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9. わからない気持ち

「……別にさ、追いかけっこは、仕方ない……にしても………そのあとまで、一緒にいなくてもいい、のに。……ずっと、いるよね?」

「そっ、それは!あっちがまとわりついてくるからで!牧場暮らししたことがなくて面白いからって……!」


セレンは怒っている。いるけれど。

一日15分。今や実質5分の『追いかけっこ』の時間が終われば、メルギウスはそんなに嫌な奴ではない。むしろいいお兄ちゃんという感じだろうか。

図書館通いが日課だったという彼は色々なことを知っているし、多分地頭がいいので、数字にも強い。さすが高貴な侯爵家の血を持つからかちょっと見ただけでさっさと帳簿処理できてしまうし、セレンが長年夢見ている隣国からの輸入事業もすごく面白そうと言って、ああだこうだ案を出してくれる。生乳は運ぶのに時間がかかると衛生上使えなくなるからこのルートがいいとか、長期間保存するために脱脂粉乳というものがあるとか、生乳の氷菓子のおいしさを知ってもらうためには目の前で塩と氷を使って作り上げる試食会をやってみるべきだとか、輸出入に必要な国の許可はこんなものがあるとか、出来立てバターは首都では食べたことがなかったけどこんな美味しいならすごい儲かるとか。

他にも鶏がもっと卵をたくさん産むためには朝日を効率的に浴びさせろとか、牧草だって都会では値段が付くんだからもっとうまくやれとか、挙句には嬉々として大工仕事だ。

結局、完成したサウナ小屋の温度が上手く上がらなくて、四苦八苦して、また何か鼻歌を歌って改良している。できないからって苛立ったり投げ出したりしない、不思議なお貴族様の男。元国一番の色男。


汗をかいて笑っているその姿を見ていると、セレンは、何だかギュンと胸がおかしくなる。


そもそも、通りがかりに泥棒を捕まえようとしてくれる時点で善良な人格なのだ。


何度も初恋相手じゃないのか?って聞いてくるし、罰ゲームはそんな嫁入り前にっと叫ぶほどに卑猥になってしまったし、なんなの、この人ーーが心臓の落ち着かないセレンの感想である。

あるけど、彼が昼間には牧場の手伝いだって率先してやってくれて、夜には牧場の地図を広げてああだこうだとホットミルクを片手に話す時間はやっぱり悪くはない。

たったの二週間も経っていないのに、のんびりとした風景の中に吹いた新しい風にワクワクが止まらない。こんのトンデモセクハラ野郎とは思うけれど、『追いかけっこ』のルールにきちんと乗っ取る彼は紳士ではある。

手が出されないならすごく楽しい。毎日何を相談しようかと思ってしまう。

我ながら単純すぎる、とセレンは実は頭を抱えている。


「セレンなら、……嫌いな人と、話さないでしょ?」

「うぐ……」


今度はセレンが唸らされてしまった。


「べ、べ、べつに………嫌いとまでは……」

「だよね。……じゃないと、朝も、トレーニング、付き合ってあげない、よね?」

「何で知ってるのっ?!」

「え?………土台になる石を運べってあの人に頼まれて、仕事の前に来たら、……走ってた。セレンも、ずっと、見てたでしょ?……綺麗、だよね。……次の日もおんなじ、だった。セレンもじーって、見てた。……タオルとさ、ドリンクまで用意してあげて。優しい………ね。セレ………あ、あっ、芋、落として……慌ててる。か、かわいい……っ。はぁ、り、リンシアに、拾われる………あの、芋になりたい……」


リンシアを小窓からチラチラ見ながら、時折手元の豆に視線を伸ばし、1個剥くごとにリンシアを見る時間がどんどん長くなっているしょうもないベルフは、視線と手先と口がバラバラに動いていてすごいとセレンは思ってしまった。最後に欲望丸出しになっていたが。


「だから、あれはっ、その……ひ、一人で走ってたら気になるじゃない。黙々とっていうか」


とりあえずベルフのいつもの独り言は置いておいて、セレンは自分へ言い訳を始めた。


もうレースで走れないと言われているのに、日が昇る前の薄闇の時間、たった一人で黙々と綺麗なフォームで走りこみを続ける姿を知ってしまったから。

たくさん嫌なこともあるし、眠れなくなるし、もうあんなヒリついたレースなんてゴメンだとか言いながら、「これは習慣だから」と少しだけ眉を寄せて複雑そうに言う彼。

遅いかもしれないけど、価値はないかもしれないけど、俺は俺自身が走らない馬なんかになりたくはないんだ、と。

一番高い場所を知っているのに、遅くてもいいから、と言う彼に、なんと声をかけたらいいのかわからくなった。


どう考えてもプライドが高いくせに。

それでも違う価値を見つけようとしているのがすごいなって。

でも、納得もしてないんだろうというのは時折苛立った表情で太ももを叩いているのでよくわかって。

思うように走れないのは辛いだろうな、でも、やっぱり走るのがやめられないってすごいなって。

そこまで頑張ろうと思うようになったのは、やっぱり初恋のあの子のダッサって言葉があるからなの?って。


セレンの中に、なんて言ったらいいのかわからない感情が膨れ上がった。

結局、なんと声をかけるのが正解なのかわからないまま、じっとただ彼の姿を見つめて、レモン水とタオルを古びた木造ベンチにそっと置いて、ベッドに戻るのが習慣化していた。

もし、彼の初恋の女の子だったら、今の彼に、なんて言ってあげたんだろう、なんて思いながら。


セレンだって、メルギウスを「嫌い」じゃないのははっきりしている。

むしろとにかく挙動が気になる方だ。

ルールの中という意味でも、誠実、ではあるし。

でなければエスカレートする罰ゲームに辟易して絶対に家出してでも逃げ出すくらいした………かもしれない。いや、実家を人質に取られたら我慢するかも、しれない?メルギウスはするとも思えないから、わからない。

とにかく、メルギウスへの感情はよくわからない。

最初から俺様で呆れたし、勝手すぎてムカついたし、一方で初対面時の罪悪感はあるし、ドキドキはさせられるし、死にそうだし、ワクワクはするし、でもやっぱりイライラするし。


でも、とにかく、ハーレムの十五番目の妻なんかに絶対の絶対になりたくはない。最高血統の煌びやかな女性たちから見ればボロ雑巾みたいな、序列十五番目の、初恋相手に()()()だけの女になんて。


「………はぁー、ベルフ。婚約していたことにしない?」

「………は?」

「だって婚約者がいれば無効になるじゃない、求婚」

「………始まる前、でしょ」

「そこはさ、書類をうまく偽造して」

「犯罪」

「そこを何とか!前から恋仲だったとか!実は引き裂かれた恋人たちとか!実は書類ももう書いてて出すだけだったとかそのあたりうまいこと!そこまですればあの人、無理強いはしないと思うの!だって掠奪なんてこの上なくカッコ悪いでしょ?」

「やだ。僕はリンシアが好……」

「ほほお、やっぱり好きなの?妹みたいとか守りたいとか散々言ってたけど、やっぱりそういう好きなのね?」

「ぐふっ!」


いつももごもごして、はっきり言葉にしないベルフがついに吐いた。

セレンは自分が鬱屈している分、俄然楽しくなる。


「えー!やっぱり真剣だったのね!………叶いそうにないけど」

「うぐっ!」

「ゴメンゴメン。辛いこともはっきり言い過ぎってリンシアにも文句を言われたばかりだった」

「うぅ……ど、どうせ………僕なんて……」

「ご、ごめんって。ベルフはおっきな図体してほんと繊細なんだから、でもそこもいいところだって。でっかい図体して態度もでっかいのなんて最悪よ。ベルフはオドオドして優しいところが持ち味でしょ?まあ………その、でっかすぎるけど」

「……………褒めてない」

「だって私ですら躊躇うサイズよ?どう考えたって夫婦関係無理と思わない?流血沙汰どころか骨折しかねないわ!」

「変態!ジロジロ見ないでよ!」


()に向いたセレンの視線にベルフがぎゃっと手でそこを覆う。ちょっとメルギウスの破廉恥に慣らされすぎて慎みがなくな理すぎたかもしれない。

前向きに俯いて涙目のベルフの、筋肉が盛り上がった肩をぽんぽんと叩いた。


「ゴメン………デリカシーがなくなってたわ。ずっと大きいこと悩んでたんだものね」

「ぅ、うう……やっばり巨……だとダメ……?」

「そ、そうねぇ……やっぱり女の子としては体の大きさに見合うモノ………相手が、いいかも、とか。その……命の危険?というか。恐怖というか?そ………な、泣かないでよ!でも、ベルフはいいヤツだもの。私、あなたのこと、好きよ。なんなら結婚してもいいって思ってたくらいだし。一緒にいると落ち着くし、力は強いし、一応は頼りになるし。だからきっとリンシ………」

「こんなところでこそこそ何をしているんだ?」


めそめそとするベルフの大きすぎる背中をよしよし撫でてやってたところ、不意に低い男の声が扉もない入り口から聞こえてきた。

視線を向ければ逆光を背負ったメルギウスが、そこにいた。


本日も二話更新します。

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