2・家を出る
全長40メートル(尻尾を含めればもっと長いが)、全幅28メートル、全高18メートルというサイズは船として大きいと言えるのか普通はこんなもんと言えるのか、そんな常識さえ記憶から消えているイケちゃんたち。
しかしそれは特に苦にならない。
外部との関係性、というものは判らなくても船の動かし方は覚えているか覚えていないか以前に本能で判る。
例えば人が昨日の夕食の献立を忘れることがあっても手や足の動かし方を忘れるわけではないように。
ふわりと、風に舞う鳥の羽ほどにも重さを感じさせない動きで優雅に浮かび上がるエイエイオー。
その動きの滑らかさは性能だけでなく船を動かすクルー達の技量によるもの。彼らにとって船を動かす操作は自分の手足を動かすのも同じものと言えるほどに馴染んでいる。
「見事なものだ」
ブリッジの中央に据え付けられた大きな椅子に深く腰を下ろし長い足を組みながらイケちゃんがつぶやく。
ブリッジ内で働くクルー達の仕事もまたイケちゃんの目から見て見事と言えるものだからこそでた賛辞である。
まぁ記憶が無いので本当にこれがこのクルー達の最高のパフォーマンスなのか手抜きなのかすら判断材料は無いのだが。
とはいえイケちゃんはミイちゃんを初めとする部下達、およびエイエイオーとの繋がりがあるのでサボっいるかいないかなんていうのは言葉にして聞くまでも無く判るのでそこらの心配は不要だったりする。
「折角だ、ちょいと風に当たりに行くがとりあえず進路はまっすぐ。なんかあったらその時に言う」
「かしこまりました。本来なら誰かイケちゃん様に付けておきたいのですが私以外のクルーでは船の航空中の船外活動は難しいでしょうし……」
「構わん。ミイちゃんはそのまま全体の指揮を取っていろ。どうせ俺の気まぐれだからそんな時間もかけずに戻るさ」
「なるほど、これが空か……違和感を感じるがこんなものか?」
エイエイオーの甲板に立ち風をその身に受けながら周りを見渡すイケちゃん。
その目に写る空の形は空がどういうものであったか、その記憶も持たないなりに言葉の通り違和感を感じている。
まずは自分達の居た島。
島の全周が断崖絶壁に囲まれてる。
島の周りは濛々と雲が立ち込めていて雲の下がどうなっているのか窺い知れない。
その世界の形のありように違和感を感じる部分がある。知らない物に対する好奇心として雲の下がどうなっているのかを知りたいと興味をもっている自分。
その世界の形のありようは当然だと感じる部分がある。雲の下がどうなっているか、そんな事を思う必要はないと雲の下に対する興味を切り捨てる自分。
底も見えない雲海に対する違和感と既視感。どちらかが間違っているのか? あるいはその齟齬が自分の過去となんらかの関係があるのか……そこまで思ってイケちゃんはそれについて考えるのを止めた。
過去に対して興味が無いから、というのも理由の一つだがもっと現実的な問題が目の前に現れたから。
「イケちゃん様、前方に……と、もうしますか、我々のいた島を中心とした一円を囲むように巨大な雲の壁、いえ天井も塞がっているので雲のドームですね、その存在が確認されました。内部は結構な風が吹き荒れているのが観測されていますがどうなされますか?」
ミイちゃんからの行動を伺う声を聞きながらイケちゃんはどうするかを考える。
イケちゃんの直感として眼下の雲海と空に浮かぶ雲は同じものではあるが性格には違うもの、雲海の切れ端が浮かび上がり空を漂う雲になっているように感じる。
そして目の前、行く手を阻むように立ち上がった雲の固まりはどちらかと言えば後者、眼下を覆いつくす雲海が無理矢理形を変えたもののであるように見える。。
正確に言えば空を漂う雲8割、雲海の雲2割のブレンドと言ったところか。
まぁ雲そのものについては思うところは無い。
問題はこの雲のドームが突然現れたことだ。先ほどまで空は雲ひとつ無い晴天と言えるほどではないが晴れ渡っていた。イケちゃん達が島を出るまではこんな分厚い雲は見えなかったし太陽だって見えていた。
今は目の前が真っ白だ。
俺達が島を出た途端に雲がドーム上に形成された? そうじゃない、今まで見えなかっただけで最初からあの島は雲の塊の中にぽっかり開いた空白にあったらしい。
この雲は外部から島への到達を防ぐ障壁か、あるいは島から外へ出るのを遮る監獄のつもりか。
「ふん」
イケちゃんはそんな雲の塊を見据え鼻で笑う。
何せ彼はイケメンとして無様にうろたえると言う行為を己に許したつもりは無い。ゆえにいつでも余裕を見せるのだ。
特にそのイケメンっぷりを見る相手が居なくても。
「構わず前進しろ。とりあえず真っ直ぐ飛んで雲の壁を突き抜けるぞ」
甲板に立ちながら腕を組み仁王立ちで不敵に笑う。
あぁ今の俺超カッコイイ!
イケちゃんがそんな事を考えてるのかどうかは一応内緒。
「それではこのまま雲に突っ込みますがイケちゃん様、ブリッジに入られますか?」
「その必要はない」
雲の壁に近づけばその中を轟々と風が吹き荒れているのが見えるがイケメンたるイケちゃんにとってそれは対した脅威になりえない。
そんな確信からくる余裕の態度を崩すことはない。
エイエイオーはそんなイケちゃんの意思を受け巨大な雲によって形成された壁に突っ込んだ。