたいと思っていても、好きでないと言い好きでないようにふるまったから。
でも、長瀬くんはそれが嘘である事を見抜いた。そのうえ、私が遠慮して食べないだろうという事まで見越して、口に放り込んだ。
「違わない……」
「だよね!」
長瀬くんは、よし!とガッツポーズを見せる。
私は自分が情けなかった。
こうまでされないと自分の間違いに気づけないなんて、情けない。あまりに愚かだ。そう思った。
どんなに隠したって、こうやってボロは出る。だったら頑張って出ないように気を張らなきゃって思っていたけれど、大きな間違いだった。
隠しても見抜かれるなら、隠す必要なんてなかったのだ。
「実は内心ドキドキしてたんだよねー。余計なことしちゃったかなーって。でもよかった!当たっててさ!……お、全部なくなったようだし、皿運んじゃうよ」
長瀬くんは言いながら、りんごの入っていた大皿を運んで行く。私はその後ろ姿をずっと見続けていた。
視界の端っこでは、美幸が残ったつまようじをいじっていた。どうやら穂香がつまようじで作ったパズルを、美幸が解かされているようだ。いっつも美幸に振り回されている穂香も、ああやってたまに美幸に無理やり何かをやらせていることがある。
そう思うと、自分の気持ちに素直になることなんて難しくない事な気がしてきた。
本音が言えない、意見が言えない、自己主張がない、一歩踏み出す勇気がない。どうしても流れに乗って、ただ道を譲るだけ。反発も抵抗もしない。……そんなのはもう、おしまいだ。
私は勇気を出して、背中に向かって声をかける。
「あの、長瀬くん!」
「んー?」
長瀬くんが顔だけ私を振り返る。皿を流しで洗いながらだから、よく聞こえないかもしれない。それでも、今じゃないと言えないような気がして、私は言う。
「……今夜、長瀬くんの部屋に行ってもいい?」
慣れない事をしたせいで、後半声が小さくなってしまった。
「え……?」
案の定、長瀬くんはぽかんとした表情をしている。流れている水を止めて、長瀬くんは、
「えっと……広畑、もう一回言って」
と言った。周りがちょっとだけ静かになる。もちろん美幸たちが騒いでいるからそれなりにうるさいけど、それでもお互いの声を聞き取るには十分だ。
もう一度、口を開く。
「こ……」
「こ?」
「こ……こ、今度でいいや!なんでもないから!そんなたいしたことじゃないし……えっと、その、……うん!おやすみ!」
「あ、ああ」
……やってしまった。慣れない事をして、恥ずかしくなって、いつものが出てしまった。
私は踵を返して、自分の部屋へと向かう。まだ食卓に残っている人たちに軽く会釈をしてから、ドアを閉めた。
溜息をつく。ベッドの隣で体育座りをして、顔を伏せた。
ああ、もうちょっとだったんだけどな。なんとか言えそうな気がしたんだけどな。
胸が痛い。痛いけど今は、それも仕方がないような気がしていた。
今夜も隣の部屋はにぎやかだ。お酒が入っているに違いない。
長瀬くんもいるのかな……。さっきから考えているのはそんな事ばかりだ。今、何をしているんだろう。美幸たちと隣で遊んでいるのだろうか。それとも自室にいるのだろうか。それとも、他の友達の部屋……?
私にはわからなかった。
わからないから、せつなくなる。胸が締め付けられて、どうしようもなく苦しくなる。
……もう寝てしまおうか。そう思った。やる事もないし、このまま起きていても鬱屈するだけだ。
そう思って電気を消しかけた時、コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
誰だろう。この時間なら、おばさんかもしれない。洗濯物でも忘れただろうか。
考えながらドアを開ける。
「あ…………えっ……!」
そこにいたのは、長瀬くんだった。
「よ」
ちょっと照れくさそうに右手を上げる姿は、まぎもない長瀬くんで。
「今夜来るって言ってたのに、なかなか来ないから……逆に俺が行こうって思って」
そう言いながらはにかむその顔にドキッとする。なかなか来ないから逆にって……それ、
「……聞こえて、たんだ…………」
「まあね。でもなんか都合悪かったりした?」
「ううん、そんな事、そんな事ない!」
精一杯首を振る。私は嘘なんかついてない。
「な、中入って!何にもないけど!」
「え、おおう」
長瀬くんの腕を引っ張ってみる。ちょっと強引でも……今は大丈夫な気がした。むしろこうしなければいけないとさえ思った。
きっと普段の私ならできないだろうな、なんて考えながらドアを閉める。
ちゃぶ台に向かい合わせで座る。緊張して私は何も言えない。数秒の沈黙が訪れていた。なにか言わなきゃと焦れば焦るほど
しばらくして長瀬くんが不意に口を開いた。
「広畑」
「ひゃいっ!?」
びっくりして変な声が出る。不信に思われたかと恐る恐る顔を上げると、長瀬くんもまた目が泳いでいた。そしてこんなことを言うのだ。
「広畑って、皮むき上手い?」
「い、一応できるよ、なんで?」
「ほら、これ」
「あ……」
長瀬くんの手には、赤くて大きなりんごがあった。
「りんごを買ったらさ、二個入りだったんだ。夜食にしようかと思ったんだけど、一人じゃ食べきれないからさ、その……」
頭を掻きながらうつむく長瀬くんは、どこかいつもと様子が違っていた。そんな長瀬くんに私はドキドキした。
「二人で半分にしたら、ちょうどいいかな、とか思ってさ……」
「……うん!じゃあ、包丁持ってくる」
恥ずかしさを紛らわすようにわざと明るく言って、私は部屋を飛び出した。
その足で台所にはいかず、洗面所へ行く。そして鏡に映る自分の姿を見た。
上気した頬はまるで、食べごろのりんごのように真っ赤だった。
「……よし!」
私はその頬をパチリと叩き気合を入れる。
私はきっと変われるんだ。きっかけはもう十分与えられた。じゃあ、きっとできる……はず。
りんごの皮むきは実は苦手なんだけれど、頑張ってみよう。そしてむけたら二人で少しずつ食べよう。いろんな事を話しながら、ずっとずっと話をしよう。
誰にも遠慮なんてしなくていい。私はもっと自由でいい。
そう気付かせてくれた人と、一緒に。大好きな人と、一緒に。
最後のりんごを食べ終えた時、私はきっと、新しい自分になれているだろう。
初めての投稿です。
どうせなら一つのテーマに沿って書いてみようと思って書いた文章ですが、いささかくどかったような気もします。もう一つくらいテーマを追加しても良かったかもしれません。
最後に……こんなつたない文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。