6・ちょろい
ミツキはせっかくの外国なのだからと適当に町中をブラブラ歩いての散策。
部下達はラリアット王国からの依頼通りに技術の放出のための指導など、あとミツキの護衛も。
そうやってイケちゃん以外は町中で過ごす事になったのでイケちゃん自身は一人でモンスターやそれと戦う一族がいるかもしれないという山に赴く。
この国のモンスターが増えれば生物の大半がお困りだそうで、この山も動物はおろか植物も少なくなっておりかなり荒れ果てていた。
イケちゃんは徒歩である。
別に24時間どころか何百年でも全力疾走できるくらいの体力はあるがそれでは情緒が無いということでイケちゃんは生身での移動の際は徒歩を好む。
本当はバイクを使いたいところであったそうだがミイちゃんが燃料や予備パーツを持っていってしまったために動かすことも出来ない。
現実世界と違いこの世界のバイクは化石燃料ではなく有機物から抽出できる魔術触媒から作れるのですぐに作ればと思うところだが、この国は土地がやせ衰えているためにバイクの燃料のためというほぼ無駄とわかっていることのために貴重な資源はまわせないと言われてしまいバイクは使えないのだ。
バイク使えないが別に徒歩でのんびりってのも嫌いじゃないし良いんだけどな、でもミイちゃんは今度ぶっ飛ばす。
密かにそんな事を考えながら山を散策しているときにイケちゃんは見た。
「むうっ」
多種多様なモンスターの群れに囲まれている白い毛の女。
その女は腹から血を出していて動いていなくとも死に絶えそうだというのに、モンスターに向かって飛び掛っていた。
それだけならなるほど、彼女がこの国でモンスターと戦う一族のものなのだろうなと納得した所だろう。
しかしイケちゃんの見た女は死を覚悟して戦いに挑む戦士の姿には見えなかった。
どう贔屓目に見ても生き延びれそうに無い状況だというのに生きることを諦めていない。
現実が見えていない知恵足らずというわけでも無さそうなのに。
生きるために必死にあがいてるように見える。
そんな女の姿を見て、イケちゃんはビビッときた。
なにがどうとも言えないが、その女に感じるものがあった。
放って置けば死ぬその女を死なせたくは無いという感じか。
開拓者が空賊に襲われているような、明確な善と悪が分かれている場合なら兎も角、異なる生物同士の生存競争に関しては普段のイケちゃんなら手を出すことは無かっただろう。
仮に彼女がこの国の一員で、この国を多少なりとも救ってやりたいと思う部分のあるイケちゃんでもこういう個別の細かい争いにまではホイホイ介入するような性格ではないはずなのだが。
それでもイケちゃんは女を死なせるべきではないと思ったので
「んんっ」
手を前方に、握りこむ中指の指先を一瞬親指で溜めるように押し止めてから親指を少しずらすことで勢いよく中指の先端が母指球を叩きパチン! と軽快な音が響く。
俗に言う指パッチンというやつだ。
イケちゃんが指パッチンで軽く音を鳴らしたその瞬間、女の周りに居たモンスターは肉体が全部素粒子レベルにまで分解し空気中に溶けて消えた。
消えた、というかイケちゃんが消したのだが。
ちなみに指パッチンをする必要は一切なく、思考しただけでも同じ効果を出せるのだがそっちの方がカッコよかろうとかそんな理由でやったらしい。
見てる人なんて誰も居ないのにご苦労なことである。
「ッ?!」
地面に倒れていた女は周りのモンスターが全滅した事に驚いている。まぁそりゃそうだ。
女は元からの怪我もあるがそれに加えモンスターの群れとの戦いで更に傷つき、もはや自分の足で立つこともできないほどに消耗している。
そのために声もろくに出ていないし大きく体を動かして驚きを表現することも出来ていないがイケちゃんはもともと生物の表面上の感情の変化くらいなら視覚や聴覚を使わずとも察することは出来るのでその驚き具合はわかるのだ。
歩きながら近づくイケちゃんを女が気にしているのもわかる。どうやら首を動かしてこちらを見るほどの体力すら残っていないらしい。
視界に入ってやると名前を聞かれたので名乗る。
女が聞いてきたのが名前なのか、存在に付いて聞いてきたのかは不明だが記憶喪失かつ自分が何者かを知ろうともしないイケちゃんは元々何者かと聞かれて具体的に応えられるほど自分の情報を知らないから。
そうして倒れている女に触れる。
腹の傷は内臓まで達している。少し前に出来た傷のようだ。
新しい傷は体の表面、皮膚や肉を多少削ってはいるが動けないほどの消耗は腹の傷と出血が原因か。
この女はおそらくドスコイ国の人々が言っていた対モンスターな一族の一員なのだろうと思い、多少なりとも気になっていた事、なんで全滅したわけでも無さそうなのに連絡が無いのかと聞いてみた。それでわかった事だがどうもこの女の部族のその上の役の連中だけが町の連中との連絡手段を持っていたらしいがそいつが死んでしまって連絡できなくなっていたようだ。
しかしモンスターと戦に関してなら戦闘要員の一族が残っていればそれだけで継続可能だったので戦っていたらしい。
そこにこの女の意思は介在せず、どうやらこの女の一族の頭が全てを取り仕切っていたそうだが。
こうやって色々と話をするのも良いがこの女には時間が無い。
この女はもうすぐ死ぬから。
「お前はこのままなら死ぬ」
意識が有るうちに言っておかねばならないと思った。
イケちゃんが最初に見かけた時点でそう長くないはずなのにこの女はそれでも死を回避しようとし続けていた。
生物である以上は最終的には死が待っているというのに。
この女は普通以上に生と死に拘っているようなので、恐らく自分でもわかっているだろう事でも言っておかないわけにはいかないだろう、そう思った。
現にイケちゃんのその言葉に多少なりとも女の感情は反応している。
しかしその反応の仕方はイケちゃんの予想していた物と少し違った。
この女ほど自分の死を忌避するものなら自分に近く訪れる死に対し強い拒否反応でも出るのではと思ったのに、この女はまるで死を受け入れているような感情を見せた。
傷に触れながら、せめて痛みを遠ざけるようにと女の痛みを分解してやっているがこの女は恐らくもうそんな事も感じられないくらいに死に向かっている。
それなのに触れた女から伝わってくる感情が恐怖や苦しみではなく、まるでミツキと居る時にミツキから感じるような感情、安らぎのようなものに近く思えた。
イケちゃんは生物ではないので全く同じというわけではないが、一応感情のようなものや心を自分で持っているとは思っている。
しかしそれでも自分の感情より生物の感情を感じる方が、なんとなくだが好きだ。
ミツキと長い時間ベタベタしているのもその感情とより長く繋がっていたいという理由からなのだろうと自己分析している。
そして、この女の感情もミツキとは多少の差は有るもののイケちゃんにとって心地よく思える感情に思えた。
そうなると、ここでただ失うのは惜しいと思った。
だがこの女を生かす事はできない。
イケちゃんは自分のことなら対外は何でも出来ると思っているが、自分が生物ではないために生物の生き死にに関わる操作が少し苦手なのだ。
生きてる生物を単純に殺すだけなら簡単なのだが死んだ生物の蘇生は専門外、それに死に瀕している生物を救うのもあまり得意ではない。
体の重要な臓器の損傷に対して代わりのパーツをはめ込み擬似的に延命することも出来なくはないが今すぐそんな物を用意しようとすればその材料は自分の体となりそうで、おそらく自分の体が混ざった生物は元の生物とは異なった存在になってしまうだろう事は予想できた。
ミツキをうっかり変えてしまったように。
イケちゃんがこの女をどうにか存続させようと思えば延命ではなく違う存在へと改変させる形になってしまうだろう。
死を受け入れつつあるこの女、果たして自分を存続させるために全く違う存在へと変わってしまう事を許容するだろうか?
もし死なずに、そのまま延命させることが出来るという言い方であればこの女はそれを望むだろう。
少しずつ死を受け入れつつあるとは言え、恐らくは死ぬよりは生きることを望むだろうから。
しかしイケちゃんは生物としてこの女を助けることは出来ず、この女が生物でなくなってまでも存続を望むかどうか……
何も言わずに勝手に処置してしまうことは簡単だがそれは趣味ではない。
だからイケちゃんはこの女にその事を説明した。
もしこの女が自分が生命体であることを望み、変わってしまってまで存在を存続させる事を望まないというのであれば。
せめて死ぬまでの時間を苦しむことも無いようにしてやり、せめてそれまでは傍にいてやろうと思った。
しかしもしこの女が生物として、自分はどうしたいのだろう。
イケちゃんはふとそう思った。
最初からして、わざわざ善悪があるわけでもない生物同士の生存競争に介入して自然を曲げてまで弱者を救ってしまったことがおかしい。
普段ならそこに善悪が絡まない以上はイケちゃんは第三者として傍観に徹していそうなものなのに、わざわざ介入をした。
何故だろう?
少し考えて、考えるまでも無い事に気付いた。
たんにこの女を死なせるのが勿体無く思えたからだろう、と。
ならば今はどうだろうか。
この女を変えてまで何故助けたいのか?
その答えもすぐに出た。
この女に触れたときに女がイケちゃんに向けた感情が心地よかったからだ。
ならばどうすべきか。
もしこの女が生物として出なくとも自己の存続を望むのなら。
この女がそのまま自己を存続させイケちゃんの手を離れ勝手にどこかで暮らす事を考え、それはいやだなと思った。
逆にこの女がイケちゃんの傍に居て、これから先もイケちゃんに対して心地よい感情を向けるのなら。
「なるほど、俺はこの女が欲しいんだ」
結論は出た。
俺はこの女を自分の女にしたいからわざわざこの女の敵を殺し、今からこの女を変えてしまおうとしているのだ。
それがわかればイケちゃんはあとはその事を伝えるだけだった。
「お前は生物でなくなりまったく違う存在へと変質してしまうがそれにより、今までの記憶や感情を持ったまま有り続けることができる。俺はこのままならただ死にゆくだけのお前をそうする事が出来る。恐らくそれはお前にとっての救いになるはずだ。だから、救ってやるから俺の女になれ」
イケちゃん自身としては女を口説くのは出切る事なら何らかの条件と引き換えになんていうセコイ真似をせずにイケメンでカッコイイ俺様に心底惚れさせてから口説きてー、そんな風に思っているので今の口説き方ははっきり言って最悪に近い。
しかし女は放っておけば死ぬし早めに言わねばならない。
サミングの時と違って死体の大部分、特に脳味噌まで残っているので死体を元に作り変えるのは簡単なのだが先に恩を売ってから口説くのよりは、交換条件で相手に選ばせた方がまだマシに思えたので急がなくてはならなかった。
正直かなり焦っている。口説くのに使える時間がもう少し長ければと思う。
イケメンとしての矜持で表情には出さないが。女の目は既にかすんでイケちゃんの表情の変化なんて見えていないのは知っていてもイケちゃんは表情を崩さない。
イケちゃんの問いかけから女が意識だけで返事をするまでの時間はそれこそ時間としてほんの一瞬だがイケちゃんにとってはそれなりにシリアスに長かったのだが
「なります」
言葉に出せず、頷くほどに体を動かせない女が意識だけでそう言ったのをイケちゃんは受け取った。
ぃぃぃいいいいいやったぁぁぁあああッッッ! ひゃっほーい!
と、その返事についついイケちゃんがテンション高くなったとしてもそれは責められることはあるまい。
一応外には出していないのだから。
イケちゃんが抱きかかえている女は既に虫の息であんまり派手に動かせばそれが原因で死にそうなのでイケちゃんも必死だ。
まずは膝立ちで、女を抱きしめるように抱えながら片手は女の腹の傷口に。
そして自分の口を女の口に重ねつつイケちゃんはゆっくりと女に自分のオーラを分け与え、女の精神や感情に一切の影響を与えないよう砕身の注意を払い女の体、及び存在を作り変えた。
夢か現か。
心地よい浮遊感に包まれながら彼女は思う。
一体どうなったのだろうと。
戦士の一族として生まれたこと、思い出せるがどうでも良い。
戦士の一族の一員として生きてきたこと、思い出せるがどうでも良い。
傷を負い、その一族から切り捨てられたこと、思い出せるがどうでも良い。
孤独になったが、それならば何かしたい事があった……そう、たしか恋でもしてみたいと思ったはず。
しかし妖物に囲まれ……そして死ぬかと思ったときに。
そう、出会ったのだ。
一族からも切り捨てられた自分を助けてくれた相手。
死ぬしかない自分を触れてくれる相手。
触れられただけで心地よさを感じる相手。
そんな相手に出会えたのなら、そのものに触れられて死ぬのならそれが自分の終わりでも良いかと思っていた。それでも今、生きている。
たしか彼は……名前を名乗り、そしてもし生きたいのであれば……なんと言ったのか。
それを思い出したところで意識が覚醒した。
「?」
意識を覚醒させ目を開いたつもりなのだが何も見えない。においも何も感じない。
相変わらずの心地よい浮遊感があるだけで四肢に意識を向けても帰ってくる感触が無く、体があるようにも感じられなかった。
まさか自分の身は既に死を越えて涅槃へと至ったか。
ならば先ほどの思い出したことは一体……まるで夢を見るかのような心地ではあったがあれは死を目前とした弱い自分の心が産んだ都合の良い妄想だったとでも言うのか。
そんな馬鹿なと憤りそうになった時
「目が覚めたか?」
と、心地よい声が響いた。
耳で聞いた声というよりも内側に染み込むように入りこむ言葉が。
私は一体……
声を出そうとしたのだが声は出なかった。しかし、相手へは通じていたのか返事が返ってくる。
「死ぬギリギリだったんで一度お前の意識を落としてからお前の体に俺のオーラを足した上で改造してな。その際外界の不純物が混じらんようにちと俺の腹の中にお前を入れている。とりあえず出すからちと意識で目をつぶってたほうがいい」
言葉の意味はよく分からんがとにかく凄い自身だ。
言われた事はあまり理解できないが彼女の意識がまどろむ前に交わした言葉を今は思い出している。
俺の女になれ。
彼女は自らの意思であの言葉に頷いたのだから、今更自分が理解できるかどうかは関係ない。
ただ従うだけだ。
ゆえに意識の中でそっと目を閉じた。
目を閉じたつもりでも相変わらず視界に変化は無い。
本当に目を閉じているのかどうかもわからないがそれは仕方ないだろう。
そう思っていると目蓋の上に光を感じた。照りつける太陽のような強い光ではないので痛みを伴うような眩しさではない。
次に体の重さ、四肢が地に触れたように思う。
「もう目を開けても良いぞ」
言われて目を開けた。
あれからどのくらい時間が経ったのか、目の前の風景は妖物が存在し無いこと以外は何も変わっていないように思う。
しかし妖物たちの居た痕跡、ちの一滴さえも見当たらないということはそうと知らずに長い時が流れたのだろうか。
でも今はそんな事はどうでも良かった。
後ろに気配を感じた彼女は後ろを振り向いた。
振り向く許しは出ていないのに、それでもどうしても見たかったから。
そして後ろにいたものを見た。
さっきは意識が朦朧とした状態、目もかすんでいたので輪郭すらぼやけてろくに見えなかったが今は良くわかる。
黒い頭髪と瞳、白い肌の人間の男。
声を掛けられるまでも無く、今時分の目に映る男こそが……
「どうだ? 体に不足は無いか?」
目に映った男が声を発した。思った通りの心地よく染み渡る声。
この男が自分の、そこまで考えて彼女は自分が問われたことを思い出した。
すぐに返事しなければならないと思い半歩引き頭を下げ応えた。
「はい」
意識を体中に向けるが何も不足は無い。腹の傷をはじめとした体中の痛みがなくなっている。
そして四肢に満ちる力、絶好調の時でも今ほどではないのではないだろうか。
視界もどこか、今までよりもクリアに感じる。嗅覚や聴覚も意識を向ければどこまで察知できるのか自分でも上限がつかめないほど。
そしてふと気付いた。自分の体が視界に入った事で。
「そうか。まぁお前の体……使い心地というか能力自体はむしろ上昇してると思うんだが……な。すまん。ある程度わかると思うが色は変えてしまった。意識してそうならないようにしようとしたんだが俺の色が混じってしまったようだ」
彼の言うように、彼女の白かった毛は真っ黒になっている。
彼女の一族の毛髪はみな雪のような白と琥珀色の瞳をもっていたのだが、別段それは大して気になるようなことではなかった。
元より彼女は自分の体色をそれほど気にしているわけでなし。
それにもはや一族とも決別した身。むしろこの変化は完全に一族を抜けたことの証と思えば清々したともいえる。
それに、彼と同じ色なのだとすればそれは嬉しいことだから。
「はい、そのようです。ですが私は元より色に対する拘りもありませんでした。むしろあなた様と近い物になれた、そういう風に感じられて嬉しく思います」
だからその気持ちを素直に伝える。
頭の位置が自分と比べてずいぶん高い彼の顔を見上げるように。
種族が違えば美醜も異なる、多少はそうでも無い事もあるが普通は同じ種族同士のものをこそ一番美醜を感じれる筈なのだが、彼女の目から見て人間の彼は今まで見た何よりも美しく見えた。
一生でも見ていたい。出来ることなら近づいて見たい。そして自分を見つめて欲しい。
分不相応にそんな欲望を居題してしまうのも止められない。
彼女がそうして見惚れていると、彼は彼女に一歩近づき顔を寄せてきた。
とりあえず不具合は無いようで何より。
まぁ俺がやったんだから当然だぜ、そんな風に思いながらイケちゃんは女の頭を撫でる。
色こそ真っ黒とはなったがミツキのそれとはまた撫で心地が違いこれはこれでええのう、そんな風に思いながら頭や耳の周り、首筋と撫でたり頬ずりしたりして感触を楽しむ。
ここで、自制心の無い盆暗であればこの感触を楽しむ作業だけに夢中になってそこで行動が終わりであろうがイケちゃんはイケメンである。
ガワだけでなく中身も含めてイケメンである以上とんでもなく硬い自制心を持ってして今の楽しみを打ち切る。
まだ名も聞いていなかったのだから名を聞かねばなるまい。
「さて、そういえば俺はお前の名を知らなかったな。なんという?」
「ンヌキ……ンヌキ、が私の名前です。たしか」
「たしか?」
たしかとは何ぞや。
自分の名前なのに断定できぬとは一体?
そう思い話を聞いてみると。
ンヌキたちの一族は元々生まれた時からそれぞれの親の子ではなく未来の戦士となるべく育て上げられるが子供がそのまま戦士となる確立は低い。
ある程度育てば蠱毒のようにお互いを死なせ合わせ強い固体とし、その上で何度も妖物と戦いそうやって初めて一族の一員と認められ、そこで主の一族によって名前を与えられるそうだがンヌキはそうなる直前に主の一族が滅んだという。
それ以降は一族の長が死んだ戦士の名前を暫定的に新しい戦士に与えることとなり、ンヌキもそうやって名を得たそうだ。
ゆえに自分の名はンヌキであろうが、正式な手順によって得た名でない以上はその名を名乗っていいのかどうか自分でもわからないという。
もっともイケちゃんにとっては今までそう呼ばれていたのであれば新しい名も必要ないという思いもあるのでンヌキの子とはンヌキと呼ぶ事に決めたのだが。
名前もわかったところで早速イチャイチャしたいと思うものだがイケちゃんは冷静に自重する。
その前に済まして置かねばならない事があるからだ。
「さてンヌキ。お前は本来死ぬはずだったが……まぁ生物じゃなくなったので生きてるって言うのは厳密には違うんだがな。それでもお前がお前を保てているのは俺のお陰なわけだ」
「はい」
「んで、その時俺はお前に俺の女になれ、そう言った」
「はい」
何らかの条件を提示して女を手に入れる。
どこの世界でも誰でも皆がやってることであろうよ。
金であろうと権力であろうと、持ち物をちらつかせてそれをエサに女を釣る。
何を恥じることがあろうか。
それもまた自分の力なのだから存分に使って女をものにするのが正しい男の在り方よ。
だがそれはあくまで普通の場合だ。
イケちゃんはイケメンである。アホだが。
イケメンである事に妙に拘るイケちゃんは女を口説く際に、イケメン以外の要素を使うつもりは無いのだ。
今回は緊急事態ゆえについつい焦ってしまったが今思えば何とカッコ悪いことであろうか。
死に瀕した女を助ける代わりに自分の女になれ。
こんな口説き方をすればハゲ散らかしたデブのオッサンが面食いで絶世の美女を相手に口説いたとしても了承をもらえるであろうよ。
ハッキリ言ってしまえば今回の口説き方はブサイクがする女の口説き方であってイケメンがする口説き方ではないのだ。
カッコ悪い。
だからこそ、イケちゃんはハッキリさせておかねばならぬと思った。
「俺はお前が欲しい」
「はいっ」
「だがもしお前が本心で自由を望むのならな……もはや生物でないお前には難しいことだが、好きにしても構わない」
「……え?」
死に瀕していた先ほどとは違う。
もはやンヌキにかつて生物であった時と同じ生き方は不可能となってはいる。それでもイケちゃんの元では無く、違う場所で暮らす事はできるであろうよ。
ゆえに天秤を用意する。
生き返らせてやった事を恩と感じなくていい。
かつての生活、他のものより俺を選んで欲しい。
とりあえず今、ンヌキを縛っている恩という鎖を引きちぎり自由の身にしたうえで、口説こうと思ったのだ。
めんどくさい男である。
しかしまぁ自分をイケメンと信じるイケちゃんだ。能力の有無に関わらず本気で口説いて落とせない女は居ないと信じ込んでいる。
ミツキのときは偉い時間をかけたクセにと思うかも知れんがあれは一応はじめてだから仕方が無いと自分では思っている。
それにミツキのときの経験でイケメンな俺様は女を口説く時は強引にいった方が喜ぶ気がする、という事を覚えたので結構強気なのだ。
そういう事もあって、まずはンヌキをフリーにしたうえで口説こうと思ったのだが
「いやです。私は命救われずともあなたが相手であったからこそ、命が散るかもしれない瞬間でも心安らかになれました。そして今のこの命。仮に救ったのがあなた以外のものであっても私の心はもはやあなたのものです」
ちょろい。
超ちょろい。
おいおいマジかよ、いくらイケメンな俺様だってちょっとボディタッチしたりしたくらいでベタ惚れすぎじゃね?
そんな考えが頭を掠めたイケちゃんだが
「そうか。ンヌキ。お前は俺の女だ」
「はい!」
俺様イケメンだからどいつもこいつもハーレムに入りたがるのも当然過ぎるな。
そう思うことで事故解決したのであった。
「それはそうと」
ひとしきりンヌキとイチャイチャしたイケちゃん。
自分はまだまだ元気一杯なのでいくらでもいけそうだがンヌキは多少頑丈に作り変えたとはいっても生物ベースなので体力の消耗も激しく息も絶え絶えなので今はソフトにイチャつき中で。
「たしかモンスターと戦う戦士の一族がこの山には居るのか居ないのかとか言われてたっけ」
無言なのも楽しくないしひたすら可愛い可愛い連呼して弄繰り回して楽しんだことだし話題の切り替えの一つとして、そういえばこの山に来たのはそれが目的だったぜと口にした。
会話からわかるのはンヌキたちの主人の一族不在で町との連絡は取れない中でも戦士の一族だけで戦ってたとか何とか。
勝機も無いままの戦いなんぞ自己満足よのう、とイケちゃんにとってはそれ程興味惹かれる話ではなかったが。
ンヌキが今イケちゃんの腕の中に居るのはそんなつまらん戦いの中で傷を負い切り捨てられたのが切欠であるので彼らの戦いはまぁイケちゃんから見て全くの無駄とはいえないわけだがぶっちゃけどーでも良い、の一言に尽きた。
しかしンヌキはそうも行かないようで。
イケちゃんの女として身も心もイケちゃんのものになったンヌキだが記憶は元のまま、かつての古巣である戦士の一族に対して何も思わないではない。
別に戻りたいとは思うわけではない。
もし戻れるとしたらどうする? と問われてもイケちゃんの女で居たいと即答するだろう。
ゆえに古巣に対して懐かしむ気持ちがあるわけではない。
ただ、数こそ少ないが自分と同期のものたちや自分より若い世代のもの達がこのまま死に絶えるのを不憫に思う。
いや、元より一族は滅びるだろうと分かった上でンヌキはどうしようとも思わず、切り捨てられた後も自分のためだけに生きようと思ったのだが、今は前とは違う。
自分の主人のイケちゃん。彼は死に瀕した自分を助ける前に妖物どもをどのような手段を用いたのか軽々と消し去って見せた。
この方の力をお借りすれば一族は死なないかも……そんな汚らしい打算が頭によぎってしまう。
別に一族のことが話題に出たからとて主人は一族とは無関係。
何を頼めるものがあるだろうか。
ンヌキはそう思い、一族の事を忘れようとした。
しかし
「俺はこうやって触れていると表面上の感情が何となくわかる。ましてやお前の今の体は俺の力で作り変えたもの。意識しなくとも深く繋がっていてわかってしまうのだ」
ンヌキのこ汚い心根は主人に隠せるわけも無く伝わってしまったようで。
ンヌキは自分の浅ましさを恥じたのだが、主人は常人抜きの上を行く。
「恥じることも無い。俺はな。人形を抱きたいわけではなく己の考えを持って生きて、その上でなお己の生き方を貫こうとしたお前に惚れたのだ。お前の過去も今も未来も含めて、俺は全てを愛している」
そう言い、ンヌキを抱く腕に力を込め、続けた。
「俺が自分の女の望みを聞けないほど小さい男に思えるか?」
ンヌキからすれば、今生きていることこそが僥倖。
その上に主人の腕に抱かれているのも含めて奇跡。
それだけでも望外の幸せだというのに更に多くを望んでいいのだろうか。
多少ならずとも混乱し、ひょっとしたら今こうしていることもまた死を目前とした自分が見ている夢か幻かとすら思えたのだが、主人はなんでも無い事のようにいう。
「俺の女なら俺に甘えても良いんだ。ま、流石に全知全能とまではいかんが大概のことはなんとでもしてくれるわ」
断言するその言葉は、油断すればどこまでも甘えてしまいたくなるものでンヌキは甘えすぎないようにと己の心を引き締めるのであった。
「とまぁ、そういうわけで俺はンヌキの古巣である戦士の一族とやらの元へとやって来た。
ちなみに普段から彼らが妖物と呼ぶモンスターが沸いてうざくて話も出来なかったのでちょちょいのちょいと消し去るパフォーマンスも披露したわけだが。
あんまり趣味でも無い事だがンヌキも最強でイケメンな俺に更に惚れ惚れしまくってることだろうから良しとするぜと思うのである。
そんなこんなで一族の連中とご対面。数は思ったより多く100ほどか。
年は若いのはンヌキより少し下くらい、そして上のほうはンヌキの親くらいの世代と言う感じであろうな。
ンヌキから話を聞く限りはンヌキがかつて産んだ子供達も居なければおかしいのだがそんな世代は見つからない。
つまり死んだということであろう。
別に俺の関わっていない命。
どう果てようと俺の知ったことではないのだが子供を死なせて上の世代がのうのうと生きるための戦いを続けているこいつらを見て俺は多少なりともカチンとくるものがあった」
「貴様、長々と下らんことを。喧嘩を売っているのか」
イケちゃんの、相変わらず説明的な独り言だがそれはかなり彼らのトサカに来るものであったのだろう。
後半は侮辱なのだから。
総数100に届こうという戦士たち。
彼等はイケちゃんおよびンヌキが接近してることを知り囲むように配置していた。
彼らの陣地、その奥に居るのは彼らの中でも更に体が大きい超雄って感じの大物。
恐らく年齢も一番経ているだろうし体の大きさからパワーも強そうだ。彼が長なのだろうというのは見てわかること。
最初はイケちゃん及びンヌキを妖物か、違うな、ならばよそ者かと思って威嚇しようとしての布陣だったそうだ。
だが、色は違えど共に長い時をすごしたものも居よう。
イケちゃんと共に居るのがンヌキである事に気付いた者達が居た。
すでに一族から捨てられたくせに戻ってくるとは何事だと糾弾する声もあれば、あの傷で何故生きているという声もある。
そしてその体の色はなんだ、その隣の人間は何だと言う話題へと移る。
聖徳太子は10人からの請願の声を同時に聞き取り全てに的確な返事を返したという。
過去、誰かにできたことがイケちゃんに出来ないなんて事はあるだろうか? 否、無い。
だから100の戦士たちの口々に叫ぶ声も一つ一つを聞き取り、それら全てを吟味し順にイケちゃんは返答をする。
ンヌキの願いとしては妖物との戦いで滅びる一族はどうにかならないかというものであった。
イケちゃんとしては、だったら人里に下りて皆で仲良く生きりゃ良いじゃん。特に今は移住計画の真っ最中であと半年くらいで進展地に着くんだしよー、ってなもんである。
その事を言ってやればこいつらもとっとと山を降りるものだと思っていたのだが戦士の一族というのはアホなのだろうか。
彼らが言うには人里が平和なのは我らが妖物を押しとどめているからよ、我らが人里に下りれば妖物はこぞって人里を覆いつくし滅ぼすであろう、とか。
まーそういう部分が無いわけでもないのだ。
イケちゃんは、面倒だし気にもしてないので言う気も無かったのだが実は世界の全てを知ろうと思えば知れる。
モンスターの生態や異常繁殖のメカニズムだって知っている。聞かれてないから言わないし、聞かれても多分面倒だから濁すだろうけれど。
国によるのだがこの国のモンスターの異常繁殖は何十年か前にこの国で誰かが何某かの魔術を失敗したのが原因で異世界との境界が歪んだのが原因であろう。
この世界は複数の世界が重なり合って構成された世界。ゆえに世界の壁を刺激してやれば異世界からの現象をこの世界に呼び起こすことが出来る、それが魔術とされている。
火を呼び起こしたり冷気を放出したりあるいは振動を起こしたりといったものも、全ては異世界で起こっている現象をこの世界に召喚しているのだ。
言ってしまえば全ての魔術は召喚の術である。
で、この国の馬鹿な術士は何を思ったのか強い生物でも召喚したいと思ったのだろう。この世界とは違う世界から生物を呼び寄せた。
それこそがこの国のモンスター。
その際の触媒として用いられたのがこの国の生命の活力、それがゆえにこの国の自然はやせ衰え死の大地となったというわけだ。
ま、それはどうでもいい事だが。
彼らにとっての問題は緩んだ土地から未だ召喚され続けるモンスターはこの世界の生物を憎んでいて、取って代わろうとしていることであろう。
だから同じ世界出身とは言え馬の合わないモンスター同士で争そうことはあってもこの世界の生物が傍に居ればまずはそいつの排除からとなる。
更に言えば世界が違えば理も違う。モンスターたちの生態も生物でありながら無補給で動ける完全生命も居れば捕食と休憩を必要とする常識的な生命体もいる。
そしてある程度の数が揃えば広い場所に縄張りを広げるために、まずは邪魔なこの世界の生物を殺そうと一致団結することもある。
それがこの国のモンスターの全てだ。
で、戦士の一族の言い分だが。
なるほど、彼らがある程度モンスターと戯れるからこそモンスターの矛先が人里に向けられない。
そうであろう、確かに正しいわけだ。
だがしかし、イケちゃんならそんな場当たり的な活動ではなく根元からの解決も可能だったりする。
この国の大地の活力。それ自体は死んでいるしイケちゃんが手を出せばもはやそれは生物の島ではなくイケちゃんの島になってしまうので処置なしゆえに、枯れた大地に潤いを与えるのは無理なのだが元から戦士の一族はそこは気にしていないのでちょうどいい。
イケちゃんとて
「出来ない事あるじゃんッ」
って言われるのはイヤなので指摘されないうちは触れる事は無い。
彼らが問題としているのはモンスター被害である。
イケちゃんは個人的には異世界のものとは言え生物同士の縄張り争いで善悪の無い生存競争なのであんまり手を出すのは趣味じゃないのだが可愛い可愛いンヌキの『お願い』だ。
叶えないわけが無い。
「んんっ」
そして、手をかざし指に力を込めパチン! と良い音を鳴らせる。
別にそのアクションに必要性はないがかっこいいのでやっていることだ。
「?」
イケちゃんが何をやったのか、誰にも分かるまい。
ンヌキですらわかっていないのだから。
しかしそれをやったイケちゃんは知っている。
「これでこの国に根ざしていたほかの世界との境界のゆらぎを消した。これによりモンスターの自然発生は無くなった」
「!?」
そして軽々しく言ったその発言。
ンなアホなとしか言いようの無い物だがイケちゃんは突っ込まれるより早くに再び指パッチンで言い音を鳴らす。
ちなみにこのアクションの必要性は相変わらず無い。
「そして今、この国にいたモンスター全部を消した。これで繁殖によって増えることもないしそもそもモンスター被害自体がなくなったぞ」
ざわ……ざわ……
イケちゃんの発言は荒唐無稽のアホ発言に他ならない。
普通に考えれば。
しかしンヌキはイケちゃんを完全に信じきっているのでただただ凄いと思っている。
戦士の一族は全然信じては居ないのだが、彼等は感覚が鋭い。
イケちゃんの一度目の指パッチンと同時に世界が何かを代わったのを感じている。
それが何かはわからないが、この男は何かをしたと感じた。
そして二度目の指パッチン。
これにより、姿は見えずとも絶えず山にべっとり張り付くように感じられた妖物の気配、全てが消えたのだ。
戦士として生きるのなら自分の感覚は信じなければならない。
大半が生まれた時から感じていたジリジリと自分達に向けられた殺意とも憎しみともいえない妖物からの感覚が消えたのをすがすがしく感じていた。
「とりあえずこれでンヌキの願いは叶ったな。お前たち、モンスターとの戦いで死ぬ事は無くなったぞ」
若い戦士を中心にざわめきは大きくなる。
若い戦士は特にモンスターのいない時代なんてものを知らなかったが故にだ。
戦う相手が居なくなったとなれば一体どうすれば良いのかと不安がる声もあった。
イケちゃんは聖徳太子以上の超聴力でもってそれらの呟きをキャッチし応える。
「ま、お前たちが主無くとも妖物と戦っていたことは事実ゆえにな。町のものたちもそれを知ればお前たちを称えてくれるだろう。お前たちはまた町の誰かに仕えて新たな主人を守るために尽くすが良い」
フウヤレヤレ。
戦士の一族とやらを見た限り、ンヌキ以外にビビッとくる女も居なかった時点でこの一族に対する興味は全然なくなったのだがそれでもこれだけやれば満点であろうよ。
イケちゃんはそう思っていたのだが。
「何を言うか! 妖物どもが居なくなったのならそれは全て我ら戦士の一族の功績よ! 今更新たな主人に仕えよだと? くだらん!」
と、長っぽいでかいのが吼えた。
「戦士たちよ! 妖物が居なくなったというのならこれからは町に下りるぞ! そこが我らが戦場よ! 我らは戦士ではない! 王の一族として弱者の上に君臨するための戦いを始めるのだ!」
ぎゃおー。
とでも言わんがばかりの勢いで吠え立てる。
それに追従する声も少なくない。
なんじゃこれ。イケちゃんはそう思った。
「何を言ってるんだこいつら?」
「……これはっ」
ンヌキは悟った。
なぜ、主人の一族が居なくなっても戦士の一族だけで戦っていたのか。
一族の長は生まれつき体が大きく力も強かったらしい。
それがゆえに主人を主人と思っていなかったということか。
自分こそが全ての上に立つものと思っていたに違いない。
だからこそ、主人が居なくなったのを幸いに一族を率いて戦っていたということか。
ンヌキは一族に居た頃は自分で考えようとしていなかったために思うことすらなかったが、イケちゃんの女として、また一個の自由な女としての思考を確立した今ならそうだったのかと思えた。
「みんな聞け! 私達は戦士の一族だったはずだ! 戦士の戦いとは主に仕え主に勝利を奉げる物の為のものだと言われていただろう? 自分が王となるなんて戦士の言うべき言葉じゃないッ!」
ミツキは吼えた。
もはや抜けたとは言えかつては自分も戦士の一族の一員だったのだ。
戦士として、譲れないものはあるはずだった。
私利私欲のために戦いなら野良犬にでもやらせておけばいい。王になりたいというのならお山の大将でもやらせておけばいい。
だが戦士としての戦いは私欲のための戦いではないと、そう言い聞かせられてきたのだから。
ンヌキが吼えれば長の言葉に追従しなかったものたちはざわめきだした。
突然の事態の推移に頭がついていかないのだろう。ンヌキだって自分がその立場になったらきっとそうなると思う。
「惑わされるな」
しかし、ざわめく戦士たちの口を閉ざそうと長はいう。
自分に従えと。
「みんな! 戦士として死んでいった仲間を思い出せ! 彼らの死は今は亡き主に奉げられた戦いによる犠牲だったはずだ! 長に従い王となるための戦いなんてすれば仲間の死を汚す事になる!」
ンヌキが再度吼えることで戦士たちのざわめきは広がる。
若い戦士たちは特に誇りだとか主なんてものを知らずに戦いだけを教えられていたがンヌキと同期やその上の戦士たちは主に仕えよと育てられてきただけあって、ンヌキの言葉に何か感じるものがあるのだろう。
彼らのところからざわめきは大きくなる。
「惑わされるな」
しかし長は再度言う。
若い世代は戦士としての教育で主に仕えるものとしての教育がしだいに長の私兵となる教育にでも変わっていたのか、長の言う事に傾いている。
これではいけない。
「お前たち! 戦士とは主に仕えるものだがその男は主じゃない! ただ一族で一番強いだけの存在だ! 戦士たらんとするのなら、まずは自分で自分の主を探すんだ!」
生まれた時から主に仕える戦士たれと育てられたンヌキと若い世代は違うのだろう。
きっと長の命令に従って生きて死ねと、戦士ではなく兵士として育てられたに違いない。
それでも、若い者達ならまだこれからの出会いで何か変わるかもしれない。
仕えるべき主さえ見つければ、そう思いンヌキは叫んだ。
その言葉がどれほど響いたのか、若い世代のなかでもポツリポツリと戦士の生き方とは一体と言った声が上がる。
しかしそれらを遮り長は叫ぶ。
「惑わされるなと言っておるーっ!!」
ひときわ大きく響く長の声。
若い戦士たちは自分達が生まれた時から従うことを強制させられてた声に身がすくみ、最初に長に追従していたものたち次いでも吠え立てた。
「一族から切り捨てた女が今更何を言ったところで聞く耳を持つでないわ! 我こそが全ての頂点よ! 従わぬものは皆血祭りに上げてくれようぞ!」
吼えに吼えて、吼えまくった。
長の声に対し、ンヌキの言葉に感じるものがあった連中は迷い、どうすればいいのかと視線を長とンヌキの間で交互にさまよわせ続けた。
うおー! と吠え立てる長たちの声を遮ったのはイケちゃんの声。
「お前らアホな事を言うのも良いけどよー。とっとと終わってくんね? 俺としてはそろそろ山を降りてンヌキとミツキと俺の3Pとかでノクタりたいわけよ。描写しないところでさー」
まったくもって緊張感の無い声だが長たちの吼え声の中でもやけにハッキリと聞こえた。
そしてその声は焦燥にささくれ立ったンヌキの心を不思議と落ち着けるものでもあった。
「やかましいわ! まずは貴様らを血祭りに上げてくれる!」
しかし長にとってはそうでなかったらしい。
主人を守るため、ンヌキはイケちゃんの前に出ようとするがイケちゃんはそれを押し留める。
「なんかしらんが俺に喧嘩を売る気か……ンヌキ」
「はっ、はい」
ンヌキの前に立つイケちゃん半抜きに振り返り
「お前の望みは出来ればかなえてやりたいところだが売られた喧嘩は買わねばならん。お前の古巣の一族、どのくらいか知らんが死なす事になるがいいか?」
と、言った。
その言葉に否やは無い。
いや、元はといえばンヌキの我侭から始まったこと。
よもや長がこのようなものだったと知ろうともしなかったンヌキにこそ全ての原因はあるだろうに。
「さて、かかってきな」
クイッとイケちゃんの手招き。
それに応えたのは長ではなく長の周りで追従していたもの達。
「なんだ、ボスから来ないのかね?」
「ふっ、そいつらは我が手足。つまり我が一部よ! これこそが我が力! 王の力だ!」
「バカだねぇ……ま、結果も過程も変わらんがね」
ため息を吐き出すかのように気の抜けたイケちゃんの言葉、それが引き金になったのか戦士たちが襲い掛かる。
彼等は皆妖物との戦いを潜り抜けた猛者たち。
一度に全員でかからずに波状攻撃で休み無く襲い来るこの攻撃に対しイケちゃんの取った攻撃は
「イケメンパンチ」
最初に自分に届きそうなものに対し、一度拳を打ち込んだだけ。
それで全てが終わった。
「ゲペッ」
イケちゃんに殴られたものだけではない。
襲い掛かろうと飛び掛ったものだけでもない。
長を含め、長に追従した全ての者がグチャリと潰れて死んでいた。
残ったのはンヌキの言葉で揺るがされたもの達だけ、数にして40を少し越えるくらいでしかなかった。
やれやれだな。
イケちゃんはンヌキと、その一族の生き残り達を連れて山を降りる。
イケちゃんにとって数は力にはならない。
むしろ長が自分の部下たちを
「我が一部」
なんて称してくれて楽になったくらいだ。
イケちゃんの打撃は芯を打ち抜く。
体の中心という意味ではなく存在としての芯を。
記憶には無いが古い戦いでは一つの意思の元に独立して動く体を無限に操る敵だって少なくなかった。
そういうものに対して一々本隊を叩くだとかのまどろっこしい戦いをしていてはその前に宇宙が縮小して滅ぶ。
だから時間短縮のために、存在の真芯を打ち抜く技を出来なければ話にならなかった。
どれか一つに当てればその存在全てを遡って滅する一撃くらいは打てて当然なのだ。
もっともそうでなかったとしても指パッチンでモンスターを殺してたみたいに対多数の戦い方なんていくらでもあったのだが。
「ま、それは兎も角とっととミツキにお前を紹介したいよ」
「正妻の方……と、言うことですね。私も嫌われなければ良いのですが」
「別に順番どうとか、俺は言うつもりは無いがまぁお前らの中でもそういうのあったほうがいいのかな? そこら辺は会ってから決めよう」
緊張するンヌキの頭を撫でながら、イケちゃんは何でも無い事のようにヘラヘラ笑っている。
それに釣られて緊張が抜けたのか、ンヌキもイケちゃんに笑い返した。
そして町へ帰還。
ドスコイ国の人々はイケちゃんが一人で出て行ったのに帰りが一人じゃ無い事にたいそう驚いた。
「かくかくしかじか、そういう訳なのよ」
「なんと……そのような事が」
妖物と戦う一族との連絡が途絶えた理由を知った町の警備係の人はたいそう驚いた。
昔からドスコイ国はモンスター被害が少なくなく、山で戦う一族は居たがそれが滅んでも戦ってくれるものたちが居たなんて、と。
元々、モンスターの異常増殖の原因はこの国の術士がモンスターを倒す存在を呼び出そうとして召喚術を行ったのが原因だったりする。もはや誰も知らないことだが。
術士がそんなものに頼りたくなるほどには、昔から慢性的にモンスター被害はあり、それと戦う一族は皆を守るために頑張っていたのだ。
「ま、それはそうと。ンヌキは俺の女だから俺が引き取るが残った40くらいか? こいつらはお前ら引き取ってやってくれよ」
「お、女て……」
イケちゃんがンヌキの頭を愛おしそうに撫でるとンヌキも目を細めてイケちゃんに擦り寄る。
その仲良しップリにちょっと引く警備係の人だが、モンスターと戦っていた一族は快く受け入れるといっていた。
イケちゃんがモンスターやっつけたってのはすでに知っていても、新天地で、あるいは他の外敵からの戦いで、きっと彼等は頼りになってくれるだろう。
戦士達もまた、仕える主とすべきかどうかはまだ定かではないが自分たちの力と身の置き場所をみつけめでたしめでたしと言ったところであろうよ。
「ただいまー」
イケちゃんの声にミツキは家畜のえさやりの手を止めて玄関へ赴く。
ちなみに宿は取らずにエイエイオーで寝泊りしている。
本当は宿でも取りたいところだったがドスコイ国は貧乏国であんまり良い宿が無かったのでエイエイオーで寝泊りするのが一番だとミツキが言い張ったからだ。
なにせエイエイオーにおいてるベッドは大きくてフカフカだし、いろいろやっても声は外に漏れないし。
ちなみにイケちゃんの部下達は睡眠休息栄養補給を一切と必要としないためこの国でも元気に毎日働きまくりである。
イケちゃんは仕事してないのに。
そしてミツキが玄関に行くと
「あら、お帰りなさ……犬?」
「おう、お前の待望のハーレム要員のンヌキだ。仲良くやってくれ」
「はじめまして、奥方様。このたびご主人様に仕える事になりましたンヌキと申します。何分、戦士として育ったために戦うこと以外何も出来ぬ粗忽者ですが、至らぬこともあるでしょうがどうぞ、よろしくお願いします」
イケちゃんが連れていたのは、肩高がイケちゃんの腹くらいはある、艶のある黒い毛に身を包んだ大きな山犬だった。
「この展開は予想してなかったわー」
予想外の展開にミツキはちょっとだけビックリした。