3・なんか殴られた
なんだと?
ドラゴンは思わず言葉を漏らす。
とは言え、ドラゴンの漏れ出た言葉は高次元言語で相手が自分に匹敵するほど高等な存在でなければ届かない言葉であり、ドラゴン同士での会話でしか意味の無い言葉なのだが。
「いやな、なんか敵意を持って攻撃してきそうだったがそうなると戦わんわけにはいかんが今はそういう気分じゃなかったからな。 俺が。戦いになっても別に構わんが戦わずに済めばそっちのほうが楽そうだと思ったわけよ」
ドラゴンは驚愕した。
ドラゴンの目に映るのは船の上に立つ人間の男。
たかが人間に自分の言葉が聞こえたことに。そして届くはずの無い人間の声が自分に届いたことに。
人間の喉から出る程度の声ではこんな猛嵐の中ではどんなに怒鳴っても数十メートル届くかどうか、その程度のはず。
しかし届いた声は怒声ではなく静かな声で、それもはっきりと聞こえた。
こんな嵐の中でどうやって……そこでドラゴンは思った。
こいつは人間ではなく
「同属か?」
ということ。
力あるドラゴンなら本来の姿を隠蔽し全く違う姿に変化することもそう難しく無い。
人間で無く己と同じドラゴンであれば高次元言語を操ることも出来るだろうしこの環境で死なずに生きていられることも納得がいく。
しかしドラゴンであればたとえどのような姿をとろうともドラゴンとしての気配というものを纏っているはずだが目に映る人間からはドラゴン独特の気配、そういったものが感じられない。
せいぜいが人間か、アンデッドというところか。
「俺は龍じゃないぞ。見てわかれよな。つっても記憶喪失らしく自分が何者か、というのはわからん。擬態していないってことくらいは自分で判るがな」
違うのか。
ドラゴンにとってはそれだけで十分であった。
もし同属と言うのであれば、別にどうということもないがドラゴンでないのなら打ち倒すのみだ。
なにしろこの雲の中に飛び込んでからと言うものどれほど時が流れたのか、その感覚すら麻痺する時間を孤独に過ごしたものだから今はとても飢えている。
と、言っても別に栄養が足りないと言うわけではなく戦いに、飢えていると言うことだが。
ドラゴンではない、おそらく人間ごときがどうやってここで生きていられるのか、なぜ自分と言葉を交わせるのかなどを気にするべきかもしれないがそんな事は飢えの前にはどうでもいいことだった。
とはいえ、だ。
ドラゴンは下等動物とは違い高等な存在。
先ほどまではこの環境でいつ死ぬか知れぬ存在と思い一秒でも早く殺そうと気が逸ってしまっていたがどうやら目の前の人間は今すぐどうこうなるわけでは無さそうだ。
ならば遊んでやるか。
そう思いドラゴンはその身を滑らした。
「うん?」
一方イケちゃんはというと。
必要なことも言ったし、ということで龍に対する興味の一切をなくしていたのだった。
だけど龍の方はそうでもなかったようで。
身をうねらせながら向かってくる。
攻撃のために向かってきているわけではないのは判るが自分に向けられている意識は友好的なものではない。
はてさて、どうするつもりだと訝しんでいると黄金の龍が体を発光させながら、まるで滝が叩きつけられるようにエイエイオーの上部甲板に頭部から降り注いだ。
グチャグチャグチャと音を立てながらまるで液体のように頭が潰れ胴が潰れ尻尾が潰れと叩きつけられ一滴も零れていないというのに龍の質量からは考えられないほど小さく浅い水溜りのようなものができたかと思えばそこからムクリと立ち上がるものがあった。
人型。身長は180センチくらい。柔らかい曲線を描くボディラインの、一見すると人間の女に見えるがすぐに人間とは違うことがわかる。両方の即頭部から後方に流れるように枝分かれした古木のような角が生えているて太陽のように黄金に輝く豊かな髪は足首に届くかというほどに長く、緩やかなウェーブを描いていて一見すると軽く風に揺れているように見えるがこの場は猛嵐が吹き荒れる人外魔境。それを考えればまるで外部からの影響を受けていないようで冗談のように思える非現実さを見るものに与えるかもしれない。
その身にまとう衣装も黄金の装飾が施された豪華なドレス、そんな派手な衣装は逆に下品な印象を与えそうなものだがそうならないのはそれを纏う者がドレス以上の存在感を発しているからか。
そんな女が閉じていた目を開き、瞼に隠されていた黄金の瞳でイケちゃんを見据える。
普通の人間であれば老若男女関わらずに萎縮して魂ごと捉えられてしまいそうなその視線を受けたイケちゃんは
「なんか用か?」
と、まるで世間話でもするかのような態度を見せた。
不愉快。
ドラゴンにとってはそういう態度だがすぐに身の程を分からせてやる、と思い今の態度はあえて鼻で笑って見過ごしてやることにする。
そうした方が色々と楽しめるだろうから。
長くいたぶり楽しむために同じ人の姿になってやったのだ
「用、か。フフン。そう、用よな」
コツコツと高い靴音を立てて歩く。まぁ靴音なんて風や雨の音で聞こえないんだけど。
そしてドラゴンは自分からイケちゃんに近づき手の届く距離に入る瞬間、たとえ人間の姿をとろうともドラゴンと言う存在として持つ常識外のハイパワーを持ってしてイケちゃんをぶん殴った。
狙いは腹、一撃で殺すつもりは無いので相当に手加減はしたが人間が限界まで鍛えたとしても悶絶する程度には強力な一撃である。
「そう、下等で惰弱な生物は下等なりにせいぜい、のたうち苦しみまわって死ぬことで我を楽しませよ」
本来の姿であれば戦いにすらならないが同じ人間の姿をとっていればどれだけ力に差があろうと戦ってるように取り繕って遊ぶくらいはできる。
遊びと言っても人間の苦痛を見て楽しむだけの、一方的な遊びだが。
さてこの人間の表情は苦痛と恐怖でどう歪むのか、それを確認してやろうと顔をうかがったが
「つまりはなんだ、喧嘩か? 戦いか? 止めといたほうがいいんじゃないかって言ったが聞こえなかったのか? それとも理解できないくらいアホなのか?」
「なっ、なんだと!?」
苦悶の表情ではなく、冷静な表情。それこそまるで自分より劣った者を見るかのような、憐憫の情が見える目でドラゴンを見すえていた。