今日の気分は闇カジノ
酒、タバコ、ギャンブルは散財する三大要素だけれど、その中でも、ギャンブルのたちの悪さは群を抜いている。
なにせ違法だ。
刑法第二編第二十三条『賭博及び宝くじに関する罪』。日本において、公営競技以外での賭博は前科がつく。加えて、ギャンブルには依存症や多重債務の危険が伴うので、そもそも印象が悪い。
趣味はギャンブルです、なんて言うやつは、その時点でヤバい奴だ。間違いない。
キャンペーンガールとしてパチンコの宣伝はしても、パチンコ店に早朝から並んでますなんてことは言えない。仮にもアイドルは夢を見せるのが仕事だ。見せられる毒には限度がある。ましてそれが非合法の賭場となれば、言い訳のしようがない。逮捕なんかされた暁には一発で引退だろう。刑罰の執行には猶予がついたとしても、人気商売の暴落に執行猶予などというものはないのだ。
「破滅が分かってて遊びに行く辺り、末期だよねぇ」
にへらっと自嘲げに顔を歪めながら、私は夜道を迷いなく歩いていく。
今の格好は、派手めのフレアドレスの上から膝丈まで隠れるロングコートを着ている。頭にはパーマのかかったウィッグを着用し、化粧も明るめなので、一見すると夜職の女のように見えるはずだ。
こういう派手な装いは夜の街に馴染む。
アイドルとしての一ノ瀬みやびは黒髪ショートの清楚系で売っているから、こういうファッションはあまり見慣れないはずだ。変装というほどではないけれど、用心の一環みたいなものだ。
「えっと。マサキくんが言ってたお店は……」
行きつけのホストクラブにマサキというキャストが居る。彼は賭場の情報などに詳しくて、新しく出来た闇カジノの情報などを流してくれるブローカーのようなものだ。
当然ながら闇カジノは違法なので、警察の摘発を避けるためにしょっちゅう店を変える。少し前まで遊んでいたお店が、気づいたらもぬけの殻なんてことはいつものことだ。
そして、初めての店は誰かの紹介が無いと入れなかったりする。
そうした時、裏稼業とのつながりも深い水商売の人間がパイプ役を担うことになる。別に、好き好んでホスト通いをしているわけではないのだ。
まあ、行くのが嫌なわけではないけど。
男にチヤホヤされるのも悪い気はしないけど。
今日紹介されたのは、赤坂にある十四階建てマンションの一室で開かれているバカラ賭博だった。
港区といえば統計的にお金持ちが多い土地だ。必然的に、闇カジノの需要も高まる。芸能人やら政治家やら、場合によってはスポーツ選手やら、客には事欠かない。私もその中のひとりなので、あまり他人のことは言えないのだが。
マンションのエントランス前の風除室で、教えてもらった部屋番号と解錠番号を入力。カメラで顔をチェックされてから自動ドアが開く。エントランスを通って、エレベーターで十三階へ。右奥の部屋の前で、インターホン越しにスマホの画面を見せる。そうしてようやく、ようやく玄関が開いた。
高級マンションの一室、4LDKほどの広さの室内で賭場が開帳していた。
扉を入ってすぐの所に受付が用意されていて、黒服を着た男性が尋ねてきた。
「初めてでしょうか」
「はい。こちらの紹介で」
マサキの名刺を見せると、黒服は何かメモをとる。そして、身分証の提示と会員証の作成を求められた。待合室に案内されて数分、お茶を飲んでいる間に登録は済み、奥の部屋へと案内された。
表向きはサロンとして開業しているのだろう。ダイニングにはカウンター席が用意されていて、バーテンダーがお酒を提供している。
仕切りを抜けて奥に行くと、ミニバカラ用の台が二台と、奥にビッグバカラ用の大きな卓が一台あった。
現在、それぞれの卓に7人前後の客が集まっていて、たいそう盛り上がっている様子だった。
「やってるやってる」
軍資金として用意してきた二十万円をチップに交換し、私は久しぶりの賭場に心を弾ませながらバカラ台の輪に入っていく。
バカラはカジノゲームの中でもド定番のゲームだけれど、あまり詳しくない人も居るだろう。
ルールを簡単に説明すると、トランプを交互に配って数字の総和が9に近い方が勝ちというものだ。
トランプのスートは関係なく、純粋に数字だけを足していく。10や絵札は全てゼロとしてカウントするので、繰り上がりは考慮しないで下一桁だけを点数として評価する。
バカラでは、客にカードが配られるわけではなく、バンカーとプレイヤーと言う二つの陣営にカードが配られる。ギャンブルに参加する人は、このバンカーとプレイヤーの二つの陣営のどちらが勝つかを賭けることになる。言ってしまえば、競馬やオートレースのように選手に賭けるのと同じだ。
同じくカードの合計値で勝負するブラックジャックは、客がカードを引くかどうかの選択をすることが出来るけど、バカラはそれが出来ないので、純粋な運の勝負となる。
しかし、そうした自由度の低さに対して、バカラはカジノで随一の人気を誇るゲームでもある。
人気の理由はいくつかあるけれど、そのうちの一つが、罫線の存在だろう。
(罫線は……バンカーの勝ちが続いているか)
バカラは勝負の結果を一覧出来るよう表に記録されている。これを罫線というのだけれど、この表を見ることで、ただの運否天賦の博奕が、まるで戦略性があるかのように様変わりする。
バンカーとプレイヤーがそれぞれ勝つ確率は、ざっくり言ってしまえば半々だ。厳密には、カードを配る順番的にバンカーの方が若干勝つ確率が高かったり、引き分けになったりすることもあるので、完全に50%にはならないのだけれど、ここでは体感的な話として二分の一と考えていただきたい。
その二分の一の結果を、表に記録していく。
左から右へと記録していき、連勝した場合は縦方向へ、異なる方が勝ったら横へシフトさせる。
こうやって記録を見てみると不思議なもので、二分の一の確率も偏りを見せる瞬間がある。
この表で言えば、五行目、十一回目から十七回目までプレイヤーが続いている。この時にプレイヤーにうまく賭けることを『ツラを追う』と言ったりするけど、これができれば大きく勝つことが出来る。
言ってしまえば、ツキだとか、運の流れだとか言うオカルトじみた感覚だ。
これがなかなか馬鹿にできない。
ギャンブルというのは突き詰めていけば運でしか無い。けれど、その運をなんとか読み取ろうとする無駄な努力こそが、ギャンブルの醍醐味だろう。
本来なら予想など出来ない、ただの確率的な事象を予測し、見事当てて見せた瞬間の興奮は、言葉にならないくらい格別だ。
あたかも自身で流れを掴んだような快感は、何物にも勝る達成感を与えてくれる。
(ま、馬鹿な勘違いにすぎないんだけどね)
斜に構えながらも、快感を求めてチップを張る。
現在、バンカーが四回連続で続いている。
ツラを追うならバンカーだけど、偏りとしてはプレイヤーの方が大きいから、この辺りでツラを切っておくのもありだ。
というわけで、私の選択は『プレイヤー』
全員が張り終わったことでカードが配られる。ディーラーがカードシューに指をかけ、流れるような動作で二枚ずつ配る。
バンカーが3と2で5点、
プレイヤーが4と5で9点。
ナチュラル、プレイヤーの勝ち。
手始めに一万円賭けた私の手元に、チップが二倍になって帰ってきた。
(出だしは上々、っと)
細かいルールは他にもあるが、大まかにはこんなところだ。
バカラが人気な所以は、まず一回のゲームが短く、回転率が高いことにある。チップをベットしてから結果が出るまでが早いので、自ずと熱くなりやすい。勝てば心が湧き、負ければ悔しくて前のめりになる。それは、熱しやすい鉄火場にとって欠かすことの出来ない要素だ。
そしてもう一つ、罫線を利用した擬似的なゲーム性こそが、人がバカラに夢中になる理由だろう。
面白い博奕とはなにかと問われれば、私は『頭を使う余地がある』ゲームだと答える。
一見するとただの運否天賦のゲームでも、次に出る目が予測できるような情報があれば、人はなんとかツキの流れを探ろうと模索する。
そうやって必死に考えるからこそ、当たった時には歓喜し、外した時には激昂する。
こう話せば、なるほどよく出来たゲームだと思うだろう。
カードの並び順というただの確率的な事象を、勝負として成り立たせている。『結果を予測したい』という願望こそが、ギャンブルの醍醐味だからこそ、バカラは面白い。
(でも、だからこそ、危険でもある)
次の賭けを行いながら、私は昏く笑う。
余談だけれども、私はギャンブルのイロハを育ての親である伯父から教わった。
いたいけな小娘に博奕を教え込むような育ての親の倫理観はこの際脇に置いておくとして――伯父からは数多くのゲームのセオリーを教えてもらったけれど、どんなゲームをやる時にも、伯父は再三に渡って口酸っぱく同じ教えを授けてくれた。
曰く――『ギャンブルを知ろうとするな。知ろうとすればするほど飲まれるだけだ』と。
(はい、伯父さん。みやびは心得ております)
心得ているからこそ――私はギャンブルに浸るのが楽しいのです。




