カモとクジラと、ツキの話
ツキの話の続きでもしようかな。
仮に、ツキの流れが見える瞬間があるとしたら、どんな時だろう?
もちろん運勢なんて目に見えないし、何より自分の運なんてもんを自由にできるわけがない。
だって、そんなものは無いからだ。
再三の言及になるけど、運の流れなんてもんは突き詰めていけば確率的な事象でしかない。そこに意味を見出すのは人間の勝手な認知だ。
今日は運がいいとか、今日はツイてないとか。
そんなものは主観でしか無くて、起こった事象に対する個人的な感想に過ぎない。
けれど、だ。
ツイてないと思った人間が次に取る行動は、その主観に大きく影響を受ける。
言わばドツボにはまるのだ。
平常心を失った人間は往々にして下手を打つ。ツキがない人間が失敗をするのは当然だ。だって、それは順序が逆なのだ。ツキがないから負けるのではなく、負ける仕草をするからツキが無いように見えるだけの話だ。
だから、ツキの悪い人間はパッと見で分かる。
例えばこのバカラテーブルでいうと、右端に居る赤ジャージの若い男性だ。
筋肉質な体格を見るに、スポーツ選手かなにかだろうか。彼は先程から、大きく賭けた時に負け、小さく賭けた時に勝つというのを繰り返している。
賭け方に思想が見えず、積極的に出ているようで消極的。完全にゲームに翻弄されているのが傍からでも分かる。
こういうあからさまな『負け役』が居るゲームはやりやすい。
だって、そいつの逆張りをすればそれだけで勝てるのだから。
不思議なもので、自分のツキは見えなくても、他人のツキはよく見えるものだ。
非科学的だろうか? でも、これは実際にやってみると意外と当たる。
落ち目の人間は何をやってもダメだ。きっとそれは、自分が失敗した時のことを振り返ってみればよく分かるはずだ。
人は物事の渦中にいるとまるで自分のことが見えなくなるものだが、あとになって冷静になると、まるで自ら裏目を引きに行くかのごとく、間違った選択を取ってしまっているものだ。
そして――他人はそんな自分の行動を、存外よく見ているものだ。
「バンカー8、プレイヤー2。バンカーの勝ちです」
ディーラーの言葉とともに、赤ジャージの兄ちゃんが苛立たしげに膝を叩いた。テーブルを叩かない自制心くらいは褒められても良いだろう。
きれいにチップをスッた兄ちゃんは、悔しそうにうめいた後、肩を怒らせながらチップの追加をするために受付へと向かった。どうやら手持ちの現金も切らしているようで、これは貸付コースだなと、生温かい目でその後姿を見送った
「アンタ、あいつのことを知ってるかい?」
不意に声をかけられた。
いつの間にか隣に座ってた女が、くつくつと可笑しそうに顔を緩めて私に話しかけてきた。
「ありゃ、プロテニスプレイヤーの浦目だね。かはは、ストイックなスポーツ選手も、一皮剥きゃあギャンブル中毒だってんだから笑えるよ」
長身の女だった。私より7、8センチくらい高いから、175くらいだろうか。
艶やかな黒髪に引き締まったスタイルはモデルのようで、さぞ写真映えするだろう。ピンと伸びた背筋と、ツンと上を向いた顎が、彼女の存在感を場に強く刻みつけていた。その堂々とした出で立ちは威圧感すら覚えるほどで、私は思わず身構えてしまう。
女は苦笑を漏らしながら気を緩めて言う。
「ああ、悪い悪い。脅かすつもりは無かったんだ。ただ、面白い賭け方してるなって思って、つい声をかけちまっただけさ」
「そんなに変な賭け方をしてましたか?」
「悪い意味じゃねぇよ。『人読み』するっつーことは、博奕を分かってるやつだってだけの話だ」
どうやら、私が赤ジャージの兄ちゃんを見ながら賭けていたのを見ていたらしい。
女は、くつくつと愉快そうに笑って名乗った。
「あたしは鯨波っつーんだ」
「どうも。一色です」
本名で自己紹介をする。
一色雅。
『一ノ瀬』は実の両親が離婚する前の旧姓だ。私の場合は芸名の方が知られているので、こうした場では本名の方がむしろリスクが低い。
鯨波は「へぇ、一色ねぇ。染め手じゃん」となんとも博奕好きらしい反応をしてくれる。
それを言うなら鯨波という名前はハイローラーだろう。などと冗談半分に思いながら彼女の手元を見ると、チップトレイには最高額の十万円チップが山積みだった。
十枚ずつ積んだ山が、一、二、三……、それだけで、優に五百万はある。
このバカラ台はタップテーブルで、ミニマムベッドは千円、マキシマムベットは二十万円だったはずだ。
つまり、一回のゲームで賭けられる金額の上限が二十万円である。
そんな中で五百万までチップを増やせるとは、よほど運が太いのか、あるいは――勝ち方を知っているかだ。
まじまじと見てくる私に気を良くしたのか、鯨波はニヤリと笑った。
「ケチくせーよな、この台。マキシマムが二十万なんてこづかいかよ。ま、ミニバカラじゃ仕方ねぇか。もうちょっと人が揃えば青天井の台も立つんだろうけど、今日は客もすくねぇしな。前に大負けした奴が居たからか、他の客がビビっちまってあんまり集まりが良くねぇらしい。アンタも気をつけなよ」
乱暴な口調で鯨波はぼやく。
バカラにはミニバカラとビッグバカラという二種類のゲーム形式がある。
ゲームそのものに大きな違いは無いのだけれど、一つだけ違う要素として、ミニバカラは全てのカードをディーラーが開くのに対して、ビッグバカラはカードを客がめくることが出来る。俗に言う『絞り』『スクイーズ』と言われるもので、最も多くのチップを賭けた客がカードをめくる権利を得る。
故に、ビッグバカラの方が賭け金の幅が大きく、テーブルによっては限界のない青天井なこともある。これもバカラが人気のゲームである理由の一つなのだけれども、このカジノでは今そのテーブルが立っていないようだった。
この様子だと、どうも鯨波はそのビッグバカラの方が性に合っているようだった。
「アンタ、この店は初めてかい?」
「まあ、そうですけど」
「おっと、詮索してるわけじゃねぇよ。単に若い女が一人で賭場に来てんのが珍しいかっただけさ。って、あたしも人のこと言えねぇか。あっはっは」
豪快な女だ。
粗暴だけれど、どこか落ち着きのある物腰が、彼女の懐の深さを感じさせる。
「そういう鯨波さんは、慣れてるみたいですね」
「ん。あー、まあな。カジノに限らず好きなんだよ、鉄火場ってやつがさ。ほら、博奕と花火は江戸の華、って言うだろ」
「言いませんね」
それを言うなら火事と喧嘩は江戸の華だ。
とは言え、気持ちはわからなくもない。火事と喧嘩のことはともかく、博奕と花火はなんとも気分が高揚する。どちらも一発当てるのが気持ちいいやつだ。その辺り、どうも私と鯨波は同類らしい。
「なあ、アンタはさ」
十万円チップを指でいじりながら、鯨波はニヤニヤして尋ねてくる。
「ギャンブルのどういうとこが好き?」
「どういうって、質問の意味が分かりませんが」
「わかんねーってこたぁ無いだろ。男の趣味みたいなもんでよ、鎖骨のラインがエロいとか、ふくらはぎに付いた筋肉が色気あるとか、そういうのがなんか一つくらいはあんだろ?」
酔ってんのかこの女。
いまいち質問の意図は掴めなかったが、私は雑談に付き合うつもりで答えた。
「まあ――強いて言えば、スリルですかね」
「月並みだな」
「悪かったですね普通で」
初対面なのに自然と気安い気持ちを覚えながら、私は一般論を口にする。
「実際そうでしょ。ギャンブルの依存性って、強いストレスによって分泌される脳内麻薬のせいですし」
「ふぅん。勝ち負けじゃなくて、ストレスがかかっている状態がむしろ良いってことか?」
「そりゃ、勝つに越したことはありませんけどね」
「そりゃそうだ」
「逆に、鯨波さんの方はどうなんですか? ギャンブルのどういう所が好きなんです?」
「ん? あたしか。そりゃあ、そうだな」
彼女は十万円チップを二枚手に取ると、無造作にバンカーの方に賭ける。
いつの間にかゲームが再開していた。
「あたしは――勝つのが好きだ」
ディーラーがカードをめくり、バンカーとプレイヤーにカードが揃っていく。
――ツキの話をしよう。
ツキの悪い人間はパッと見で分かる。
なぜならそいつは、自ら負ける行動を取っているからだ。負け癖というのは拭うのが難しく、まるで肥溜めの糞尿のようにいつまでも残臭をまとい続けてしまう。
負ける仕草というのはそれくらい自分では気づき辛く、そして他人からは気づかれやすい。
対して、ツキの太い人間というのはどういうものだろうか?
それは――迷いのない人間だ。
「バンカー・ナチュラル9。プレイヤー4。バンカーの勝ちです」
ディーラーが配当を配る。
バンカーの勝ちは、コミッションとしてカジノ側に5%徴収されるので、鯨波の手元に増えたのは十九万円分のチップだ。
金額の多寡は問題ではない。二十万円程度の金額、博奕にはまり込めばすぐに端金になる。しかし――その金額をただ賭けるのと、確信を持って増やせるのでは、結果が同じでも意味合いは大きく変わる。
「ごちそうさん、と」
鯨波は当然といった顔でチップを回収する。
その様子を見て私は確信を持った。この鯨波という女は、博奕を心得ている。
彼女がこの台で五百万まで勝ちを増やせたのは、おそらく私と同じ様に、赤ジャージの男、浦目が負ける時にの逆張りをしたのだ。負ける仕草をする相手の逆に張れば勝てる。まるでオカルトじみた話だけど、ギャンブルを続けていると、それが正しいと思える瞬間がある。
ツキの存在。
それを深く実感する瞬間がある。
しかし、それを分かっていても、いざチップを増やせるかと言うとまた別の話だ。迷いは流れを悪くするし、ためらいは機会を逃す。必要なのは、大胆な行動力と、ためらわない豪胆さだ。
鯨波には確信があった。
だからこそ――彼女は化け物だ。
「さて、と」
続けて次のゲームに参加しようとした鯨波は、不意に目を細めてじっとテーブルを見る。
「ん――、と」
それから、まるで何かを感じ取ったかのように小さく息を吐くと、十万円チップを一枚だけバンカー側に置いた。
手付きに迷いは感じられない。しかし、彼女は何かを察したのか、賭けたチップを置き去りにしたまま、テーブルを離れようとした。
「鯨波さん、どこ行くんです? まだ結果が」
「あー、良いって。どうせそれ、外れるから」
こともなげに言い放った彼女は、そのままチップを換金するために奥の部屋へと向かった。
戸惑いを浮かべたまま、私は半信半疑にテーブルに目を向ける。
そして――思わず息を呑んだ。
「バンカー5、プレイヤー5。引き分けです」
引き分け……。
同じ数字は当然ながら引き分けだ。この場合、タイに賭けた客は8倍の配当をもらい、バンカーとプレイヤーに賭けた客は掛け金を返金される。
奥の部屋から戻ってきた鯨波は、「だから言ったろ?」と愉快そうに笑いながら言った。
彼女は返金された十万円チップをひょいと拾うと、指で弾いて私に渡してくる。
「やるよ。記念だ」
「……なんの記念ですか」
「そりゃあ、えっと? あたしらの友情の記念?」
何が友情だ。初対面だろうが。
とは言い返さなかったが、私はあえて嫌そうな顔をしてチップを受け取った。
その拒絶のポーズに気づかなかったのか、鯨波は嬉しそうに言う。
「アンタとはまたどっかで会えると良いな」
「嫌ですよ、あなたみたいな化け物」
「かはは。そいつが分かるんなら、アンタも同類だろ、一色ちゃん」
愉快愉快、と弾むような声で言いながら、鯨波は手を振って背を向けた。
一連の流れを見ていた私と他の客たちは、ただあっけにとられてそれを見送ることしか出来なかった。嵐というよりは、祭りのように過ぎ去っていった。
残った客のうち、一人がぼやくように言った。
「思い出した。あいつ、クジラだ」
何のことかと思うと、それはあだ名だった。
その賭けの豪快さと本名から、彼女は通称をクジラと呼ばれているようだった。
クジラ、ねぇ。
世の中には、そういうマンガじみた博奕打ちも居るものである。
「…………」
私は貰った十万円チップを、無造作にプレイヤー側に賭けた。
バンカーナチュラル8、プレイヤー4
バンカーの勝ち。
十万円は一瞬で溶けた。
私は口角を釣り上げた。
「へっ」
ま、そんなものである。




